それぞれの傷

口羽龍

第1話 元社長現アルバイト(前編)

 ここは大阪府大阪市西成区の新今宮駅付近。新今宮駅は大阪環状線と南海電鉄が立体交差するあたりにある駅だ。もともとは南海電鉄の駅だったが、乗り換えをしやすくするためにJRにも設置された。南海電鉄のすべての電車が停まり、大阪環状線は特急以外の電車が停まる。乗り換えで非常に活気のある駅だ。ただ、その影響で、南海電鉄の天王寺支線の乗客が激減し、天下茶屋と今池町の間が廃止になった。今池町と天王寺の間はその後も残ったものの、地下鉄堺筋線が天下茶屋まで延びたことで廃止になった。


 その駅前にコンビニがあった。24時間眠らないコンビニは深夜も光を照らしていた。その光に誘われ、若者がやってくる。そして夜食を買って去っていく。コンビニの隅にある雑誌コーナーでは若者が立ち読みをして暇つぶしをしていた。


 1人の若者が缶ビールと食べきりサイズの柿の種を持ってやってきた。青いジーパンにフード付きの黒いオーバーを着ていた。20代前半だろうか。足腰がしっかりしている。


 若者は缶ビールと柿の種をレジに置いた。


「いらっしゃいませ」


 店員は会計を始めた。レジの男は柿の種を手に取り、バーコードを読み取った。次に、缶ビールと手に取り、バーコードを読み取った。


「年齢確認が必要な商品です」


 レジから音声が聞こえた。酒やたばこは未成年が購入できないので、年齢確認のためにこの表示が出るようになっていた。


「こちらの確認ボタンをお願いします」


 店員は指をさした。若者は確認ボタンを押した。男は20歳以上だった。


「2点で369円になります」


 若者は400円を差し出した。


「400円をお預かりいたします」


 店員は400円を受け取った。


「31円のおつりと、レシートでございます。ありがとうございました」


 男は31円を出し、レシートを取った。若者はコンビニを出て行った。若者は少し歩いたところにある地下鉄の動物園前駅に入っていった。これからマンションに帰ると思われる。


 コンビニの倉庫から1人の男が出てきた。この店の従業員だ。今日の勤務を終え、帰宅しようとしていた。スポーツ刈りで、かっこよさそうに見えるが、あまり清潔とは思えない容姿だった。


 男は缶ビールとあたりめを購入した。要旨はかっこいいのに、元気がなかった。


「いらっしゃいませ」


 店員は辺り目を手に取り、バーコードを読み取った。次に、缶ビールを手に取り、バーコードを読み取った。


「年齢確認が必要な商品です」

「こちらの確認ボタンをお願いします」


 店員はレジを指さした。男はレジの液晶の確認ボタンを押した。


「2点で314円になります」


 店員は商品をビニール袋に入れ始めた。


「はい」


 男は350円を出した。


「350円お預かりいたします」


 店員はボタンを操作して、36円を取り出した。


「36円のおつりと、レシートでございます」

「あっ、レシートはけっこうです」


 店員はレシートをレシート入れに入れた。


「ありがとうございました」


 店員は頭を下げた。


「お先に失礼します」

「お疲れ様です」


 男は店を出て、アパートに向かった。北風が強く吹き付ける。男は身を震わせた。男は恋人と歩いている若者を見て、うらやましそうに思った。若者は恋人といることが幸せそうだった。男はあの時の事尾をもいだしていた。あの頃に戻りたい。でももう戻れない。男はとても悲しくなった。泣きそうになった。


 男の名は島岡牧夫(しまおかまきお)。39歳。駅前のコンビニの店員だ。午後3時から午後11時までアルバイトをしている。とてもまじめで物覚えもよい、だが給料は月10万円ちょっと。うっ止めているコンビニの近くのアパートに1人で暮らしていた。アパートは築40年。家賃は2万円足らず。4畳1間。風呂とトイレは別々。トイレは和式。エアコンはない。決していい環境ではない。ぎりぎりの生活を送っている。


 そんな牧夫には、輝かしい過去があった。今の生活からは、全く想像できなかった。


 実は、牧夫は鉄工所の元社長だった。だが、あることがきっかけで全てを失った。


 牧夫の家庭は裕福そのものだった。鉄工所の社長だった千々谷会長の祖父の背中を追って大卒で入社した。大学では優秀で、博士号を取るぐらいだった。友達も多くでき、楽しい毎日だったという。そんな牧夫は1年目から大活躍で、あっという間に会社の人気者になった。そんな牧夫は祖父の死去によって、父が会長になり、自分が社長になった。まだ27歳だった。


 牧夫は部屋に帰ってきた。だが誰もいなかった。こうなってもう3年だ。ある日を境に家族が次々といなくなって、あっという間に1人になってしまった。このアパートに住み始めて、誰も遊びに来たことがない。


 牧夫はお風呂に入った。接客をするコンビニ店員なので、お風呂は毎日入るようにしていた。お風呂は決して広くなく、暗かった。


 お風呂から出た牧夫は、冷蔵庫で冷やしておいた缶ビールを取り出した。缶ビールはキンキンに冷えていた。牧夫は辺り目と缶ビールをちゃぶ台に置き、缶ビールを飲み始めた。酒を飲んで、悲しい過去を忘れようとしていた。だが、なかなか忘れることができなかった。ある程度飲んだら、あたりめをつまみ、また飲んだ。過去を思い出して、涙が出てきた。酒を飲んでいると、いつもそうなった。


