あの日の後悔にさようなら

無月弟(無月蒼)

あの日の後悔にさようなら

 木枯らしが吹く、高校からの帰り道で。ふと目に映ったのは、小さな町工場。

 いつもは中から大きな音が響いているその建物は、今日はシーンと静まり返っていて。入り口にはロープが張られ、『立ち入り禁止』の札が下がっていた。


 ここは小さな町だ。町工場が閉鎖されたという話は、私の耳にも届いている。

 だからと言って、私に何か関係があるわけじゃないけれど。ただ、一つ気になるのは。


「雄二くん、どうしているかなあ?」


 ポツリと呟いたのは、幼馴染の男の子の名前。たしか彼のお父さんが、ここの責任者だったはず。

 こんな事になって、雄二くんは今頃どうしているか。それだけが気がかりだった。




 新藤雄二くんは私の、初恋の男の子。

 うちの近所に住んでいて、昔はよく一緒に遊んでいたっけ。だけど今は別々の高校に通っていて、すっかり疎遠になってしまっている。

 いや、高校は関係無いか。だって進路が分かれるずっと前から、彼とは話さなくなってしまっていたから。


 きっかけはそう、小学校六年生の時。私が雄二くんのことをふったあの日から、私達の間には距離ができてしまったんだ。



 ◇◆◇◆



 背が高くてスポーツができて、明るくて活発的な男の子、新藤雄二くん。彼の事を好きな女の子は、数多くいた。

 対して私、安藤小夜子は、大して可愛くも無ければ長所も無い地味女子。ただ家が近所で、昔からよく一緒に遊んでいたから、雄二くんとは仲が良かった。


 けど、それがいけなかったのかな。私達が一緒にいる事を、面白くないって思う女の子は少なくなくて。ある日の給食の時間、皆で机をくっつけて食べていたら、不意に一人の女子が聞いてきたのだ。「安藤さんって、新藤君の事が好きなの?」って。


 思わずむせ返ったのを覚えている。

 どうしていきなりそんな事を聞いてくるのって、ビックリした。しかも目の前には、雄二くん本人もいたのに。


 途端にその場にいた全員が、一斉に話に食いついてくる。

 当然だけど、雄二くんも驚いて声を上げていた。


「バカ、そんなわけないだろ。変なこと言って、小夜子を困らせるなよな」


 なんて答えたらいいか分からずにいた私には、ありがたい言葉。だけどそんな雄二くんの注意も、盛り上がった皆の勢いを止めるには力不足だった。


「そんなこと言って、本当は嬉しいんだろ」

「どうなの小夜子? 好きなら好きって言っちゃいなよ」


 人の気も知らないで、はやし立ててくる外野たち。一方雄二くんは期待と不安が混ざったような目で、私を見ている。ううん、雄二くんだけじゃない。男子も女子も、みんな私の返事に注目していた。


