ガブリエラと死の舞踏(10)

 マクナイト邸の玄関口を出たと同時に、生温い風に髪が攫われた。淡い髪を撫でつけながらガブリエラは階段を降りて行く。だが、あんなに楽しいひと時を過ごせたにも関わらず、少女は頬を膨らませていた。

「シシクが勝手にいなくなったなんて、ありえないわ。わたしから離れないって言ったじゃない」

 どうしてやろうかしら。寝ているところを叩き起こす? 一日食事抜き? 晴れてて暑い日に庭師の仕事をして貰う? ……ダメだわ、シシクなら全部平気な顔でこなしちゃいそう。

 ありとあらゆる罰を思い浮かべつつも、首を横に振ってすべてを払い除ける。他にも気掛かりなことがあるからだ。

「おじさま……やっぱり、変だった」

 マクナイトもまた急用ができたとのことで先に立ち去ってしまったのだ。何か良いことでもあったのだろうか、少し口角が上がっていたことを覚えている。

 眼前にそびえ立つマクナイト邸を、再び不安げな瞳で見つめる。そんな彼女を待機していた御者が促した。

「お嬢様、早く帰りましょう。もう遅い時間ですし、夜は冷えますから。お屋敷に戻ればあなたのフットマンにも会えるでしょう。彼のことですから、クロフォード様から急な呼び出しがあったのやもしれません」

「ええ、そうであって欲しいわ。家までお願いね」

 ガブリエラは馬車に乗り込む。来た時はふたりで狭かったはずなのに、ひとりでは寝そべることができるほど広く感じられた。それ故に、寂しさが募っていく。

 ガタンッ。

 暫くして、不意に音がした。かと思えば、馬がけたたましい悲鳴をあげ、車内が激しく揺れた。

「なっ、なに……⁉」

 思わずクッションを掴んで頭の上に被せる。ひっくり返るかと思ったが、二、三度の揺れの後は静寂が広がるだけだった。

ガブリエラは恐る恐る扉を開け、地面に足をつけた。

「ねぇ、どうしたの?」

 御者に話しかけるも、何も返ってこない。思い切って運転席に回れば、そこには誰も乗っていなかった。二頭の馬だけが、怯えた目で辺りを警戒している。

「何があったの?」

 問うてみたが、答えがあるはずがなかった。それどころかどちらも軽く興奮気味だ。無闇に近づこうものなら、蹴られてしまうかもしれない。

 ガブリエラは馬たちから離れる。と、何処からか軽い音が響いた。

 カタカタ、カタカタ。

 その音には聞き覚えがある。思い浮かべるのは、彼女たちを嗤っていた骸骨だ。

 カタカタカタ。

「誰……? 骸骨?」

 自分の声の小ささに、ガブリエラは不安が増す。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、高らかな笑い声が響き渡った。振り返れば、マントを翻した骸骨の王が背後に立っていた。月夜に照らされた王冠に、ガブリエラは目を細くする。