 缶ビールを飲みほした牧夫はベッドで横になって、その時のことを思い出していた。牧夫はほろ酔い状態で、顔が少し赤くなっていた。


 次第に牧夫は瞼が重くなり、そのまま寝入った。




 牧夫は夢の中で社長だった自分が転落するまでの夢を見た。


 4年前、鉄工所に今田敦(いまだあつし)という社員が入社してきた。高校を卒業後、ハロワークで検索して、たまたまこの鉄工所に面接をして採用になったらしい。面接をしたところ、やる気が見受けられたので採用することにした。


 だが、その社員は出来が悪かった。何とか正社員になることはできたものの、ミスをたびたび起こし、工具をたびたび破損させ、そのたびに社員に怒られた。しかも、なかなか謝ろうとしなかった。ミスが多く、態度の悪い敦に対して社長をはじめ社員は敦に厳しい態度をとった。


「お前は何でこんなことができねぇんだよ、バカ!」


 工場長はものすごい形相だった。


「生きていてもしょうがねぇから死ねよ!」


 その横にいた若い社員を厳しく言い放った。


「どうせお前は障害者なんだろ?」


 父は言ってはいけない暴言を吐いていた。父は悪いと思っていなかった。


 牧夫も毎日のように敦に暴言を浴びせていた。敦は厳しい表情でそれを受け止めていた。


 そんなある日、敦が行方不明になった。警察は敦を探したが、なかなか見つけることができなかった。1週間後、敦が都内の公園のトイレの中で首を吊っているのが発見された。自殺だった。遺書によると、会社での暴言や暴力が原因だった。牧夫は驚いた。信じられなかった。


 牧夫は停職になった。牧夫は自宅で落胆していた。食欲が急激に落ち、体重が10kg近く減った。両親も妻も娘も心配していた。


 そんな牧夫を励ましてくれたのは妻だった。牧夫を毎日励まし、気分を晴らすために旅行に行かせた。牧夫は仕事ばかりでなかなか旅行に行く機会がなかった。様々な観光名所を巡って、定職になったショックから立ち直らせようとした。最初は暗い表情だった牧夫は次第に元気を取り戻していった。


 だが、敦の死から1ヶ月経ち、ようやく本来の自分を取り戻り始めた頃、鉄工所が放火された。犯人は敦の父、剛(つよし)だった。剛は息子を自殺に追いやった鉄工所のことが許せなかった。入口で灯油缶の中の灯油をまき散らし、すぐに火をつけたという。火はあっという間に燃え広がり、入り口が炎に包まれて、従業員は逃げることもできなかった。駆けつけた救急隊員により日は1時間後に消し止められたものの、焼け跡から従業員全員が遺体で発見された。


 牧夫はその時のニュースのことを今でもよく覚えていた。それはリビングでくつろいでいた時のことだった。


 近所の中年の女性が急いで訪ねてきた。女性は息を切らしていた。


「島岡さん、工場が放火された!」

「何だって?」


 牧夫は驚いた。牧夫は信じられなかった。


「自殺したあの社員の父が放火したんだって」


 牧夫は開いた口がふさがらなかった。信じられなかった。


 牧夫は急いでテレビをつけた。すると、そのニュースが流れていた。


「今日午前8時ごろ、大阪市の島岡鉄工所に男が押し入り、すぐに灯油をまき、火をつけました。男はさらに蓋の開いた灯油入りの灯油缶を投げつけ、逃走しました。火は瞬く間に燃え広がり、工場と事務所が全焼しました。駆けつけた消防隊によって、火は1時間後に消し止められましたが、焼け跡から従業員全員の遺体が見つかりました。警察は、近所の目撃情報から犯人を特定、男は正午過ぎ、近くのコンビニで立ち読みをしていたところを逮捕されました。逮捕されたのは、会社員、今田剛容疑者です。調べによりますと、今田容疑者は、『息子が殺されて、会社に恨みを抱き、会社をつぶしてやろうと思い、放火した。停職中の社長も殺そうと思った』と話し、容疑を認めました。島岡鉄工所では、先日、今田剛容疑者の長男、今田敦が会社内でのパワーハラスメントが原因で自殺し、社長が停職になっていたばかりでした。犯行当時、会社では社員全員が集合し、朝礼が行われており、今田容疑者はそれを狙っていたようです」


 牧夫はまた暗くなってしまった。自分の職場が放火され、従業員が全員死んだからだ。昨日までの平穏は日々が一気に奪われてしまった。


 放火によって工場が全焼した鉄工所は2週間後、廃業した。牧夫だけでなく、家族全員が泣き崩れた。自分が築き上げた会社があっという間になくなったからだ。


 その翌年、妻が離婚し、その数日後、両親はショックのあまり自殺した。たった1年で牧夫は一人ぼっちになった。


 牧夫は豪邸を売り払い、ワンルームのマンションでひっそりと暮らすことになった。たった1年余りで、牧夫は地獄に落とされた。それから牧夫は再就職先を探した。だが、パワーハラスメントが起こり、それが原因の方かで廃業した会社に入っていたことが履歴書にあると、悪い印象ばかり言われた。帰ってきた結果は不採用ばかりだった。約1年経って、ようやくコンビニで働くことができたものの、給料が安く、裕福とは言えなかった。


 牧夫が目を覚ますと朝だった。牧夫は悪夢にうなされていた。社長だった自分が転落する夢だった。何度こんな夢を見たんだろう。忘れようとしても忘れられなかった。牧夫の枕は濡れていた。寝ている間に涙を流していたと思われる。牧夫はどうしようもない様子で濡れた枕を見ていた。


 今日は土曜日。今日と明日は休日だった。牧夫はパソコンの電源をつけた。ツイッターをしながらネットサーフィンをしようとしていた。そのパソコンは社長だった頃に購入したものだった。10年以上使っている。食速度は今のパソコンと比べ物にならないほど遅かった。だが、牧夫の収入では新しいパソコンで買う余裕などなかった。

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