異世界隠居外伝 遥か地の底の出来事
逆脚屋
その地の底で
〝富と栄光は天上にある〟
この大陸に伝わる言葉通りに、〝上〟に行けば行く程、ここでは富と栄光を得られる。
何処の誰が遺した言葉かは、誰も知らないが、この都市の住人は誰もが頷く言葉だ。
《階層迷宮水路都市ヒーホルン》
何時からだったか、この大陸の湧水量の、半分近くが湧き出すこの場所に上流中流下流、様々な人々が雑多に集まり、一つの町を作り出した。
だが、無限に湧き出す湧水に、土地は見る間に飲み込まれていった。人々は困り果てた。折角広げた土地も、積み上げた財も、全て水に飲み込まれてしまう。
しかし、水源に乏しいこの大陸で、豊かで清らかな水源地から、離れるという事は出来ない。
だから人々は、方々から知識や職人をかき集め、町を広く拡げるのではなく、高く築き積み上げた。
ドワーフの技術で切り出した石材を組み上げ、拡がった水源を囲う様にして、広大な水路を築き上げ、少しずつ町をその上へ積み上げる。
時が経つにつれ、人々はその町を上へ上へと自由に築き、貴族や財を抱える人々はより良い暮らしをと、清らかな湧水を己達が暮らす上層に、まだ人々が暮らす下層の迷宮水路に、己達の下水と不要物を流した。
その結果、迷宮水路には汚物が溜まり、疫病が蔓延した。次々に倒れ死んでいく家族や友、愛する人々を目の当たりにし、しかしそれでも地下の迷宮水路から、人々は離れなかった。
上層の者達は理解していた。知っていた。下層の者達が、脛に何かしらの傷がある者達ばかりだと。
国を追われた者、この大陸では迫害を受けている混血、賞金首、ここを離れては生きていけない者達。
司法が形だけとなった下層は、こういった者達の行き着く場所となっていた。
だがしかし、実状はそれだけではない。
「クロート、そっちは?」
「……そう言うそっちはどうなんだ?」
汚水や汚物から発生するガスを防ぐ防毒面から、籠った声が二つあった。そのどちらもが、膝の上辺りまで汚水に浸かり、三ツ又に分かれた鍬や鋤で、水路を掻き回す様にして、何かを探り出している。
「っかしいなー、この辺りにアタリがあったのに」
「頼むから確りしてくれ。昨日も稼ぎが無かったのに、今日もだといよいよ飢える」
「うわあー、何か出てこーい!」
一人が喚きながら、鋤で水路の底を浚う。しかし、鋤が掬い出すのは、腐った泥とそれに埋もれていた、誰かしらの骨だけだった。
「ヤシリツァ、お前何を見付けてる」
「いや、これアタシのせいじゃないよね?」
「なんでもいいから、さっさと金目のもん見付けろ」
籠った声で、クロートがヤシリツァに檄を飛ばす。暗い水路の中は、表層に繋がる鉄格子から、僅かに射し込む陽光と、弱々しく灯る蝋燭だけが二人を照らしている。
「クロートー、そっちはー?」
「純金貨と銀のメダル、オレは飢えなくて済みそうだ」
「ず、ズルい!」
水路の脇の石畳を、打撃する音が響いた。ヤシリツァは両手で鋤を持っている。クロートはただ黙々と、右手で鍬を手繰っている。
なら何が、石畳を打撃したのか。その答えは、蝋燭が弱々しく照らし出している。
「……ヤシリツァ、手を動かせ」
「はいはーい」
長く太い、堅牢な鱗と甲殻に覆われた尾が、ヤシリツァの腰から生えていた。よくよく見れば、僅かに露出した肌の部分にも、人間には無い鱗が生え、分厚い革手袋は、人間では考えられない指の長さになっている。
鳥の嘴の様に長く伸びた防毒面が、ヤシリツァの言葉に合わせて動く。
「クロート、これなに?」
「純金の杯か。上層で何かあったのかもな」
クロートは鍬を持つ右手ではなく、何も持っていない左手で、ヤシリツァが見付け出した純金の杯を掴み、軽く鑑定する。
しかし、掴む手は人のそれではなく、鋭い鉤爪だった。生物ではなく、人工物のそれは手袋を外したヤシリツァの、爬虫類の様な爪ではなく、大型の甲殻類の爪によく似て、手のひらに当たる部分には、中央に穴とノズルがあり、続く腕も甲殻類めいた、人造の殻で覆われいた。
