オアシスの応急処置

 村長さんの家の資料室に通って2日目。

 それはやっと見つかった。資料室ではなく子ども部屋で。


「この絵本……初めて見る」


 資料室に乱入しようとした村長さんの孫をヒューベルトさんが容赦なく抑えつけて泣かせてしまったため、多少申し訳ない気持ちになってマルヤーナさんと部屋まで送ってあげたのだ。そこで、何気なく目に入った本棚の絵本の中に、砂漠領に伝わる創世初期の物語があった。


「補佐領って、領地ごとにこういう創世物語みたいなのがあるよね」

「そうなのか?」

「うん。穀倉領だと、領主様が怠け者で不作になってしまった話とか、森林領だと山ごとお城を移築したりしてるでしょ?」

「ああ、そうだな」


 パラパラ開いてみると、火山領の最初の補佐領主様が、砂漠のあちこちに湧水システムを構築した話だった。


「だが、子ども向けの絵本だろう?」

「うん。でも、こういう古い話で、全くのでたらめがこうして言い伝えられるっていうのはあんまり多くないってペッレルヴォ様が言ってたの。どこかしらに何かのヒントがあって、それが隠されたり省かれたりしてしまってることが多いんだって」

「へぇ」


 資料室に戻ってダンに絵本の話をする。


「その湧水システムっていうのがオアシスなんじゃない?」

「なるほどな」

「だったらさ、それを作ってるのは神呪だよね……」

「………………」


 ダンとヒューベルトさんが盛大に顔を顰める。


「創る時に神呪を使ったとして、それが残ってるとは限らねぇぞ」

「でも、水が引きあがってるんだもん。どこかに井戸みたいな神呪があると思うんだよね」

「あったとしても水ん中だ」


 ダンの言う通り、わたしがあの神呪を見つけられたのは、偶然水が上がらなくなった井戸があったせいだ。現在水を湛えいてるあのオアシスの中に飛び込むのが無謀だということくらいは、わたしにだって分かる。


「うーん……1度干しちゃったら怒られるよねぇ……」

「当たり前だ!」


 ヒューベルトさんは怒鳴るけど、後で元に戻すのなら別にいいような気もする。


「戻せる保証もないのに勝手な真似はするなよ」


 ダンからも釘を刺されてしまった。しょうがない。他の方法を考えるしかない。


「うーん……じゃあ、やっぱりオアシスの原理を探すしかないなぁ」


 でも、あれが人口のものだと分かっただけでも大きな前進だ。使われたのが神呪ならば、何をしたのか見当が付きやすい。少なくとも、自然現象だと言われるよりは余程身近に感じる。


「……アキにとっては自然現象より創世神話の方が身近なのか……」


 驚いたようなマルヤーナさんの呟きに若干の呆れが混じっているのは気のせいだろう。






「うーん……ないねぇ」


 資料はまだ部屋に半分ほど残っている。これを残り2日で読めるかどうかも微妙だが、読めたとしてもそんなにギリギリでは何をする時間も残らない。


「いっそ、あのオアシスで水を引き出す神呪使ってみようかなぁ」

「それでは、根本解決にはならんだろう」

「でも、わたしはこれから少なくとも1年半くらいは火山領にいるんだよ? もしかしたらその間に何か見つかるかもしれないじゃない」

「つまり、応急処置しとくってことか?」

「……そうしたら、水汲みがもう少し楽になるでしょ?」

「………………」


 ダンが迷っているのは、わたしがペトラに拘っているからだ。

 本心では、こんな村のことなんて放っておけと思っているだろう。それはわたしも理解できる。1年半後に開発室に入れるくらいになるのなら、その時にまたやって来て、ちゃんと処理すればいい話だ。だが、その1年半の間の、エファやコフィーたちを思うと、どうしても見ないふりをして通り過ぎることができない。だって、あの2人はペトラと同じなのだ。


 ……ペトラが今どこで何をしてるのか、分からないから。


 どうしても、罪人の子と聞くと、それがペトラと重なってしまう。ペトラが辛い思いをしているように思えてしまう。わたしにできることならやってあげたいと、思ってしまう。


「……我々とは関係ないことだと思わせれば良いのだろう?」

「ヒューベルトさん」

「ダン殿はたしかにアキ様の保護者で、アキ様のことは何でも知っているのだろう」


 ダンの咎めるような声に、ヒューベルトさんが首を振る。


「だが、少なくともあの城の中でのアキ様の様子は、ダン殿より私の方がよく見知っている」


 ヒューベルトさんの言葉にドキリとする。


 ……あ……そうだ。ペトラとのことは、ダンよりもヒューベルトさんやリニュスさんの方が詳しく知ってるんだ。


 今まで無条件にダンが一番分かってくれていると思っていたが、もしかしたら、もうそうじゃなくなっているのかもしれない。


 ……お城に住んでる時、ダンはわたしを見ていないんだ。


 お休み通信をしてはいたが、それでも実際にわたしとペトラの様子を見たわけではない。わたしがペトラにどういう話をしていたか、どういう感情を向けていたかは、ダンは直接見てはいないのだ。


 ……じゃあ、わたしのことを一番知ってるのは?


