ガブリエラと死の舞踏(8)

「お招きいただきありがとうございます、おじさま!」

「こちらこそ。来てくれてありがとう、ガブリエラ」

 ジェイク・マクナイトのマナーハウスは、クロフォード家よりも一回り大きな家屋だった。一日に複数の取引を行うために、客室が多いのだとマクナイトは笑う。

「サクラマ君も、ようこそ」

「お招きいただき光栄です、マクナイト様」

 シシクが一礼すると、マクナイトの方から手を差し伸べられた。一瞬握手など従者である自分が交わして良いものなのかと疑問に思ったが、快く応える。握り締めた感触から、やはり彼の手は鍛え抜かれたものだとシシクは判断した。フェンシングの大会で何度も優勝経験があるという、ガブリエラから教わった実績も頷ける。

 そんなマクナイトの隣にいる女性はどうやら奥方であるようだ。挨拶をすれば、朗らかに「楽しんでいってくださいね」とふたりに微笑みかけてくれた。ガブリエラは元気よく返事をするも、シシクからすれば少々笑顔がぎこちない。

「サクラマ様、こちらへ」

 彼らが玄関に入ると、ひとりのメイドが呼びかけてきた。小柄で華奢だが、その優し気な顔つきの中には自信が溢れている。

「どうも。何か手伝えることはあります? できれば料理以外で」

「滅相もございません。わたくしどもにお任せくださいませ」

「それじゃ、こっちはゆっくり待機しておくんで」

 シシクは頷くと、他愛のない会話をする主人たちの背後についた。そんな彼に、メイドは控えめな声を出す。

「申し訳ございませんが、御召し物はこちらで預からせていただきます」

 彼女の視線の先にあったのは、シシクの剣だ。ガブリエラと共に行動する際は必ず携えている。が、今宵は楽しい晩餐会。万が一に備えておきたかったが、物騒な物は持ち込めないのだろう。そう己を納得させ、彼はメイドに得物を預けた。


「お腹空いた……」

 楽しげに会話をする主人たちを眺めながら、シシクはぼやいた。彼の反対側ではマクナイトの執事らしき初老の男性が、同じく部屋の隅で待機している。招待されたとはいえ、彼らの待遇はいつもと変わらないことは予想していたが、それでも空腹には勝てないものだ。

 時折腹の虫が鳴ってしまっている。食器が触れ合う音と、音楽家たちによる重厚なカルテットのおかげで掻き消されてはいるが、そんなもので腹が膨れるわけもなかった。運ばれてきた幾多の料理とその匂いを思い返し、ゴクリと唾を飲む。更に、彼にとっては端でジッと待機しているのも苦痛で仕方がない。せめて、気を紛らわせるものがあったなら。

 と、シシクは咳払いをし、顔を背けた。その隙にポケットから包みを出すと、こっそりその中身を口にした。主人の前に出せない形の崩れた菓子は、メイドたちにとってちょっとしたご褒美だ。シシクもそれにあやかって数個分けて貰っている。即日で片付けなければいけないのが玉に瑕だが、いざという時の食糧になるのはありがたかった。

「あのう、サクラマ様」

 不意に声をかけられ、彼の肩が震えた。無理矢理口の中のものを飲み込んで返事をすれば、先程声をかけたメイドだった。

「な、何か?」

「食後に出す紅茶の試飲を頼みたいのですが……」

「試飲? 俺で良ければ」

 そう答えると、メイドは安堵の表情を浮かべた。

「こちらです」

 案内されたのは、料理場の一角だった。机の上には何種類もの紅茶が湯気を立てている。マクナイトは紅茶の輸入出にも関わっており、原産国ではいくつもの茶畑を所有していると新聞に取り上げられていたことを思い出す。

「沢山あるな。これ全部、マクナイト様が取引しているんです?」

「ええ。この中から、ガブリエラ様がお好きそうな茶葉を選びたいのですが……わたくしは紅茶をいただいたことがあんまりなくて」

「俺だって紅茶を嗜む機会はないんだが……まぁ飲んだことはあるしな」

 ぼやきつつも、素人なりに味を確かめてみる。紳士淑女の嗜みには無頓着な彼にとっては、色や味、香りに多少の違いはあるもののどれも同じ飲み物、という感想だった。しかし、これからもクロフォード家のために尽くすというならこういったものも勉強しなくてはならないのかと、瞬時に考えを改める。

