五分後の、あなたへ。

肥前ロンズ

違うから声をかけられる。

「誰ですか?」

 生徒会長である僕に、全国文芸大会での最優秀賞を引っ提げた彼女は、そう言い放った。


「き、気にしないでください! あの子教室でも浮いてるんです」


 彼女のクラスメイトらしい生徒が、その場を立ち去る彼女を後目にそう言った。

 僕はその時、「人に興味が無い子なのかな」と、大して深くは考えなかった。



    ▪




 そんな彼女ーー相生さんは、今、公園にいる。

 イチョウの木の下のベンチに腰掛けた彼女。

 彼女は、見た目からして変わった子だった。前髪を眉よりずっと短く切って、しかも長さは、向かって左より右の方が長かった。

 それに他学生は薄く化粧をしているけど、彼女は全く飾り気がない。

 だから一度しか会ったことがなくても、制服を着てなくても、すぐにわかった。


「こんにちは」


 向こうから笑いかけられてびっくりした。

 その顔は普通に笑っていて、声はとても柔らかく明るい。一度会った時は真顔で、ちっとも笑ってなくて、声も硬かったのに。


「……こんにちは」


 僕は歩いて、彼女の目の前に立つ。

 どうぞ、と勧められて、隣に座った。


「良い天気ですねぇ。ついボーッとしちゃう」


 彼女はニコニコしながら言った。


「この辺りにお住まいですか?」


 彼女の言葉に、これはひょっとして、と思った。


「あの、相生さん、気づいてない?」

「……へ?」

「俺、中川。生徒会長」


 そう言うと、彼女は目を大きく見開いて、僕と向き合うようにして座り直し、


「ごめんなさいッ!」

 土下座した。

 ええええええ。


「この間も私、『誰ですか?』とか尋ねちゃったのに、またっ!」


 どうやら初対面の時は覚えてくれていたようだ。

 じゃあなんで、と思った時。


「私、人の顔が覚えられんとです」


 彼女はすまなさそうに俯いて言った。


「えっと、それは……人の名前と、顔が結びつかないってこと?」


 僕が尋ねると、彼女は首を横に振った。


「顔の区別がつかないんです」

「区別がつかない……?」

「皆、同じ顔に見える……んだと、思います」


 何故か自信なさげに言う。

 全員ってわけじゃないんですけど、と彼女は説明する。


「例えば、隣の席の人の顔は頭の中にあるつもりなんです」


 でも、と彼女は言った。


「途中まで喋って、全然違う人に喋りかけていた、なんてことがあって」


 おおう、なんてシュールな。

 それ、友人と思ったら知らない人だったってことだよね。


「どうやって判別するの? 声?」

「はい。いや声もたまに間違えるんですけど……後は髪型とか、体型とか」

「それじゃ、学校とか大変だね? 男子はみんな同じ髪型だし」

「や、男子は化粧してないし、体格もそれぞれなので女子よりまだわかりやすいんですけど」

「ああ、化粧か……」


 その彼女の欠点(?)が、なんと言うかーー妙に琴線にふれたのだ。

 




    ▪


「相生さん」

 校内で最初に声をかけた時、彼女が眉をひそめるのが見えた。(何せ前髪短いから)

