ガブリエラと死の舞踏(11)

「ジェイクおじさま」


 震える声を抑えるために深呼吸する。

「貴方なのね、骸骨たちを統べる王は」

「ああ、そうだよガブリエラ」

 心から愛おしそうに囁きながら、彼はマスクを剥いだ。漏れ出したのは月夜に映える栗毛。整った壮年の輪郭。

 伺えば、マクナイトの顔には恍惚さえ感じられる。闇より深く、中央に紅い灯火を称えた眼は、悪魔でも憑いたかのようだ。

「第一から第三までの被害者は皆、あなたに関係性のある人ばかりだった。だからわたし、次はあなたが被害に遭うのだとばかり思っていた。でも、違うのね」

「そうさ、ガブリエラ。あの男たちは皆、私とともに酒を飲み交わし、パーシヴァルは同じ血を分けた兄弟。だからこそ、生きていては困る存在なのさ」

 マクナイトの口から意気揚々と語られる。彼は貿易商となるにあたって、様々な手を尽くしてきた。功績として讃えられるものから、表に出ればたちまち地位を失う悪行まで。その逞しい手が血に染まったことは数え切れない。

 だから、殺したのだ。

 彼の悪行を知る、親しい者たちを。

「どうして、罪のない娼婦まで」

「あの娼婦は口封じのためさ。君たちと同じく、正体に気づかれては困ると判断したからね」

 半分本当、半分嘘だ。

 シシクは既に見抜いている。この男爵は、のめり込んでしまったのだ。自身の犯行を隠すためなら、こんな子供騙しをする必要は無い。邸宅にふたりを招いた時点でいくらでも始末するタイミングはあった。

 彼を刺す度に浮かべていた恍惚な笑み。そして歪な瞳。もう、戻ることは叶わないだろうと、シシクは哀れに思う。

「さて、そろそろ君たちにも消えて貰おうか」

「ふぅん……」

 ガブリエラを庇いながら、シシクはマクナイトを改めて観察する。彼が持つのは細い剣。そしてあのクレイモアを背負っている。

「ナイフも無くして闘えるのか、シシク・サクラマ? お前の剣は私の邸宅にあるが?」

「ハッ、知らないのか 人間は片手だけでも仕留められる」

 得物を構えるマクナイトに、シシクは自然体を崩さない。挑発するかのように意地の悪い笑みを浮かべた。

「威勢のいい化け物だ。今度はその心臓を抉り出し、銀の杭でも打ち込んでやろう」

「おお、怖っ。だがこっちは正真正銘の人間なんだな」

 冗談混じりに震え上がるような素振りを見せながら、シシクはガブリエラの背後に回る。そして、ポケットから太いリボンを取り出すとその双眸に被せて固く縛った。あっという間のことで、ガブリエラには止められなかった。

 と、今度は彼女の手前に回ると、肩を優しく掴んで諭すように囁く。

「ガブリエラ、ここから先は見てはいけない。お子様にはまだ早いからな」

「子供扱いしないで! もう十二になるって、何度言えばわかるの!」

ギャンギャン吠える彼女の頬をシシクは悲しそうに撫でる。

「俺が見せたくないんだよ、わかってくれ……ガブリエラ」

「シシク待って、何を……っ」

「お前がその服選ばなかったら、奴を足止めできなかった。意外と難しいもんだぜ、お前を傷つけずに針を仕込むのって。流石は、俺のお転婆姫だ」

 ガブリエラの右手が持ち上げられ、その甲に小さく何かが触れるのを感じた。それが何なのか理解した途端、身体中が熱くなった。

 シシクは立ち上がるとマクナイトに向き合った。瞬間、彼の身体を纏っていた空気がぶわりと吹き飛ぶのを感じた。先程までの、小さな淑女の従者はそこにはいない。口元は笑みを湛えているが、そのギラギラとした獣の目は一切笑っていなかった。

 殺す…ただひたすら、お前を殺す。そう言わんばかりに。

 そして、彼の露わとなった左胸から腕にかけて刺青が刻まれており、奇妙な生き物が二匹描かれている。唐獅子、という東洋の架空の生き物だ。一体は大きく、もう一体は小柄なことから、親子のようだ。その尾は長く、いくつもの房に分かれている。それらが揺らめいたのは目の錯覚だろうか。

「とんだ獣を飼っているみたいだな、ガブリエラ」

その呟きは、少女には届かなかった。

 届く前に、ひとつの風音が掻き消してしまった。それはシシクの手刀だった。

 首筋に伸びたそれを、マクナイトは剣を以て払い除けようとする。間一髪、その剣身を躱したシシクは、反対の手で相手の脇腹を突いた。

「ぐっ……!」

 耐えながらも、マクナイトは剣を突き出す。それがシシクの右肩に刺さった。

 マクナイトはせせら笑いながら抜こうとするも、まったく動かない。見れば、シシクの左手が剣を掴んで離さない。

「なるほど、実戦経験というのも伊達じゃないってことか」

 と、全身に衝撃が走り、マクナイトは後ろによろけた。シシクが力いっぱいに剣を抜き、そのまま得物ごと彼を押したのだ。踏ん張りたかったが、先程受けた針の傷がそれを許さない。