「どうする? 今日はもう上がる?」
「……金貨にメダルに杯。稼ぎとしては、まずまずか。それに……」
クロートは防毒面に覆われた顔を、汚水が流れ出す排水口へと向ける。中層や上層からの排水の全ては、この下層の迷宮水路へと流れ込む。
上から不要とされたものが、この迷宮水路へと廃棄される。クロート達の稼ぎが良い時や、今日の様にあまり見ない品を見付けた時は、大体〝上〟で何かあった時だ。
「早く換金して、塒に戻るぞ」
「表層に出るのー?」
「いや、嫌な予感がする。〝セーィフ〟の店に行く」
「うえ~、アタシあの爺さんキラーイ」
「言うな。下層じゃ、一番マシなのが、あの爺さんなんだ」
鍬を肩に担ぎ、鉤爪で水路の脇にある鉄の取っ手を掴み、体を汚水から引き上げる。
頭上の鉄格子から射し込む陽光は、既に傾き始めている。
「急ぐぞ。日が落ちて、
「それはマジさんせー」
「チリパーハの二の舞には、なりたくないしね」
「あれは欲のかきすぎだ。態々夜に、奴らの縄張りに入るから、ああなる」
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
乾燥した豆に、矢鱈脂身だらけのベーコン、焼き過ぎか、日の経ち過ぎか硬くなった黒パン。そして、漬かり過ぎの酢キャベツ。
味付けは塩と、何かよく分からない舌に刺さる辛味の草。
「あ゛あ゛~……、赤身の肉に齧りつきたい。血の滴るレアで、手掴みでー」
「なら稼ぎを出せ。正直、これでもかなりキツイ」
「うわぁん、クロートのイジワルー」
「稼ぎを出せ。《ダウザー》の名が泣くぞ」
奥歯で削る様に黒パンを齧る。酢キャベツの酢や、ベーコンの脂で、多少はふやけると思ったが、そんな事は無かった。まるで、パンの味が僅かにする炭でも齧っている気分だ。
だが、愚痴を言っていたヤシリツァは、酢キャベツとベーコンを挟んで、バリバリと噛み砕いている。
「
「まーねー」
まったくと、クロートは溜め息混じりに、黒パンを齧る。この蜥蜴娘を拾って早数年、気紛れに世話をしてみたが、
これなら、もうすぐ独り立ちも出来るだろうが、この様子ではまだまだかもしれない。
「さっさと食え。オレは寝る」
「あー、アタシも寝るー」
「オレを湯湯婆扱いする気だな」
「いーじゃん、最近冷えるし。女同士だし」
「抱き着くなら、こんな顔の爛れた片腕女より、適当な男でも引っ掻ければいいだろうに」
肘から先の無い左腕、焼け爛れた左半分と裂けた左頬。この醜女に付き合えるのは、同じ様に半端者の蜥蜴娘だけだろう。
クロートはまた溜め息を吐くと、厚い毛布を左腕に引っ掛ける。
「お前の毛布も持ってこい」
「分かった」
一人で生きてきた塒だが、あの娘を拾ってから、狭くなった。稼ぎもそれほど悪くない。何なら、表層に移り住んでもいいかもしれない。
「クロート、ちょっと思ったんだけどさ」
「なんだ?」
「勇者ってどんなの?」
傷が疼いた。
「……いきなりどうした?」
「ん~、買い出しの時に、何かそんな話が聞こえた」
「なら、さっさと忘れろ。連中は大溝鼠と同じだ」
「んあ?」
「臆病で愚かなくせに、猿知恵程度の知能に埒外の力を持った、最悪の害獣だ。毛皮が使える大溝鼠の方が、まだマシだ」
「関わらない方がマシって奴?」
「その通りだ。さっさと寝るぞ」
寝床に潜り込めば、背に人には無い冷たく硬い感触がある。
「なんかゴメン」
「気にするな」
「うん、明日から頑張る」
「ああ、期待しよう」
遠く、魔属領を越えた大陸に、水に恵まれた都市がある。そこは世にも美しい街並みが、流れる清水に彩られている。
水の都、地上の楽園、そう謳われる都市の下には、その光に当たれぬ者達がいる。
栄華の裏にある影に蠢き、おこぼれを漁り生きる者達。
人々は彼らを《トッシャー》と呼んだ。
これは、薄暗い迷宮水路に生きる《トッシャー》と《ダウザー》の二人のお話。
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