第2話 義太夫は本土のエージェントに遭遇し、【人間工房】のメイドは能力を操り翻弄する

 先の戦から約一時間後、抜天地上部、いの六地区。義太夫は自然と身構えていた。瓦礫が三分に、屍体が七分。濃ゆい死臭に、漂う煙。屍体はいずれも心臓を抜かれ、身包みを剥がされている。機械兵も、生身の者も、種別問わずに殺され、損壊していた。こんな芸当をこなすいくさ人は――。


「くずやぁ、おはらいぃ」


 ただ一人――! 声があったのが救いであった。背後の気配を察知するなり、義太夫は身をそらしてバク転へつなげた。三回転して着地を決めると、視線の先には竹編み籠を背負い、火ばさみを両手に下げた老人がいた。


「やはりかよ、【屑屋】……!」

「いの一から七は、あっしの縄張りでごぜぇますからねえ。ましてや今は非常事態。どなたさんが【人間工房】の手下なのか、呆けた爺にはわかりませんでなあ。アンタも知っとりましょうよ義太夫サン。あっしの信条がいかなるものか」


 屑屋と呼ばれた老人は、鷹揚に笑った。浅黒く焼けた肌に、シワだらけの顔。アンバランスな造形だが、言葉とは裏腹の凄みがあった。


「『完全中立、侵入無用』。この状況下でも、曲げてくれんか」

「曲げられませんねぇ。うっかりほだされ、儚くなった同胞もいるんでね。悪しからず、でさ」

「そういうところがアンタだが、オイラも命は惜しい。逃げ切らせてもらう」


 そもそもここに入った事自体が事故だったと、義太夫は思い返した。機械兵連中の追跡は的確で、島にあるいくつかのデッドゾーン――【屑屋】のように、専守防衛に徹する強者が身を置く地域――へと追い込むような動きを見せた。

 義太夫がそれに気づいたのは、いの六地区に踏み込む、その一歩手前だった。あまりにも遅かった。もし事前に気づいていれば、ろ地区からは地区へと、なんとしてでも回り込んでいたのに。


 くずやぁ、おはらいぃ。

 再び声。次に起こることは読めていた。老人の姿がかき消える。早い。否。そういう技なのだ。


「ちぃ、精神力は有限だってのによぉ」


 義太夫は舌を打ち、抜刀の構えを取った。全周を見渡せば、そこかしこに老人の姿があった。目の前。瓦礫の上。少し遠く。消えては現れ、現れては消える。


「ついてこれますかの?」


 左斜め後方から声。慌てて振り向く。いない。


「無理そうですな? 上げていきますぞ?」


 今度の声は前。またいない。


「ほれ」


 声。


「ほれ」


 声。


「ほれほれほれほれ」


 声声声声。


 四方八方から声が響き、振り向けばいない。取り囲まれたかのような錯覚が義太夫を襲うが、思い直す。老人は一人。一人がいくつもの数には分身できない。いくら早くとも、それが現実だ。


「忍びの技か何かは知らんが、こっちが本性かい?」

「存じ」

「ません」

「なあ」


 問いかけに対しても、三方から答えが返る。ここに至り、彼は決断した。目や耳に頼っていては、この老人は掴めない。瞑目し、鼻を動かす。世にある言葉の一つに、『獣は隠れても臭いでわかる』というものがある。義太夫もそれに倣うこととした。


「キエーッッッ!」


 きっかり二秒後、義太夫は抜刀した。鋭く剣閃が飛び、「ぐわっ」と声が響いた。続いて敵手の倒れる音。目を開ければそこには、うずくまる老人――


「やりすぎたか?」


 ――否。丸太。近づこうとした瞬間に正体を現し、背後に影がさす。これは――!