「中川だよ」と言うと、ん? と首をひねってから、ああ! と言った。


「生徒会長!」


 どうやら僕は、彼女の中で『生徒会長』として認識されたようだ。

 それから僕は、彼女を生徒会室に連れて行って、彼女は生徒会室を訪れるようになった。








 彼女は、生徒会室のパソコンでうんうん唸りなっている。


「どうしたの、相生ちゃん」


 書記の宮原さんが、彼女に声をかける。

 僕が連れてきた彼女は、今じゃすっかり生徒会のアイドルになっていた。彼女も唯一の女子である宮原さんには、間違えることもないので、楽しそうに話している。


「いや……来週、行かないといけないじゃないですか。私」

「ああ、表彰式に東京まで行くんだっけ」


 副会長の富田がそう繋げると、あ、はい、と明らかに戸惑う顔で彼女は頷いた。

 富田は殆どお約束と化した言葉を言う。


「富田だよ、覚えてね……」

「す、すみませんっ。会長と違いがっ」

「え、俺こんなイケメンに見える?」



 それは髪型似てるからだなぁ、きっと。

 ……伸びてきたし、切るかな。



「いっそ坊主にしたらいいかなぁ」

「お前俺の事嫌いなの!?」

「え、なんで?」

「それで? どうしたの?」


 話が脱線してきたところを、宮原さんが訂正すると、彼女は困ったように言った。


「その、有難くも文科大臣賞もいただいてしまって……」

「え、大臣賞も!? すごいじゃん!」

「それで、スピーチしないといけなくて、その原稿が……難しくて……」

「ああ、そういうこと」


 でも意外だ。


「小説書けるから、スピーチ原稿も書けそうなのに」

「会長、私は基本ちゃらんぽらんです」

「……うん?」


「会長が始業式とかに述べる畏まった感じの文章が、書けんとです」


 彼女は読んで下さい、とプリントアウトされた文章を僕に手渡した。

 ……これは。


「……確かに、スピーチとしては、ちゃらんぽらんね」


 一緒に読んでいた宮原さんが、声を震わせながら言う。笑うのを堪えているらしい。その気持ち、僕もわかる。

 明朝体で書かれた文章の上には、赤いボールペンで『笑わせんな』と書かれていた。文芸部の顧問の赤ペンのようだ。


「でも、すごく相生ちゃんらしいわ。小説とか、こんな感じだもんね」

「え、読んだの?」

「クラスに配られたのよ。うちで文芸の最優秀賞なんて、珍しかったのね」

「ははは……お恥ずかしい」


 苦笑いしながら、彼女は言った。


「実は職員室のポスター見て、思いつきで書いた奴だったんですけど……ポスターの締切は本選の奴で、実はその前に県の予選があったらしいんです。

 でも私、それ知らなくて『消印有効ならギリギリでいける!』なんて思ってしまって、顧問の先生にご迷惑を……」

「え、じゃあ、予選飛ばして出して貰ったの?」


 僕の言葉に、彼女は頷いた。


「だからこんなことで泣き言言っちゃいけないんですけど……!」

「強豪校ならスピーチのひな型とか作ってるんだろうねー」


 なるほど。

 学校側もまさか本校で出す生徒がいるなんて思わなかったから、予選の締切を書かなかったんだろう。うちの文芸部、予算殆どないし。

 その状況で受賞するなんて、本人も学校も仰天したに違いない。

 何もかも初めての状況で、一人でやらないといけない作業は、とても辛いだろうな。


「多分、こことここをなおしたら、畏まった文章になると思うよ」


 僕がそう言うと、彼女は目を丸くした。


「俺が書く訳にはいかないけど、手伝うことは出来るから」


 そう言うと、彼女は両手を合わせながらこう言った。



「会長は……阿弥陀如来ですか…………!?」

「うん、確かに相生さんらしいスピーチ原稿だね」

「面白いよなー、相生ちゃん」


 富田がははは、と笑いながら言う。


「でも、中川としちゃ羨ましいんじゃないか」

「え? なんで?」

「知らないの? その表彰式、今年は赤田慎太郎が呼ばれるのよ」


 赤田慎太郎は僕の好きなミステリ作家だ。


「え、いいな! 羨ましいよ! サイン欲しい!」

「あ……じゃあ、サイン、貰ってきます!」

「ホント!? じゃあ、これ渡すね!」


 若干本気、若干冗談で、僕はそんなことを言ったのだが。

 帰ってきた時、彼女は「サイン貰ってきました!」と僕に返してくれたのだった。



    ▪


「え、相生さんですか?」


 彼女のクラスを尋ねると、クラスメイトらしき女子生徒はごめんなさい、と言った。


「今、相生さんいないみたいで……」

「そうなんだ。いつ戻るかな?」

「さあ。休み時間になると、すぐどこか行っちゃうから」


 ってかさー、と別の女子生徒が口出した。


「あの子、私らの名前覚えないよねー」

「協調性ないよね」


 ……それは協調性が無いんじゃなくて、能力的に顔が覚えられないんだろうな。


「なのに男子ばっか声掛けてさー」

「ヤンキーまで声かけるなんて、見境ないよね」


 それは多分、体格で個人を判断してると思われます。そしてそのヤンキーは髪染めてるね?


