駅から始まる恋物語
竹神チエ
想いが通じる五分前
ガタゴト……ガタゴト、キーッと停止。
「○○駅、○○駅。ご乗車ありがとうございます。お出口は左側です」
いつものことだが、ブレーキのかけかたが荒っぽい電車だ。クレームものである。毎朝の通学時間、うっかり寝ぼけまなこで立っていると、停車と同時に床へ顔面打ちすること百パーセント。
田舎の路線とはいえ、朝の時間帯はそれなりの数の乗客がいる。席は絶対に座ることができないし、手すりにつかまる人もたくさん……はいないが、ほどよくいる。つまり顔面打ちすると恥ずかしいことこの上ない。
麻央が下車する○○駅は、乗り換え地点でもあり、多くの人がここで路線を変更する。麻央は通学している女子高へ行くため、あまり乗車率の多くない車両に移動するが、大方の乗客は都市部へと続く路線に挑みに行く。あちらでは各駅停車のたびに人が増え、酸欠になる人が続出する、とかしないとか。
ぷしゅー、とドアが開いた。人の流れに乗りながら、麻央も、そして彼も下車する。麻央は女子乗車率が八割を超える、ほぼ女子高行き専用列車が到着するホームへと向かいつつ、軽く振り返ると、彼と目を合わせた。彼の方は、例の酸欠状態になる車両へとこれから挑みに行くのである。彼――飯田は都市部にある男子校の生徒だから。
「では」
麻央は短く言い、スカートをひるがえして足早に立ち去る。べつに乗車時刻が差し迫っているわけではない。むしろしばらく到着をベンチで待つことになるのだが、ここで長居をすると間が持たないのである。
飯田は「おう」と愛想なく答えたものの、すぐにその場をあとにすることはなく、人波の邪魔になりながらも、麻央の背を見送っている。彼の方ではあと五分で乗車時刻なのだが。
波しぶきをあげる灯台のように立っていた飯田は、麻央のエンジ色のジャケットが見えなくなると、やっと行動を開始した。アスリートさながらに俊敏に動きはじめ、ギリギリで乗り換え車両に乗車する、が彼のモーニングルーティンである。
麻央と飯田が出会ったのは、ふた月ほど前だ。
あの日の朝。麻央は電車内で、こくりこくりと立ったまま寝ていた。走行中は良かった。見事なバランス感覚を見せ、順調に夢の世界を堪能していた。が、電車は止まる。じゃないと暴走列車になるので。
よって、キーッと天地がひっくり返るほどの急ブレーキにあい、麻央が車両内で華麗な顔面打ちを披露しかけた、そのときだ。
ぐいっと強い引き。倒れかかる彼女を止める、救いの手である。おかげさまで麻央は鼻血を出すことはなかった。赤面はしたが。ズワイガニも動揺するほどの茹で上がりである。
ぱっと目が覚めた麻央の眼前には、凛々しい顔の男子がいた。凛々しいというか、いかめしい面だったかもしれない。それでも、「え!(ドキッ♡)」と胸がキュン上昇するくらいには好感の持てる相手であった。飯田である。
「ここで降りるんだろ?」
なぜ、わかったの! ……と麻央は0.5秒ほどトキメキの振動に震えたが、答えは簡単だ。女子高の制服、あの目立つエンジ色のブレザーに灰色のタータンチェックのスカートを着用してるのだ。朝からマニアックなコスプレ女子でない限り、彼女が下車する駅くらい予想がつく。そうでなくとも、多くの乗客はここで下車、乗り換え地点だ。
飯田は黒の学ランという恰好だった。肩にかけているボストンバックにプリントされた校章でもわかるとおり、県内有数のエリート校――ではなく不良校と名高い高校の生徒である。麻央はその悪の烙印のような校章に気づき、ひっ、と硬直する。
非常事態である。恐怖が麻央を支配した。
三秒以上関わると妊娠するとの噂がある、あの不良校の生徒の腕に、自分は身を任せている!
