第1話 元社長現アルバイト(後編)
来週土曜日、牧夫は平野にやってきた。理恵はここに住んでいるという。牧夫は御堂筋線と谷町線を使ってやってきた。
牧夫は教えられた場所に向かっていた。そこは旧平野線の平野駅跡の近くにあるという。平野線はかつて南海電鉄が走らせていた路線で、谷町線が延伸する際に廃止になったそうだ。終点の平野付近は遊歩道として整備されていた。
牧夫は平野駅跡にやってきた。理恵の自宅はこの近くだ。平野駅の特徴だった八角形の屋根を見て、牧夫は自宅に向かった。
牧夫は理恵の自宅にやってきた。その家は塀に囲まれた2階建てで、茶色い外壁で、赤い屋根だった。周りには木が植えられているが、何年も手入れされていないのか、雑草が多かった。
牧夫は玄関のインターホンを鳴らした。
「はーい」
「牧夫ですけど」
理恵は玄関のドアを開けて顔を見せた。理恵は暗そうな表情だった。まるで先週日曜日に会った時とは別人のようだった。
「あ、こんにちは」
「どうも」
牧夫はお辞儀をした。社長ではなくなったとはいえ、礼儀は忘れていなかった。
「あれっ、1人暮らしなんですか?」
「ええ。1人息子がいたんですけど、職場でパワハラにあって自殺。そのことで会社に恨みを持った夫が職場を放火殺人して逮捕されたの。夫はもう死刑が決まってるわ」
理恵は悲しそうに答えた。自殺した息子のことが忘れられずにいた。死刑囚の夫もそうだった。息子のことを思い出して興奮して手が付けられなくなることが度々ある。
「そ、そうですか」
牧夫は下を向いた。牧夫は、理恵が自殺した敦の母ではないかと思い始めていた。もしそうであって、自分の過去がばれたら大変なことになるかもしれないと思った。
理恵は和室にやってきた。和室には仏壇があって、そこには若い男の遺影があった。
「これがお子さん」
遺影を見た時、牧夫は驚いた。その男は、敦だった。理恵は、敦の母だった。牧夫はしばらく見入っていた。牧夫はとんでもない女と付き合ってしまったと思った。先週日曜日に名前を言った時に嫌な表情をしたのは、鉄工所の社長と下の名前が一緒だったからだ。
「へぇ、いい顔してますね」
牧夫はしばらく見とれていた。まさか、理恵が敦の母だったなんて。
「明日、あなたの家に行きたいな」
牧夫は驚いた。家を訪問すると、自分が敦を死に追いやった男だということがばれてしまう。
「い、いいですけど」
牧夫はいいと答えてしまった。本当は嫌だ。自分のことがばれてしまう。でも結婚のためなら、自分の幸せのためならいいと言わなければ。牧夫は断れなかった。
「ありがとう。突然言ってごめんね」
理恵は嬉しかった。久々にいい人に巡り会えた。絶対に結婚まで話を進めたいと思っていた。
「いいですよ。会えることが嬉しいんですから」
牧夫は笑顔を見せた。だが心の中では会うことに対して抵抗感を覚えていた。自分の秘密を知られたくないからだ。でも結婚するためには会わなければ。
牧夫は帰りの地下鉄の中で考え事をしていた。俺は本当に理恵と付き合っていいのか。あの女は俺が死に追いやった男の母だぞ。自分の正体がばれたらどんなことをされるかわからない。理恵の夫はそれが原因で鉄工所を放火し、全焼させ、廃業に追いやった奴だ。ばれたら、俺も殺されそうだ。
その夜、牧夫は太郎と行きつけの串かつ屋で飲んでいた。
「えっ!? 明日理恵さんが来るんかいな?」
太郎は驚いていた。来るとは思っていなかった。
「うん」
「どんな子やろう。見てみたいな」
太郎は楽しみだった。どんな女だろう。可愛い女の子なのか。太郎は気になっていた。
「ロングヘアーのごく普通の人ですけど」
「ふーん、ますます結婚に近づいたやん」
牧夫は笑顔を見せた。また結婚に近づいたことが嬉しかった。牧夫は牛串カツをほおばった。