「スッピンのままって、信じられないよね」

「自分の素の顔がかわいいって勘違いしてんのかなー?」

「あの前髪でそれはないわ」


 ええー……。普通、そこまで行く? 人は事情を知らないと、明後日の方向に飛んじゃうんだなぁ。

 そうぼんやり考えていると、その女子生徒は僕が声をかけた女子生徒にぶつかった。

 どうみても、あえてぶつかっている。


「あんた邪魔」

「ご、ごめん」


 さ、と退くと、ケラケラと笑いながら出ていく女子生徒二人。

 甲高い声の中に、「デブ」という言葉を拾い、僕はぶつけられた女子生徒を見た。

 その子は気まずそうな顔で、「見ての通りデブなんで」と言う。しまった、と僕は思った。僕の視線が、その子にそう言わせてしまった。


「あの、何か伝言があったら伝えますが」

「あ、うん。じゃあ放課後生徒会室に来てって伝えてくれる?」


 そう言うと、わかりました、とその子は頷く。


「ええと、名前は」

「あ、原田です」

「原田さん。相生さんとは、仲良いの?」

「いえ、一時期隣の席だっただけで」


 でも、と原田さんは笑った。


「相生さん、何時も優しいから。席違っても、よく話しかけてくれるんです」

「……もしかして相生さん、原田さんの名前呼んでる?」

「? ええ」


 その言葉に、そっか、と僕は頷いた。





「こ、これ、いただいちゃっていいんですか!?」


 高級チョコ菓子に目を輝かせて、彼女は言った。


「うん。サイン本のお礼」

「え、いいのに……というか、それ随分前の話ですよね」

「うーん、聞いちゃったからなぁ」


 はて? と首を傾げる彼女に、僕は宮原さんから聞いたことを思い出した。


『相生ちゃんね、赤田先生への質問タイムで誰も手をあげない中、真っ先に手を挙げてね、「サインしていただけますか!?」って言ったらしいのよ』


 顧問の先生から聞いたと宮原さんは言った。


『それでその後、サインで通されたらしいのね。そしたら、「あ、私の名前じゃなくて、「中川誠」って書いてください」って。その後「私も」って言い出して、想定してなかったサイン会が始まったらしいわよ~』