麻央は失神寸前になったが、「すみません、ありがとうございます」と口早に言うと、なるべく体を小さくして彼の腕から抜け出した。脱兎のごとく下車すると、お嬢様学園と名高い(内情はどうであれ)高校の学友が待つ、ホームへと急ぐ。
と、そんなことがあった翌日からである。飯田が電車内で麻央のすぐ横に立つようになったのは。鼻先が学ランの胸元にぶつかりそうなほど近い距離で、向き合っていることも。
麻央と飯田がともに電車内にいる時間は約十五分程度だった。麻央のほうが飯田よりあとに乗車して、彼女が出口ちかくの定位置に立つと、スッといつの間にか飯田がそばにいるのだった。麻央はその十五分間を恐怖の十五分と名づけた。まるで死刑執行前の囚人のような心持ちで耐えた――罪状は車内で寝てしまったという軽微な罪であるのに。
不良に因縁つけられた、いつか拉致されて怪しげな店に売り飛ばされる。麻央はすっかり生きた心地がしなかったのだが、飯田は「おうおう、ねーちゃん、この間はよくも俺様を突き飛ばして」などと言ってくることもなく、終始無言。ときおり、麻央を見ては、目が合うとそっぽを向く。
そうした謎めいた行動を重ねた数日後、飯田は麻央にポツポツと話しかけてくるようになった。
「何年生?」「名前は?」「部活入ってるか?」「得意科目は?」「好きなドラマや漫画はあるか?」「ペットはいるか?」「兄弟は何人?」
尋問のような会話によって、自分たちが同い年であること、飯田は剣道部、麻央は手芸部、得意科目はどちらも国語、最近ハマっているドラマも同じ、ペットは飯田は犬、麻央はハムスターだとわかった。
「おれは兄貴がいる」「わたしは妹が」
三秒以上も続くやりとりに、麻央はこのままではつわりが始まると警戒していたが、麻央の口からは朝食のオートミールではなく、笑顔がこぼれ出るようになった。飯田のほうでも仏頂面が次第に緩み、冗談も言うようになる。
麻央は飯田が笑うとえくぼができることを知った。頭ひとつ分以上大きな彼を、麻央はかわいいと思うようになった。麻央は手芸部の腕を振るって、飯田に手作りのマスコットキーホルダーをプレゼントすることにした。
初めは飯田が飼っているコリーを模した犬にしようと思ったのだが、男子高校生がわんこのぬいぐるみを持つのは抵抗があるかなと、ネットで剣道の画像を探して、防具を身に着けた剣士を作った。
「ちょっと下手だけど」
走行中の電車内。ガタンゴトンの音にかき消されそうなほどか細い声だった。目を合わせる勇気がなく、下を向いたまま、麻央は飯田に剣士のマスコットを差し出した。しばらく反応がなく、ちらと上を向くと、飯田はやっと受け取り、こくっ、とうなずいた。それだけだった。麻央は「いらなかったら捨ててね。暇つぶしで作っただけだから」と慌ててつけたした。彼が喜んでいないと思ったからだ。
しかし実際には、飯田は喜びと興奮のあまり、全世界に向けて感謝を叫び出しそうになるのを、なんとか耐えていたのである。ラリホーラリホーとスキップして乗客全員とハグする勢いだった。でもニヤケを封印した顔はいかめしく、口は一文字に引き結んであった。脳内は世紀の大カーニバルが開催中なのに、通夜のようだ。
「あ、あの」
麻央はショックで声が震えてしまった。そこで飯田もぎょっとして、「ありがとう、大切にする」とうわずった声を返す。麻央はホッと息を吐いたものの、彼の反応が遅かったことでモヤモヤとした不安が残ってしまった。
そんな男女の高校生たちのやり取りを、電車内は様々な反応で眺めていた。ある者はかつての青春を思い出し追憶に浸り、ある者は若人の語らいに耳をでかくして聞き入り、ある者はリア充爆ぜろと毒づいた。
さて、その日の午後である。
飯田は通学カバンにさっそくマスコットをぶら上げたことで、罪状が発覚した。コヤツ、彼女がいるっ!! クラスメイトたちは目を吊り上げて飯田を罵った。「チャラチャラしやがって。恥を知れっ、貴様パーティーピーポーか!」
ちがう、と飯田は叫んだ。こ、これは、か、かあさんが……。それはそれで恥ずかしい気もするが、麻央のことを勘繰られるよりは良いのであった。しかし、モーゼのごとくクラスメイトの群がりを割り登場した男子がいた。彼の出現により、飯田はさらなる窮地へと転がり落ちる。
ぼくは見た。きみが毎朝、電車内で逢引しているのを。
きらんっ、とメガネをきらめかせる。
学内少数派の真面目男子、学級委員長の発言であった。
異議あり! 飯田は主張した。彼女とはただの、ただの……
口もごるその姿。罪を深めるだけの愚行。
きらんっと、再びメガネをきらめかせる学級委員長。ふっと笑うと、
「相手は○○女子の生徒である!」
○○女子!! あのお嬢さま校と名高い、○○女子だとっ!!!
どよめく教室。もはや飯田は罪人ではなかった。彼は勇者である。響くファンファーレ、飛び立つ白いハト。窓に駆けより、我は奇跡を見たり、と叫ぶ人、人、人だかり。嗚咽をあげ、夢だけど夢じゃなかったと肩を震わせる苦労人もいる。
○○女子を紹介してほしい。勇者のもとにひれ伏す愚民ども。飯田は口を堅く閉じることで抵抗した。愚民どもは沈黙の勇者をたたえんと、飯田と彼女との身分差の恋を、その下劣な脳で夢想しはじめた。
その下劣な脳が生んだストーリーは……
村の若者イイーダは、名家の娘カネモチーゼに恋をする。
身分ちがいの恋。誰もがそう思ったが、イイーダはうまくカネモチーゼをたらしこみ、まんまと彼氏の座につく。しかし、交際を知ったカネモチーゼの父親の大反対にあい、イイーダはついに駆け落ちを決意。
いいか、カネモチーゼ。金目のものは全部持ってこい。いくら重くても、おれが全部かついで逃げるからな!