 無意識にそう考えて、違和感を感じて瞬く。


 ……ああ、違う。そうじゃなくて


 わたしのことを一番知っていてくれる人を探すのは、依存する相手を探そうとしているのだ。わたしが何も考えなくても、間違いなくわたしのためになることを選び、導いてくれる人を、わたしはまだ無意識に探そうとする。


 目を閉じてゆっくりと息を吐き、軽く頭を振る。目を開けると心配そうにこちらを見る3人の大人が目に入る。その、3人揃って心配している顔に、答えが落ちる。


 ……あ、そうか。わたしか。


 わたしのことを思ってくれているのも、わたしのことを知ってくれているのも、3人とも同様で。その重さには違いがあるだろうが、少なくともその感情の本質は変わらなくて。


 ……みんな同じ、1人の人間なんだ。

 

 ダンは全てを犠牲にしてわたしを守ってくれるし導いてくれる。でも、そのわたしという部分を省けば他の人と変わらない、自分の人生がある1人の人間なのだ。そしてわたしは、今までダンの一部だった自分を卒業して、自分もまた1人の人間として立とうとしている。


 ……自分のことを一番知ってなきゃいけなくて、自分の将来を一番真剣に考えなきゃいけないのは、自分なんだ。


 自分のことを判断するのはダンだった。それはたしかに自分が選んだことで、間違ったことだとも思っていない。何もできないわたしにできる最善の選択で、そこに他人の意思はないと胸を張って言える。だからこそ、切り替えなくてはいけない。もうわたしの最善の選択が、ダンではなくなっているのだ。


 ……怖いな。


 自分のことを全て自分で決めるには勇気がいる。知識も経験も足りない中で、本当に正しいことが選べるのだろうか。


「アキ様は、あの子らを放ってはおけないだろう。だったら、何か手段を考える方が建設的だ」

「まぁ、そうだね。わたしは詳しいことは分からないけれど、失敗した時には助ければいいだろう。子どもにとって大人とはそういう存在だ。しかも、わたしとヒューベルト殿はそもそも護衛だ。何かあっても、わたしたちが必ずアキを守る」


 正しいことを選べなかった時に1人で事態を収拾できるのかと、俯いて、追い立てられるように追いつめられるように考えていると、ヒューベルトさんとマルヤーナさんの何でもないような調子の声が耳に届く。


 ……あ、そうか。助けてくれる人がいるんだ。


 ペトラがいなくなった時に、どうしてわたしに助けてって言ってくれなかったんだろうと思った。きっとそんな風に、助けを求めれば答えてくれる人がいるのだ。わたしはその人たちを大事にして、助けてもらいながら、自分の決めたことを進めて行けばいいんだ。


「…………オレたちがいなくなった後で、動具を作動させてくれる人間が必要だ」


 ダンの言葉にハッと顔を上げる。


「ただし、口が堅くて秘密を守れる奴だ。そして、こちらの指示をきちんと守れる奴」

「……えっと……村長さん、とか?」

「いや、公的な立場がある奴はダメだ。上に命じられたら口を割る」

「え……じゃあ、エファとか?」

「口が堅いという条件ならコフィーの方が適任じゃないか?」

「うん……というか、コフィーに言うならエファにも言っといた方が良いと思うんだよね」


 マルヤーナさんの言葉に頷きながら考える。


「あの2人、基本的に一緒に行動してるでしょ? 予め両方に言っとかないと変にこじれちゃうかも……」

「そうだな。仲の良い姉妹のようだし、その方が返って秘密が守りやすいかもしれないな」


 マルヤーナさんと頷き合う。秘密を1人で抱えるのは辛いことだ。いっそ2人にした方が守りやすいだろう。


「……それでいいか?」

「え?」

「オレは今でも何かするのは反対だ。お前の選択は、本当にこちらでいいのか?」


 いつも通りの表情の中に真剣な色を帯びて、ダンが聞いてくる。こういう、身の危険が生じるかもしれない状況で、ダンの指示に従わなかったことがない。そこを敢えて強調して聞いているのを感じる。


