アートと紙一重

 ビルから首を吊る。


 自殺。他殺。吊る。吊るされる。

 いや、今回のこれは、そんな言葉で終わらせちゃいけない。一体だけならまだその言葉で終わらせてもよかったんだ。……いや、良くはないか。断じて笑えない。


 古びたビルの壁に杭を打ち、そこに赤いロープでまるでアートのように飾りつける。薄汚れた白であったであろう壁に段違いに等間隔で並べられる数体の遺体。


 死を冒涜。

 今までで、これほどにタチの悪い依頼は来たことはなかった……





 ******


「彰さん。 ……死ぬまでに見たいものってありますか?」

 冬の低い空を見上げて、低く澄んだ声の賢太郎がテーブルの上に珈琲を丁寧に並べていく。俺はそれを横目に欠伸を噛み潰して返事をする。


「ふぇんふ…… な、なんだって?」

「ですから、死ぬまでに…… って、もういいです」

「……おまえ、今、面倒くさいと思ったな?」

「……ええ。ものすごく」

「そうね〜 死ぬまでに見たいものか」

「聞こえてるんじゃないですか…… それに『ふぇんふ』ってなんですが…… 気味が悪…… いえ、なんでもありません」


 賢太郎さん、今『気味が悪い』って言いかけたね?

 ねえ…… 気味が悪いって…… ねえ……


「ねえねえ! それなんの話ぃー?」

 間を割って入ってきたのは、西口だった。


「おや、西口くん。おはようございます」

「うん。おはよう。賢太郎さん」

「西口くんは、死ぬまでに見たいものってありますか?」

 賢太郎は肩の力を抜くと微笑んで、マシュマロの浮かんだココアの入ったカップを優しく手渡す。滅多に表情を変えない賢太郎が微笑みながら質問をする。どういうことだ。俺だってもう覚えていないくらいだぞ。今の微笑みはなんだ? それにさっき俺のこと気持ち悪いって…… いや、気味悪いか? いや、どっちにしたって酷い言いがかりだ。


「ん〜、死ぬまでに見たいものか」

「ええ、そうです」

「僕は大きな生き物に会いたい」

「大きな生き物ですか…… 例えば?」

「キリンとか象は動物園に行けば会えるよね。そうじゃなくて。たとえば、そうね〜 海の生き物だったり、森に棲む大きな生き物に僕は会いたいな」

「ああ…… 私はそういうのに会ったら動けなくなりそうですね」

「僕だってそうだよ。怖いっていうか、圧倒されて動けなくなりそう。きっと声を忘れたみたいになっちゃうと思うんだ」

 二人の会話に入りたくて、俺の指先がそわそわする。それを気づかれないように声を出しかけた時に事務所の電話がけたたましく鳴り響いた。


「蜂谷彰探偵事務所です…… はい、はい。ええ、すぐに…… 蜂谷さん、お電話です」

 橘が少し怪訝な表情で電話を俺に渡した。



 case

 東雲(しののめ)

 闇が近く夕暮れ。野に群生するコウスイハッカ。繁殖率が非常に高く、かつては人間よりも長生きすると考えられていた。地上部は冬には枯れるが根は数年生きる為、雪解けと同時に成長を始める。雪が積もる時期に出た葉が雪の下で枯れずに冬越しすることからも分かるように非常に耐寒性に優れている。


 こういう普通が怖くなる時がある。

 何もなければいいけど。

 ただ俺は、平穏で居たいと思ったんだよ。




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鎌倉 幽専萬屋 番外篇 櫛木 亮 @kushi-koma

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