「キャラクター」の悲喜劇を超越した、「人間」の生の記録

僭越ながら推薦文を書かせて頂きます。
描く対象に作者様が真摯に向き合ったことが伝わる、そんな作品が私は好きです。フィクションだから、エンタメだからといって、被写体をいたずらに消費するような創作物は好きではない。現実世界を舞台にした文芸なら尚更のこと、一歩間違えば登場人物と重なる属性や経験を持つ人を傷つけてしまう危険性を孕んでいます。
『アノレキシアの百合』という作品に対して最初に感じたものは、登場人物たちにどこまでも誠実に向き合おうとする作者様の眼差しでした。そこに映し出されていたのは、「キャラクター」が演じる悲喜劇ではなく、懸命に生きようとする「人間」の姿でした。描かれているというより、映し出されていると表現した方がしっくりきます。読者はさながらドキュメンタリー番組の視聴者でした。
日芽子さんと月彦さん。愛し合う二人は、一歩踏み出すたびに傷口に血が滲む、そんな人生を歩んできました。
自分がいないと回らない職場への責任感から、摩耗する精神に鞭打って接客業に勤しむ日芽子さん。帰宅した彼女を優しく受け止める彼、月彦さんは、生物学的には彼女です。
名を、月子といいます。
性別違和と拒食症《アノレキシア》を抱える月彦さんにはどこか超然としている部分があり、その境遇は他人の価値基準で幸・不幸を測れるほど単純ではありません。彼は体重37㎏ちょうどを維持して生きるプロ・アノレキシア。彼の病める精神は、自身の在り方を肯定していました。
そんな彼に、日芽子さんが惹かれる理由。それが語られる箇所では特に、作者様によってかき集められた知識と、深い洞察が冴えわたります。
互いに依存度を強めていく二人の行く末に、光はあるのでしょうか。光を見つけたとして、そこに向かってゆく余力は残っているのでしょうか。暗闇の中にいた時間が長いせいで、眩しさに目をつむってしまうことはないのでしょうか。
まだ読まれていない方は、是非とも第一話を読んでみて頂きたいです。二人の痛々しくも鮮烈な生の記録を見守ることができた二カ月間は、ほんとうに貴重な体験でした。
絶望の淵を見つめないと語れない希望があると思います。明るいだけの励ましでは、明るくならない心があります。『アノレキシアの百合』はまさに、暗闇の中でこそその眩さに気付けるような、淡い光を見せてくれる作品でした。この小説により多くの方が出逢うことを願って、ここに推薦文を寄せさせて頂きます。

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