地の底闇の底
呻き声があった。
くぐもったそれは連続し、やがて止まる。そして、呻き声の主は目を覚ました。
「……ここ、は……?」
自分達の塒よりは清潔な雰囲気の天井、綺麗な寝床、着なれない入院着。
まだ痛みと重さの残る頭で、記憶を探る。
「ああ、目を覚ましましたか」
「トレヴァー」
脳内で答えに行き着くより先に、この場所の主が姿を見せた。
「ヤシリツァは?」
「硬く分厚い甲殻が幸いして、もう走り回ってますよ。まったく、彼女の体力には驚かされる」
「……そうか」
頭が回らないが、自分達が助かったという事は判る。
問題はあの状況でどうやって助かったのかだ。
「トレヴァー」
「クラカディールです。彼が貴女達二人を担いで、ここまで運んで来たのですよ」
「クラカディールが?」
枕元に置かれていた防毒面を着けつつ、クロートは怪訝な視線をトレヴァーに向ける。
あの人間至上主義で亜人嫌いの差別主義者が、人間の自分だけでなく亜人のヤシリツァを助けた。
本当にクラカディールなのか疑わしいが、あの階層から自分達二人を回収出来る実力を持つ者は限られている。
だとするなら、クラカディールが自分達を助けたという事に、僅かながら信憑性はある。
「しかし、本当にクラカディールか?」
「私も驚きましたよ。彼がまさか、貴女だけでなくヤシリツァまで担いで来るとは」
「それについては我輩から説明しよう」
そう言いながら現れたのは、中層区にしか無い高級店の紙袋を抱えた、普段と変わらぬ警邏隊制服のクラカディールだった。
「クラカディール、戻ったのですね」
「ああ、医師よ。これで足りるかね?」
「ええ、問題ありません」
「クラカディール、説明しろ」
「うむ、我が麗しの君よ。通報があったのだ」
トレヴァーに紙袋を渡し、クロートの居るベッドの横に置かれた椅子に腰掛けながら、クラカディールは語る。
「通報か」
「うむ、迷宮水路の出入口が崩落しているとな。そして、奇妙な炎も目撃した」
「奇妙な炎、……奴か」
「我が君の飼い犬が言っていた奴だろう。我輩は結局間に合わなかったがな」
クラカディールの話では、通報を受けて迷宮水路内に向かうと、壁や水面に貼り付いて燃える炎と、数人分の炭化した死体があったらしい。
クラカディールの強い瞳には、濃い悔恨の色が浮かんでいた
「迷宮水路街の住民、その安全と財産を守る。それが我輩ら警邏隊の役目である。しかし、我輩は間に合わず、あの様な凶行を許してしまった」
そして、迷宮水路内を調査中に、水路内に響いた破砕音を聞きつけ、その発生源に向かうと、倒れたクロートを庇う様にして、襲撃者と対峙するヤシリツァを見付けた。というのが、クラカディールがあの場に居た理由だった。
「相も変わらず、仕事にゃ真面目だな。んで、なんでオレだけじゃなく、ヤシリツァまで助けた? てめえは筋金入りの亜人嫌いだろ」
「我が君よ、我輩は確かに人の似姿をした獣を嫌悪している。だが、それは我輩個人の主義。警邏隊隊長として、住民の命と財産を守るのは当然の義務である」
「財産、ね。本当に仕事にゃ真面目だな」
確かに、クロートは最悪の場合はヤシリツァを売り飛ばすつもりだ。だが、長年の付き合いで愛着が湧いている事も事実。
なので、売り飛ばすのは本当に最悪の場合、今の稼ぎが出来なくなった時だ。
「そして、仕事に真面目な我輩から幾つか話がある」
「なんだ?」
「君の飼い犬が背負っていた機械、あれを接収したい」
「寝言は寝て言え。あれは売り飛ばす。欲しいならお前が買い取れ」
「なら、そうしよう。値は言い値で構わない」
「ああ?」
言い値という台詞に、クロートはクラカディールを睨む。確かに、あの機械は他に見た事の無い機構を備え、希少性は高い物だ。物が物だが、この都市の貴族は物自体の価値より、物に付随する物語の価値を重視する。
遥か過去の技術者によって造られた遺失物、そんな謳い文句でも貼り付けて、後はセーィフに任せれば暫くは楽に過ごせる金額になる。
クロートはそう踏んでいた。
だがそれをクラカディールは、言い値で買い取ると言ってきた。
クロートがクラカディールの狙いを見定める様に、彼に向ける目を細めると、背の低いクロートに視線を合わせる様にして、僅かに背を丸めた。
「我が君、あれはあの凄惨な事件の重要な証拠だ。だが、君達の稼ぎの元でもある。それを横から浚うのだから、それなりの誠意を見せたい」
「だから言い値か。……高いぞ」
「承知している。そして、我が麗しの君よ。こちらが我輩の本題だ」
クラカディールはそう言うと、椅子から立ち上がり片膝を着いて、警帽を自らの胸に当て、恭しくクロートに頭を垂れた。
「お前、何のつもりだ?」