「あなた、誰?」

「骸骨の王、とでも呼んで貰おうかガブリエラ。はじめまして……いや、久しぶり、かな?」

 王のその言葉に、ガブリエラはあの日の夜を思い出す。墓場に蠢き、カタカタとふたりを嗤った骸骨を。

「あなたが犯人? まさか、わたしたちを、消すつもりなのね……?」

「はははっ、そうさ! 今宵の死人は準男爵の子女とその従者たる東洋人だ! 正に、死の前には貴賤も性も年齢も! 関係など、無い!」

 両腕を上げ高笑いをする王。それは勝者の余裕だ。異様な程の興奮が少女に伝わってくる。その理由を推察する間もなく、王は囀るように語った。

「ああ、そう……言っていなかったなガブリエラ。既にひとり始末したんだ、東洋人の従者をね」

「…………っ‼」

ガブリエラの瞳に一瞬、失望の色が浮かぶ。だがすぐに首を横に振り、雷に打たれたかのような反応を無理矢理解いた。

「わたしに嘘は通じないわ! シシクが殺されるわけない! わたしの獅子(マイ・レオ)なんだから!」

「ならば、先に進むが良い。君の頼もしい従者が待っている」

 骸骨はガブリエラの背後を指差す。すぐさま少女は走った。

 気づけば、彼女は墓場に迷い込んでいた。見覚えのある、蔦の絡んだ門。初めて訪れた際はあの満月の夜だったが、今は下弦の月になりつつある。

 シシクとふたり、骸骨を追った時を思い返しながら、彼女は門を潜った。ひたりと肌に染みる湿気った空気。何処か淀みを覚えるのは、目に見えない何かがいるからだろうか。余計なことを考えて震えながらも、彼女はゆっくり足を進める。

 と、小さな暮石の前で、誰かが水溜まりの上に横たわっていた。近づいてみれば、水溜まりの正体は赤黒く変色した血だった。その禍々しさにガブリエラは思わずたじろぐ。更に、倒れている人物のその細い長身には見覚えがあった。サラサラと黒髪が風に揺れている、その顔を確認する勇気がなかった。

 そんな彼女の背中を押すかのように、月の光が明るく照らした。青白く、冷たく写ったその顔に息が詰まる。

「シシク……嘘……」

 これは間違いよ。きっと、疲れて寝てしまったんだわ。

 そう、呼吸の有無を確かめようとシシクの胸元を見た彼女はたちまち短い悲鳴をあげた。

「これが真実さ、ガブリエラ。彼は無惨にも五臓六腑を引き裂かれ、その身体は打ち捨てられている」

 いつのまにか背後に来ていた王の言う通りだ。

 シシクの身体には複数の刺し傷があり、その隙間からは別の肉塊が見える。左胸は傷というよりもポッカリとした穴が空いていた。顔を近づければ、中の残状がわかるだろうほどに。また、身体中に刻まれた刺青も無残なものへと変わり果ててしまっていた。

 だが、シシクの顔は穏やかなものだった。眠っていると勘違いしそうなほどで、こんなに傷つけられたのにも関わらず、眉間のシワすら無い。彼の誇りがそうさせたのか、それとも。――

「君にも聴かせたかったんだがね…この鼻高な青年の悲鳴を。どのように啼くか、命乞いでもするかと期待していたが。この男は断末魔のひとつもあげなければ、一滴の涙も零さなかった」

 物足りない、とでも言うかのように男は首を横に振る。踊るように少女の手前に回り込む。

「シシクは……命乞いなんて絶対にしないわ」

 わたしの獅子だから。

 そう呟きながら腰を下ろし、頬を撫でる。そこにはまだ温もりが残っていた。思い切って、彼の身体を抱き寄せる。小柄な少女にはとても重たく感じられたが、無理矢理引っ張った。

 少し乱雑にしたのは、これなら起きてくれるはずだと僅かな希望を持ってしまったからだ。

 それでも、微動だにしない従者に胸が詰まる思いがした。心臓の音は聞こえず、腕はだらしなく垂れたまま。現実を突きつけられて尚、ガブリエラには信じられなかった。

「シシク……ごめんなさい」

 彼女は気づくことが出来なかった。目の前の王が、ステッキを手に近づいて来たことを。そこから、鉄の剣身が覗いていることも。

「ごめんなさい……わたし、あなたに無茶ばかりさせてた……。初めて骸骨に遭った時、警察に捕まって……」

 あの日、彼女はシシクと父親の会話を聞いていた。どれほどの尋問を受けたのかについてシシクははぐらかしたが、彼女にはわかってしまったのだ。ずっと謝りたいと思っていたが、言い出す勇気が出せなかった。

