【短編】ハルキとトモヤ

NAOKI

ハルキとトモヤ


 トモヤは、クラスでもとにかく影が薄く浮いた存在だった。

 引っ込み思案の無口で、人と会話をすることが大の苦手だ。いや、苦手というより、そもそも人と話が出来ない。


 小学生の頃から、クラスメイトに声をかけられても何と答えて良いか分からず、口をモゴモゴさせるだけで、結局何も言えずに終わってしまう。中学校に入学してからは一層その傾向が激しくなり、3学年になった今年は、半年近くたってもまだクラスの誰とも喋ったことが無い。


 クラスメイトもまるで存在していないかのように、誰もトモヤに声を掛けてこない。かといって、決してイジメている訳ではない。3年時のクラス替え直後に、2年から引き続き一緒になったクラスメイトが、トモヤの存在と関わり方について知らない人に伝授する。クラス担任も特に注意も介入もしようとしなかった。


 トモヤ自身も周りに変に気を使われるよりも、放っておいてもらったほうが楽だった。


 唯一、隣の席のハルキだけは空気が読めないのか、いつもトモヤに絡んでくる。

 トモヤのクラスは生徒が37名で、7×5列の座席の最後に2席のみがあふれ、校庭を向いた南の窓際がトモヤで、その隣がハルキという席順だ。ハルキは何かにつけトモヤに話しかけてくる。返事が無くとも全く気にもしない。トモヤは一言も言葉を発することなく、じっと黙っている。



 今朝も教室に入ろうと扉を開けたが、誰もトモヤに視線を向けるものはおらず、完全にスルーだ。そのまま教室の後ろで雑巾サッカーに興じるクラスメイトを避けながら、自分の席に荷物を置くと黙って着席した。

 横から雑巾が飛んできてトモヤの机の上に落ちたが、一人の男子が、下手くそー、と叫びながら雑巾を回収しただけで、トモヤには悪いともゴメンとも言わない。


 少し遅れて登校したハルキが元気よくトモヤに挨拶してくる。ハルキは年齢の割に幼い所があり、いつも元気溌剌げんきはつらつキャラで、声も大きくうるさい。


「トモヤ、おっはよー。なあ、数学の宿題やった? 俺、全然分かんなくて、ほぼ白紙だよ」


 当然、トモヤは返事をしない。席に座り黙ったまま下を向いている。



 担任の村田先生がやってきてホームルームが始まる。先生は出席簿を開けると五十音順に出席をとっていく。


「次は、えーっと、ハルキ。いるか」


「はーい、はーい、ハルキはここにいますよー」


 隣でハルキが満面の笑顔でトモヤのほうを見ながら、立ち上がって両手を振り叫んでいる。先生はそんなハルキのことなど無視して先を続けた。


「はい、ハルキは出席と。次は、ヒロ・・・」



  ◇◇◇



 4限目が終わり、昼食の時間になったでの、机の上に弁当を出して食べ始める。

 トモヤの学校がある地域は、小学校までは給食があるが、中学校は弁当だ。いまどき給食がないなんて、と母親は文句たらたらだ。共働きが増えた昨今、弁当作りは負担だと、市議会でも毎年のように議論になるのだが、結局、中学校に給食が導入されることはなく、弁当が続いている。


 トモヤはわざわざ席を向かい合わせて食べる給食よりも、各自の机で勝手に食べて良い弁当のほうが都合が良かった。クラスメイトも、好きな友達同士で集まったり、机で本を読みながら食べたりと其々それぞれだ。もちろん、トモヤ以外にも一人で自席で静かに食べている者もいる。


 今時いまどきの中学3年生は結構大人だ。

 なんかこいつとは合わなないあと思うと、自然と距離を取ろうとし、お互いに気にしないようにする。関わるとイライラしたたり、文句を言いたくなるので、干渉しないことが一番だと思っている。表面上だけで付き合うのも特に苦にしないから、それなりにクラスとしては団結している。


 時々、そういう振る舞いが出来ない精神的に幼いヤツがいて、内気な生徒を狙って余計なちょっかいを出し、終いにイジメへとエスカレートしそうになる。ただ、中学3年ともなると、周囲も幼稚すぎると呆れて止めに入るので、長くは続かない。逆にイジメなどして、子供ガキキャラ認定された方が"終了"なので、性格が合わない人とは余計な接触をしないようにする。

 先生が言う「お互いの個性を尊重しよう」なのだ。


 年に1度ぐらい、とても許されないような行為をしたヤツが、皆の集中砲火を浴びるような事件が起こるが、しばらくすると何事も無かったように元に戻る。好きな者だけでグループを作り、趣味嗜好しゅみしこうが違う人とは交わらず、たまに炎上するが瞬間的で、押しなべてSNS的だった。


 そういう中では、やはりハルキは特殊だった。


「おおっ、いつもトモヤの弁当は美味しそうだよなあ」


 トモヤの弁当を覗き込み、ハルキがはしゃいでいる。

 トモヤは黙って食べ続ける。


「5限目は体育だけど、トモヤは体操着持ってきた?忘れてない?」


 トモヤが返事をせず黙っているので、ハルキの壮大な独り言となる。

 どれだけハルキが騒いだところで、回りはだんまりを決め込むだけだった。


 5限目の体育のことを言われて、箸が止まってしまった。昔から運動音痴のトモヤは体育が大の苦手だ。用も無いのに肉体からだを動かすなんて、無駄じゃないかと思っている。運動をすると気分が晴れるというが、トモヤはそうは思わない。特にトモヤはいつも気持ちが平坦なので、晴れるとか沈むとかも良く分からない。

