忘れられた花。枯れない庭に君は何を思う。

 椿の花の悲しいお話を知っている?

 愛するが故に嘘を吐いて、裏切らなければいけなかった。私が貴方を愛したが為に悲しい未来が見えていたのね。

 きっと、身分の違いに怖くなったのよ。貴方は高貴な、お家柄。私は路上で堕ちた花。

 赤く染った指先に、誰も手を差し伸べなかったのよ。それが私。

 だから、私は貴方を裏切らなければいけなかったの。


 ずっと、きっと、これからも愛してる。

 貴方だけを愛してる……


 そんな、お話。



 *****

 俺たちの車は、依頼人の兄が経営する花屋のある町に到着する。

 今じゃ、考えられないほどに悲しい話と寂しさを背負った土地に。


「ダンデ・ライオン」

 綺麗な花たちに見守られた店。

 成田義兄弟の店。辛いことがあっても訪れると癒される店。ここで買った花をプレゼントに持っていくとその貰った人は幸せになれる。とか。プロポーズをするために花束を買うと必ず成功した。とか。

 不思議なほどに、様々な幸せを噂された店だった。


 車を降りると、海の匂いがする。もう少し坂道を下ると海が見えるのだが、残念なことに、ここからじゃ、マンションや他の建物で見えなかった。西口が残念そうな表情をする。俺も少し思った。これだけの坂だ、昔は良く見えただろうに。

 今回の依頼は、店主、成田雪路の義弟の成田寅路の居なくなった友達の捜索だった。それも、もうかれこれ、数十年経っている行方不明の少女。警察も家族すらも、諦めた失踪事件だった。

 学校から帰って、ランドセルを玄関先に投げ、急いで自転車でその友達と池に遊びに行った。ザリガニ釣りをしたり、石切りをしたり、池の周りを冒険したり、毎日のようにたくさん遊んでいた場所だったそうだ。その日に限って、どうしても寅路は見たいテレビがあった。彼は、その友達に黙って先に家に帰ってしまったのだ。そう、「おいてけぼり」 に彼女はされてしまったのだ。

 その日の夜に、警察が寅路の家に来て「彼女が家に帰っていない。君はいつも一緒に遊んでいるそうだが、知らないか?」という話だった。寅路少年は、急に怖くなって咄嗟に嘘をついた。

「今日は、一緒に遊んでいないから! 僕は知らないから!」と首を横に振って力いっぱいに目を閉じていた。

 池の淵に赤いスニーカーが片方だけ泥に汚れて落ちていたそうだ。あとは何も見つからなかった。捜索は続き、池の中の捜索はダイバーが潜ったが彼女は見つからなかった。迷子になったのではないかと探したが、やはり見つからない。親も身内もビラを作り、店や色んな場所に貼った。駅前で声を出して、聞き込みもした。それでも、目撃情報もなく、やはり何も見つからなかった。年々と諦めたようにボランティア活動も減っていく。最後まで諦めなかった両親も年老いて、心のどこかでいつかきっと彼女が帰ってくると信じていた。それでも、未だに靴の片方だけしか見つかっていない。生きているのかすら分からないままだと、寅路さんは悲しげな視線を落とす。



 店の裏に家があるから 「どうぞ」と彼は俺たちを招き入れた。小さな庭が俺たちを綺麗に迎え入れてくれる。小さなイングリッシュガーデンとでも言えばいいのだろうか? ため息がこぼれる程に美しかった。白い木造の平屋建て。絵に描いたような可愛らしい家だ。西口は驚いて開いた口が塞がらないようで、俺はその口元をそっと上に持ち上げてやった。かこんと音がした口元を擦りながら、西口は俺の顔を見て 「ウチの事務所と何が違うの? 雰囲気は結構同じじゃない。なのに…… こうならないのは誰のせい? 僕? 違うよね? 彰さんの所為だよね? ね? ね?」と、俺の腕を掴んでくる。とりあえず落ち着いてくれと、何も言わずに肩を押さえた。

 家の中といえば、綺麗に揃えられた家具に大きめの窓からは、外の明かりが優しく注がれる。出窓には、青々とした観葉植物と可愛らしい花の小鉢が並べられている。とても丁寧な部屋だった。さすがの俺からも小さなため息が出た。

「うちだって同じような平屋建てなのに…… 何故だ? なぜこうも違うのか」

「彰さん、それ、さっき僕が言った……」

「お茶を入れますから。どうぞ、お座りください」

 寅路さんは手際よく、とても立ち振る舞いも綺麗で、俺は呆れたくらいだ。それもそうだろう。長身にイケメン。スタイルもよく、そこそこの年の重ねた色白の肌。低く優しい声。憎たらしいくらいの隙なし男。そう思った時だった。家の電話が鳴り響く。お客様が多くて兄だけでは店がまわらないと電話があり、寅路さんは、店に一度戻ることになった。今日お渡しするはずの書類が足りないと思っていた俺と西口は同じ気持ちだった。


