可愛い猫には

御剣ひかる

かわいい動画を撮りたかっただけなのに

 朝、駅に向かう道の途中でよく猫を見かけるようになった。

 縄張りの配置、ん、配置って言っていいのかな? とにかく生活拠点が変わったのか、この一か月ぐらいで数匹の猫が駅までの一キロ弱の住宅街のあちこちに現れ始めた。


 トラやブチ、黒猫もいるけど、中でも目を引くのが真っ白い子。安直だけど、勝手にシロちゃんって呼んでる。

 ふと気配を感じると、ちょっと後ろのどこかにいたりする。


 まだ子猫といっていいぐらいの小さい猫だ。飼い猫なのか、つやつやそうな毛並みで汚れもない。目は薄い黄色で、光の加減によっては青みがかって見える時もある。

 塀の上に伏せてたり、屋根の上に寝転がってたり、前は虫を捕まえようとぴょんぴょんしてるのを見た。すごくかわいい。毎朝の通学の癒しにさせてもらってる。


 でもスマホで撮ろうとすると逃げちゃうんだよ。すっごい勢いで。

 こっちに気づいてないと思ってそーっとスマホだすと、ぱっと目を大きく開いて、しゃっとカメラから逃げちゃう。


 勘のいい子なんだなぁ。

 いつもどこにいるか判らないから探しながら歩いてるのに、いつも通り過ぎてから気配や視線を感じて振り向いてるぐらい鈍いわたしは、シロちゃんを見習わないといけないかも。


 そんな話を学校でしたら、友達がどんな子か見たいって言い出した。

 けどみんな別の駅だし、帰る時間も部活があるかないかでバラバラだし、そもそも帰る時間には見かけないし。


「写メってきてよ」

「だから、撮れないんだってば。スマホ向けると逃げちゃうんだよ」

「どんだけシャイなんだよソイツ。ますます見たいじゃん」

「じゃあ、撮影モードにして鞄の外にレンズ向けとくのは?」

「あっ、それいいかもね」


 なるほど。もしも何かを向けられることに怖がって敏感になってるなら、その方法だったら撮れるかも。静止画もいいけど動画でシロちゃんの可愛いしぐさが見られたら最高じゃないか。


「試してみるよ」


 いい案をもらえて、明日の朝が楽しみになった。

 休みの日以外の朝が楽しみになるなんて、シロちゃんに感謝だ。




 次の日の朝、鞄の外にスマホを固定させて、撮影モードにして駅までの道を歩いた。


 シロちゃんはいない。

 そのかわりって感じで、他の猫ちゃん達が寄ってきた。

 わたしが歩くと並ぶようについてくる。

 可愛すぎでしょ、もう。


 でも。


 みんな急に立ち止まった。ほんとに、合図でもされてそれに従うみたいに。


「え?」

 びっくりして、思わず声が漏れた。


 わたしも立ち止まって猫達を見まわす。

 猫達はじぃっとわたしの顔を見つめてくる。

 何かを訴えかけてるような感じで。

 その顔が、雰囲気が、なんか、こう、嫌な予感というか、心がざわざわするっていうか。


 猫達の態度も気になるけど、それよりも。

 なんか、ヤバいものが来る。

 根拠もないけど、そんな感じがした。


 気配が、ぞわぞわっと背中をなでた。


 その瞬間、それまでわたしをじぃっと見てたみんなが、いっせいに逃げ出した。一目散に走ってく。

 まるで、後ろから恐ろしいものが来たかのような反応だった。


 あの背中をなでる感覚が強くなった。

 振りかえっちゃいけない気がする。

 けど、まるで操られるみたいにわたしは体ごと顔を後ろに向けていた。


 シロちゃんが、塀の上にいた。

 他に何がいるわけでも、何があるわけでもない、フツーの光景。

 怖い雰囲気も、なでられてるような感触もいつの間にか消えてた。


「なぁんだ、シロちゃんじゃん」


 わたしは笑顔で白猫ちゃんに手を伸ばした。すり寄ってくるシロちゃんと戯れつつ、そういえばスマホで撮るチャンス、と鞄をそっと猫ちゃんに向けた。


 それまで甘えてきてたシロちゃんは、はっと顔をあげたかと思うと塀の向こうに飛び降りてった。


 本当に察しがいいなぁ。

 でもちょっとは撮れたかもしれない。

 スマホの撮影モードを解除して鞄にしまった。




 学校の最寄り駅まで二駅だし、混んでるからじっくり落ち着いて動画を見る雰囲気じゃない。

 シロちゃんが撮れたか早く確認したくて、教室に跳び込んで自分の席についた。

 スマホを取り出すと、友達が寄ってきた。


「カワイイ猫の画像撮れた?」

「今から確認するところだよ」


 映像を再生してみる。

 最初の方で、シロちゃんじゃない子達が映ってる。

 教室に「かわいいー♪」コールがこだました。

 声大きいよ、とか言いながらわたしもニヤけてるのは判ってる。


『え?』


 スマホから聞こえたわたしの声に、はっとなった。

 そうだった。なんか怖いものが来るって感じたんだっけ。


「猫ちゃん達、立ち止まったね」

「なんかあったん?」


 聞かれて、あの時のことを説明しようとした。

 ぞわっと、悪寒が走った。


 画面に、ありえない何かが映ってた。

 黒いモヤの塊が画面を横切った。多分ここが顔ってところに二つの光る赤い目のようなものがあった。


「ひっ」

「なに、さっきの」

『なぁんだ、シロちゃんじゃん』


 スマホの画面を覗いてる友達が青ざめる中、スマホから呑気なわたしの声が応えた。


 あれが、シロちゃん?

