「十五夜の子供たち」

夷也荊

 今朝も小学生たちが集団登校のために、地蔵堂の前に集まっていた。色とりどりのランドセルを背負ったその姿は、見ているだけで微笑ましい。六年生の叶人かなとあおいを先頭に、一年生から五年生の児童が並び、二人それぞれは自分の班員がそろったのを確認する。いつもならこのまま登校するのだが、今日は違っていた。葵が後ろを向いて大声で話し始めたのだ。


「今日の夕方六時にこの地蔵堂前に、ビニール袋を持って集合すること。今日は豆名月まめめいげつだから、遅れないようにね」


叶人を含めた全員が「はーい」と答えた。他の地域から転入してきたばかりのけいは、返事はしたものの何のことか分からないまま、指示に従うことにした。


「それじゃあ、出発」


葵は前に向きなおって満足そうに歩みを進めた。

宮野みやの地区にだけ伝わる、豆名月。それは宮野にとって一つのイベントであり、その主役は子供たちだ。





大学生の拓人たくとは、一番線のホームに降り立った。久しぶりの帰郷である。


「お兄ちゃん、お帰り」


一人の小学生が拓人に飛びついてきた。


「また大きくなったな、叶人」

「当たり前だろ。僕、もう六年生になったんだから」


叶人は嬉しそうに胸を張った。そんな年の離れた弟を、拓人はとてもかわいがっていた。その証拠に、片手分のお土産は全て叶人への物だった。叶人は自分の分の土産を受け取って、手ぶらになった拓人の手にしがみ付き、引っ張った。


「早く行こ。今日は忙しいんだ」

「宿題か?」

「違うよー。今日は何の日か忘れちゃったの?」

「今日?」


拓人はカレンダーを思い浮かべる。するとそのカレンダーの中に、「中秋」という文字が浮かび上がった。今日は「中秋の名月」だ。


「ああ、豆名月か」

「なーんだ。覚えてるじゃん。さすがだね」

 

駅から坂を下っていくと、三叉路に出る。迷うことなく叶人と拓人はまっすぐ進んだが、二人は途中にある神社の手前で足を止めた。神社の鳥居からリヤカーを引いた男性が出て来たからだ。男性は二人に気付くことなく、宮野地区の方に向かった。


「リヤカーマンだ」


叶人が声をひそめて拓人を見上げる。


「まだいたんだ。珍しいな」


拓人も声をひそめて歩き出した。近所の人には挨拶が徹底されていたが、リヤカーマンには声をかけることも、じろじろ見ることもはばかられた。


「昨日はここにいたのかな?」


リヤカーマンを見送ってから少し歩くと、神社の鳥居の前に出る。深い緑に埋もれずにいる鳥居の朱は鮮やかで、厳かな気持ちにさせてくれる。


「たぶん、そうだろうな」


リヤカーマンはいつも空のリヤカーを引いていて、眠るときはそのリヤカーの荷台部分で眠っているとされる。しかも眠る場所も神社や地蔵堂の前などだとも言われる。しかし実際にリヤカーマンが眠っている所を誰も見たことはなかった。


「ただいまー」


家に着くと、叶人は元気よく玄関に入って行った。


「ただいま」


拓人はばつが悪そうに玄関の戸を閉めながら言った。出迎えた祖母は拓人の後ろを気

にしていたが、誰もいないと分かると明らかに残念そうな顔をした。


「まだいい人、見つかんねえの? 勉強熱心なのはいいけどの、勉強と結婚はできねえがらの」

「これ、お土産」


東京駅で買った菓子を祖母に紙袋ごと押し付けた拓人は、逃げるように階段を上った。袋の中身は祖母の大好物の饅頭だ。子供の頃は勉強勉強とうるさかった祖母が、拓人が大学に入ると結婚結婚とうるさくなった。長男は結婚して家を継ぐべきという考えがあるのだ。このことにわずかに苛立った拓人は自室にこもり、そのまま深い眠りに落ちた。

