第2話 剛と理恵(後編)

 その2日後、剛は朝からうずくまっていた。剛は今日も敦のことを考えている。夢でも敦のことが忘れられない。そればかり考えているためか、殺された人々の身内への謝罪の念が全くない。まるで全く反省していないようだ。


「今田剛、出ろ!」


 突然、看守が入ってきた。後ろには、2人の看守がいる。脱走しないように見張っていた。


「死刑ですか?」

「ああ」


 看守は厳しい表情だ。死んだ人の身内への謝罪の気持ちがないことを気にしていた。死刑は楽しいことではないと言っているようだ。


「やっと敦の所に行ける! ほんま、ありがとう」


 剛は喜んでいた。これから死ぬにもかかわらず。剛は敦の所にもうすぐ行けることが楽しみでたまらなかった。


 剛の3人の看守は教誨室に入った。そこには、教誨師がいる。


「あーあー、早く敦に会わせてくれー!」


 その時、剛が暴れた。またもや敦のことを考えてしまった。


「抑えろ! 抑えろ!」


 剛が暴れるのを見て、看守は剛を抑え込んだ。それを見ていた看守はあきれている。また剛が暴れているからだ。


 看守は剛を前室に連れて行った。前室にはカーテンで仕切られた空間があり、そこに絞首刑で使われるロープが垂れ下がっている。そのロープのある所は死刑囚が目隠しされるまでカーテンで隠されている。


「最後に言い残すことはないか?」

「敦、待ってろ! 今行くぞ!」


 剛が叫んだその瞬間、それを見ていた看守は右手を下げた。すると、5人の看守は一斉にスイッチを押した。すると、剛の足元の踏み板が落下した。ロープが垂れ下がり、頸椎が折れた。今田剛死刑囚の死刑が執行された。




 その日の昼下がり、理恵はくつろいでいた。今度の週末は牧夫と何をしようか、考えている。結婚しようと決めていた理恵は、嬉しそうな表情だった。


 突然、電話がかかってきた。理恵は驚いた。こんな時間に何だろう。理恵は受話器を取った。


「もしもし、今田です」

「今田理恵さんですね」

「そうですけど」

「本日、今田剛死刑囚の死刑が執行されました」


 理恵は驚いた。突然の出来事だ。死刑が執行されるなんて、聞いていなかった。先週土曜日にあったばかりで、もうこんなことになったとは。理恵は固まっていた。今夜、牧夫に話そう。


 牧夫は月曜日の仕事を終えて、自宅でくつろいでいた。今日も何事もなく1日を過ごせた。また明日も頑張ろう。


 突然、牧夫の元に電話がかかってきた。牧夫は驚き、受話器を取った。


「はい」

「牧夫さん?」

「うん、理恵ちゃん、どうしたん?」

「今日、夫の死刑が執行されたの。敦に会いたい、敦に会いたいと心から願ってたから、きっと天国で敦と再会していると思うよ」

「そうか」


 牧夫は何事もないような表情で聞いていた。だが、本当は驚いていた。島岡鉄工所を放火して、従業員全員を殺した男だ。


 牧夫は放火された時のことを思い出した。あの時に放火した奴の死刑が執行されたのか。あいつは許せないけど、そいつの息子を死に追いやった私も許すことのできないことをやっている。牧夫は喜んでいいのかわからなかった。




 金曜日の朝、牧夫は電話の音で目が覚めた。牧夫はびくっとなった。遅刻じゃないか。震えつつ、牧夫は受話器を取った。


「もしもし」

「理恵です。今夜、一緒に飲みたいなと思って」


 理恵だった。牧夫はほっとした。だが、どうして急に一緒に飲もうとしたのか。ひょっとして、夫を失った悲しさを紛らわすために一緒に飲もうとしているのか。牧夫には全くわからなかった。


「何、急に?」

「その理由は後で話すわ」

「わかった」


 牧夫はあっさりと認めた。その理由など知らずに。


「急に誘ってごめんね」

「うん。いいよ」


 理恵は電話を切った。


 実は理恵は旅に出ようと思っていた。夫を突然失ったショックから立ち直るために、そして、新たな生活に入るための心の整理のために、中国地方をぐるっと回ってこようと思っていた。




 その夜、牧夫は待ち合わせた串かつ屋にいた。その串かつ屋は新世界にある『横綱』だ。新世界で飲むなんて、何年ぶりだろう。


 新世界の夜はにぎやかだ。いつも食べている串かつ屋とは比べ物にならなかった。様々な店の明かりが見え、つぼらやの巨大なふぐ提灯が浮かんでいる。そびえたつ通天閣は明日の天気をネオンで示していた。


 しばらく待っていると、理恵がやってきた。理恵はいつもよりおしゃれな服を着ていた。


「あ、今日はごめんね、急に誘っちゃって」

「いいよ」


 2人は店に入った。店内は人がそこそこ入っていた。明日は土曜日ということもあって、昨日より人が多い。


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

「2名様です」


 理恵は指を2本立てて、2人であることを示した。


「それでは、こちらのカウンター席へどうぞ」


 店員は手を出して案内した。


「ありがとうございます」


 2人はカウンターに座った。松葉と違って、ここは注文があってから揚げる。


「お飲み物はどうなさいますか?」

「生中で」

「私も生中で」


 牧夫も理恵も最初は生中を注文した。


「かしこまりました」


 店員は厨房に向かい、ビールを注ぎ始めた。


「どれにしようか?」

「私、串かつとなすとサーモンとえびとチーズで」

「じゃあ、俺は串かつとししとうとたことえびとピリ辛ウィンナーで」


 店員が生中を持ってやってきた。


「生中でございます」

「すいませーん、串かつとなすとサーモンとえびとチーズで」

「串かつとししとうとたことえびとピリ辛ウィンナーで」

「かしこまりました」


 店員は厨房に向かった。


「それじゃあ、カンパーイ!」

「カンパーイ!」


 2人はグラスを合わせて乾杯した。2人は生中を飲んだ。


「どうしたの、理恵ちゃん、急に」


 牧夫はどうして急に飲もうと言い出したのか聞きたかった。


「私、少し旅に出ようと思うの」

「どこへ?」

「中国地方」


 理恵は夫に別れを告げ、新しい生活に入るため、自分をリセットしようと思って旅に出ることにした。


「そうか。しばらく会えないな」


 牧夫は残念がった。しばらく理恵に会えないからだ。


 牧夫は旅行に行ける理恵がうらやましかった。もう何年も旅行なんてしていない。社長だった頃は大きな連休となれば必ず行っていたのに。金銭に余裕がなくて、行くことができない。


 牧夫は悔しくて悔しくてやりきれなかった。廃業に追いやった剛がいたら、今すぐぶん殴ってやりたい。でも、もう剛は死んだ。看守の手によって死んだ。


「ごめんね。自分をリセットして、新しい生活に入ろうと思ったからなの」

「いいよ。楽しんできて」


 牧夫は笑顔で許した。しばらくいなくなるのは寂しいけど、帰ってきたらきっと幸せな結婚生活が待っている。牧夫はわくわくしていた。

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