第3話 なごり旅(前編)
翌日、理恵は新大阪駅にいた。これから始まる旅への期待と不安でいっぱいだ。
週末ということもあってか、ホームには多くの家族連れがいる。理恵は家族連れがうらやましかった。自分には息子がいない。昔はいたのに、自殺した。夫も死刑になった。もう牧夫さんしかいない。理恵は寂しくなった。
理恵はのぞみ9号博多行きに乗った。自由席に乗ったが、満席で座れない。理恵は残念がったが、早く、安く行くためならこうするしかなかった。
9時36分、のぞみ9号は新大阪駅を出発した。車内には多くの家族連れがいる。彼らはとても楽しそうだ。これからの旅行にわくわくしていた。理恵は彼らをうらやましそうに見ていた。敦が生きていて、剛が逮捕されていなかったら、こんなことにならなかったのに。
トンネルを抜けると、新神戸駅に着いた。新神戸駅はトンネルの間にある駅で、神戸地下鉄との乗り換え駅だ。
新神戸駅から神戸の街並を見て、理恵は剛との結婚式のことを思い出した。剛と出会ったのは神戸だった。大学生の頃に知り合い、神戸市内の教会で結婚式を挙げた。あの頃はとても幸せだった。子供ができて、一緒に暮らしているときが一番幸せだった。
でも、今はもう過去のこと。そして自分は、新しい男性と結婚しようとしている。結婚式を挙げるなら、剛と同じところがいいな。
新神戸駅を出た新幹線は再びトンネルに入った。次は岡山駅だ。ここで降りて後楽園に行って、倉敷の美観地区へ向かう予定だ。
10時22分、岡山駅に着いた。理恵はここで降りた。ここから岡山電気軌道に乗り換えて城下駅で降りる予定だ。
理恵は岡山電気軌道のホームにやってきた。岡山駅とは地下通路でつながっている。1面2線と突端式ホームで、ホームは低い。
岡山電気軌道は岡山駅前と東山駅を結ぶ系統と岡山駅前と清輝橋駅を結ぶ系統がある。理恵は東山へ向かう系統に向かう。
ホームには電車が来ていた。だがそれは普通の電車ではなく、観光電車だ。名前は「おかでんチャギントン」で、イギリスのテレビアニメのキャラクターを実写化したものだ。
この岡山電気軌道には地元出身の水戸岡鋭治デザインの電車が多く走っていて、これもそうだ。向かいのホームにやってきた超低床電車も彼のデザインだ。
理恵は向かいにやってきた超低床電車『momo』に乗った。これが次の東山行きだ。車内は所々に気が使われている。これが水戸岡鋭治のデザインの特徴だ。
電車は城下に着いた。理恵の他に、多くの乗客が降りた。彼らもこれから後楽園を目指すと思われる。
理恵は歩いて後楽園にやってきた。後楽園には多くの観光客が来ていた。その中には家族連れが多くいた。
理恵は30年前に後楽園にやってきた時のことを思い出した。家族3人、旅行でやってきた。敦は初めて見る鶴の鳴き声に驚き、見て感動した。その後に岡山城に行って天守閣から岡山の街を見下ろして感動した。でももう敦も剛もいない。今は1人だ。理恵は寂しくなった。
昼食は岡山駅の吾妻寿司で祭り寿司を食べることにした。その後は倉敷の美観地区へ行き、広島へ移動する。
理恵は祭り寿司を食べながら30年前に家族で行った時のことを思い出した。あの時の昼食も祭り寿司だった。あの時はテーブル席でみんなでわいわい食べていた。でも今はもう1人だ。牧夫と結婚して子供ができたらぜひ行きたいな。その時はまたテーブル席でわいわい食べたい。
13時50分、理恵は岡山駅を後にして、倉敷駅に向かった。倉敷は古い町並みが残る美観地区があり、多くの観光客が訪れる。
14時7分、理恵は倉敷駅に着いた。倉敷には美観地区があり、多くの観光客が訪れる。理恵はそこを目指すつもりだ。
理恵は倉敷の美観地区にやってきた。古くからの街並が残る。30年前に行った時は行かなかった。夫や息子と行ってみたかったな。
船に乗る親子を見て、理恵は幼少期の敦の姿を思い出した。幼少期はこんな顔だったな。今も生きていたら行きたかったのに。剛も敦ももういない。