「我が麗しの君よ。我輩は君に懺悔しなければならない。……我輩は君の治療の補助という名目で、君がひた隠しにしてきたその仮面の下を、不躾に見てしまった」
「……気にするな。別に、見られて困るものじゃない」
クロートは自らの傷痕を隠している。それは別に見られたくないからではなく、見せる必要が無いから隠しているだけに過ぎない。
この傷痕は、自らの甘さと無知が原因のものだ。
だが、クラカディールはそうは受け取らないし、トレヴァーも肩を竦めてお手上げだとジェスチャーで返事だ。
面倒な事この上無い。
「君はそう言うだろうが、我輩は乙女がひた隠しにしてきた顏を、盗み見る様な事になって平気で居られる程、厚顔無恥ではないのだ」
「真面目な上に面倒くせえ……」
クロートは特に気にしないが、クラカディールは酷く気に病んでいる。これが口が軽いコーシカなら、クロートの対応も剣呑なものになったが、クラカディールは必要無く他人の秘密を言いふらす事はしない。
だから、この様に告解されても困るのだ。
それに、乙女と呼べる年月はもう過ぎた。どうにもむず痒くなって、動かせる右手で首筋の辺りを掻いていると、空いた部屋の扉の隙間から見覚えのある尾の先が見えた。
「……クラカディール、オレは気にしないが、気にするバカ娘が一人居る。そして、オレは暫く動けそうにないし、その間の稼ぎもバカ娘一人では賄えん」
「心得た。入院費用と必要経費を含めた費用は、全て我輩が受け持とう。そして、謝罪の意も込めてあの機械を買い取らせて戴きたい」
「交渉成立だ。ヤシリツァ!」
「うえ?! 気付いてたの?」
間抜けな声と共に部屋に入ってくるヤシリツァに、少しばかりの疲れを滲ませた溜め息を吐き出し、クロートはクラカディールに視線を戻す。
「クラカディール、幾つか話があるらしいが、その話ってのは今ので終わりか?」
「否、我が麗しの君よ。君に、いや、君達に折り入って依頼がある」
「依頼だぁ?」
「ああ、最近の事だが、どうにも迷宮水路内にて事件が多発している。《トッシャー》や《ダウザー》同士のいざこざではなくだ」
「もしかして、前に言ってたやつ?」
「……随分と記憶力がいいな」
「いや、アタシの事を何だと思ってんの? いや、答えはいいや。で、依頼ってなにさ?」
ヤシリツァに驚愕の表情を向けたクラカディールが、一度咳払いをし、ヤシリツァの上役としてのクロートに向く。
「迷宮水路下層区にて、不審死並びに奇怪な事件が起きていて、君達にこれらの調査を受けて戴きたい。詳しい情報は依頼受諾後に渡し、報酬は金貨百枚を予定している」
「金貨百枚?!! 表層区どころか、中層区にだって家を買えるよ……!」
「胡散くせえ。クラカディール、吐け」
「流石は我が麗しの君だ。だが、報酬に関しては上から提示された金額に過ぎないのだ」
「上、からね」
金貨百枚ともなれば、クロートとヤシリツァの二人だけなら、余程の無駄遣いをしなければ一生遊んで暮らせる金額だ。
だが、それだけの金額をたかが調査依頼の報酬に出すのは、いくら放蕩の限りを尽くす上の貴族達でも有り得ない。
何か裏があるに決まっている。
「我が君、これは強制ではない。寧ろ、我輩個人としてはこの件から手を引くべきだと考えている」
「だろうな。嫌な予感がしやがる」
「報酬は魅力的だけど、やっぱりね」
この依頼を受けるにしても、二人は体が治らねば動く事は出来ない。
体治るまでの暫くの間は、大人しく療養に専念しよう。
そう考え、クロートが話を終わらせようとした時、ヤシリツァが突然、あ、と声を挙げた。
「そういえばさ、クラカディール。あの変な兜どうなったのさ?」
「はあ……、逃げられた。我輩とした事が完全に不覚を取った」
「お前が不覚?」
クラカディールは強い。はっきり言って、今この場に居る三人が束になっても勝つ事は出来ない。
唯一まともに斬り結べたのは、今は亡きチリパーハ一人だけだ。
その上、クラカディールは警邏隊隊長であり、対象を捕縛する術にも長けている。
そんな男から逃げられる者となると、本格的に只者ではない様だ。
「容疑者の遺体を盾に汚水の滝を抜けられては、流石の我輩も追えぬ」
「つまり、あいつは迷宮水路の地理を把握しているという事だ」
「ねえ、クロート……。もしかして、アタシ達の同業者の中に連中の仲間が居るとか?」
「可能性はある。だが、今はさっさと体を治して、こいつからふんだくった金で、道具やらを補充するのが先だ」
クロートはそう言うと、固定され動かせない左腕を見て、この日何度目か分からない溜め息を吐き出した。
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