「私共も一度、事務所に戻ります」

「ああ、すみません。では、店は、あと一時間で閉めますので。一時間後に……」

「ええ。では、一時間後に」

 そう言って俺たちは一度、事務所に戻ることになった。


「ねえ、彰さん……」

「ん〜?」

「手土産ひとつなくていいんですか?」

「……何をお前は言っているんだよ、依頼で俺は呼ばれたんだぞ」

「そう、なんだけどね」

「おまえはいつも変だが、今日は一段と変なこと言うな?」

「……うん」

「認めんなよ…… 調子狂うだろ?」

 運転しながら、ぽつりぽつりと小声で喋り出した西口に、俺は笑って言葉を返した。


「どうした?」

「うん……」

「腹でも減ったか?」

「そうじゃないの…… でも、なんか焼き菓子とか、お土産で持って行かなきゃならない気分になったの……」

 流れる景色に見とれるように、西口は少し寂しそうに想いを声にする。


「じゃ、どこかに寄ってなにか、持っていくか?」

「ううん…… 大丈夫……」

「そうか……」

 なんとも歯切れの悪い会話だった。店の前に着くと、店は綺麗に閉めた後のようだ。俺は西口を連れて、薄暗くなった路地に入る。より一層の暗闇が俺たちを拒む。すっきりしない気持ちに押しつぶされそうだ。どうも様子がおかしい。それでも足を家の方角に進めていく。暗くなったせいか、庭が先程とは違って見える。イングリッシュガーデンと白い家は、廃墟の家のそれのように見える。庭に一歩足を踏み入れて、西口が一瞬にして身をたじろいだ。俺がインターホンを鳴らすが返事はなく、人の気配さえない。玄関の扉が少し開いていた。

 ノブに手をかけてゆっくりと扉を引く。すると白く何かが舞った。


「なあ…… 小一時間で、部屋ってこんなに荒れるのか?」

 壁紙がめくれ上がり、鼻の奥を刺激する異臭。それと、カビ臭い。天井にはあちこちに腐り落ちたように穴が開き、床には、落ちた天井の一部分が砕けて散らばっていた。扉を開けたことで白い埃が舞い、雪が静かに降るように床に積もっていく。


「さっきまで高級ホテルみたいに綺麗だった家に、あれだけのオシャレな部屋だよ? こんなのおかしいじゃない!」


 そんなことは、此処に居る俺が誰よりも思っただろう。もう数十年使われていない廃墟のように静かに誰かを待っていたのだろうか、古いアンティークの一人掛けのスツールが窓の外を見つめるために置かれているのだ。背筋に冷たい物が伝っていく。真冬に冷や汗が垂れていく。物悲しいくらいに、嫌な汗だ。


「いつからこの部屋使われていないの? ものすごくカビ臭いよ」

 西口はシャツの袖口で口元を覆った。その言葉でドアを確認する。間違いではない、表札も番地も合っている。玄関から続く廊下に置かれたアンティークの一人掛けソファー。このソファーも何故か窓の外を確認するかのように置かれていた。普通、こんな場所に置くか? 俺の首から下に向かって血が下っていく感覚があり、寒気がする。


「ねえ…… 部屋にも椅子が置いてあるよ?」

 朽ちた部屋に、廊下にもある、一人掛けソファーが一脚、やはり窓の外に向かって置いてあった。


「なんだか、悲しいね」

「……ん?」

「なんだかね。誰かの帰りを、ずっと待って居たのかなって思ったの」

「ああ、そう見えてもおかしくないな」

「なんだか泣けてきた……」

 西口は両手で顔を覆い、何度かため息を吐いた。俺は西口の肩に手をゆっくりと置くと、その場でしゃがみこみ、小声で語り掛けるように話した。


「西口、気をしっかり保てよ? そのままじゃ持ってかれるぞ。俺が思うに、外の世界に憧れていたようにも見えるな…… でも、なんだか嫌な感じが抜けない」

「……まさか、監禁事件?」

「いいや、そうじゃないさ。自らからここに居たんだよ。普通の家だ。大袈裟な鍵もない。いつでも逃げられたはずだ」

「じゃ、どうして?」

「そこまでは、分からないさ」

「ねえ、ポーチに小さなブランコが見えるよ? そんなのさっきあったっけ?」

「いや、なかったな。それからな、外に出れないようにされていたかもだな…… ロープか何かで囚われたように身動きが取れなかったのかもだ」

「そうかも…… でもね? 僕には此処にそんな恐怖の過去は見えないのね。悲しみはなんとなく感じるけど。そうだ! 彰さん、鏡、手鏡を開けてみたら?」

 西口は俺の胸ポケットに目をやるが、俺は首を横に振り西口の頭にそっと手を置く。


「あの手鏡はそういう風には使えないのさ」

「そっか……」

「此処に居ない者の声までは、俺には聞こえないんだよ」

「え…… 居ないの?」

「此処には、誰も居ない」

「誰も居ない部屋…… ん?」

「……ん?」

「此処じゃないんだよ!」

「ここまで何かを伝えたい部屋の癖にか?」

「今回の案件じゃないね。過去の何かはありそうだけどね」

「なるほど…… な……」


 俺たちは、成田寅路を探しに、もう一度、路地を抜けて店の前に出る。

 すると、どうだろう。店はまだ閉店していない。店の前には、数人の女性客が二人を囲むように談笑していた。俺と西口は顔を見合わせて、路地にもう一度視線を移した。街灯が道を照らしてる。蝶がその街灯のあかりの下を舞ったと思うと消えていく。淡い鱗粉をゆっくりと雪のように降らしていた。


 *****


 ねえ、あのとき、寂しかったの?

 どうしていなくなっちゃったの?

 そこに居たかったの?

 誰かを待ってたの?


 それとも……


 ううん。これ以上は言っちゃダメだよね。

 根掘り葉掘りと聞いちゃダメなんだよね。

 大事なことは、あなたの心に隠しておこう。

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