「牧さん、頑張れよ」
「ああ。でも・・・」
牧夫は下を向いた。自分のことがばれるのが怖いからだ。ばれたらどうなるかわからない。最悪の場合、殺されるかもしれない。
「どないしたんや」
突然表情の変わった牧夫を見て、太郎はどうしたんだろうと思った。
「あの人、俺が社長だった頃、自殺に追いやった奴の母やねん」
「えっ!? マジか?」
牧夫は理恵の秘密を話した。太郎は驚いた。まさか、牧夫が死に追いやった男の母親だったとは。何という偶然だろう。
「ああ。俺の正体ばれたらどうなるかわからんねん」
「ばれんように頑張るしかないな」
「ああ」
牧夫は生中を飲み干した。牧夫はばれるのが怖かった。生中を飲んでその恐怖を忘れたかった。
翌日、牧夫は朝からあわただしかった。理恵が来るからだ。部屋を整理しておかないと、理恵に嫌われる。自分の過去がわかったら、嫌われる。
11時ごろ、理恵がやってきた。理恵はいつもよりおしゃれな服を着ていた。今日は牧夫の家に行くのでいつもよりいい服を着ようと思っていた。
突然、インターホンが鳴った。牧夫はわくわくしていた。理恵が来たと思ったからだ。牧夫は扉を開けた。
「あ、どうも」
理恵だった。理恵はいつもよりおしゃれな服を着ていた。理恵は嬉しそうな表情だった。牧夫の家に行くのを楽しみにしていた。
「こんなとこに住んでるんですね」
「貧しいもんで」
牧夫は少し笑みを浮かべた。
「そうでうすか。家族はいるんですか?」
「いないんですよ」
牧夫は少し悲しくなった。無理心中した両親と、別れた妻と娘のことを思い出した。牧夫は泣きそうになったが、ここはこらえた。
「そう。一人ぼっちなんですね。私もそうですけど」
理恵も悲しそうに答えた。牧夫はそんな理恵に申し訳ないと言いたかった。自分のせいで一人ぼっちになったからだ。
「ど、どうしたんですか?」
理恵は牧夫の表情が気になった。
「いえ、何でもないんです」
牧夫は笑顔で答えた。だが、本当は気にしていた。自分のせいでこうなってしまったことを気にしていた。
「そう、変な人ね」
理恵は笑顔を見せた。人を変に思ってはいけないと思っていた。息子は変だったから社長に怒られて自殺に追いやられた。人間は人間、性格なんて関係ないと思っていた。
「こんな奴でごめんね」
牧夫は理恵に謝った。
「いいわよ」
理恵は許した。理恵は牧夫の笑顔が好きだった。いつかこの人と一緒に暮らしたいと思っていた。
「今日はありがとね」
「どういたしまして。また来てね」
1人になった部屋で、牧夫は隠していた写真を見ていた。その写真は、鉄工所の従業員の集合写真だった。その中には、敦の姿もあった。
牧夫は涙を流していた。敦に申し訳ないことをしたからだ。自殺に追いやってしまった。謝りたくても、敦はもう帰ってこない。
部屋のインターホンが鳴った。牧夫は驚いた。理恵がまた来たと思った。忘れ物をしたんだろうか?
牧夫はドアを開けた。そこには太郎がいた。
「牧さん、理恵さんにばれんかったか?」
「うん」
牧夫は嬉しそうに答えた。ばれずに終わったからだ。
「よかったな」
「でも、結婚することとなると、書類書かないかんやろ。どないすんねん」
「そうだな・・・」
牧夫は深く考え込んでしまった。婚姻届を見せたら自分が誰かばれるからだ。
「今さっきすれ違ったんやけど、なかなかかわいい子やね」
「うん」
牧夫は理恵のことをほめられて嬉しくなった。だが、婚姻届のことを考えると気持ちが沈んでしまった。どうすればばれずに結婚できるだろう。牧夫は思いつくことができなかった。
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