 マクナイトは右手に強烈な痛みを覚え、同時に剣が吹き飛んだ。シシクが蹴り上げたのだ。間髪入れず、顔面の横に脚が叩き込まれる。

「卑怯だぞ、シシク・サクラマ……!」

「脚を使わないなんてひとっことも言ってないんですけど〜?」

間合いを取りながら、彼は鼻で笑う。

「そもそも、卑怯なんてあんたには一番言われたくないが」

 煽りながらシシクが怪我の具合を確かめれば、大部分が治りつつあった。明らかに異様な治癒力に目を見張りながら、マクナイトはクレイモアを抜き、構える。

「君を殺すのは骨が折れそうだ。だが、君が先じゃないとガブリエラを手にかけることは困難だな」

「その前に殺されるのはあんただ、ジェイク・マクナイト」

ギラつき、仄かに光る眼に、マクナイトは恐怖を覚え始める。否、興奮だろうか。

 この青年を始末すれば、どれだけの達成感を得られるだろう。また蘇れば、何度も殺せば良いのだ。そう、彼の心が折れるまで何度も、何度も。

 そう己を奮い立たせたマクナイトは、シシクにクレイモアを突き出した。狙うは、左胸。大剣のおかげで、距離はそう遠くはない。

 ニマリと唇を釣り上げた彼だったが、その脚を何かに掬い上げられ、思わず手を地面につけた。

 気づけば、背後に立っているシシクの手にはクレイモアが握られていた。そして、投げられたそれは墓石に当たり、耳障りなほどの大きな音を立てた。そのままシシクはマクナイトに近づき、首元を掴んだ。

「捕まえた」

 かなりの怪力だ。マクナイトの方が背が高く体格があるにも関わらず、身体は引っ張られ、足が浮いた。

 ギリギリと、親指が喉仏を抑える。爪の手入れをしていなかったのなら、とっくに切れていただろう。彼は両手で抵抗したが、ビクとも動かない。

 一方、シシクは高揚感に苛まれていた。指先の感触と相手の苦し気な顔に、生命を奪っているのだと実感する。同時に込み上げてくる嫌悪感もまた、嫌いじゃない。これを失ってしまえば、戻れなくなってしまうからだ。

 ――戻れなくなる? 何故、それがいけないんだ?

 彼はマクナイトのシャツの首元を掴み直すと、もう片方で手刀をつくり、その喉笛に狙いを定めた。

「残念だったな? 首に大穴空けてやるよ」

 目を光らせる彼にとっては、利き手が使えなくなろうと関係のない話だ。彼の声は低く、残忍なものだった。獣が舌舐めずりするかのようなそれに、マクナイトは震えた。

「俺の代わりに楽しんで来いよ、地獄を」

「――シシク、ダメ! 殺さないで!」

 背後からの叫び声。振り向くと、ガブリエラのまっすぐな瞳が飛び込んできた。

 容易に解けないようにしていたはずのリボンがずれ落ちている。どうやら主人は必死に解いていたらしい。目の下や鼻頭には、擦れて出来た赤い跡が残っている。

「ガブリエラっ、見るなと言っただろ⁉」

 シシクの瞳が揺れ動く。手刀が小刻みに揺れる。

「その人は、罰を受けて当然よ。誰かに殺されても、酷い目に遭っても、当たり前だと思うわ……」

でも、と一呼吸置く。

「シシク、あなただけは殺しちゃダメ! あなたが万が一、捕まったら、わたし……」

「ガブリエラ……」

「それに、おじさまはもう襲ってこないわ」

 主人の言葉にマクナイトを一瞥すれば、掴まれたまま気を失っていた。シシクの身体から殺気と高揚感が薄れていき、思わずよろける。そのまま倒れ込みそうな勢いだと少女は駆け寄ったが、彼の足はしっかり地面を踏みしめている。

「仕方ない……お前の為だ、ガブリエラ」

首筋を掻くと、マクナイトの身体を地面に打ち捨てる。全く動かない彼を、獲物をお預けにされたかのように見つめる。

「シシク」

ガブリエラの呼ぶ声に諦めがついたのか彼女に向き直った。と、同時に数名の駆け足が聞こえてきた。

「いたぞー!」

「あれが、骸骨⁉ それにジェイク・マクナイト氏か?」

 それはまたしても、市民警察だった。先の取り調べで見知った顔もあった。

 これは即拷問行きかもしれない。そう、自分に覚悟を持たせようと呼吸を整えたその時。彼は傍に温かさを感じた。

「心配しないで」

 目線を下げれば、ガブリエラが手を握り、真っ直ぐ彼を見つめていた。

「今度は、わたしも一緒だから」

 シシクに寄り添い、支えながらガブリエラは力強く呟く。温もりに緊張が解れていく。

「ガブリエラ……」

「あなたはわたしの獅子……大切なひと。傷つけさせやしないわ」

小柄な少女にも関わらず、不思議とシシクには頼もしく、大きく感じられた。

「……ありがとう」

 駆け寄ってくる市民警察を目の端に捉えながら。

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