ガブリエラと死の舞踏(12)

 コツコツと階段を駆け上がる音がふたつ。片方は大きく、もう片方は小さなものだ。

 と、そのひとつの主が情けない声を出す。

「肩凝った……息苦しい……しんどい……」

「なんで大怪我した時よりも苦しそうなの」

 すぐさま上着を脱ぎ捨て、シャツを胸元まで開けてベッドに倒れこむシシクに、ガブリエラは溜息を吐く。

 ここはクロフォード邸の屋根裏部屋。使わなくなったものが積み重なったそこはシシクの部屋である。邸宅には従業員たちの部屋が用意されているのだが、一部屋を与えられている執事の他にはメイドしかいないためにここで寝起きしているのだった。

 だが、小さな主人はそれが建前である事を知っている。狭くて黴臭く、それでいて何があるかわからない、屋根裏部屋というものは探究心が擽られる場所なのだ。隠れ家のようなここは、小さい頃から彼女の遊び場ともなっていた。

 シシクの隣になるようベッドに腰掛けながら、彼女は変化を求めて辺りを眺め回す。時折、彼の私物が増えていることがあり、それを探すのが習慣となっている。

「背広は動きにくい。シャツも首元まで締めなきゃならない。嫌でも表裏がわかる会話……加えてあの完璧オーラ出す執事とメイドたち……こころがしぬ」

「今日はマリアの代わりに行って貰ったから、尚更だったかしら」

 今まで社交会に赴く際はマリアを連れ、彼女が多忙な場合は同性のメイドに代役を頼むのが決まりだった。それがいきなり、異人の青年へと変わったのだ。彼に突き刺さった様々な視線は先日の怪我よりも痛く、給仕や執事の仕事に慣れていないことも含めてかなり疲弊した一日だった。

 そしてガブリエラ自身も、参加者たちにシシクについて散々質問された事を思い出す。経歴やら家族構成やら訊かれても、彼女すら知らない事だらけの彼について答えることはできなかった。ただ、頼れる「わたしの獅子」だということは胸を張って言い降らしておいた。

 そもそも、シシクを連れて行ったのには彼のお披露目とある誤解を解くためだったのだ。目立つことが嫌いなシシクなら辞退するだろうと判断し、彼自身には仕事と社交場に慣れるためだと伝えてある。

「でも、おかげで見れたでしょ?」

 わたしの婚約者。

 かなり不服そうな声でガブリエラはその言葉を口にする。

 今日の彼女のドレスは肩や首元が開いており、色も少し大人びたデザインだった。いつもと違い好きに服を選ばせて貰えなかったと聞き、シシクは納得する。

「ああ。エルリック・スワン。スワン侯爵家の長男。中々お似合いなんじゃないか? 社交界の華だか何だか知らないが、あれぐらいのんびりしてるなら尻に敷けるだろ」

「冗談言わないで! わたしは上品な奥様になりたいし、あんな上っ面だけが取り柄な男嫌いなの」

 ーーもしかして、今のは冗談か?

 そう口走るのをグッと堪えるシシク。もしそうしていたら、強烈な平手打ちを食らっていただろう。

「この婚約だって、パパがエルリックのお父様と友達だから決められたことなのよ。それも、わたしたちが生まれた時から! わたしの意見なんてこれっぽっちも聞いてはくれないし」

急に彼女の表情が曇り、円らな瞳から光るものが溢れ出る。

「そうよ……わたしっ、愛人でも良いからジェイクおじさまと結ばれたかった……。一緒に航海して、色んな国を回って、それから……っ」

 しくしくと泣くガブリエラの肩にシシクは背広をかけた。見上げると彼と目が合い、思わずドキリと逸らす。

「その服冷えるだろ、これ使え」

「う、うん……」

 シシクの言う通り、陽の当たらない屋根裏部屋だからか肌が冷えていた。彼女は背広を引き寄せ、そっと嗅いでみる。

 ――シシクの匂いがする……。

 仄かな香水とちょっぴり汗混じりのそれがとても落ち着くことに気づく。と同時に、身体の内側が燃えるように感じた。

 顔も火照っている気がして、慌てて背広に包まり隠す。シシクが気づいたかどうかは伺えないが、今の姿を見られたくなかった。その理由を、彼女自身わかっていない。

「そもそも、こんなところじゃなくてお前の部屋に戻った方が良いんじゃないか? 隙間風は吹いてないし、厚い絨毯も、お前のふかふかなベッドだってある」

「嫌よ、戻ったらパパにエルリックの話をする羽目になりそうなんだもの」

「ここに居てもバレそうだけどな〜」

 あれから、ジェイク・マクナイトは取り調べを受けている真っ最中だ。新聞によれば、彼の証言は支離滅裂で、時々男爵らしからぬ言動も飛び出すのだという。だが捜査は滞りなく進められ、犠牲者たちの心も浮かばれることだろうと締め括られていた。

