ガブリエラと死の舞踏(9)
目が醒めるよりも早く、背中を冷たく固い感触が襲った。
視界は開けたが、自分が何を見ているのか理解できない。それほどまでに朦朧とする意識を何とか戻そうと、シシクは自らの頬を叩く。
「……っ、ガブリエラ!」
彼は真っ先に主人の名を呼んだ。だが、辺りは靄が立ち込めており、シシクが身体を預けている墓石の下は雑草生い茂る土だ。明らかに、先程までいたはずのマクナイト邸とは別の場所だ。
確か、マクナイトのメイドに食後に出す紅茶の試飲を頼まれて選んだものの、返事がなかった。代わりに頭を衝撃が襲い、今に至る。気を失う前に聞こえた音から、何かで殴られたのだろうと彼は推察する。
「くそ……っ」
後頭部がズキズキと重い。触って確かめてみれば、少々切れたようだ。指先についた感触を嗅いでみると、鉄の臭いがした。
――それよりも、ガブリエラが心配だ。
立ち上がったシシクは、自らを取り囲む複数の気配を感じた。
カタカタと耳障りな音。暗闇に浮かび上がる白い身体。
間違いない、あの時の骸骨たちだった。シシクの仄かに光る琥珀の瞳が、その数を捉える。
十二体。その背後にもう一人、別の骸骨がいる。それはタキシードを纏い、冠を被った骸骨だった。左手にはステッキ、背にはマントで見えにくいが得物らしきものを背負っている。その姿はさながら、骸骨の紳士——否、骸骨の王と呼ぶべきだろうか。
「お前が親玉か」
唸る彼を王はただ鼻で嗤うだけだった。
骸骨たちに距離を詰められてはいるが怖さよりも滑稽さが勝り、シシクは思わず笑いが込み上げそうになる。と、その歪な身体の間から、低くくぐもった声が聞こえてくる。
「第五の殺人。君はその犠牲者だ」
仰々しく感じられる文言に、彼は軽い苛立ちを覚えた。
「我らは君を冥府に導く者。死へ誘う者。さぁ、大人しく我らの手を取るがいい」
「どうせ口封じだろう? なら御託は結構だ。全員まとめて始末する」
シシクは邪魔だと言わんばかりに燕尾服を脱ぎ捨てる。
——殺してやる。
囁きかけるかのように、彼の身体から殺気が漏れ出し、静かに骸骨たちに纏わりつく。それは明確な殺意。ただひとつの原動力を以ってして、彼は骸骨たちを獲物と定める。
ここで食い止め、ガブリエラに指一本でも触れさせない。
そのために、こいつら全員の息の根を止める。
心の中で唱えるシシクから漏れ出す気迫に、骸骨たちはカタカタと音を鳴らす。怯えているのか、ただ嘲笑っているのかは計り知れない。
「最期まで抗うのもまた一興……。さぁ、我が僕たち。冥府へ誘ってやるがいい」
骸骨の王が言い切らないうちに、そのマントを一陣の風が攫う。
二体。
骸骨が土の上で伸びていた。
その間に自然体で立っているのは、東洋人の従者。骸骨の王の合図で誰よりも先に動いたのは、シシクだった。
先手必勝とばかりに、その長い脚は地面を蹴り、瞬時に間合いを詰める。
そして一体の骸骨に狙いを定めると、鳩尾に拳をねじ込んだ。そのまま骸骨の首根っこを掴み、引き上げる。露わとなったのは、人間の男の頭部だった。否、中身と言って良いだろう。
「やっぱりな」
彼らは一様に黒いマスクを被っていたのだ。そこには白い塗料が塗りつけられ、造られた人間の骨が取り付けられていた。下顎の部分は上顎から吊り下げられている。頭を振れば、あのカタカタと奇妙な音が鳴る仕組みなのだろう。こんな仮装に騙されていたとは、とシシクから沸々と怒りが湧いてくる。
既に気を失った骸骨の中身を蹴り倒し、頭を踏み押さえつける。踵に体重をかけながら、よくよく見れば、何処かで見た事のある顔だ。
「へぇ……神父様がこんなことして良いのか?」
それは、先日教会で話をしてくれた聖職者だった。既に動かなくなっている彼にトドメを刺したかったが、他の骸骨たちを捌かなくてはならない。
——後で首を断てば良い話だ。残さずに。
彼は骸骨の王が背負う得物を一瞥し、笑みを浮かべる。あれなら断ち切れるだろう、と。
気づけば、手下の骸骨は残りひとりとなっていた。他と比べて小柄だが、その分シシクにとっては捌きづらい。蹴りを避けられ、背後に回られたと思えば、たちまち両腕を掴まれる。外そうともがいたが、受け流された。どうやら最後のひとりは手練れのようで、体格で勝っているはずのシシクが抵抗してもまったく抜け出せない。。
そして目の前では、骸骨の王がステッキをスラリと撫でる。そこから零れるのは美しく繊細な剣だ。
「ハッ、何が骸骨だ。何が死の舞踏だ‼ 子供騙しの演出で罪が薄らぐとでも思って――」