19時11分、理恵は倉敷駅を出発した。今日の最終目的地は広島だ。今日は広島で泊まって、明日は広島を散策する予定だ。
車内は理恵たった1人だ。理恵は剛も敦もいない寂しさであふれていた。でも、もうすぐ牧夫と一緒になるので孤独ではなくなる。そう思うと少し元気になれた。
20時29分、理恵は三原駅に着いた。広島まではまだまだだが、ここで次の電車が来るまで数十分待つ。
三原駅は静かだ。すでに夕方の帰宅ラッシュを終えていた。乗り換え客はあまりいない。北風が冷たい。理恵は凍えた。
20時57分、乗り換えの電車は三原駅を出発した。行先は終点の広島だ。乗客は多少いた。彼らは酒を飲んだのか、少し顔が赤い。
21時11分、理恵は広島駅に着いた。もう暗い。人は少なかった。もう遅いからだろう。
予定ではここでホテルに泊まる予定だ。理恵はホテルに向かった。ホテルに泊まるのって、何年ぶりだろう。敦が就職してからは全く行っていない。仕事が落ち着いたらまた行ってみたいと思っていたのに。実現しないままに剛も敦もいなくなった。牧夫と結婚したら一緒にホテルに泊まりたいな。
翌日、理恵は広島観光に出かけた。まずは原爆ドームに向かった。この広島市には広島電鉄が走っている。路面電車としては日本一の規模で知られる。
理恵は広島に行ったことがない。だが、広島電鉄のことは敦が子供のころに見ていた電車図鑑である程度知っていた。全国各地の路面電車を集めて走らせていると聞いたことがあった。
広島電鉄は変わっていた。連接車や超低床電車が多くなり、近代化が進んだ。昔の電車もまだまだ残っていたが、以前に比べて数を減らしていた。
広島電鉄でもう1つ有名なのが、被爆電車の650形だ。図鑑で見た頃は4両あったが、1両は引退し、3両のみになった。しかも1両は休車だという。
理恵は原爆ドームまでを路面電車に乗って移動していた。図鑑でも見たことのない超低床電車で、5車体連接になっている。乗客はけっこう乗っていた。原爆ドームに行く人はもちろんだが、宮島口まで直通するので、宮島へ行く人も多少乗っていた。
理恵は原爆ドーム前の停留所で降りた。理恵だけでなく、多くの乗客が降りた。原爆ドームは世界遺産に登録されていて、広島のシンボルのような名所だ。今日も多くの人が来ていた。日本人だけでなく、外国人観光客も多い。
理恵は彼らを見て、本当の平和や幸せって本当に訪れるんだろうかと思った。争いのない世界、家族のいる豊かな生活、それこそ本当の平和な世界だと思っていた。夫も息子も失った自分は平和じゃない。牧夫と結婚して平和な日々を送りたい。
理恵は原爆ドームを見ていた。広島の惨状を思い浮かべ、どんな気持ちだったんだろうと思っていた。突然、原子爆弾を浴びて、熱線であっという間に死に、あるいは崩れた民家の下敷きになって焼死した。
その惨状を思い浮かべて、理恵は鉄工所の放火のことを思い出した。死んだ鉄工所の従業員は突然命を奪われてどんな気持ちだったんだろう。彼らと思っていることは一緒なんだろうか。
次に理恵は原爆資料館に向かった。その途中、理恵は慰霊碑を訪れた。原子爆弾の投下された毎年8月6日午前8時15分、ここで黙とうが行われる。
理恵は慰霊碑のモニュメントをよく見た。『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』と書いてある。もう戦争はしてはならないという気持ちが込められているんだろうと思った。
それと共に、理恵はパワハラで死んだ敦のことを思い出した。パワハラという過ちを二度と犯さないように訴えていかなければならない。そして、それによって死んだ敦には安らかに眠ってほしい。
理恵は原爆資料館にやってきた。原爆資料館にも多くの人が来ていた。ここにも外国人観光客が多い。彼らはその惨状を見て、どう思うんだろうか。
館内には、様々なものが展示されていた。その中座多かったのが、原子爆弾の投下された8時15分で止まった時計だ。