 



 祖母の声で目覚めると、もうすぐ十七時だった。下に降りると、祖母が大量の枝豆を盆に乗せて玄関前で待ち構えていた。


「ちゃんと隠せの」

「はい、はい」


拓人は盆を受け取り、サンダルを引っ掛けて外に出た。どこに隠そうかと家の周りを一周し、結局、庭の植え込みの陰に盆を置いた。これで良し、と立ち上がった拓人は、ふと、疑問に思った。

 何故、「枝豆を隠す」などという奇行におよんだのか。何故、「あげる豆」と「あげない豆」を自然に分けたのか。子どもの頃は何とも思わなかったのに、拓人はその習慣に首を傾げていた。

 拓人は豆限定の日本版ハロウィンについて考えた。「中秋の豆名月」は満月の晩に行われる。そして子供たちが家々から枝豆を集める。子供は七歳までを「神の内」として七五三を行う。つまり小学生は「神の内」でもなく、大人という完成された人間にも満たない存在だ。一方豆は、胎児と密接な関係がある。満ちた月の晩に、人間に満たない子供が、胎児を集める。つまり、欠けている部分を持ち去ることで、自身を補っているのではないか。枝豆はすぐ食べられる状態で供えられる。このことから、補うとは、子供が何らかの理由で捨てられた水子を食べるための行事だったのではないか。昔はこの辺りでは、飢饉などがおこると、食いぶちを減らすために子供を捨てていたという話も聞いたことがある。時代が経つにつれて、人を食べることは強いタブーとなった。そこで水子や子供が枝豆に置き換えられるようになったのではないか。これで「枝豆を隠す」という行為にも説明がつく。あってはならないことだったから隠すのだ。拓人は枝豆を食べる手を休め、いかにも「今、思いついた」かのように祖母に尋ねた。


「どうして豆を隠さなくちゃいけないんだっけ? 豆名月って、婆ちゃんの頃からあったの?」


祖母は不機嫌そうに豆を弾く手を止め、溜息をついてから答えた。


「豆名月はおらだの小さい時からあったの。昔は今みたいに面白いことも限られていっからの、子供らは宝さがしみたいな豆名月ば楽しみにしったっけの」


なるほど、と拓人は納得してしまう。祖母の言い分も筋が通っていたし、祖母の言うことの方が現実的だったからだ。


「お前が楽しそうな顔してる時は、ろくなこと考えてないの。天才と馬鹿は紙一重とは、よく言ったもんだの」

「そういえば、叶人は?」


拓人はあっけなく白旗を振って話題を変えた。時計はもう十七時を過ぎていた。


「お前が寝ててつまらないって言っての、もう袋ば持って外に行ったの」

 

 豆名月を楽しみにしているのは、子供たちだけではない。大人も張り切って枝豆やお菓子の準備をしている。そしてそれを子供たちが持ち去るのを心待ちにしている。豆名月は他の地区には知られてはいけない、宮野地区だけの大事なイベントなのだ。 




やがて空にコウモリが舞い始めた。辺りが薄暗くなり、子供たちがちらほらと集まり始めた。言われた通り、皆手にはビニール袋かマイバックを持っていた。レジ袋が有料化されてから、小さめのマイバックを持ってくる子供が増えた。また、叶人が拓人から聞いた話によると拓人が小学生の頃は、名前の通り枝豆を集めるだけのものだったようだ。しかし最近では小分けになったお菓子だけという家庭がほとんどだ。


「じゃあ、班ごと整列」


葵は手でメガホンを作って皆に呼びかけた。叶人と葵の前に、登校時と同じ列ができる。

一軒目の家は、宮野で一番端にある家だ。


「せーの」

玄関の前に立った葵が音頭をとる。すると、子供たちが大きな声をそろえた。


『豆あげだがはー?』(もう豆はお供えしましたか?)