 学校の先生たちも、そういうところでは個性を尊重してくれない。


  ◇◇◇



 今日の体育の授業は体育館で跳び箱だった。

 中学3年ともなると跳び箱の難易度がどんどん上がる。段数が5段、6段と増えるだけでも嫌なのに、抱え跳びやら、台上前転やら、無理矢理やらされる。トモヤは普通の開脚飛びすらまともに出来ないのに。


 何でこんな意味の分からない競技が世の中にあるのだろうと思いながら、トモヤはいやいや「出来ないチーム」の列の最後尾に並ぶ。出来ないチームは開脚飛びだけで、段数も4段である。


 授業の最後にテストと称して、運動の得意な順に跳び箱の実演をしていく。

 体育教師の宗田が、いいぞ、惜しいぞ、もうっちょと足開け、などと順番に声をかけている。トモヤは大学を出たばかりで熱意の塊のような宗田が嫌いだった。性格が真逆過ぎて、徹頭徹尾合わない。


 出来ないチームの順番になると、ぞろぞろと4段の跳び箱の前に皆で移動する。

 これじゃ晒しものじゃないか。だって、数学のテストが30点だったからって、壁に張り出されることは無いだろう。そもそも誰が何点だったかでさえ秘密だ。それなのに、どうして体育は出来ない自分を、皆の前で披露しなければならないんだ。


 トモヤの順番になると、皆から少し離れて体育座りをしていたハルキが、口に両手を当てて大声で叫ぶ。


「トモヤー、がんばれ!!ファイト、ファイト」


 跳び箱の横に立っている熱血宗田がハルキ!と大声で叫ぶ。

 トモヤは渋々と助走をはじめ、ロイター版を蹴ってジャンプし、1段目の真上にドスンと尻から着地する。宗田は下を向いて、手にしたノートに何かを書き込んでいる。


 トモヤの気も知らずに、ハルキは相変わらず叫んでいる。


「惜しかったよー、トモヤー。あとちょっとだったぞー」 


 トモヤは恥ずかしさに赤面しながら何も聞こえない振りをして足早に戻る。

 クラスメイトは一様に黙って下を向いている。


  ◇◇◇


 体育の授業が終わり、職員室に戻った宗田は、担任の村田先生のところに行き、ちょっと相談が、と声をかける。


「村田先生。どうですか、ハルキの調子は」


「まあ、相変わらずといったところですね。何かありましたか?」


「いや特に無いんですど、やっぱり、やりづらくてね」


「ご両親と校長とスクールカウンセラーの協議の上でのことだからね」


「分かってはいますけど・・・」


「とにかく、そっとしておいて欲しいというご両親の希望だし」


「とはいえ、もう中学3年ですし」


「確かにねぇ。来年は高校生だからなあ」


「ハルキのあの性格だと、面接のある高校は難しいですよね」


「まあね。合否は面接だけで決まるわけでは無いとはいえ、やはりね」


 村田は、どうしたもんかなあ、と椅子の背持たれに体を預けて天井を仰ぎ見る。

 とにかく、進路指導の面談の時にいろいろ親御さんとも話してみるよ。


 宗田が面倒に思うのは理解できる。ただ、ハルキをこのまま放っておく訳にはいかない。皆には秘密にしているが、子供の頃から霊感が強かった村田はにはのだから。



  ◇◇◇



 下校時間になり、部活があるもの以外はぞろぞろと帰宅を始める。トモヤが一人で校門で待っているところに、ハルキが走ってくる。


「トモヤ、待たせてごめん。さあ、帰ろーぜ」


 トモヤは返事もせず、遅れてきたハルキと並んで校門を出た。



 通学路の途中、交差点のところでハルキが立ち止まる。


 電柱の脇に花が供えられている。ハルキはそこから先には進めない。

 今年の春、2年の終わり頃に宮田晴樹ハルキはこの交差点で交通事故に合い、死んでしまった。


 内気で大人しい春木ハルキ智也トモヤにとっては、唯一といって良い話の出来る友人だった。小学校からの付き合いで、「春木ハルキ」と「晴樹ハルキ」で一緒だな、と声を掛けられたのがきっかけだった。晴樹は「春木」と呼ぶのは恥ずかしいと智也と呼び、合わせるように智也は宮田ではなく晴樹と呼んだ。智也も自分の苗字を呼ぶようで恥ずかしかったが、そもそも智也はあまり喋らないので、我慢することにした。


 晴樹は無口な智也の性格を気にすることなく、気さくに、そして辛抱強く話しかけてくれた。智也も晴樹だけには、少しだけ話をすることが出来た。中学にあがってからも、晴樹が事故に合うまでは、一緒に登校した。


 その日、たまたま委員会の用事があった晴樹は、少しだけ下校が遅くなり一人で帰宅していた。交差点の青信号を渡っている時、安全確認を怠り、ウィンカーも点けずに左折したトラックに巻き込まれ、荷台の下敷きになってしまった。

 智也は晴樹の用事が終わるのを待って、二人で帰っていれば事故を防げたはずだと自責の念にかられ、より一層口を閉ざすようになった。


 それから春休みまで、中学2年生としての最後の数週間は、先生やクラスメイトに話しかけられても一言も答えなかった。逆に、まるで隣に晴樹が生きているように振る舞い、周りの人を怖がらせた。


 晴樹は死んだ後も、智也を心配してか常に隣にいてくれる。親も先生もクラスメイトも誰も信じてくれないが、智也は毎日、晴樹と一緒に登校し、学校生活を共にしている。


 今日も、智也は花の前で小さく手を振りながら、聞こえないような小さな声で、たどたどしく話す。


「じゃあ、ね、晴樹。明日も、7時半に、来る。それと。明日は、卒業写真、の、撮影、だから、晴樹も、一緒に、ね」

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