 また、ゴシップ記事の所為で様々な根も葉もない噂が飛び交った。シシクは、ふたりが夜中に出歩いていたことが取り上げられた際のエドワードの顔が忘れられない。

 そもそもあの日、血塗れのふたりが帰宅した途端に屋敷は大パニックに見舞われたのだった。彼らはすぐさま引き離され、片方は浴槽に、もう片方は屋敷の病室に押し込められた。その夜は、クロフォード邸の灯りが消えることはなかったという。

 しかしシシクは長年仕えている頼もしい従者であり、ガブリエラに傷ひとつついていなかった為に特に咎められることはなかった。ジェーンには二、三日ほど無視されたが、その他からの信頼を得ていることが救いだ。

 そもそも、彼からすれば自分は兄代わりとしての責務を果たしている。そうでなくともガブリエラは本当の妹のような存在なのだ。それは七年前、クロフォード家に雇われ忠誠を誓った時から変わらない。我儘でじゃじゃ馬な主人だが、それだけだったらとうに見限っていたかもしれない。

 シシクは密かに感謝している。もし、マクナイトの喉笛を突き始末していれば、こうしてガブリエラと他愛のない会話をすることは二度と無かったかもしれないのだ。自身で築き上げた殺意に流され、マクナイトが戦闘不能になっていたことさえ気がつかなかった。

 彼女は止めてくれるのだ。

「ところでシシク、あの時やっと聞き取れたのだけれど……オテンバヒメってどういう意味?」

「しまった」

素で口に出してしまい、シシクはパッと自身の手で覆う。

「ずっと気になっていたのだけれど、ヒノモトの言葉よね? 教えてくれないかしら」

「さて、何だったかな〜」

 目線を泳がせるシシクの頬をピシャリと両手で挟み込み、ガブリエラは自分の方に向かせた。

「とぼけないで、シシク。主人に、嘘は、吐けないはずよ?」

 ——くそ……俺の扱い方を存じてらっしゃる。

 少女がにやりと口角を上げる様に、まるで自分を鏡写しに見ているかのようだと彼は内心震える。

「シシク・サクラマ。わたしの獅子。あなたは立派に勤めを果たしているわ。だからこそ、教えてくれるわよね? わたしの頼れる従者だものね?」

「そっ、それは…」

 目線を外したいが、ガブリエラがそれを許さない。

「うう……だ、誰か……」

 無意識のうちに助けを求めるシシク。ガブリエラは珍しいものが見れたとにんまりする。もう満足だし、可哀想だ。そう止めようと思い立った、その時。

「シシク、あのね」

「ガブリエラ‼」

 バンッと激しい音と共に床が震えたかと思えば、屋根裏部屋の出入り口が開き、クロフォードが顔を覗かせていた。その背後からは複数の気配。どうやらメイドたちも集まってきているらしい。見れば、クロフォードの傍らでは、マリアがニコニコと花を飛ばしている。その背後から覗くのはジェーンの鉄面皮だ。

「ガブリエラ、やっぱりここにいた! さぁ、今日の話を聞かせておくれ」

「シシク、助けて!」

「俺を虐めた罰だ、お転婆姫。旦那様のお手を煩わしてしまい申し訳ありません」

シシクは救いだとばかりにガブリエラを抱きかかえると、クロフォードに渡した。

「離してパパ‼ 触らないで!」

「おふ……っ、まっ、待ってくれ」

 足をバタつかせる娘に、クロフォードはよろける。確か先日、成長した娘を抱っこできないかもしれないという相談を受けた覚えがシシクにはあった。が、もう遅い。

 クロフォードを支えるかのように、メイドたちはガブリエラの脚を閉じさせる。

「だからオテンバヒメってどういう意味なのよー‼」

「はいはい、いつか教えるから」

 彼女らが見えなくなるまで見送ると、シシクはベッドに腰掛け一息吐いた。背広をガブリエラに貸したままだったことを思い出しつつ、いつもの服装に着替えていく。

 ついこの間、惨い傷を受けたに関わらず、それらはすべて塞がっていた。傷跡ひとつ残っていない肌は異様なほど綺麗だ。鏡越しにその身体に刻まれた子持ち唐獅子の刺青を見つめながら、シシクはシャツの袖に腕を通す。

 と、開けっ放しだった蓋から彼を呼ぶ声がした。マリアのものだ。

「シシクさん、やっぱりお嬢様の元へ来てくださいな」

「手こずってるんです?」

「ずっと貴方を呼んでいらっしゃるんです。貴方がいなきゃ、今日の報告もしないって」

 しょうがないなぁ。

 そう言いたげに、肩を落としながら立ち上がり、急いで残りの着替えを終わらせる。その顔は呆れながらも、朗らかだ。

「今行きますよ、マリア」

 ブーツを履き直しつつ、階段へと向かう。

 その黒髪は、風とともに踊っていた。

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ガブリエラと死の舞踏 こち @cochi_62

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