「あげだよはー」(もうお供えしました)


家の中からも大声で返答があった。子供たちは家の中の人と基本的には顔を合わせることはない。家を回る順番も決まっている。子供たちはいっせいに走り出す。家の敷地内に隠されている豆、もしくは菓子を探すのだ。


「あったー」


誰かがかん高い声で叫んだ。葵が素早く菓子のそばに駆け寄り、「小さい順に並んで」と指示を出す。葵は菓子の数を数えてから一年生から順に菓子を渡していく。空だった袋が少し重くなると、小さい子は嬉しそうな声をあげた。最後に叶人が袋を広げると、葵は不快感をあらわにした。残った菓子を自分の袋に放り込んだ葵は、再び低学年の元に行ってしまった。叶人も自分で残った菓子を自分の袋に放り込んで、低学年を並べる。

 次は新しく宮野に転入して来た圭の家だ。


『豆あげだがはー?』


皆で先ほどと同じように叫んだが、中からは何も返ってこない。しばらくして、圭の母親が玄関から出て来て、困惑の表情を浮かべている。葵が圭の母親に「豆名月」について説明すると、母親は慌てて家の中に引き返した。何かの理由で豆や菓子をあげなかった時には「さげだはー」(もう、片づけました)と答えればそれで済むのだが、母親は奥からチョコレート菓子の袋を持って外に出てきて、謝りながら一人一人に菓子を手渡した。親に説明できずに参加した圭は、気まずそうにしている。


「すみません、急に押しかけてしまって」

「私が知らなかったのが悪いのよ。ごめんなさいね、今、こんなものしか家になくって」

「いいえ。ありがとうございました」


叶人と葵は共に頭を下げてから、再び低学年を整列させ始める。そんな中、葵が叶人の脇腹をつついた。振り向くと、葵の憤怒の表情があった。


「さっきから、私に責任押し付けてない?」


どうやら葵は、圭の母親に自分が説明と謝罪をしたことが気に食わなかったようだ。


「ごめん」


僕も一緒に頭は下げたと言い返したかったが、葵は怒っていたので、言い訳を聞いてくれそうになかった。


「もういい。一人でやれば?」


葵は叶人に憤りを隠せないようだ。そして他の児童たちに向かって、葵は大声で指示した。


「叶人君はお腹が痛くなっちゃったから、ゆっくり行きたいそうでーす。だから皆は私について来て下さい。分かったかなー?」


「はーい」と元気よく低学年が手をあげた。葵はまるでハーメルンの笛吹き男のように、子供たちを引き連れて、家々を回り始めた。しばらくして、叶人は葵の後を追うようにして家々を回る。こういう場合には、家に声をかけず、盗人のようにこそこそと菓子を持ち去るのだ。屈辱的この上ない。叶人は葵が恨めしかった。取り残された菓子や枝豆を袋に入れ、その袋が重くなるにつれて、叶人はその想いを強くした。


 叶人が自分の家の分を取りに行こうとしたとき、後ろでキィッ、と音がした。叶人が振り返ると、そこにはリヤカーを引く男の姿があった。リヤカーマンだ。叶人は駈け出した。暗いはずなのに、リヤカーマンはくっきりと夜の闇に浮かび上がって見えた。叶人は足をふる回転させ、自宅の玄関に向かって走り出した。




 がやがやとした声が近づいて来た。一瞬静かになったかと思うと、『豆あげだがはー?』と元気な子供たちの声がした。


『あげだよはー』


拓人は玄関に向かって大声で叫んだ。子供たちは早々に枝豆を見つけ、分配して次の家に行ってしまったようだ。拓人は空になっているであろう盆を片づけに外に出た。しかし盆の上にはちょうど一人分の枝豆が残されていた。拓人が訝しんでいると、叶人が玄関に転がり込んできた。


