深夜ラジオ ~A面~

プラナリア

♪♪♪

♪リスナーの皆様と創るコーナー、今日のテーマは「思わず笑った出来事」です。ラジオネームかざはなさん(13)よりお便り頂きました。「私の隣の席のT君は、クールな学級委員です。その彼が、珍しく授業中居眠り。案外可愛い寝顔を見ていたら、突然『きなこ……』と呟いてました!何、その寝言?夢で和菓子でも食べてたの?目覚めた彼が何事も無かったようにノート書き始めたのが可笑しくて、笑いを堪えるのに必死でした」……T君、可愛い!ぜひ、T君に何の夢だったか聞いてみて下さいね~♪


 「やった、読まれた!」

 布団の中で、私は笑いを噛み殺す。手元には、小さなラジオ。翌朝思う存分寝坊できる、金曜夜のお楽しみ。

 商店街の抽選会で偶然手に入れた携帯ラジオは、私の日常を変えた。手探りでダイヤルを回すワクワク感。ザアザア続く雑音が不意に途切れ、鮮明な音声が流れ出す。まるで宝探しみたい。そうやって、このローカル番組に辿り着いた。どうやらリスナーが少ないらしく、好奇心で投稿してみたら、たまに読んでもらえている。ラジオパーソナリティが私に語りかけているようで、テレビよりぐんと距離が近い。

 灯りを消した部屋の中、見上げた窓辺に光る星。深夜ラジオの夜は果てしなくて、世界は秘密めいていて、私は自由で何処までも行けるような気がする。


 事件は、週明け起きた。

 「相沢、ラジオに俺のこと投稿しただろ」

 T君こと椿君。よく言えばクール、悪く言えば仏頂面の彼。整った顔立ちは、怒ると迫力が増す。冷たい細縁眼鏡に睨まれ、私は逃げ出したくなった。え、どゆこと、まさか。

 「ご……ごめん!」

 殆ど喋ったことが無い彼の出方は謎だ。とりあえず謝ってみる。椿君は憮然として溜息をつく。

 「これ以上、他の奴に言うなよ」

 「え、言ってないよ!居眠りしてたとか皆に言うの悪いなと思って、ラジオに投稿したんだよ」

 「……投稿って拡散だろ」

 「言えないけど言いたいから、ラジオに言ったんだよ。まさか、身近であの番組聞いてる人がいると思わなくて。ごめん」

 手を合わせてもう一度頭を下げる。椿君はバツが悪そうに「まぁ居眠りした俺が悪いんだけど」とゴニョゴニョ呟いた。

 「……何で『きなこ』?」

 怒られついでに、気になってたことを聞いてみる。

 「うちの飼い猫」

 「猫?じゃ、猫の夢見てたの?」

 「……覚えてないけど、たぶん」

 いつもの仏頂面で呟いた彼が可笑しくて、笑ってしまった。

 「ラジオ、いつも聞いてるの?」

 「兄貴がラジオ聞いてて、俺もなんとなく聞くようになって。勉強の合間に。テレビよりラジオの方が邪魔にならない」

 「分かる。無音よりBGMある方がいいよね。あの番組、私たまに投稿してるんだ。椿君、投稿したことある?」

 「……一度だけ」

 意外な返答に思わず食いつく。

 「ほんと!?ラジオネームは?」

 「……随分前だから、きっと分からない」

 「いいから教えてよ」

 「……camellia」

 「は?カメ?」

 「椿。名字の英訳」

 「なんだ」

 「相沢のラジオネームだって下の名前そのままだろ。風花ふうか風花かざはな

 名前を呼ばれて、ちょっとドキッとした。私の秘密の名前。同時に、記憶が甦った。

 「camelliaって、『天使の梯子はしご』の人!」

 思わず叫んだら、椿君はみるみる真っ赤になった。


♪「学校の帰り道で、ふと見上げた空が忘れられません。雲の間から零れ射す光が、静かに地上を照らしていました。雲が風に流れて、光はベールみたいに揺れました。今この瞬間、天と地上は清らかな光で繋がっているのだと思いました。思わず立ち止まっていたら、先を行く友達が呼び掛けました。この光景を伝えたいと思ったけれど、どう言えばいいか分からなくて、結局何も言えずに友達の横に並びました。帰宅後、調べて『天使の梯子』と呼ばれる空だと知りました。名付けた人の気持ちが伝わるようで、揺らめく光が離れなくて、やっぱり誰かに伝えたくて、初めて投稿しました」♪