理恵は放火がされた時のことを思い出した。彼らの時間もあの時終わってしまった。鉄工所の歴史もこのように突然終わってしまった。パワハラって、なんてひどいものなんだろう。息子だけでなく、会社自体も、従業員もなくすからだ。
理恵は原子爆弾が投下されて、がれきだらけの焼け野原となった広島市の写真を見ていた。とてもここが今の広島とは思えない。まるで地獄のようだ。
あれ以来、理恵は鉄工所の跡に足を踏み入れていなかった。思い出したくなかったからだ。ここで敦はパワハラを受けていた。あまりにも辛くて、思い出したくなかったからだ。
鉄工所もこんな焼け野原になって、その中で従業員が死んでいったんだな。そういえば、謹慎中だと聞いた社長はどこに行ったんだろう。理恵はふと考えた。
更に館内を歩いていると、焼け焦げた三輪車があった。死んだ子供の大好きだった三輪車だという。
理恵は三輪車に乗っていた頃の敦の姿を思い出した。あの頃の敦はとっても可愛かったな。あの頃は幸せだった。敦は2人の支えだった。あの頃に戻りたい。でももう会えない。ずっといてくれると思ってたのに。敦も剛もいない。
次に理恵は宮島を目指した。宮島へは宮島口からフェリーに乗り換えて向かう。宮島も世界遺産で、原爆ドームとは違い、こちらはいい意味での世界遺産だ。
原爆ドームを出た路面電車は西広島駅を出ると専用軌道に入った。ここからは海沿いを進みながら宮島口を目指す。ここを走っているのは広島駅前発着の連接車で、その中には超低床電車もある。車内は地元の人の他に、宮島観光に行く人もいた。
理恵を乗せた超低床電車は終点の宮島口駅に着いた。JRにも宮島口があるが、フェリーへは広島電鉄の宮島口が近い。
観光客の多くはここから宮島口のフェリー乗り場に向かった。理恵も宮島口のフェリー乗り場に向かった。
理恵は宮島へ向かうフェリーに乗った。このフェリーはJR唯一のフェリーだ。かつては宇野と高松の間に宇高連絡船、青森と函館の間に青函連絡船があったが、どちらも瀬戸大橋や青函トンネルの開通で廃止になった。
フェリーに乗って、しばらく行くと、海の中に浮かぶ鳥居が見えてきた。宮島の厳島神社だ。この付近にはカキの養殖をしている筏が多くある。
宮島に着くと、理恵は食堂を探した。ちょうど昼時なので、理恵はカキフライを食べようと思った。
宮島には多くの観光客がいた。昼時、多くの観光客は食堂に並んでいた。カキフライが目的だ。
理恵は食堂にやってきた。食堂には数人が並んでいた。あなごめしが目的だろうか。それともカキフライか。
理恵の順番が回ってきた。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「1名様です」
理恵は人差し指を立てて、1名であることを示した。
「こちらのカウンター席にどうぞ」
店員はカウンター席に案内した。理恵は椅子に座った。
「いらっしゃいませ、ご注文は?」
「カキフライ定食でお願いします」
「かしこまりました」
店員は厨房に向かった。
出来上がるまでの間、理恵は家族の写真を見ていた。岡山に行った時の写真だ。あの時は幸せだった。でも今は一人ぼっちだ。どうしてこうなってしまったのか。考えると、理恵は涙が出そうになった。
「お待たせいたしました、カキフライ定食です」
「ありがとうございます」
理恵はカキフライを食べて、今はいない剛と敦のことを思い出した。3人で食べたかったな。2人とも失って、本当に悲しかった。でも、今は牧夫がいる。牧夫と一緒に食べたいな。
18時48分、理恵は新幹線で新下関駅に向かった。新下関駅は次の停車駅だ。新下関駅で在来線に乗り換えて下関に行く。今日はここで剛の両親と会って、フグ料理を食べる予定だ。
剛の両親に会うのは10年ぶりだ。理恵は両親のことを思い浮かべた。理恵は剛の両親は死刑執行をどう思っているんだろう。