シシクの啖呵が止まった。
焼けるような痛みに、彼は目を細める。視線を落とせば、その腹部には深々と剣が突き刺さっていた。
小さくも鋭い刃が引き抜かれ、鼓動が一気に上がっていく。それに合わせるかのように、血が流れ出るのがわかる。
「罪なぞ薄くならずとも結構だ。私たちはただ、君たちを始末しに来たのだから」
反対側の脇腹が熱くなる。と、彼の力が抜け、思わず膝をついてしまう。
「ああ、つくづくつまらないな。君の反応は。慣れているのかな?」
両手を挙げ、持っている得物から滴り落ちる血を顔面に受けながらも、骸骨の王は高笑う。
シシクは彼から一切目を離さず、役者のような台詞回しを聞く。観劇している暇はない。今すぐその喉笛を噛み千切ってやろうかと言わんばかりに、彼の瞳は益々鋭くなっていく。
「その目――その目だよ。君の目が気に食わない。これから死ぬというのに、何故冷静でいられる?」
苛立ち混じりに吐き捨てる王。それを聞くシシクもまた、チクチクと刺され続けることに苛立っていた。それをぶつけるかのように、立ち上がる勢いのまま背後の骸骨に頭突きを食らわせた。
「きゃっ」
倒れたその悲鳴は女性のものだった。それも、初めて聞いた気がしない声色だ。
肩を踏み、抑えつけてその素顔を確かめようとしたが、骸骨の王がそれを許さず背中を刺す。急所から外れているということは、すぐさま殺す気はないらしい。まるで、ジワリと身体を蝕む病のように嬲るつもりなのだろうか。
「君たちが最後の目撃者。そして、君たちの死によって事件は完結を迎える。だが、君にはひとつチャンスをあげよう」
今度は、鳩尾に痛み。額に汗が浮かび、視界が揺らぐのを感じた。闇夜にひとつ、溜め息が響く。
「助けを求めるなら今のうちだ、シシク・サクラマ。君の可愛い主人に向かって悲鳴をひとつ、あげるだけで良い。そうすれば、君は助けてあげよう。主人の命は貰うが、ね」
「誰が――誰が、そんなこと……っ、するかってんだ」
王の言葉に、シシクのプライドが噛み付いた。彼の誘惑はちっとも甘美なものではなく、シシクを挑発してくる。
――わざと低くしているが、聞き覚えのある声だ。
奥歯を噛み締めながら、彼は記憶を辿る。その間にも追い打ちをかけるかのように、身体中に穴が空いていく。だが、彼は声を漏らすことすらしなかった。
こいつの正体に心当たりはないのか。そう考えを巡らせながら、ひたすら耐え忍ぶ。
「ああ、そうだ」
ひとつ気づいたその瞬間、思わず笑ってしまった。何て初歩的なヒントだろうと。それも、真っ先に気づかなかった自分を恥ずかしく思うぐらいのものだ。
「お前、何故俺の名を知っている?」
その問いに、一瞬王の動きが止まった。
「お前の声。それとそこに伸びてる女の声。聞き覚えがあると思ったらそういうことか」
たじろぐ王に、シシクは畳みかける。
「ついさっき聞いたばかりだな~」
「……減らず口も困ったものだな。こちらも些かお喋りが過ぎてしまったようだ」
だが、気づいていようともう手遅れだ。
そう囁くと、王は腹から息を吸った。
「別れの時間だ、シシク・サクラマ。まさかここまでしても意識が残っているとは」
血脂に塗れた得物を念入りに拭き、ステッキに納める。そして彼は背負っていたもうひとつの武器を抜いた。両手剣クレイモアだ。その長く重い剣身に、骸骨の横顔が写り込む。
「残念だが、次に目覚めた時には地獄だろう。寂しくはないさ、すぐに君の主人が来てくれるからね。安ずるが良い。君の亡骸は主人と一緒に埋めてあげよう」
月夜に煌めいた両手剣は、迷いなくシシクの身体を穿った。
その剣先は、寸分狂わず心臓を捕らえた。
せり上がった血を吐き出せず、そのまま気道に満ち、呼吸が止まる。咳き込む体力すらもう残ってはいない。激痛も相まって、流石のシシクも気が遠くなりかけた。
それでも彼は、口の中の血を飲み込みそれらを押し戻す。
「逝ければ、の話だろ……」
先程の敵討ちだとばかりに肩を踏まれ、地面に押さえつけられた。流れ出た血服を濡らし、水溜まりを作り上げる。背中に覚えた生温さが不快に思えて仕方がない。
これが最期だと、シシクが覚悟を決めたのと同時に、大剣が力強く引き抜かれる。有り余ったその力に長身が浮き、鉄の質感を内側で感じる。
――ああ、やっとか。
自身を貪る痛みに身を委ね、彼は静かに目を閉じた。
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