 だけど私は気づいていた。面白おかしくはしゃいでいる男子とは違って、女子達の目が笑っていないことに。

 抜け駆けなんて許さない、なんて言うべきか分かっているねって、無言のまま訴えかけていた。


 雄二くんは、好きになっちゃいけない男の子。抜け駆け禁止で、違反者には重い罰がある。それが女子の中にあった、暗黙のルール。

 もしもここで正直に自分の気持ちを言ったら、きっと私は皆から、仲間外れにされちゃう。その事がとても怖くて、嘘をついた。


「まさかー、好きじゃないよ。だって雄二くんは、ただの友達だもの」


 面白いわけでもないのに、無理やり笑顔を作って。冗談っぽく言った、拒絶の言葉。

 あくまで軽い感じで、柔らかい口調で言ったのだけど、雄二くんの表情が曇ったのを、私は見逃さなかった。

 だけど彼はすぐにいつもの笑顔を浮かべてくれて、おどけた感じで言ってくる。


「そっかー、残念だなー。けど、友達ならまあいいか」

「あはは、ごめんねー」


 アタシも精一杯の作り笑顔で返して。目を合わせずに笑い合う。

 男子達はふざけた調子で「気にするなよー」って雄二くんを慰めて、女子達は満足そうに目配せをしていた。


 それはふったと言うにはあまりにあっさりした、雑談の一部のようなやり取りだったけど。あの日から確実に、私達の距離は開いてしまった。


 話をする回数は日に日に少なくなっていって。小学校を卒業して、中学に上がる頃になると、完全に壁ができてしまっていた。


 出る杭は打たれるのが世の常。仲間外れにされるのが怖くて、つい好きじゃないなんて言ってしまった私。

 だけど、こんな風に距離を作りたいわけじゃなかった。今まで通り過ごすことができたら、それでよかったのに。


 あんな嘘言わなければよかったと、何度後悔しただろう。

 だけど全ては後の祭り。いや、もしももう一度やり直せたとしても、同じ事を言うかもしれない。だって私には、勇気が無いから。

 山ほどの後悔を生むと分かっていても、あの状況で正直に自分の気持ちを告げるなんて、出来るはずがなかった。


 あれからもう五年。今では別々の高校に通ってて、たまに町で見かける事はあったけど、声をかけるなんて出来なくて。だけど私は未だに、雄二くんの事を想っている。

 自分からふったくせに、初恋をすっかり拗らせてしまって。だけどもしも奇跡が起きて、また話をすることができたなら、私達は仲の良かったあの頃に戻れるかな?


 話さえできれば。たった一言、声をかけることができれば、元に戻れる。そんな事を、何度も考えたけど。

 結局は何もできないまま。町で彼を見かけても、話しかけようともしないで、ただ目で追うだけだった。



 ◇◆◇◆



 窓の外には、しとしと雪が降ってる。

 ぶ厚い雲が町を包む、エアコンをつけないと凍えてしまうような、寒い冬の日の夕方。自分の部屋で一人くつろいでいた私を、お母さんが呼びに来た。


「小夜子、お客さんよ」

「んー、誰? 今日は誰とも、遊ぶ約束なんてしてないけど」

「いいからいいから。玄関で待たせてあるから、早く行っちゃいなさい」


 どことなく、含み笑いを浮かべていたお母さん。いったいどうしたのだろう?


 だけど言われた通り部屋を出て、玄関まで行った時、私の心臓は思わず跳ね上がった。

 だってそこにいたのは、雄二くんだったから。


 ええっ、何で!? どうしてうちに来てるの!?

 焦げ茶色のコートを羽織って、首に紺色のマフラーを巻いて、ナップザックを肩からかけている雄二くん。所々に、白い雪の跡が見られる。

 記憶の中の彼よりもずっと背が伸びていて、顔つきも男の子から、男の人に近くなっている。


 どうして訪ねてきたのかは分からない。だけど昔の想いが蘇ってきて、体が熱をおびてくる。

 だけど、緊張と驚きで何も言えずに固まってしまっていると、彼はゆっくりと口を開いた。


「……突然来てごめん。久しぶりだね、

「えっ?」


 安藤さん。それはたしかに私の名前。

 だけど雄二くんから苗字で呼ばれるなんて、今までに一度もなかったのに。


 呼び方だけじゃない。表情や仕草が、どこかよそよそしくて。そんな他人行儀な態度に、さっきまで熱くなっていた頬や頭が、スッと冷めた気がした。

 私の知っている雄二くんと、目の前にいる雄二くんが結び付かない。彼はソコにいるのに、まるで間に見えないガラスでもあるような壁を感じる。


 戸惑っていると、雄二くんは心配そうな目をしてくる。


「安藤さん。安藤さん大丈夫?」

「あ、ごめん。へ、平気だよ、


 慌てて口にしたのは、『雄二くん』じゃなくて『新藤くん』。

 そして言ってしまって気づいた。これが今の、私達の距離感なんだ。


 昔は『雄二くん』、『小夜子』って呼びあっていたのに、今はそんな馴れ馴れしい態度はとれない。

 だけど私は溢れ出す寂しさを隠して、表面上は平静を装った。


「ところで、どうしたの急に。あ、ここじゃあなんだから、まずは上がる?」

「いや、いいよ。これを持ってきただけだから」


 そう言って手にしていたナップザックの中から、何かを取り出してくる。これは、漫画?


