vol.00 待つ人、待たせる人
今月公開の映画に誘われたのは今週のこと。
今日の待ち合わせ時間が決まったのは一昨日のこと。
いつもは待ち合わせ時間より前にいる在原が居らず、香坂は辺りを見回した。身長が高いのでどこかにいれば見つかる方なのだが、姿はない。
バッグからスマホを取り出し、在原に待っている場所を送った。
改札から出る人の波をぼんやり見つめる。学生の頃、上京してきた時を思い出す。人口の多さに圧倒され、ぶつからないように歩くことで目が回った。もう慣れたものだ。
待ち合わせ時間になっても在原は現れず、メッセージ欄を見つめる。そもそも既読にならない。昼下がりだが、眠っているのだろうか。仕事の上がりが遅く、昼夜逆転することもあると言っていた。それともどこかで、何か起こったり。
検索サイトから、人身事故等を調べる。特に今はどこの路線も遅延していない。在原の家の最寄りは知っていても、住居までは知らないので訪問することも出来ない。
きっと、もうすぐ来るはずだ。スマホをバッグにしまって香坂は人の波を見つめた。
待ち合わせから一時間。在原は現れなかった。もう一度メッセージを送ってみる。
近くのカフェに入り、カウンター席に座る。やはり送った文章は読まれず、ドニへ連絡してみようかと思って止めた。待ち合わせに在原が来ないからといって、貴重な休日を過ごす父親を巻き込まなくても良い。
もしかして自分が日付を間違えたのか? と考えて過去のメッセージを振り返るが、本日で間違いない。
アイスコーヒーを片手に文庫本を取り出す。最近読み始めた短編集はもう終盤に向かっていた。
「自然消滅したの? 連絡途絶えたてきな?」
「うん。デートの日に、待ち合わせ時間に全然来なくて」
隣で並ぶ大学生くらいの女子たちがきゃっきゃと話している。
「え? そのまま?」
「そう! こっちはお洒落してさ、何時間も待って、メッセージ送ったり電話したりして、何かあったんじゃないのって心配してんのに。全部未読無視で、最終的にブロックされてた」
「うわあ、怖いわ」
その会話が香坂の耳にも届いていた。
「付き合っては言えるくせに、なんでさよならが言えないわけ? てか理由分かんないまま一方的に切られるのめちゃくちゃムカつく」
「まー良かったじゃん、向こうからどっか行ってくれて」
「確かに。そう思うことにする!」
持ち直し方がパワフルだ。そして、香坂はそれを今の自分の状況に落とし込み始めていた。
いやしかし、付き合っているわけではないし、自然消滅するような仲でもない。
そもそも、在原はそんなことをするような人間では、と考えかけて止まる。一度文庫本に栞を挟んでコーヒーを飲んだ。
言うほど在原のことは知らない。大学で出会って今までなんだかんだ連絡は取ってきているが、友人だって自然消滅するんじゃないだろうか。急に連絡が途絶えたり、待ち合わせ場所に来なかったり、連絡先をブロックしたり。
だとしたら寂しいかもしれない。駅の方へ視線を向けて、静かに思った。
文庫本を読み終えコーヒーも無くなり、香坂はスマホを確認した。いつも放置してばかりいるこの電子機器が喜ぶくらいのチェック度合いである。
メッセージは読まれず、返答もない。
急ぎの仕事が入って、スマホを家に忘れたのかもしれない。
それに今更気付いたとて在原は来ないだろうという程には時間が経っていた。とりあえず本屋を回って、夕飯の買い物でもして帰ろう。
香坂はカフェを出て近くの本屋へ入った。
待ち合わせの前々日、漸く家へ帰れた在原は荷解きより先に香坂へメッセージを送った。明後日、一緒に映画を観に行く約束を取り付けていた。
ロケハン出張が長引き、ばたばたと予定が変更になりどうなることかと思っていたが、帰宅できた喜びは大きい。
とりあえず、明日は伸びきった髪を切りに行こう。
在原は荷解きをしながらそんなことを考えていた。
香坂から了承の返答を見て、翌日散髪して家に戻った。そのままベッドに倒れて眠ったのはおやつ時のこと。
はっと目を覚まして起き上がる。カーテンは開けっ放しで外は暗い。枕元のリモコンを探して電気をつけると眩しく、目を細めながらカーテンを閉めた。
昼寝をしてしまった、と考えながら空腹を感じる。何か食べるものを買ってこねばならない。
立ち上がり、時計を見れば夕方六時少し前。欠伸を噛み締めながら充電しているスマホを覗く。
メッセージがいくつか入っていた。それを開いて、興醒めする。
そして、リビングへ行ってテレビをつける。ちょうどアナウンサーが六時のニュースと天気を言い伝えるところだった。その前に言った日付が、在原が思っていたよりひとつ飛んでいる。
つまり二十四時間以上眠っていたということになる。
『券売機の近くの柱のところにいる』
