第4話 命(後編)

「牧さん! 牧さん!」


 牧夫は目を開けた。病院だ。牧夫は電車に引かれて死んでいなかった。ただ、頭を強く打っただけだ。牧夫は死ぬことができなかった。


「生きてたのか?」


 牧夫はがっかりした。ここは現実だ。死ぬことができなかった。敦に謝りたかった。


「うん」

「何やってんねん! 自殺とか」


 太郎は怒った。こんなことで人生を諦めるなんて、情けない。人生を全うしてほしかった。


「パワハラで自殺に追いやったことは、自殺でしか償えないんじゃないかと思って・・・」

「アホ! そんなことないやんか! 敦さんの分も生きろよ!」


 太郎は牧夫にビンタをした。こんなことで自殺を図る牧夫が許せなかった。


「ごめん」


 牧夫は病床から太郎と抱き合った。自殺をしようとして本当に悪かった。たった一度の人生を大切にするから、これからもよろしく。


「牧さん、生きててよかった」


 太郎はほっとした。大事な友人の牧夫が生きていた。


「牧さん、あなたを助けた人、特急に引かれて死んだんだよ」

「そんな・・・」


 隣にいた看護婦さんの話を聞いて、牧夫は驚いた。あの時、自分を助けた高校生が死んだなんて。また自分は人間を死に追いやってしまった。俺はなんてひどい人間だろう。本当に申し訳ないことをしてしまった。


「僕はまた人を殺してしまった。僕はどうして人を傷つけてしまうんだろう」

「牧さん・・・、その気持ちわかる。」


 太郎は牧夫の気持ちがわかった。悪いことをしてない人を傷つけてしまった。またしても自分のせいで人が死んでしまった。その苦しみを牧夫は理解していて、その十字架を背負って貧しく生きてきた。


 太郎は牧夫がどんなに大変なことをしたのか、改めて知った。牧夫は人を死に追いやってしまった。そして、今回また人を死に追いやってしまった。敦を失ったことで命の大切さがわかったとはいえ、自分の過ちによってまた人の命を奪ってしまった。




「理恵さん!」


 理恵は目を覚ました。ここは病院だ。道路で気を失ってそこからは覚えていない。何があったんだろう。病気だろうか。がんで余命宣告が出ているんじゃないか。理恵は不安になった。


「やっと起きたか」


 隣には近所の人がいた。心配でここまで来ていた。ようやく気がついて、ほっとした。


「何が起こったの?」

「子どもが産まれたんやで。でも・・・」


 近所の人は深刻そうな表情をしていた。理恵は何事なのかわからなかった。


「全然知らなかった。兆候全くなかったし。どうしたの? 深刻な表情して」


 理恵は驚いた。まさか、妊娠していたとは。全く兆候が見られなかった。どうして? 誰の子供だろう。突然のことに戸惑っていた。


「体重が1000gにも満たないんですよ。超未熟児です」


 理恵が産んだ子供は予定日よりも何か月も早く、超未熟児だった。そのため、しばらくは病院から出ることができない。


「そんな・・・」

「理恵さん、誰かと結婚したの?」


 近所の人は全く知らなかった。理恵さん、誰かと再婚したっけ? 近所の人は首をかしげた。


「いえ」


 理恵は首を振った。再婚なんてしていない。牧夫と再婚する直前まで至ったけど、別れてしまった。もうあいつのことは忘れたかった。


「誰か男の人といたことは?」

「牧夫さんぐらいやな」


 理恵は牧夫と付き合っていたことを話した。本当は話したくなかった。自分の息子を死に追いやったにもかかわらず、交際しようとした牧夫が許せなかった。


「えっ!?」


 それを聞いて近所の人は驚いた。牧夫のことを知っているようだ。


「牧夫さん?」

「知ってるんですか?」


 理恵は驚いた。まさか近所の人が牧夫のことを知っているとは。


「うん。ここに入院してるんだ」


 実は、自殺を図ろうとしてけがをした牧夫が同じ病院に入院していた。


「会いたいんですか?」

「いえ、もう別れたんで」


 理恵は牧夫のことがまだ許せなかった。たとえそれが原因で命を絶とうとしたとはいえ、牧夫のことがそれでも許せなかった。


「そうか」

「赤ちゃん、見てみるか?」

「うん」


 理恵は近所の人と一緒にその子を見ることにした。理恵は少し戸惑っていた。牧夫との子供だからだ。もう別れた牧夫との子供を見るのは複雑な心境だ。


「この子や」


 近所の人は指をさした。そこには、とても小さい赤ちゃんがいた。理恵は絶句した。生まれた直後の敦よりずっと小さい。


「小さい」

「小さくて弱いから、しばらくここから出れないんや」


 近所の人は寂しそうな表情だ。どうしてこんな子供が生まれてきたんだろう。理想の体重で産まれてきてほしかった。




 夜更け、部屋の明かりが全て消えている。理恵は窓から夜空を見ていた。窓の向こうには大阪の夜景が広がる。通天閣は明日の天気を色で表している。いつもと変わらない夜景だ。理恵は感動していた。いつもこんな風景を見ることがない。