「ごめん、ずっと借りっぱなしになっていたから」


 思い出した。

 それは私達が小学生の頃、貸していた漫画。あの頃の私達は、こんな風に気軽に漫画やゲームを貸し借りしていたけど、あんな事があって、ギクシャクして距離ができてしまって。貸したこと自体を、すっかり忘れてしまっていた。


「わざわざ、これを届けに?」

「ああ、引っ越しの片付けをしていたら見つけて。今日返さないと、もう機会が無いからね」

「えっ?」


 引っ越し。それに、機会がないって。


「俺、明日引っ越すんだ。父さんの会社が潰れちゃって、それで色々あって。たぶんもうこの町には、帰ってこないと思う」

「——っ!」


 予期していなかった言葉。

 新藤くんがいなくなる。途端に胸の奥が苦しくなって、ギュっと手で押さえる。


 詳しく話を聞いてみると、新藤くんが引っ越すのは、他県にある名前も聞いたことの無い遠い町。

 もしかしたらもう、二度と会うことができないかもしれないくらい、遠い所だ。


「そう、なんだ。寂しくなるね」

「ああ、俺も寂しいよ」


 疎遠になっていたっていうのに、寂しいも何もない。だけどお互にその事には触れずに、上部だけの言葉を並べていく。

 本当は、こんなことを言いたいわけじゃないのに。


「学校の友達には、ちゃんとサヨナラは言ったの? それに、か、彼女にも」


 ドキドキしながら声を絞り出すと。新藤くんは頭をかきながら、気まずそうな顔で返事をしてくる。


「俺、彼女なんていないから」

「そうなの? なんか意外。モテそうなのに」


 そういえば中学の頃も、浮いた話の一つも聞かなかったっけ。話してはいなくても、噂くらいは耳に入ってきても良さそうだったのに。だけど彼女がいないという答えに、ホッとしている自分がいる。