19時30分、新幹線は新下関駅に着いた。乗り換え時間は15分。理恵は余裕をもって乗り換える電車の来るホームに向かった。
19時45分、下関行行きの電車は出発した。終点の下関まではすぐそこだ。理恵は剛の両親に会えるのが嬉しい反面、死刑になった剛のことをどう思っているんだろうと考えた。
19時55分、あっという間に電車は終点の下関駅に着いた。もう日が暮れて、辺りは暗い。
理恵は改札口の前にやってきた。改札口の向こうには、剛の両親と兄がいた。10分ぐらい前から、改札の前で待っていた。
「理恵さん」
「あっ、お父さん」
理恵は剛の父の声に反応して、手を挙げた。剛の父もそれに反応した。
「待っとったぞ」
「急にごめんね。剛さんのことをきっぱり忘れようと思ったの」
「そうか。辛かっただろう」
剛の両親と兄は車に案内した。その車は黒い軽トールワゴンだ。
「それじゃあ、行こうか」
「うん」
3人は車に乗って、実家に向かった。実家へはここから約5分だ。
3人は剛の実家の前にやってきた。実家は海沿いにある。剛の両親と兄はフグ漁師で、今日のてっちりは父が獲ってさばいたものだ。
「おじゃまします」
剛の両親と兄の後に続いて、理恵は実家に入った。
「さぁ、作ろうか」
剛の父はてっちりを作り始めた。フグの内臓には毒があり、調理するには免許が必要だ。父はその免許を持っていた。
剛の父はてっちりをテーブルの真ん中のコンロの上に置いた。
「まぁ、てっちり食べな」
「いただきます」
4人はてっちりを食べ始めた。
「剛のこと、どう思う?」
ふと、理恵は3人に聞いた。あんな悪いことをして、死刑になって、どう思っているのか知りたかった。
「息子さんを自殺に追いやったのが憎いって言って、こんなことしなくても」
剛の兄はあきれていた。どうしてこんなことをしなければならなかったんだ。たかが息子を失っただけで。それは仕返しとしては度が過ぎているのでは?
「わしら、あれのことで家族がズタズタになったんじゃ。辛かったのぉ」
剛の父は剛が逮捕されてからのことを思い出した。フグ漁師の目から冷たい目で見られるし、信頼を得られない。収入は苦しくなった。一気にどん底に落とされたようだった。
「そうですか」
「武がクビになるし、わしは町内会に来るなと言われるし」
町内会でも冷たい目で見られた。全部、剛のせいだ。剛が逮捕されたせいだ。3人とも、剛が許せなかった。
「剛が放火殺人したからこうなったんだ」
武は泣き出した。剛がこんなことになってしまったのが悲しかった。
「今でも憎んでるんですか?」
「ああ」
3人とも、暗い表情だ。剛がまさかこんなことになるなんて。逮捕されるまで全く考えたことがなかった。
「そうですか」
「でも剛の気持ち、わかるのぉ。孫に会いたいって気持ちが。自殺した時、目を疑ったわ」
剛の母は剛の気持ちがよくわかった。許せないとは言うものの、息子に会いたいという剛の気持ちはよくわかった。敦を失った時、剛の両親も武も泣いた。かわいい孫を突然失う辛さは同じだ。
「私も悲しかったわよ」
「うん。その気持ち、わかりますよ」
剛の母は泣き出した。武は母の肩をなでた。
「もう過ぎたことなんですから。今日は食べて飲んで忘れましょうよ。今夜はパーッとしましょうよ」
理恵は明るく食べようと思った。こんな嫌なことがあったけど、今夜は飲んで忘れよう。明日は別の日だから。
「そうだね」
「それに、私、新しい人と結婚するんだから」
「えっ!? そうなの?」
3人は驚いた。新しい人と結婚するなんて聞いていなかった。
「うん。同じ大阪に住む、牧夫さんって人」
「そうか。ぜひ会いたいもんだな。その時には牧夫さんにもてっちりを食べさせたいな」
「でしょ」
理恵は嬉しがった。また結婚するのが嬉しかった。もし結婚したら、下関に誘って、てっちりを食べさせたいな。
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