「どうしたんや」


 近所の男がやってきた。近所の男は理恵を心配してここにやってきた。


「まさか、子供が生まれたなんて」


 理恵はまだ信じられなかった。まさか子供が産まれていたなんて。


「しょうがないやんか」


 近所の人は肩を叩いた。理恵を慰めたかった。本当は産みたくなかった。牧夫との息子なんていらないと思っていた。


「あんな人の子なんて、産みたくなかった」


 理恵は涙を流していた。まさか産んでしまったとは。


「あんた、育てるつもりはないんか?」

「うん」


 理恵はうつむきながら答えた。子供は大事だけど、牧夫との子供なんて育てたくない。


「でもな、その命は大切な命なんだぞ」


 近所の人は何とかして理恵を育てさせようとした。


「わかってるよ。でも、あの人の子なんて・・・」


 突然、近所の人は理恵にビンタをした。育児を放棄しようとする理恵が許せなかった。


「アホ! 人の命を大切にせんのか? 牧夫さん、あの事件以降、人の命を大切にするってこと、学んだんだよ。でも、事件ですべてを失って、自殺しようとしたんだよ!」


 近所の人は厳しい口調だ。理恵のことが許せなかった。人の命を大事にしない理恵が許せなかった。


「自殺?」

「うん。何もかも失って、死ぬことでしか償えないことだと思って自殺しようとしたんだよ」


 近所の人は牧夫が自殺しようとして入院したと明かした。理恵はそのことを聞いて驚いた。まさか牧夫がそんなことをするなんて。


「そんな・・・」

「何とか助かったんだけど、骨折したんだ。だからこないだ入院してたんだよ」

「そうだったんだ」


 理恵は牧夫のことが少し気がかりになった。こんなことで自殺しようとするなんて。まるで敦のようだ。敦と同じことをしなければ償えないんだろうな。




 数日後、退院した理恵は鉄工所の跡に来ていた。敦はここで働いていた。理恵はいまだに敦のことが忘れられなかった。


「ここに来てたんですか」


 やって来たのは太郎だ。牧夫に付き添っていたが、理恵が入院して、昨日退院したことを知ってここに来た。


「うん」


 理恵はうつむいていた。剛や牧夫のことを思い出していた。


「牧夫さん、パワハラのこととても後悔してましたよ」

「そうなんだ」


 理恵はそんなことどうでもいいと思っていた。牧夫さんの事なんてもう忘れたい。


「全くその事を言わなかったんですか?」

「うん」


 理恵は正体を隠していた牧夫が許せなかった。そんなこと言ったら別れるだろうから言わなかったんだろう。


「きっと話したくなかったんだろうな。僕にもその気持ちがわかるな」


 太郎は牧夫の気持ちがわかった。自分の過去を必死に忘れようとすること、帳消しにするぐらい頑張りたい。でもそれが原因でこれほど転落してしまった。避けたくても避けられない。忘れたくても忘れられない。


「知ってたら、別れてたから」

「ですよね。でも、私、わかるんです。牧夫さんがパワハラのことを必死で償おうとする姿が」

「えっ!?」


 理恵はパワハラの過去で牧夫が苦しんでいることを知らなかった。ボロボロの服を着ていたのも、自殺しようとしてたのも、すべてパワハラの過去から脱却することができずにいたからだ。牧夫も大きな心の傷を持っているんだ。理恵は牧夫は少し心配になった。


「なかなか就職先が見つからず、見つかってもお金をあまりもらえず、貧しい生活を送り続けているってこと」


 太郎は再就職がなかなか決まらずに苦しんでいる牧夫の姿を見ていた。その度に、牧夫はパワハラを犯して、その罰を受けているんだ。必死で償おう、乗り越えようとしているんだ。それでもなかなか決まらないって、辛いだろうな。


「そうなんですか?」


 理恵はどれぐらい苦しんでいるか、詳しく知った。牧夫もこんなに苦しんでいるんだ。苦しんでいるのは、自分だけじゃないんだ。


「うん。貧しい生活を送っているのは、パワハラを起こした自分への罰なんだと」

「へぇ」


 理恵は牧夫のことが気がかりになった。このまま剛や敦に続いて死んでしまうんだろうか。でももういい。自分はもう別れたんだ。自分の息子を死に追いやった牧夫と付き合いたくない。

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