「うーん、このアールグレイはどうだ?  口当たりが良いし。ガブリエラは絶対に角砂糖をふたつ入れるし、あまり苦いものは…」

 ややあって、シシクはひとつのカップを指した。が、背後にいるはずのメイドからは何の反応もない。

「聞いているのか?」

 そう振り向こうとしたその時。返事の代わりに、耳元で鈍い音がした。



「こちらは、アールグレイになります。ご主人様の茶畑で作られたものです」

 テーブルには色とりどりのデザートが並べられた中、最後にメイドが置いたのは、蜂蜜のように鮮やかで透き通った紅茶だった。

「わぁ、素敵な色ね! ありがとう!」

「光栄です。こちらはサクラマ様に選んでいただきました」

「シシクが?」

 角砂糖をふたつ入れながら、ガブリエラは辺りを見回す。すると壁際に待機していたはずの従者が見当たらなかった。もしかして手伝いにでも駆り出されているのだろうか、と首を捻りながら彼女は視線をカップに戻し、口をつける。紅茶の香りや甘味は、まさにガブリエラの好みだった。

「流石はわたしの獅子マイ・レオ、ね」

 クスッと微笑むガブリエラにマクナイトは優しく語りかける。

「そういえばガブリエラ。君は先日、市民警察に保護されたらしいね?」

 彼の言葉にどきりと肩を震わせたガブリエラだったが、何とか笑顔を取り繕う。

「まぁ、保護だなんて誰が言ったのかしら。違うわ、わたしはシシクと帰りを急いでいたの。そしたらある事件に巻き込まれちゃった、それだけよ」

 従者を引き連れ幽霊探しをしていた、とは流石にマクナイトには教えられず、彼女は少々ぼかした。胸が高鳴り始める。

「いやぁ失礼、噂を耳にしただけだよガブリエラ。凶悪事件も続いているから、心配になってね」

「それって、死の舞踏のこと?」

 思わず口に出たガブリエラに、マクナイトは感心の眼差しを向ける。

「よく知っているね。まぁ、噂に過ぎないのだけれどね、満月の夜に骸骨が出ては人を冥界に誘う、という。そして、パーシヴァルがその犠牲となってしまった……」

 瞳を潤ませるマクナイトに、ガブリエラは何と声をかければ良いのかわからず戸惑ってしまった。本当は、マクナイトの命が危険に晒されているかもしれないのだと伝えたかったが、事前にシシクに口止めされていたのだ。不安を煽るようなことはしない方が良い、と。

「すまないね、楽しい席でこのような」

「いえ、パーシヴァルおじさまには良くしていただいたから……」

 つられて悲しげな目をするガブリエラを安心させようと、マクナイトは微笑みかける。

「私はもう、平気さ。むしろ、気がかりなのは君の方だ、ガブリエラ」

「わたし?」

 ケーキに手をつけながら、ガブリエラは聞き返す。 

「ああ、事件に巻き込まれたと言っただろう? 君たちは何もなかったのか気にしてしまったよ」

「ええ、まぁ。何もなかったわ。むしろ、市民警察の方に手間取ったの。シシクが疑われちゃうし」

「それは、事件の犯人だと?」

 カップに口をつけつつ、マクナイトは身を乗り出す。

「ええ。わたしは何度も弁明したのに、聞いてくれなかったの。シシクがわたしのことを誘拐して、殺人までしたと疑ったのよ。あの墓場にいた東洋人だからって理由で」

「そうかい。それは、大変だったね」

 頷くマクナイトは終始笑みを湛えている。それが、ガブリエラにとっては気がかりだった。その柔らかな瞳の奥には、何かが渦巻いているようだ。ガブリエラはまた身震いする。

 もう一度後ろを振り返って壁際を確認したが、相変わらずシシクの姿はない。一層、心が不安に掻き立てられた。

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