 なんかの間違いでしょ。


 この後、シロちゃんを写そうとして鞄を傾けたんだっけ。そしたら普通の白猫が映ってるはず。

 さっきのは画面がぶれたとかそんなんだったんだよ。


 わたしの祈りにも似た希望は、あっさり否定された。


 ちらりと画面に入ったのは、やっぱり黒いモヤだった。

 赤いぎらぎらする目が、カメラを見た。


「きゃー!」

 友達の悲鳴が教室に響いた。


 わたしは声すら出てこないまま、呆然とスマホを眺めてた。

 友達の声に、なんだなんだとクラスメイトが集まってきた。


「すごいよ、恐怖映像だよっ」


 恐怖から立ち直った友達がわたしのスマホを取り上げて映像を再生して周りの子に見せてる。

 教室中が、大騒ぎになった。


「心霊特集の番組とかに出したらいいんじゃない?」


 そんなふうに言われても、わたしはうなずけない。

 なんで、あのかわいいシロちゃんが、あんな怖いモヤモヤになってるんだろ。

 それしか考えられなかった。


「こら、おまえら、チャイムとっくに鳴ってるぞ。席につけ」


 いつの間にか教室に担任の先生が来ていて、いったん騒ぎは収まった。


 今日一日、授業どころか友達の声さえも頭に入ってこなかった。

 あの映像、どうしよう。

 みんなが言うようにテレビ局に送ったりする気は全然ない。

 むしろ消した方がいいのかな、と思う。


 けど、どうしてもシロちゃんがバケモノみたいに映ってたなんて信じたくない。

 帰り道、電車を降りて一人になってからあの映像を見てみる。

 何かの間違いだったらいいのにって願いむなしく、映ってたのは黒いモヤに赤く光ってる目。

 何が映ってるか判ってるはずなのに、やっぱり怖くて震えてしまう。


 やっぱ、消そう。

 そう思った時。


「にゃぁ」

 足元で猫の声がした。


 見ると、シロちゃんがいる。

 綺麗な毛並み、愛らしい顔、大きな瞳。

 いつものシロちゃんだ。

 手を伸ばそうとしたら、シロちゃんは走り出した。


「あっ、待って!」


 陽が落ちて来て暗くなった道を、外灯を頼りに小さな白猫を追いかけた。

 シロちゃんは路地裏にひょいっと入ってく。

 何の疑問もためらいもなく追いかけてった。


 そこは、行き止まりだった。わたしの目の高さぐらいの壁の上に、シロちゃんがいる。


「ねぇ、シロちゃんは、シロちゃんだよね」


 応えてくれるわけもないのに、そんなことを荒くなった息と一緒に吐き出した。


「あなたがそう呼ぶなら、その子はシロちゃんという名にしましょうか」


 後ろから男の人の声がかかった。

 えっ? と振り向いた。


 丸い月がのぼり始めた夜空をバックに、背の高い男の人が立っていた。短い髪、たくましそうな体、顔はよく見えないけど、笑っているように感じた。


「あっ、この子の飼い主さんですかっ」


 そうだった。すごく綺麗だから、きっとすごく大切にされてるんだ。勝手にシロちゃんと言ってたのは失礼だと思った。


「ごめんなさい、わたし、勝手に」

「いいんですよ。これも何かの縁です」


 ドキっとした。


「綺麗な月にふさわしい、素晴らしい出会いに感謝です」


 甘い声でそんなスラスラっと言われて、ドキドキが早まった。

 でも、そのドキドキが違う意味になった。


 男のの上半身が、変わってく。


 服が裂け、盛り上がった体に白と黒い毛が生える。

 顔も変わり、口が裂け、牙が覗く。

 虎のような顔の中で、目が、赤く光った。


 ありえない。けど目の前で起こってる現実に怖くて声も出ない。


 足が震えて動けないわたしの横を、シロちゃんが嬉しそうにすり抜けて、獣の彼の肩にぴょんと跳び乗った。


 半人半獣の彼がうなり声をあげながら、のっそりと近づいてくる。


 悲鳴を上げる間もなく爪の伸びた手に捕まえられた。

 間近に迫ってくる赤く光る眼と鋭そうな牙に、恐怖で気を失った。




 目が覚めたら、どこかの部屋の中だった。

 わたしは絨毯の上で眠っていたみたいだ。

 ぐるっと周りを見ると、家具があんまりない、質素な部屋だ。


 ……わたし、生きてる?

 けれどすぐに異変に気付いた。

 立ち上がろうとしても、四つん這いにしかなれないし、すぐにそれを当たり前と思った。


「目が覚めた?」


 聞こえてきたのは、あの夜の男の声。


 彼に、に抱き上げられて優しく撫でられる。

 あったかい、ちょっとくすぐったくて気持ちいい。

 あぁ、なんて幸せなんだろう。嬉しくて喉を鳴らした。


「さ、おまえも食事を探しておいで」


 床に降ろされて、役目を認識する。

 そうだ。ご主人様のためにエサを探してこないといけないんだ。

 次の満月までに誰かを魅了してご主人様のところに連れていけば、たくさんほめてもらえる、優しくしてもらえる。それこそが最高の喜びだ。さっき味わった心地よさを心の中で呼び起こして、期待に胸を膨らませる。

 先輩達に負けないように頑張らないと。


 わたしは開けられた窓から、ぴょんと外に跳び出した。


「わぁ、かわいいネコちゃんだ」


 わたしを見て嬉しそうに目を細めてる男の子がいる。

 よし、この子にしよう。



(了)

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