 どうして生きているうちに伝えられなかったのだろうと、彼女は頬を濡らす。一層強く抱き締めながらも、現実にジワリと圧し潰されそうになる。

 その瞳が絶望の色に染まりかけた、その時。優しい囁き声が耳元を包み込んだ。


「言っただろ。汚すなって」


 息を呑む間も無く、男の悲鳴があがる。気づけば、骸骨が手で顔を覆い、蹲っていた。その間からはポタリと血が垂れている。

 ガブリエラは自らの目を疑った。

 力なく、抱えられていたはずのシシクが起き上がり、骸骨をせせら笑っているのだ。そして、上手く言葉が出ないガブリエラを抱き締め、髪を撫でる。

「これだけ血がついちゃ、修繕は無理だな。……ごめんな」

「シシク……っ」

再び零れる彼女の涙を、シシクは優しく拭う。

「驚かせてごめん、ガブリエラ。もう心配ないから」

 ふらりと立ち上がる彼に、骸骨はたじろぐ。

「ばっ……化け物⁉ 私はちゃんと始末したはずだ……!」

「ったく、ズタズタにしてくれやがって……時間がかかったじゃないか」

 口の中に血の味を感じながら、シシクは手元の針を骸骨の太腿目掛けて投げつけた。

「ぐっ……!」

 慌ててそれを引き抜きながら骸骨は観察する。すると、あれだけ刺した筈の傷が既に塞がりはじめていた。しかも、瘡蓋が出来ずに綺麗な肌が露わとなっており、大穴が空いていた左胸には母子の唐獅子の刺青があった。ありえない光景に、骸骨の王は時を巻き戻されたのではないかとさえ思ってしまう。

「それに、地獄ってのはどうやらここじゃなさそうだな?」

シシクが鼻で笑ったその時、温かな気配を感じた。ガブリエラが寄り添っているのだ。

「なんで……っ、シシク……さっきまで……」

「んー……さっきまで死にかけたけど何とかなってる、ということにしておいてくれ」

首筋を掻く彼の言葉は何処かぎこちなかった。

「そんなことよりだ、ガブリエラ。あいつの正体わかったか?」

「ええ、確信したわ。……認めたくないけれど」

 彼女の目には、絶望の代わりに希望の色が宿っていた。握り締めたシシクの手の平から伝わってくる体温はいつもよりも低かったが、生きていると感じられるだけでガブリエラの心は落ち着き始める。「言っただろ。汚すなって」


 息を呑む間も無く、男の悲鳴があがる。気づけば、骸骨が手で顔を覆い、蹲っていた。その間からはポタリと血が垂れている。

 ガブリエラは自らの目を疑った。

 力なく、抱えられていたはずのシシクが起き上がり、骸骨をせせら笑っているのだ。そして、上手く言葉が出ないガブリエラを抱き締め、髪を撫でる。

「これだけ血がついちゃ、修繕は無理だな。……ごめんな」

「シシク……っ」

再び零れる彼女の涙を、シシクは優しく拭う。

「驚かせてごめん、ガブリエラ。もう心配ないから」

 ふらりと立ち上がる彼に、骸骨はたじろぐ。

「ばっ……化け物⁉ 私はちゃんと始末したはずだ……!」

「ったく、ズタズタにしてくれやがって……時間がかかったじゃないか」

 口の中に血の味を感じながら、シシクは手元の針を骸骨の太腿目掛けて投げつけた。

「ぐっ……!」

 慌ててそれを引き抜きながら骸骨は観察する。すると、あれだけ刺した筈の傷が既に塞がりはじめていた。しかも、瘡蓋が出来ずに綺麗な肌が露わとなっており、大穴が空いていた左胸には母子の唐獅子の刺青があった。ありえない光景に、骸骨の王は時を巻き戻されたのではないかとさえ思ってしまう。

「それに、地獄ってのはどうやらここじゃなさそうだな?」

シシクが鼻で笑ったその時、温かな気配を感じた。ガブリエラが寄り添っているのだ。

「なんで……っ、シシク……さっきまで……」

「んー……さっきまで死にかけたけど何とかなってる、ということにしておいてくれ」

首筋を掻く彼の言葉は何処かぎこちなかった。

「そんなことよりだ、ガブリエラ。あいつの正体わかったか?」

「ええ、確信したわ。……認めたくないけれど」

 彼女の目には、絶望の代わりに希望の色が宿っていた。握り締めたシシクの手の平から伝わってくる体温はいつもよりも低かったが、生きていると感じられるだけでガブリエラの心は落ち着き始める。

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