しかし計画は善良な市民メガーネ・キランのつげ口により、頓挫。
イイーダは突然カネモチーゼの父と子分らに拉致され、ロープでぐるぐる巻きになったあと、海に投げ捨てられる。
だが不屈の男イイーダはロープから脱出、恋するカネモチーゼが待つ約束の場所へ帰還。が、そこには婚約者と口づけをかわす、カネモチーゼの姿があった。
衝撃をうけるイイーダ。酒場で飲み、あばれ、路地に追い出されるイイーダ。雨の中、野良犬とパンを分け合うイイーダ。物乞いするイイーダ、ひげがのびるイイーダ。ボロボロのイイーダは、いつしかカネモチーゼの屋敷ちかくまで来ていた。
ひと目だけでもと、庭に忍び込み……(はい、ここ感動見せ場です)
――ああ、イイーダ。どうしてあなたはイイーダなの。
愛しのカネモチーゼの声である。はっとしてサンザシの茂みから姿を現すイイーダ。カネモチーゼは月明かりが届くバルコニーに立っていた。
ああ、カネモチーゼ。ぼくのカネモチーゼ……と場面が進んだときに、飯田がキレた。愚民の下劣な脳内では、十八禁ギリギリの場面も用意してあったが、そのシーンがくる前に、教室は戦場と化し、飯田がクラスを制圧した。
その代償で、飯田に彼女がいる説が学校中に広まった。抗争のきっかけを問われたため、教師陣にもバレた。そよそよコソコソ囁かれ、好奇の目を向けられる日々。校庭に建つ、自由の少年像(通称・留年更新中のタロウくん)まで、飯田の噂に下品な笑みを浮かべているかに見えた。
飯田は思った。転校したい(泣)
しかしそうなると電車での憩いの時間がなくなってしまう。いやだ、それだけは失いたくない。飯田は腹をくくった。好きに噂するがいい。男は黙って耐えるのみである。
一方、麻央も墓穴を掘っていた。
せっかく作ったマスコット。飯田はあまり喜んでいないようだった。麻央はよく熱中しすぎて深夜まで手芸に励むことがある。飯田に顔面打ちを阻止してもらった日も、ポーチ作りのやめどきを失い、長いことちくちく縫い縫いしていた結果の寝不足だった。飯田はきっと手芸に興味がないのだ、あんなのもらっても嬉しくない、勉強そっちのけで、くだらないものを作っているとあきれたのだろう。
ああ、私がバカでした。以前、助けてくれたお礼をしたかっただけなのに。悲観した麻央は、うっかり友達にこのことを相談してしまった。
あのね、電車でいつも会う男の子がいてね……
はいっ、捕まったー! ドドンパフパフ。
恋バナに飢えたハイエナどもが群がる。餌食となった麻央は遠慮のない尋問にあい、骨までしゃぶられる思いがした。ハイエナの群れは、相手が○○高校だとわかると、ヤンキーとお嬢さまカプありがとうございます、と拍手をして狂喜した。ゴシップは新聞部にまで伝わり、『熱愛発覚!! 許されざる恋に少女Mがとった行動は!?』の見出しが躍る。
麻央は思った。転校したい(涙)
でもそうすると彼と縁が切れてしまう。そうなるのは、なぜか寂しい。だから、麻央は耐えた。女は耐え忍んでこそ美しい。
そうこうしているうちに、麻央の高校では文化祭が、飯田の剣道部では地区大会が近づいてきた。麻央のハイエナたちは、彼氏を文化祭に呼べと言い、飯田の愚民たちは試合に呼べと訴えた。最悪である。
でも。
もし、もしも、相手が来てもいいと言ったなら?
どうしても、来たい、なんて言ったら?
断る理由もない。でも。でもでも、でもストレーションっ(混乱中)
麻央と飯田はただの……ただの何であろうか? 友だち……か? それとも、ただ乗り合わせた客、時間が重なっただけの他校生、少年Aと少女A、男子と女子、高校生の二人組、ペア、コンビ、か、カップル……ではない。それは絶対の真実である。その真実をちょっとだけ変化させてみたら?
これは悪魔の誘惑か、天使の励ましか。
麻央と飯田。ふたりは悶々と頭を悩ませる。うわのそらの時間も増える。このままではケガをする。これはいかん、いかんぞ。
で、ついに。
ガタンガタン……キーッ、プシュー。
「ご乗車ありがとうございます。お出口は左側です」
この日も、麻央が先にドアを出た。飯田もすぐあとにつづく。
「では」
いつものように麻央が立ち去ろうと背を向けた、そのときである。
「あのさ」
麻央の腕をつかむ手。飯田が麻央を軽く引き寄せる。
「あ、あの」
目が合い、視線がさまよって、また戻る。
飯田が乗る電車が到着するまで、あと五分。……どく、どく、と心臓の音。
「あの、その」
三度目に目が合って、ついに。
「おれと」「わたしと」
五分後、手をつなぐ高校生カップルがいたとか、いないとか。
そんな恋の物語。
駅から始まる恋物語 竹神チエ @chokorabonbon
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