 その投稿が同じ齢の子だと知って、私はびっくりした。検索して見つけた「天使の梯子」の、うつくしい空に見いった。伝えずにいられなかった気持ちが伝わった。

 どんな人なんだろう。

 その時は、きっと女の子だと思った。繊細な、優しい面影を想像した。


 「椿君だったんだ……」

 口元を押さえて絶句したままの彼。いつもとまるで違って見えた。あの空を見上げる姿が浮かんだ。切ない表情も、見えた気がした。

 「なんで覚えてるんだよ……」

 「だって」

 その先の言葉を探して考え込む。椿君は真っ赤な顔のまま目を伏せた。

 「忘れてくれ。頼む。無かったことにしろ」

 「嫌だ」

 思わず言った。まっすぐ彼を見た。

 「忘れられないよ」

 椿君はポカンとする。いつもの仏頂面が吹き飛んでいて、私はやっぱり笑ってしまった。


 それから、椿君と話すようになった。

 分からない問題を質問したら、案外丁寧に教えてくれたり。

 スマートフォンの待受が「きなこ」だったり。

 ピーマンが苦手で食べられなかったり。

 知れば知るほど、意外な彼。


 「相沢、また投稿してたろ」

 月曜、椿君から言われて嬉しくなった。

 「もう常連かな~?」

 「リクエストしてた曲、小田和正?なんで?」

 「『たしかなこと』ね。お父さんがカラオケでよく歌ってて、私も好きなんだ。皆知らないから、友達とカラオケ行っても歌いにくいんだけど」

 「いい曲だな」

 私は益々嬉しくなる。伝わったんだ。

 私達よりずっと年上の世代の曲だけど、優しい歌声と沁みるような歌詞は、何度聞いても心地いい。

 「椿君、カラオケとか行く?」

 「誘われれば行くけど……あんまり。歌うの下手だし」

 「あ、下手なの分かる」

 「あのな」

 「いや、何というか……マイクしっかり握って一生懸命歌ってそうだなって。聞いてみたい」

 優等生に見えて、案外不器用な彼。訥々とつとつと歌う姿が浮かんだ。椿君は怒るかどうか微妙な表情。

 「どんな曲聞くの?」

 「最近の曲は、あんまり」

 「例えば?」

 「……クラシック」

 「え?」

 「いや、兄貴が、大学で音楽系サークルで、選曲会議だとか演奏会の練習曲だとか、常にクラシック聞いてるんだよ。相部屋だから、俺もなんとなく」

 椿君は弁解するみたいに言う。ラジオも、お兄さんの影響だって言ってたな。

 「椿君って、ブラコン?」

 「バカ、そんな訳ないだろ!!」

 図星なのかムキになっている。彼のこんな姿は、何度見ても面白い。

 「冗談、冗談。ね、クラシックって、好きな曲は?」

 「きっと知らないよ」

 「いいから。教えてよ」

 「……レスピーギの『リュートのための古風な舞曲とアリア第三組曲』」

 「え?レシピ?」

 「ほら、分からないだろ」

 「うん。だから教えてって言ってるじゃん。どんな曲?」

 「……旋律が綺麗なんだ。切ないっていうか」

 「ふぅん。貸してよ、聞いてみたい」

 椿君は曖昧な表情だったけど、翌日、ちゃんとCDを貸してくれた。

 彼の言葉通り、うつくしい旋律だった。静かに繰り返す波のようなメロディに心が揺れた。失われた刻を懐かしむような、切なさ。

 曲の感想を今すぐ伝えたくなった。スマートフォンを眺める。いつも連絡先を聞こうと思うのに、聞けない。仲良くなったと思うのに、私の中の何かが踏み出すのを躊躇う。同じ部活の男子とは、LINEで他愛ないやりとりをしているのに。