 へんなの。今さら甘い展開なんて、期待していないっていうのに。だけど。


「昔はいたんだけどね、好きな人」

「え、そうなの?」

「そりゃあ、初恋くらいしてるよ。だけど、とっくにふられてる。もう、だいぶ前の話だけど」


 それって……。

 思い出されるのは、小学生の頃の給食の時間の、あの出来事。

 あの時私は、新藤くんのことをふっている。それが本心でなかったにせよ、間違いなく。


「もしかしたら今でも、初恋の事を引きずってるのかも。はは、女々しいよな」

「そんなことないよ。私だって引きずってるもの、初恋……」


 中学の時、廊下ですれ違う度に、高校に入ってから、町で見かける度に。あんな嘘をつかなければよかったって、何度も後悔しているもの。

 だけどもう、全部が遅すぎる。いくら悔やんだって、あの頃には戻れないんだ。


 もしもう一度話すことができたら、昔みたいに笑いあえるって思っていたけど、なんて思い違いをしていたのだろう。

 目をそらして、言葉を交わすのを避けて。そうしている間に開いてしまった距離は、私が思っていたよりもずっと大きかったのだ。


「じゃあ、俺もう行くわ。まだやらなきゃいけない事あるし」

「ああ、うん。引き留めちゃってごめんね。向こうに行っても、元気でね」

「安藤さんも。それじゃあ、サヨナラ」


 会わないうちに、すっかり上手くなってしまっていた愛想笑いを浮かべながら、手をふってお別れ。

 玄関の戸は閉ざされて、返してもらった漫画だけが、彼がここに来たと言う証だった。

 望んでいたはずの再会は、期待していた結末を生んではくれなくて、虚無感が残るばかりたった。


「あら、雄二くんもう帰っちゃったの? 上がっていってもらえばよかったのに」


 奥から顔を出したお母さんがそんなことを言ってきたけど、私は力なく首を横にふる。


「ダメだよ引き留めちゃ。新藤くん、明日お引っ越しなんだって」

「そうなの? ああ、お父さんのお仕事関係ね。けど、それじゃあ尚更、帰しちゃってよかったの?」


 この口ぶり。きっとお母さんは、私の気持ちを知っている。

 だけど今さら、どうしようもないじゃない。


 これで良い、これで良いんだ。これが、私の選んだ答えなんだから。


「まあアンタがそれで良いのなら、何も言わないけどさ。ちゃんと自分で決めたのなら、後悔もしないだろうしね」


 ……後悔?


 もう何度目になるか分からない、胸の奥のズキリとした痛み。

 そうだ。ちゃんと自分で決めたのなら、後悔はしないはず。だけど私は今日まで、あの日「好きじゃない」と言った事を、ずっと後悔し続けている。


 それはきっと、ちゃんと選んで決めたことじゃないから。周りに流されて、答えただけ。

 それじゃあ今のこの気持ちは、ちゃんと選んだもの? ううん、違う。

 私はまた、流されただけ。傷つかないように楽な道に逃げて、選ぶことを放棄してしまっているんだ。


 きっとこのままだと、私はまた後悔する。……そんなの、嫌だ。


 ギリッと奥歯を噛み締めて、気がつけば靴に足を突っ込んでいた。


「ごめんお母さん、ちょっと出掛けてくる!」

「え? 待ちなさい、せめてコートくらい羽織って……」


 お母さんはそう言ったけど、走り出した勢いは止まらない。


 玄関から外に出ると、冷たい外気が容赦なく襲ってくる。

 寒い。空からはふわふわと雪が舞い降りていて、地面に積もっている。だけどそれでも、降り積もった雪を溶かすように、私は走り出した。



 暗くて冷たい町の中、新藤くんを追いかけて、ただひたすら走る。途中、雪に足をとられて転んだけど、すぐに起き上がって、また走る走った

 そうして、無我夢中で駆け抜けて。

 人気の無い田舎道を進んだ先に、雪の中を歩く新藤くんの、後ろ姿をとらえた。


 待って……待って新藤くん!


 寒さと息切れで、声が出ない。だけど私は追いかけて、彼の腕を掴んで。

 新藤くんは振り返り、驚きの声を上げた。


「え、サヨ……安藤さん、なんで!?」


 一瞬出かかった、『小夜子』という名前。そして私の格好を見て、彼は目を丸くする。


「おい、なんて格好で外出てるんだ、風邪引くぞ!」


 驚くのも無理はない。何せ部屋着のまま、この雪の中を走ってきたのだから。

 慌てて着ていたコートを脱いで、私にかぶせてくる新藤君。

 さっきまでのよそよそしい態度とは違って、記憶の中にあるのと同じ、熱のこもった彼の素の表情だ。


 私ももう、取り繕ったりはしない。寒いのも忘れて、真っ直ぐに彼の目を見つめて、息を吸い込んだ。


「聞いて、!」


 雪に吸い込まれない強い声で、ハッキリと彼を呼ぶ。『新藤くん』ではなく、『雄二くん』って。



 今さらこんなことを言っても、遅いかもしれない。

 彼はもう、この町から出て行くのに。もしかしたらもう、二度と会えないかもしれないのに。

 だけどそうだとしても、きっと今度は後悔はしない。

 だからお願い、あの時言えなかった事を言わせて。


「ごめん、今までずっと、嘘をついてた。私、本当は――」


 ――雄二くんのことが好きです。


 ずっと言うことのできなかった、雪を溶かすくらいの熱い想いを、今度はハッキリと口にした。

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