 ……ちゃんと、自分で選ばなければならない。


 目を閉じて、エファとコフィーを思い出す。ペトラを思い出して、オアシスの村を思い出して、自分のこれまでと、これからを思う。そうして最後に思い浮かぶのは、想像の中のペトラの現状だ。

 自分がやろうとしていることが、完全に自己満足だということを意識する。誰にも何も求められていないことを、自分が勝手にやろうとしている。もしかしたら、それを望まない人もいるかもしれないのに。

 

「やる」


 ダンの目を見詰めてそう言うと、仕方ないというように一つため息を吐く。その表情に、思わず苦笑してしまう。


 ……ダンは、わたしがどんな選択をしても、何があっても、結局はわたしを守ってくれるんだよね。


 やっぱりダンはわたしの保護者だ。


「じゃあ、アキ。作動したらその痕跡を消すような動具を作れ」

「え? 消さなきゃいけないの?」


 残しておいた方が、また水位が下がった時に使えるんじゃないだろうか。


「一旦消しとけ。必要なら立場を得てから大々的に作れ。その方がお前の今後のためにもいいだろう」


 なるほど。出世するための切り札にしろということらしい。


「分かった。明後日までだね」

「ああ」






 水を引き上げる神呪は、いつも木の枝に描いていた。4歳の時にこの神呪を見つけていろいろと試した結果、木の枝に描いた時だけ成功させることができたからだ。それ以来、特に他のものに描く必要性もなかったのでずっと木の枝に描いてきた。


「最終的に崩れ去るってイメージだと、砂だよねぇ」

「砂には神呪は描けなかったではないか」

「だよねぇ」


 土の地面と違って砂はさらさらしていて、描いた端から形が崩れてしまうのだ。


「それなら、煉瓦はどうかな?」

「煉瓦?」

「あれは、砂を固めて干したものだろう?」

「おお~。マルヤーナさん、賢ーい!」

「おい、声が大きすぎだ。外に聞こえる」


 ヒューベルトさんと拍手しながらマルヤーナさんを讃えていたら、ダンに怒られた。そういえば、ここは宿で、わたしたちの話は人に聞かれてはならない秘密のものだった。


「うーん……音が漏れなくなる神呪とか作ってみようか」

「そんなものができるのか!?」


 ヒューベルトさんが予想以上に驚いている。もしかして、欲しい人がたくさんいるのだろうか。


 ……商売になるかな。


「できるんじゃないかなぁ。ペッレルヴォ様に聞いたんだけど、音って空気が震えて出てるものなんだって。だから、壁とか空気とかが振動を伝えないように固定しちゃえばいいんじゃないかと思うんだよね」

「……ハァ。それは開発室までとっとけ」


 ダンに止められたので、とりあえず一旦手を止める。でも、売れそうならば作っといて損はしないと思うんだけどね。


「では、わたしは煉瓦を手に入れて来ようか」

「そうだね。わたしは神呪が出来上がるまでここから出ないと思うし」

「いや、手洗いは我慢せずに行け」


 ヒューベルトさんには、街灯の時の状態が余程印象に残っているようだ。かなり強い口調で言われた。


「そんなに時間がかかるものなのか? この前描こうとしていたものなのだろう?」

「うん、そうなんだけどちょっと応用が必要だし、わたしそもそも、木以外のものに描いたことがないんだよね、この神呪」

「ああ、材質が違うと描く内容が変わるんだっけ?」

「そう」


 庶民の間にはあまり知られていないのに、ちゃんと知ってる辺り、マルヤーナさんはやっぱり官僚なんだなと思う。


「んじゃ、オレはもう一度あの資料室を見て来るから神呪ができたら呼べ。いいか、絶対に勝ってに作動させるなよ」


 ……ダンの中ではわたしは全然成長してないみたいだ。


「……アキ様。ブツブツ言いながら何か神呪を描こうとしていないか?」

「え? だって声は漏れにくい方がいいでしょ?」

「今、勝手なことをするなと言われたではないかっ!」

「え……だってそれ、水を引き上げる神呪の話でしょ?」


 わたしの冷静な指摘に、なんだかヒューベルトさんが頭を抱える。


「……なるほど。アキは頭のいいアホなんだな」


 マルヤーナさんがすごく納得した顔で頷いているのが腑に落ちない。というか、いくら周囲に誰もいないからって、お嬢様仕様のはずの相手にそんなこという護衛、普通いないよね。






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空が青いその世界は 静乃 千衣 @c_seino

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