『カフェにいるから、着いたら連絡ください』
『大丈夫?』
『本屋行きます』
『大丈夫?』
『百貨店の方の本屋行きます』
『今日は夕飯買って帰ります』
香坂からのメッセージ。最後のものは数分前に届いていた。
さーっと血の気が引いた。これまで色んなことがあったが、倒れるのではないかと思うほどに引いたのは初めてだった。
流れるように通話ボタンを押す。
『もしもし』
「……本当にすみません。先程目覚めまして……」
『あ、そうだったんだ。元気なら良かった』
「申し訳ない」
『別にいいよ、なんかあったんじゃないかって思ってたから。じゃあ』
電話口の香坂は少しも怒った様子はなく、穏やかに電話を切ろうとした。それなら寧ろブチギレられた方が気が楽だ。
「待った、今どこ? もう買い物終わった?」
『スーパー入って野菜見てたとこ』
「五月ちゃん明日予定ある? 今から行ったら迷惑?」
『予定もないし迷惑でもないけど、疲れてるなら休んだ方が良いと思う』
ドがつく正論を返されて在原は額を抱える。
「いやでも……今日は楽しみにしてたので……」
『映画はまた今度行けば良いんじゃない? あたしとじゃなくても』
「そういうことじゃなくて、五月ちゃんの顔を見たいっていうか……、とりあえず明るいとこで待ってて。シャワー浴びてから車で向かう」
『たぶん、在原がここに着くより先に家に帰れると思う』
「じゃあ家行く」
『……はいはい、今日の夕飯は寄せ鍋だから、参加したい人は具材持ってきてね』
「肉持ってく」
在原の気分は既に浮上しており、脱衣所で電話を切った。シャワーを浴びて着替え、車の鍵を取る。
近所のスーパーで一番良い肉、日本酒とビールを買い込んで香坂の家へ向かった。
「本当にすみませんでした」
玄関外で謝る在原に香坂は笑い、肉と酒を受け取る。
「いつから寝てたの?」
「それが……昨日の夕方くらいからで。起きたら一日経っててびびった」
「え……大丈夫なの、それ」
「空腹以外はすべて回復してる」
リビングのテーブルにはガスコンロと土鍋、冷やされたビールが用意されていた。中には野菜ときのこが入っている。
「人参が可愛い……」
「飾り切りしてみた。時間あったから。ねじり梅」
ビールは冷蔵庫へ、肉と日本酒はそのままテーブルへ。
鍋に散らばっている人参の梅を見て在原は感心する。ねじり梅という名前らしい。
そこへ香坂が在原から貰った値の張る肉を放り込んでいく。テーブルに二人が着いて、在原は二つの缶のプルタブを開けた。
「たいへんお待たせしました、まじで、本当に、ごめんなさい」
「はーい、頂きます」
「いただきます」
一日ぶりの飯にありつけた。乾杯したビールを飲み、息を吐く。
「うまい」
「あれ、車で来たんだよね?」
「泊めて」
「まあ勝手にどうぞ」
寄せ鍋をつつきながらテレビを観る。ちら、と香坂を窺った。
「五月ちゃん、なんで怒んねえの?」
「何に? ていうかお肉すごい美味しい」
「そりゃ良かった。数時間単位で待たされてさ」
学生時代付き合った女子たちはよく怒っていた。在原はそれを宥めるのに徹し、彼女たちはそうしてもらえることに優越を感じていた。
関係性が友人だとはいえ、ここまで放任されるのも考えものである。
「あのまま連絡来なかったら、怒ってたと思うけど。ちゃんと連絡来たし、お肉も持ってきたし」
香坂は冷静に言葉を紡いだ。
確かにその通りで、香坂が怒っていようといまいと在原は機嫌を取りにきていた。結果は変わらないが、過程に納得がいかないのはどうすれば良いのか。
「連絡しないは無いだろ……」
「うん、でも関わりたくなくなった時はちゃんと連絡くれると嬉しい。理由は言いたくないなら、強要はしないけど」
「そんな日が、来るわけが」
「いや、案外あると思うよ。在原に彼女が出来たり結婚して、連絡取るの止めてって言われたら」
もぐもぐと咀嚼して飲み込む。
妙にリアルなその想像に在原は口を半開きにさせる。それは香坂側にも起こり得るということだ。
「……その時はちゃんと」
ちゃんと、言えるのか。
「ていうかそれ以前に寝るときはちゃんと目覚ましかけた方が良いよ」
「仰る通りで」
鍋を食べ終え、香坂家で眠ったが、二人して翌日の昼に起きた。アラームは一度も鳴らなかった。
*あとがき
遅刻した在原を書きたくて書きました。寝坊したときって、何が最初に頭を過りますか? 約束相手のことか言い訳か場所までの交通手段か。待つ時って何を考えてますか? 相手の状況かこれからの予定か待たされる時間か。
待つ人、待たせる人の香坂と在原の心の内を書くことができて良かったです。
20230409
水と油 鯵哉 @fly_to_venus
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