蓮の花と、小さな恋と。

 あの依頼から数ヶ月後。なにひとつとして進展せず、解決しなかった蟠りに彰は頭を抱え、それに付け加え、西口はあの土地に行こうとはしなくなった。

 ――そんな、矢先のことだった。

 

 鎌倉某所の蓮の花が綺麗に咲き乱れる季節。人工池で子供の遺体が上がる。ずっとみつからなかった少女は、もう数十年経っているのに年月が止まったように、居なくなったその日のままの春色のワンピース姿でみつかった。片足に赤いスニーカーを履いて。


 少女の脚と腕には蓮が絡まり、少女をナニカから大事に守っているような姿に第一発見者の目には、そう見えたそうだ。その美しく守られた彼女は微笑んでいるような表情だった。

 現場に呼ばれた俺には、その姿はまるで怪異がらみのように思えた。さすがにうちの事務所でさえこの事件には、これ以上は手をつけることはなかった。

 彼女の家族がこれ以上は大事にはしないでほしいと懇願したそうだ。さすがの警察も不思議な件にお手上げだったらしい。

 そりゃそうだろう。数日でも水に浸した遺体など、水分を含みボコボコになって、別人のようになるんだぞ? それが、まるで数時間、いや、数十分しか経っていないような姿で、歳も重ねない少女のままだったんだ。そんなもの無理もないさ。


 後日、俺は花屋の寅路に話を伝えに店に訪れた。某所の人工池の周りで小さな頃、彼女と秘密の時間を過ごしたと寅路は、ぽつりぽつりと話し出した。


 「夢の中で、ひなちゃんは…… 彼女は、最後まで何も言わないで蕾のままで枯れていくんだ。なのに…… それがとても魅力的だった……」

 寂しいのに無理して笑う成田寅路は、今にも泣きそうな顔をして、嘘を隠す子供のように指先にキュッと力を入れる。俺は、それを黙って見ていた。


 「揺れる睫毛も、僕の声をちゃんと聞いてくれる耳も、人混みの中、僕に気がついた目も、美味しいねって笑った、優しい口元も好きだった」

 一瞬、遠くを見て傍に置いてあったガーベラの鉢を持ち、寅路は俺を見てふっと肩の力を抜く。

 「なのに、あの時、僕はそんな彼女の笑顔が消える瞬間を見たんだ。振り返った顔は確かに笑っていた。だけれども、水辺に映ったひなちゃんの笑顔がすっと力なく消えていく、冷たさと悲しさを含んだ顔が、今でも…… 忘れられないでいる」

 後悔の念。あの日、見たかったテレビ番組を諦めて彼女と一緒に帰っていれば、と彼は口元を歪めた。


 あの日、成田兄弟の家で見た廃墟のような家の姿は何が言いたかったのだろう。彼女は身体から抜けた魂の姿でずっとあの家に居たのかもしれない。痺れるような悲しみは、寅路少年にずっと伝えられないまま。怖かったよという気持ち、私は寅路くんが好きなのと言いたかった小さな想いも。伝えられないまま池に足を吊られるように、引きずられるように落ちたのだろうと俺は思う。彼女が歳も重ねない姿で見つかったのには、幾つか考えたことがあって鏡の兄貴に相談もしてみたんだ。


 俺の兄貴いわく。

「あの人工池…… 数年間、ずっと花が枯れたり、池の生き物が死んだりと、色々あったみたいじゃないか。人工池とは言え、今は緑も多く、水鳥が住み着き、鯉や亀まで楽園のように生きているんだ。大したもんだな。あの池のヌシか? あの子を大事に守っていたんだろうよ。 俺が思うにね、子宝に恵まれなかった元人間の怪異に見初められたんじゃないかなって。まあ何を言っても、もう遅いんだけどさ……」

 兄貴はこうして、今は、まるで俺の相談役のように話を聞いてくれる。とても助かっている。ありがたいことだ。


 人は後悔をする生き物だ。

 過去の後悔は、誰にでもある。


 ――あの時、こうしていれば。あの時、こう言えば。俺にだってあったさ。たくさんあったさ。


 けどな、それをずっと呪いのように自分に乗せちゃ駄目だ。彼女がそれで、喜ぶかい? それで前のように笑ってくれるかい?


 そう言った俺の前で立っていた成田寅路の表情は、一瞬だが柔らかくなった気がした。


「彰さんは、お花が好きですか? 小さな白い花が咲くと、その後に緑の袋になるんですよ。後にオレンジの綺麗な色になるんです。知ってますか?」

「ホウズキだな……」

「ええ、これ良かったら差し上げます。大事に育てて下さい。オレンジの実になったら、また西口くんと一緒に店に来てくださいね」

 寅路は優しい笑顔で俺に鉢植えを差し出してくれた。

 皮肉なもんだね。鬼灯ときたもんだ。嫌でも思い出す記憶。

 今年の夏は、壬生の町、実家に帰ろうかと思った。帰る度に、俺を落とすスリーパーホールドをかけてくる小さな姿のままの兄貴に逢いに。

 それから、母の笑顔に逢いに。

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