シェルター

AKIRA

第1話

「兵隊さんが立ってたの」

リジーはそう言ってまたパズルを始めた。木製のパズルは幼児用だが6歳のリジーにとっては唯一のオモチャになっている。

シェルターは国立公園の中、芝生が敷き詰められた美しい緑の丘の奥深くにあり、2人しかいなかった軍人は度々逃げ込んでくる人々を招き入れては二重にロックされた扉の開閉を繰り返していた。そしてその何度目か、おそらくはリジーと母親達がシェルターに入ってきた時にパニックは起きた。

黒い小さな粒。大きさは2、3㎜程あり、何千、何万という数の粒状物質はまるで渦を巻いた波のように人々を飲み込んでいった。悲鳴を上げる者、手を上げて逃げ回る者、壁を必死によじ登ろうとする者もいた。当初60人程いたであろう人々はもういない。




「兵隊さんが扉を開けてくれて、中に入れてくれたの」

リジーはパズルを進めながらも、眠たそうに眼を擦っている。シェルターに来た時の話はするようになっていたが、母親については何も言おうとはしなかった。シェルターの奥にあった小さなドアを開けると長い下り階段が続いている。その先にあった地下倉庫はやけに広く、今にも消えそうな弱い光の電球が高い天井から吊るされている。ドアは薄かったが鍵は大げさな程大きく、倉庫の床に投げ捨てられているかのように置かれていたのを覚えている。勿論、今はドアに鍵はかかっているがシェルター側から音が聞こえてくる事はなかった。

「食事にしようか」

ランデルが扉から顔を出す。二つある倉庫は廊下をはさんで向かい合っている。どちらの扉も引戸になっていて約2メートルの高さ程ある冷たい金属の扉は、一人通れるぐらいの幅が常に開けてあった。

あのパニックの最中、ランデルは目の前にいたリジーを救おうとドアの中へ押し込もうとしたらしい。そして誰かに後ろから突き飛ばされ、2人とも階段を転げ落ちていった。リジーを庇った為にランデルは腕を骨折し、身体中に痣ができた。完治するまで数ヶ月かかったが左膝にできた痣だけは消えないままだ。これは勲章みたいなものだね、と私にはおどけてみせたが、リジーにはなるべく見せないように気を使っていた。

夕飯はパスタと缶詰のトマト煮で、ひよこ豆も入っている。ランデルが言うには味付けはいまいちだけれど、ご老人達をもてなすのならば丁度良い塩加減になるらしい。

「お祈りをしよう」

三人とも両手を組み眼を閉じる。

ランデルは「悪は忌み嫌い、善とは親しく結びなさい」という聖書の言葉を思い出させてくれる、物静かで優しい青年だ。

食事を終えると、ランデルは紙を一枚リジーに差し出した。リジーの似顔絵が描かれていた。

ランデルはこれまでも風景画を何枚か書いては壁に貼っていた。あまりにも飾りがないからという名目で、あまりにも時間があるからという理由で。

「これ、私?」

「思っていたよりは上手く描けたんじゃないかな」

「ありがとう、ランデル。リジー、素敵な絵だと思わない?」

リジーはそれ以上何も言わなかったが、紙に描かれた笑顔よりは大分控えめに微笑んでいるように見えた。



私がふと目を覚ますと、隣で寝ていたはずのリジーが上半身だけを起こしまっすぐ前を見つめていた。私は耳を澄ます。

「…そう、サイモンはね、メガネの子。雨が降ってないのにいつも長靴はいてくるの」

小声で囁いているリジーを私はそっと優しく抱き締める。数週間前から始まったリジーの一人言をもう止めようとはしなかった。

「リジー?」

リジーの顔を覗き込んだ。私の顔は見ずにリジーは暗闇を見つめている。

「…トイレ」

私の腕からすり抜けるように立ち上がり、リジーは部屋を出ていく。扉の前まで後を追う私。

「ここにいるからね」

リジーの後ろ姿に声をかける。

「どうかした?」

ランデルが向かいの扉から廊下に出てきていた。

「リジーが今トイレに…」

「そっか…まだ独り言は続いてる?」

「そうね」

ランデルは何か言いたげに俯いた。

「ランデル?」

「う、うん。ええと、似顔絵の事、リジーは何か言ってなかったかな?」

「似顔絵?いいえ、何も言っていないわ。なぜ?」

「うん。渡すべきじゃなかったのかなって。笑顔を見たいっていう僕の勝手な願いで描いたものだからね」

「そんなことないわ、リジーだってきっと…」

ランデルと目が合う。そこに恐怖はなかった。黒い塊が巨大な手のようにランデルをさらっていく瞬間ですら、その目には小さな驚きと困惑の表情しか読み取れなかった。

「リジー!!」

叫びながら振り返ると、リジーは少し離れたところに立っていた。

「リジー、早く中へ」

私は手を伸ばし一歩前に出ようとした。リジーがゆっくりと近づいて来る。不思議なことに、リジーはまるで公園を散歩するかのように軽やかな足取りで希望に満ちた笑みを浮かべていた。周りが黒い塊に囲まれていく中で、リジーの周辺だけは眩い光に照らされているように見えた。実際、その眩しさに私は目を細めなくてはならず、目の前までリジーが来ても動けずにいた。

「もう大丈夫よ。愛してるわ、ママ」

そう言うとリジーは私を倉庫の中へ突き飛ばし、ドアを閉めた。



突き飛ばされた勢いで倒れていた私はすぐに起き上がり扉を開けようと必死に引っ張り続けた。けれど扉は動かない。リジーの青白く細い腕。あの重い引き戸を動かせる力がどこにあったのか、なぜ鍵も無いはずの引き戸が開かないのか答えが出ないままでいる。

今、私は扉に背を向けて部屋の中央に座っている。爪が伸びきった手にはランデルが描いたリジーの似顔絵がある。紙はボロボロで笑顔のリジーは薄くぼやけて見える。私はニコリと微笑むと目を閉じた。ああ、もうすぐ終わる。部屋の片隅や扉のごくわずかな隙間から、黒い粒状の小さな塊が徐々に部屋を覆ってきているのがわかる。私は最後のその瞬間は目をあけていようと思う。リジーの眼差しの先にあったはずの、その光を見るために。

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