「屑屋殿、そこまでです!」


 命を取られた、と覚悟したその時。遠くから響いた第三の声が、戦を止めた。


 ***


 いの六地区。瓦礫の下に隠されてそのアジトはあった。潜りながら入る、天井の低い一室。予想以上に整頓されていた。床は硬いが、致し方あるまい。


「フォフォフォ。おどろきましたかの? 屑は屑籠へ。きちんと整頓しておりますのじゃ」


 こちらを見透かしたような言葉を並べられ、義太夫は顔を険しくする。先刻知った事実が、この老人への警戒を強くしていた。


「ええ、ええ。なんとでもおっしゃってくださいませ。しがない抜け忍、罪人の成れの果てにてごぜぇます」


 義太夫の後ろに立つもう一人の男――戦を止めた声の主――の仲介で知った事実に、屑屋は否定することもなくからからと笑った。日に焼けた浅黒い顔には、にやけ面が奇妙にはまった。どことなく人懐っこさがあった。義太夫はその笑顔に、今は地下にいるだろう師父を思い出し、口を隠しながらも笑みを浮かべてしまった。


「ともかく、お座りなせぇ。粗茶も粗茶じゃが、出せますゆえ」


 屑屋に促され、ちゃぶ台越しに第三の男と対面する。先程の制止以降の話を総合すれば、この男との方針の一致によって屑屋は人を選んでいたらしいのだが。


「名乗りが遅れておりました。【山田一八七八二】と申します。率直に言いますが、本土から来たエージェント……工作員、あるいは忍びの類であります」


 いかにも一般人パンピーな面をした男が、頭を下げた。七三分けに黒縁メガネ、中肉中背に灰色のスーツの上下。多少薄汚れてはいるが、傷や破れは見受けられない。戦の腕も、そこそこありそうだった。


「エージェントの山田殿、か」

「山田一八七八二です。山田は本土でも非常にポピュラーな名字で……」

「ひとまず省略だ。それは重要じゃない」


 義太夫は山田一八七八二の眼鏡が光るのを手で遮った。続いて、率直に告げる。


「本題をくれ」

「かしこまりました」


 そのやり取りだけで、山田一八七八二はスラスラと、端的に話し始めた。

【人間工房】は元来、本土から派遣された粛清用マッドサイエンティスト集団であったこと。

 しかし工房の長であるジョージ・大愛流おおえるはもとより本土を裏切る腹積もりであり、人体改造の傍らで決起用のウィルスを人々に仕込んでいたこと。

 ジョージは抜天を機械兵と改造兵器のディストピアとした上で、本土との決戦を目論んでいること。

 山田が裏切り者に排除されたため、本土の通信が途絶していること。

 そのため、本土は抜天を滅ぼすべく恐るべき兵器を準備している可能性が高いこと。

 全ては手短に語られ、義太夫は大いに顔をしかめることとなった。


「……冗談じゃねえぞ。マジで抜天存亡の危機じゃないかよ」

「そう言っていますよ、最初から。この危機を止めるためにも、優秀かつ確かな志を持った戦士……いくさ人が必要なのです」


 山田の目がにわかに真剣味を帯びた。義太夫はちらりと周囲を見回した。屑屋は我関せずとばかりに出入り口近辺を見張っていた。あくまで専守防衛かと、その徹底ぶりに舌を巻いた。


「屑屋殿は無駄ですよ。かつて繋がりのあった私からの頼みでも、いまして下さっていることが限界です」

「そうか」


 義太夫は山田の目を見た。力強い瞳には、いささか人工的にも思える青が混ざっていた。義太夫は見据えたままに、言った。


「志という観点から言えば、清廉とかそういうの抜きにしてオイラは適任だ」


 ほう、と山田が口を開く。義太夫は己の朱鞘を握り締めた。

 師父の教え。己の思い。意志力だけは買っていた好敵手――いくつかの言葉が意識に訪れ、去っていった。鞘ごと腰から引き抜き、義太夫は告げんとした。


「オイラはあの工房が嫌いだ。アイツらがやって来た時から――」


 その時だった。一般人パンピーグロ★SPOTが、突如弾けた。眉間に銃創が生まれ、スローモーションで血肉が弾ける。人形劇の糸が切れたかのように、山田が突っ伏した。


「オイ爺さん!?」


 義太夫は叫ぶ。だが彼の動体視力が、眼前の異変を捉えた。身体を左へ傾げると、その脇を銃弾が通っていった。


「狙撃じゃ、伏せなさ……むうっ!?」


 気づくのが遅いと毒づきかけて、義太夫はもう一つの可能性に思い至る。それを証明するように、再び目の前へ弾丸が来る。すんでのところでブリッジ回避をすると、奇妙な歌声が響いて来た。