 例えば見上げた夕焼け空があんまりうつくしい時。写真を送りたくなる。彼は、この空に何を想うだろう。

 まだ言葉にならない気持ちを抱きしめる。

 彼は、ラジオみたいだ。

 何が飛び出すか、ワクワクする。どこか秘密めいていて、不思議な親近感がある。

 もっと聞きたい、知りたい、近づきたい。

 周波数を合わせるように、彼に話しかけたい自分がいる。今日はどんな彼に会えるだろう。

 いつもの日常が鮮やかに色づく。


 「お前さぁ、最近、相沢とやたら仲良くね?」

 放課後の教室。扉に手をかけようとしたら、自分の名前を呼ばれて立ち止まった。

 「隣なんだから話くらいするだろ」

 不機嫌な声は、椿君だ。胸がざわっとする。扉の向こうの見えない彼は、どんな表情をしているのだろう。

 「今まで女子と殆ど話さなかったじゃん。なんか楽しそうじゃん」

 「何が言いたいんだよ」

 「お前ら、付き合ってるの?」

 「そんな訳ないだろ!」

 「あれ、なんかムキになってない?」

 複数の男子の笑い声がする。その中に、同じ部活の高野の声が混じった。

 「椿もやっと目覚めたか~。めでたいよなぁ。でも、なんで相沢?相沢はいい奴だけどさぁ。あいつ、胸が月面じゃん」

 「月面?」

 「クレーター。ペチャパイ通り越して、エグレてるレベル」

 ぎゃはは、と笑い声。

 高野め。月面はお前のニキビ面だっつーの!お前の空っぽの頭と違って、私の胸の空洞には大きな成長可能性が秘められてるんだよ!

 私は、ささやかな胸を抑えて歯噛みする。

 「……お前らな」

 「冗談だって。貧乳が好みなんだろ」

 「だから何でも無いって。何もやってないよ」

 「やってる?え、やっちゃったの!?どこまでやったんだよ、相沢と!」

 ひときわ笑い声が大きくなって、私の頭がプツンとなる。下らなさすぎる。あんた達、いい加減にしなさいよ! 言ってやろうと扉に手をかけた時。


 「いい加減にしろよ」


 声は、私ではなく椿君だった。聞いたことがない低い声。静かな怒りが伝わってきた。


 「相沢のことは何とも思ってない。二度と下らないこと言うな」


 彼が本気で言っているのが分かった。体の芯まで凍っていく気がした。そのまま、握り潰されて砕け散るかと思った。


 何とも思ってない。


 冷たい声音が木霊する。


 「ちょっと、椿君?……マジギレ?」

 「帰る」

 「椿?」

 近づく足音がして、私は反射的に廊下を駆け出した。背後で、息を呑む音がした。


 心臓が破裂しそうなのは、全力疾走のせいだ。息がうまくできないのも、苦しくて堪らないのも。

 椿君は悪くない。本当のことを言っただけだ。私達、何でもないじゃん。そう思おうとしても、涙がこみあげてくる。泣くもんか。まるで……失恋みたいじゃないか。そんなんじゃないのに。

 喉の奥から嗚咽がこみあげる。

 赤面。膨れっ面。切ない横顔。

 私だけが見つけた宝物だと思っていた。

 廊下の端っこにしゃがみこんで、遂に私は堪えられずに泣いた。

 椿君は、追いかけてこなかった。


 翌朝。私は無理やり笑顔で教室に入った。

 何とも無い。最初から何も無かったんだから。自分に言い聞かせて、椿君に声をかける。

 「おはよ!」

 隣の彼は私を見て、目を逸らした。

 「……おはよう」

 次に続く言葉を失って、私はそのまま席に座る。椿君はいつもの仏頂面だ。何事も無かったみたいに。

 そういえば、いつも話しかけてたのは私だったな。

 ぼんやりとそう思った。

 相手をしてくれてただけなのかな。

 からかわれて、もう私と話すの迷惑なのかな……。

 

