じんべーさん

どうやら私は人に見えないものが見えるらしい


堕落に生きる日々の中、アカギはようやく理解した。

幼稚園のクラスの収容人数を遥かに超える景色を見て、それを口にしたがために彼女は遠のけられた。別段苦しいことは無い。親しき友もいなければお気に入りの絵本や玩具もない。

なれば行かなかったとて困ることはなく。

しかし親はしきりに謝る。

「次の幼稚園見つけようか?」

その問いはアカギの望むものではない。むしろ家という絶対安全地域からでたくはなかった。

共働きの親はアカギを一人家に残して仕事に行くことを渋る。それは彼女の安全や友ができる幸せを願ってのことだが、生憎彼女の周りには頼れる大人がたくさんいる。生きてはいないが。

話し相手もいる。遊んでくれる相手もいる。ご飯さえ置いていってくれれば家ほど快適なところはないのだ。


幼稚園生からニートである彼女を両親は困りつつも愛している。

我が子の口から出る「見えないモノ」は信じ難いけれど、裏付けるような証拠もあるため一定の理解を示している。

我が子を気味悪がるなど親として忌避するべきことだ。お腹を痛め産んだ子をどうして手をあげようか。自分たちを見て嬉しそうに笑う子をどうして遠ざけようか。

深く暖かな愛はアカギも理解しており、自分も返そうと愛を示す。

それは奇跡的なことである。


アカギは口のきけるまともな「見えないモノ」たちに教えを乞い、文字や常識を幼いながら理解した。

親が彼女に渡したらくがき帳は文字で埋まり、「天才だ!」と親バカを発揮していたのは言うまでもない。

アカギとしては失敗をしたくなかったからである。

幼稚園で起こしたあの騒ぎはを知らぬが故に起きた失敗。幼稚園は義務ではないが小学校や中学校は義務である。

そうそう変えれるものでは無いと聞くし、失敗を恥ずかしく思う心を持ってしまった。


上手く生きていこう


これは彼女が心に刻んだ唯一の言葉である。

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