 愛されてるわねー、とコロコロ笑いながら言う宮原さんに、僕は彼女のその様子を想像して笑ってしまった。


「……僕の下の名前、よく知ってたね」

「あ、私ディスられてます?」


 お世話になってる先輩の名前ぐらい覚えますよ、と頬をふくらませて言った。

 だよね、と僕は笑う。


「あ、原田さんにこれ一つ持って行っていいですか?」

「あ……どうだろ、それ、あまり日持ちしないから」


 そうですか、と彼女は言った。


「困った時、声をかけられるの、彼女しかいないんです。私。だから何かお返ししたくて」


 ああ体格……とここまで出て考えを追い出す。

 あの出来事を見てから、原田さんの姿を思い出すと、「デブ」という単語が浮かんでしまう。


「ちょっと今元気なくて。悪口言う奴がいるからなんですけど。なーんで、体型をとやかく言うんでしょうねぇ」

「違うことが『悪い』と思っているからだろうね」


 物分りがいいように、僕は言った。

 自分だって同類なのに。

「デブ」という言葉を聞く前はちっとも思わなかったのに、違いを悪し様に言われるとそればかりが目に付いた。

 偽善ってこういうこと言うんだろうな。

 出る杭は打たれる。多様性が、とか、個性が、とか言っても、それが社会なんだろう。

 暫く会話が途切れ、その間彼女は難しい顔をして考えていた。


「私なんか、違いが明確にないと、声掛けられないんですけどねぇ」


 誰が誰だかわかんなくて。

 彼女の言葉に、俺は目を見開く。


「だって、私が小説なんて誰もやらないことしなきゃ、会長に声掛けられなかったでしょ? 会長に声掛けて貰えたから、私も会長を認識できたわけで。

 誰かと違うって、その人だってわかる『付箋』みたいなものじゃないですか?」


 そう彼女は一度言葉を区切って。


「……会長って、笑いのツボわからないですよね。なんで笑ってんです?」


 知らないと不審者ですよ、と容赦なく言う彼女。

 ごめん、と言いながら、僕は言った。自分も、こんなに笑う人間とは知らなかった。

 

 同じ姿で、同じことをして、同じ考えで。

 そうして出ない釘は、裏を返したら「取り替えのきく釘」なのかもしれない。

 彼女から見る「普通の人間」が、皆同じ顔に見えるように。

 そう考えると、カッコつけて世の中を悟ったようなことを考えていた五分前の自分がおかしくて、無性に笑いがこみあげてきたのだ。



「そろそろ生徒会引退なんだけどさ」

「話しそらし方下手ですか?」

「今は引き継ぎで忙しいから無理だけど、春休みになったら、遊びに行かない?」

「遊びに? どこへ?」

「うーん……映画とか?」


 僕がそう言うと、実写はやめてくださいね、と彼女は言った。


「誰が誰だかわかんなくなりますんで!」

「やっぱりそうなの?」

「イケメンの違いがわからねぇ!」


 そう言い切る彼女がやっぱり面白くて、また僕は笑ってしまった。




    ▪


 世界的猛威を振るう新型ウイルスが流行した。

 県からの外出自粛命令が出て、高校は早めの春休みをとる事になり、彼女との映画の約束は流れてしまった。


 四月の後半。

 これ以上は休めないと言うことで、遅めの一学期が始まった。

 それでも始業式は危ないということで校内放送で行うことになり、マスクはできる限り着用になった。


 廊下ですれ違う。

 彼女がいないか。

 マスクじゃ半分顔が隠れて、誰かがわからない。

 特徴的な前髪を無意識に探した。


「相生さんっ」


 呼びかけると、振り向いたのは見たことがない女子生徒だった。


「あ、……ごめん」

「いえ」


 頭を下げて去る時、「どうしたの? 知ってる人?」「ううん、人違いだったみたい」という声。

「ま、皆マスクしてるしね」

「高校入学でこんなことになるなんてねー」

 どうやら一年生らしく、生徒会長じゃない僕は、ただの人違い野郎だった。

 ……よく考えたら、知らない生徒が三分の一いるんだよな。


 すれ違う女子生徒が、みんな同じように見えた。


「……会長、会長」


 彼女は、こういうことを繰り返していたんだな。

 違ったらどうしよう、なんて思った。声をかけるのが、怖くなったりした。

 前を歩く人たちに取り残された気分になって、何だかすごく、途方にくれてーー。



「中川先輩!!」


 ぱんと、何か弾けるように我に返った。

 後ろを振り向くと、マスクで半分覆われた顔がーーけれど特徴的な前髪で、彼女だとわかった。


「もー、良かった。さっきから声掛けても反応しないんですもん」

「え」

「送信したのに、気づかないし」


 そう言われて、慌ててポケットに入れたスマホを見る。

 通知は、五分前にメッセージが届いたことを知らせていて。


『見つけた!』

 というメッセージがあった。


「……いつ?」

「さっき、階段の前通ってたでしょ? 私、その上にいたんですよ」


 気づきませんでした? と言う彼女は、きっと笑っているんだろう。

 でも良かった、と続けた。


「見つけられて」


 ……見つけてくれた。

 顔も隠れて、生徒会長でもない、誰とも区別がつきそうもない僕を、彼女は見つけてくれた。

 声を掛けてくれた。


 それが本当に、嬉しかった。

 

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五分後の、あなたへ。 肥前ロンズ @misora2222

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