貧乏男と謎の男 ☆KAC20226☆

彩霞

貧乏男と黒服の謎の人物

 男の手の中にある残高は120円だった。通帳の最終行には0円の表示。


 ――俺には何も残っていないのだ。何も。


 男は途方に暮れていた。

 こんな風になる前に、生活保護に頼ればよかったのだろうが、男の矜持がそれを許さなかった。もし、それを申し込んでしまったら、きっと別れた家族に迷惑がかかる。そう思ったためである。


 しかし、金がなくては生活はできない。家賃も滞納しているので、数日したら追い出されることだろう。男には時間がなかった。

 だからと言って、何か出来るわけでもない。

 仕事は10年前に辞めた。その間何度か就職活動をしたが、選考に落ちてばかりで活動すること自体嫌になってしまい、以来仕事に就いていない。


 男はふらふらと歩き、近所の河原へ向かった。

 部屋にいると大家が来て煩いので、日中は当てもなく外に出る。ただ、何かを食べる金も残っていないので、極力動かないようにするため、大抵は近所のスーパーの端っこでずっと座っている。丁度日陰になるところだし、人通りも少ないので気づかれにくいのだ。


 また昼時になると、スーパーの横で焼鳥屋の屋台が店を開く。すると、タレが焼ける香りが漂ってくるので、それを嗅ぎながらスーパーで買った握り飯を食べて空腹をしのぐのだ。しかし、暫く風呂にも入っていないので、店で握り飯を買うこと自体ためらわれる。

 そのため、今日は朝から晩まで河原にいることにした。


「世の中は不平等だな……」

 男は川のすぐそばに腰を下ろして、ぼんやりと呟いた。世の中は不平等だ。

 正直に懸命に生きようとしても、それを見てくれる者がいなければ救われることはない。自分だけの力で何とかできる、と言う奴もいるがそれは元々才能と運があるためだと、男は思うのである。

「俺には運がない」

 そう声に出したときだった。

 男の傍に誰がが立って尋ねた。

「何故、そう思う?」

「え?」

 驚いて上を見上げる。するとそこには真っ黒なトレンチコートに黒いスラックス、それに黒い帽子を被った年齢不詳の男が立っていた。

「何故、運がないと思うんだ」

「それは……金がないから……」

「そうか。じゃあ、金があれば運があると思うんだな」

 すると彼は男に紙袋を渡した。

「ここに宝くじが入っている。当選したものだ。当選金額は5千万」

「ご、5千万だって……⁉」

 ひっくり返りそうになりながら「嘘だろう?」と聞くと、彼は口元に不敵な笑みを浮かべて言った。

「嘘じゃぁない。騙されたと思ったら、銀行に身分証明書や通帳を持って行くといい。私の言っている意味が分かる」

「でも、何で……? 何で俺に譲ってくれるんだ? 自分のものにしたらいいだろうに……」

 男が戸惑って言うと、彼は鼻で笑った。

「俺は趣味で宝くじを引いているだけで、金が欲しいっていうわけじゃないんだ。運を試しているんだ。自分のね」

「運を試す?」

「ああ」

「何故、そんなことをするんだ」

「本当に運とやらがあるのかどうかを試したいだけさ」

 彼の話がよく分からず、男は首を傾げた。

「……?」

「意味が分からないって顔だな」

「分からない」

「運とは本当に何にも左右されないと思うか?」

「え?」

「あんたもここまで生きて来たから、私に会えた。十分、運を持っている」

「いや、それは……そうなのかもしれないけれど……」

「運は何かを行動に起こした者のみにもたらされる。あんたはその運を引き寄せたんだ」

「言っている意味が分からないが……」

「分からないなら分からなくていい。とりあえず、その宝くじを換金したらどうだろう。あなたがそれをどうしようか私には関係ないが、ま、上手いこといくといいな」

 そういうと、男は後ろ手に手を振って去っていった。

「一体全体どうなっているんだ……?」


 男は自分に何が起こっているのかよく分からなかったが、とりあえず彼が言った通り宝くじを換金してくれる銀行へ向かった。すると応接室に通され、本当に当たっていたことが判明した。

 お陰で通帳の残高は5千万円になった。先ほどまで0円だったのに、どうしたことだろう。思わずほっぺたをつねってみるが、痛いので間違いなく本当のことなのだろう。

 男はとりあえず滞納していた家賃やら、水道代、電気代などの支払い分と、一週間分の食事代を現金として引き出し銀行を後にした。

 滞納していた分の支払いが完了したのち、男はすぐにいつものスーパーへと向かった。しかし、中には入らない。

 今日中に風呂には入れるだろうが、先に済ませておきたい用事があったのである。向かったのは、屋台の焼き鳥屋。


「いらっしゃい」

 店主が明るい声で声をかけた。

「ネギマとももを3本ずつ」

「塩とタレ、どちらがいいかい?」

「タレで」

 すると店主はすでに焼き終わっていたそれらをプラスチックの容器に入れて、渡してくれる。

「全部で990円だな」

「はい」

 男はポケットから財布を取り出し、お金を払う。男はふと、こうやってきちんとお金を払えることに感動した。

「毎度あり」

「こちらこそ」

 男は焼き鳥屋に背を向けて、空を仰いだ。昨日と変わらぬ空なのに、何故か心地よい。これからどうやって生きようか。そんな意欲冴え湧いてくる。

 するとそのとき、後ろで声がした。


 ――よかったですね。


 先ほど河原で会った妙な男の声がしたのだ。はっと振り返ったが、そこには焼き鳥を焼いている店主しかいない。

「空耳……?」

 男は不思議に思いながら、その場を立ち去った。今日は香りだけではなく、焼き鳥が食べられることに心を躍らせながら。

「今日は、ちゃんと焼き鳥楽しんで下さいね」

 店主は男の背を見送りながら、再びまた焼き鳥を焼き始めるのだった。


(完)

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