「アレは! 一般人パンピーグロ★SPOT! いただきですわ!」


 二百歩は遠くから声を響かせ、鉄塊の軍勢を率いる女。やたらとテンションの高い声。だが次の瞬間には声を落とし、冷徹な目を見せた。黒と白が入り混じった、亜熱帯では暑そうな服。およそ戦闘で着るものではなかったはず。


「しかしいくさ人には当たっていません。やはり実力行使ですね」


 義太夫は思い出す。あの衣服は地下の大公界で、遊興の装束になっていた。たしか冥土服というものだった。

 女が銃器を捨て、箒を構えて向かって来る……と思った一瞬後には、早くも戦闘距離だった。近すぎず遠すぎず、あまりにも的確な位置だった。入口の、低い天井をすり抜ける。その動きが、義太夫に確信を与えた。


「転移能力、それも並じゃねえだろ……!」

「ご明察にてございます」


 栗色髪との間合いは三歩。狙いすましていたのは明白だった。屑屋とは分断された。戦闘音が外から聞こえる。鉄塊部隊と戦のさなかか。山田は死んだ。誰の援護も期待できない。


「お初にお目にかかります、お客様。私、南十字みなみじゅうじと申しまして、【人間工房】に忠誠を誓っております。私の戦場へようこそ」


 冥土服が、優雅な一礼カーテシー。だが見える。スカートの裾から、次々と武器。鈍い音、軽やかな音。様々な音。

 銃器、刃物、手榴弾。鈍器に暗器、拷問器具。義太夫は思わず、後ろへ跳ねた。


「非礼は許しません」


 女がなにかを軽く蹴る。見えた時には遅く、投網が広がっていた。鯉口を切ろうと試みるが、間に合わない。細いツインテールが、かすかにたなびく。


「観察の暇さえなしかよ」

「過度の観察はハラスメントに該当します」


 投網が義太夫を捕らえる。丁寧なことに、鎖帷子の構造が組み込まれていた。これでは斬るにも一苦労だ。こっそり舌を打つ。


「いくさ人、GETです!」


 女が喜びを見せる。だが義太夫も仕込みを終えていた。精神力の無駄遣いは禁物だったが、ことここに至っては脱出が先決である。南十字の脳天を狙って、イマジナリ日本刀を現出させた。


「っ!?」


 しかし敵もさるもの。くるくると回って数歩下がる。まったく優雅で、思わず目を奪われる仕草だった。想像上の日本刀はあえなく床を穿ち、すぐに消えてしまった。


「やるな」

「大人しくなさい」


 ナイフの切っ先が右目のわずか前。無論持ち主もいる。すなわちまたしても転移能力。いよいよ詰みかと、義太夫は思った。背中には汗。思考はざらつき、まとまらなかった。

 その時である。


「伏せろや、バカ息子」


 声と投げ込まれるものは、ほとんど同時だった。義太夫には「それ」がわかった。物に触れることで爆発的な発火を起こす、【葬儀屋】に伝わる秘伝の火種――!

 南十字が消える。義太夫が伏せる。的確な計算のもとに投げ込まれた火種が床に触れ、燃える。だがわずかな間隙さえあれば。


「断ッッッ!」


 義太夫の抜刀が火を、火種を捉える。空気を斬り裂き、燃え盛る寸前に消し去った。投網を抜けるのも含め、一分とかからぬ荒業だった。


「荒っぽいんだよ、ジジイ」

「減らず口が叩けるなら問題ねえな」


 義太夫の視線の先には、四年ほど顔を合わせなかった胡麻塩頭の男がいた。

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【人間工房】を粉砕せよ!~抜天島・戦闘記録~ 南雲麗 @nagumo_rei

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