 チューニングの仕方が分からなくなった。仏頂面のラジオからは、無機質な雑音しか聞こえてこない。


 金曜日になった。深夜、私は迷った末、ラジオのダイヤルを回した。

 椿君とは、話さないままだ。

 馴染んだラジオパーソナリティの明るい声。胸が、ずきんとした。

 いつの間にか、ラジオの向こうに彼の姿を思い浮かべるようになっていた。夜の中で、繋がっているような気がしていた。勝手に。

 楽しみだったラジオは全然心に響かなくて、私はもう元に戻れないんだと思い知る。やっぱり消そうかと思った時。


 ♪ラジオネームcamelliaさん(13)からのお便りです♪


 思わず、がばりと身を起こした。ラジオを見つめる。心臓がどくんと波打つ。


 ♪「ずっと、ある人に伝えたいことがあります。どうしたらいいか分からなくて、どう言えばいいか分からなくて、ずっと考えていて、今も分からないままで。でも、このままじゃ嫌だということだけ、分かっています。もし投稿が読まれたら、神様がそうしろって言ってるんだと思って、その人に電話しようと思います。……勝手にごめん、連絡先聞き出した。相沢に、どうしても伝えたいことがあるんだ」……はい、読ませて頂きましたよ。相沢さん、聞いてくれてるかな?camelliaさん、私も応援してるよ。ラジオが、二人の中継点になれたらいいな。最後はリクエストのこの曲で、お別れしましょう。小田和正「たしかなこと」です。想いが、伝わりますように♪


 いつかの私のリクエスト曲。静かなイントロが流れだし、固まっていた私は弾かれたように立ち上がった。スマートフォンを充電器から抜き去り、枕の上に放り投げる。知らず、布団の上に正座していた。両手を胸の前で握りしめる。


 聞き慣れたはずの歌は、初めてのように心に響いた。彼の面影が重なる。空を見上げた、切ない横顔。

 

 さっきの、本当に椿君だったのだろうか。心臓が未だかつてない勢いで鼓動を打つ。優しい歌声に、彼の声が重なった。電話。思わず瞳をぎゅっと瞑った。耳もとであの声を聞いたら、私の心臓は爆発して死んでしまうかもしれない。

 光る液晶画面の時刻を見つめる。この曲が終わったら。

 5分後。彼のラジオは、どんな言葉を紡ぐのだろう。


 恐ろしいような、狂おしいような。

 そんな気持が、穏やかであたたかなメロディに包み込まれていく。歌声に呼び覚まされるように、ありふれた日々が浮かぶ。

 気付けば、彼のことを考えていた。いつの間にか、彼を見つめていた。

 ……あぁ、こういうことを歌っていたんだ。

 無意識に口ずさんでいた歌詞が、自分の中に沁みこんでいくのを感じた。


 やっと分かった気がした。

 気付いたらそこにあった。私の中で確かに、息をしていた。

 言葉にならなかった、見知らぬ生き物のような、この想い。


 君に、伝えたい。


 消えゆく音楽の余韻に浸る間も無く、スマートフォンが鳴る。叫びだしそうになって堪え、慌てて通話ボタンを押した。


 「相沢?……俺」


 声を聞いた途端、胸の奥の生き物が震えて、切なく鳴いた。君にふわりと包みこまれて、あんまりあたたかくて涙が出た。スマートフォンを握りしめる。ラジオが私に微笑む。見上げた空の月が信じられないくらい、きらきらと輝いている。ここは未知の世界だと思った。

 君は、今、私の新しいチャンネルを開く。


 「俺、本当は、相沢のこと……」



        <終>

小田和正「たしかなこと」

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