「叶人?」


拓人は盆を持ったまま、玄関で息を切らす叶人に駆け寄った。


「お前一人か? 一体何があったんだ?」

「リヤカーマンが追いかけてくる」

「リヤカーマンが? どうして?」


叶人は「分からない」と首を振った。拓人は叶人を玄関に残して道路に出た。確かにリヤカーを引いた男が近づいて来ていた。しかし、追いかける、というには男の歩みはあまりにもゆっくりしたものだった。リヤカーマンは拓人と向かい合った。こんなにリヤカーマンに近づいたのは初めてのことだった。


「何故叶人を追いかけるんですか?」

「カナト? 私が追いかけていたのは子供たち、いえ、正しくは豆名月ですが……」


詰問する拓人に、リヤカーマンは牧歌的に答えた。


「あなた、リヤカーマンですよね?」

「はい。周りがそう呼ぶので、そうなのでしょう」

「リヤカーマンに目的なんてあるんですか?」

「はい。でも、今日は特別なんです。今日は魂を還す日なんですよ。私も六十になり、やっと還すに値する歳となりました」

「魂を還す?」

「はい。私もどういうことかははっきりは分かりません。夢で知るのです。」


リヤカーマンはリヤカーを置いて、荷台に置いてあった箱を持ってきた。叶人が駆け寄り、拓人の後ろに隠れるようにして事の成り行きを見守っている。


「この箱に魂が入っていると告げられました。最後になるであろう豆名月の晩にこれを開けるようにと、夢で告げられました」


拓人も叶人も古ぼけた木箱を見つめた。


「お願いがあるのですが……」


リヤカーマンが叶人を見た。


「貴方にきちんと豆名月を終わらせてほしいのです」

「きちんと、終わらせる?」


豆名月にあげたものは、全て持ち帰ることが通例なのだ。つまり叶人の分が残っている限り、今晩の豆名月は完全に終わっていないことになる。


「叶人、やろう。見守るから」

「本当? なら、や、やる」


自身を奮い立たせ、叶人はリヤカーマンの願いを聞き入れた。それを見ていたリヤカーマンは微笑み、「地蔵堂の前で待っています」と言って去って行った。叶人と拓人は次々に家々を回って枝豆やお菓子を集めた。そうやって最後の家まで終えると、二人は地蔵堂に向かった。


「全部回って来たよ」


叶人は自慢げに言った。リヤカーマンはリヤカーを置いて待っていた。叶人が集めたものでいっぱいになったビニール袋を突き出すと、リヤカーマンはっ丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございます。これでやっと終わらせることが出来ます」


リヤカーマンは古ぼけた木箱のふたをゆっくりと外した。思わず拓人も叶人も身を乗り出して木箱の中を覗き込んだ。中にはびっしりと蛍が入っていた。いや、正確には蛍に似た光を放つ「何か」である。それは一つ、二つと空中に舞い上がって、夜空に消えていった。次々に箱から飛び出して上昇するそれはまさしく、数万もの蛍をいっせいに虫かごから放ったような幻想的な光景だった。

 最後の「何か」が飛び立った後は、箱も辺りも暗く静まり返っていた。口を開けて真上を見上げていた叶人と拓人は、リヤカーマンがふたを閉める音で我に返った。


「これで豆名月はお終いです。最近はこういう行事も少なくなりました。私の役目も

なくなるのでしょう」

「目的がなくなったら、どうするんですか?」


拓人は自然にリヤカーマンに対して丁寧語を使っていた。


「私はあてもなく各地を巡るでしょうが、次のリヤカーマンが出るのかどうかは分かりません。それでは、今晩はお世話になりました」


リヤカーマンは、リヤカーの取ってを持ち上げて、再び頭を下げた。


「お気をつけて」


拓人はリヤカーマンの背中に声をかけた。リヤカーマンは夜の闇に消えていった。拓人と叶人はその様子をいつまでも見送っていた。帰路につく拓人と叶人の頭上には、まんまるの月と共に、美しい星々が夜空に輝いていた。 

 



きっと「死んだ人が星になる」ということは嘘ではない。

そう思える夜だった。



                                                                         〈了〉

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「十五夜の子供たち」 夷也荊 @imatakei

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