第6話


 雲一つない凍空はどこまでも高く、澄み切っていた。燦々さんさんと輝く太陽が憎らしいほどの好天気日和だが、その反対に大地に満ちるのは重々しい空気である。

 名君と名高い王が亡くなったことで誰もが悲しみの底にいた。その悲しみは深く、まだ幼い皇女すら雰囲気に気圧されて泣くこともせず、乳母のかいなに抱きついていた。


 群衆の中に身を寄せた道捃はゆっくりと息を整えると腫れぼったい目で豪奢な棺を見つめる。やつれた主人の姿を見てきても、あの中にいるなんて未だに信じることができない。皓月はお茶目なところがある。自分の死を偽装して、今にもどこからかひょこっと顔を覗かせるのではないかと期待してまう。

 しかし、皓月は亡くなった。桐の手紙を胸に抱えて、幸せそうに。


 ——桐様はやはり来なかった。


 来ないと分かっていても、ふつふつとした怒りが湧いてくる。感情を殺すべく、道捃が袖の中で拳を握りしめた。


 その時、静かな声が空気を裂いた。


 それは赤児が親にすがり泣くような悲痛な声だった。何かを訴えるような声だった。ともすれば、明るく祝福するような響きも帯びている不思議な声だった。


くの儀は明日の予定のはずだ。誰がいている!」


 道捃は叫ぶと周囲を見渡した。哭女こくじょという女達が死者にすがり、泣くのは予定では明日の朝。哭女の誰かが予定を勘違いしたのだろう。葬儀を台無しにされた怒りは周囲にも感染したようで、誰もが血眼になって声の主を探した。


「こいつだ!」


 男が叫んだ。周囲はその声の方角に顔を向ける。

 男は棺へと向かって歩く、一人の人物を指さしていた。黒色の外套を目深に被っているため、体格と声から女であること以外、様相は分からない。


「……あなたは」


 どこかで聞いたような声だと思った。

 だが、それはありえないとも思った。

 驚きに目を見開く道捃の端を兵士が駆けていくのが見えて、道捃は口を大きく開けた。

 

「おやめなさい! その方は晶王様のご友人です!」


 その叫びは広間に集う全員に届いたようで、みんなが息をひそめて黒色の外套を見守る。皓月が妻子よりも優先して一人の女を探し求めていたのは周知の事実だ。その女からの手紙が届いた晩に嬉しそうに亡くなったことも。


 ——なぜ、桐様はここに?


 来ないと言っていた人物の登場に道捃は見守ることしかできない。


 ——もしや、晶王様のために会いに来てくれたのか?


 桐は周囲の視線を浴びても臆さず、ゆったりとした足取りで棺へ向かう。棺の前で足を止めると外套を脱いで地面に落とした。波打つ銀糸が大衆の目に晒される。どこかから感嘆の吐息が聞こえた。

 気持ちは分かる。長く伏せられたまつ毛に、黄金の瞳。やつれても目を引く美貌を更に輝かせる銀糸の髪。神聖な雰囲気と相まって、誰もがこの場が晶王の葬儀であることを忘れた。


「……皓月。変わったな。私もお前も」


 桐は皓月の頬を指先でひとなですると天を仰ぐ。赤い紅がさされた唇からはまた哭き声が落とされ、空気を伝う。慟哭どうこくという言葉がぴったりな叫びは高い空へと向かっていく。


「——えっ」


 その時、道捃は信じられない光景を見た。雲一つない空には徐々に雲が集まり始めた。悲痛な叫びに呼応されたように雲は震えながら広がり、色を濃くする。


 ——ぽつり、とが落ちてきた。


 冷たいそれは道捃の目尻に落ちると勢いよく、顎下へと伝い落ちる。


「……雨?」


 雨が降り始めると桐の哭き声はより一層と悲しみを帯びる。温かい雫が世界を濡らす中、道捃はただ静かに桐を見つめていた。

 皓月の亡骸が濡れてしまう。なにか覆うものを、とそう思っていても足裏を地面に縫い付けられたように動かない。目を見開き、静かに哭き叫び、心を吐露とろする女の姿を記憶に刻んでいた。

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哭女 萩原なお @iroha07

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