その地の底には
――ねえねえ、聞いた?
――何をだ?
――〝上〟から、とんでもないお宝が落ちてくるって噂。
――くだらん。何処ぞの狂いのホラ話だ。
――いや、〝上〟でデカイ政争があったって話だよ。まったくのホラ話じゃなさそう。
――お前は、くだらん噂を聞く暇があるなら、もう少し探れ。見ろ。まだあったぞ。
――うげ、まだあったの。……あ、そういえばさ。
――話を逸らすな。
――痛い痛い、爪はやめてってば。チリパーハだよチリパーハ。最近、かなり荒い稼ぎしてるよ。
――……知らん。何かあるんだろ。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
チリパーハの死体を水路で見た。それは当然、水路で死んだのだから、死体があるのはおかしい事ではない。
だが、チリパーハの死因を考慮すれば、それはおかしい事になる。
「見間違いじゃねえのか」
「み、見間違うにしても、あんな派手な刺青、他には居ないよ」
確かにと、三人は頷く。全身に彫り込まれていたデザインの、一つ一つはそれなりに見れたものだったであろう。だが、チリパーハは自身の気に入ったものは、己が満足するまで欲しがる。故に、気に入ったデザインがあり、その系統のデザインがあれば、元の彫り物との食い合わせも考えず、兎に角新しく墨を入れる。
その結果、百人が百人、誰が見ても趣味が悪いと言える刺青男が出来上がった。
「でも、チリパーハは大溝鼠に喰い殺されたんだよ? あれが、そんな分かり易く死体を喰い残す?」
ヤシリツァの言葉に、また三人が頷く。
大溝鼠は大喰らいで、常に何かしらを前足で掴み、強靭な前歯と顎で食んでいる。むしろ、何かを常に食べ続けていないと、一日と保たず餓死するらしい。
その為、奴らは石だろうが鉄だろうが、歯と顎で噛み砕けるものは、なんでも食べる。
だから、いとも容易く噛み砕ける人間を、喰い残す筈が無いのだ。
「うーん、やっぱり見間違いじゃない? 下層や表層の人間が、上層に行ける訳無いしさ」
上層の住まう天上人にとって、己よりも下に住む者は全て、忌むべき穢れでしかない。生きていてそうなら、死体ともなれば、近付く事すら出来ない。
チリパーハは外から来たが、れっきとした下層の住人だ。例え、昇れても中層の入り口が限界で、上層には上がれない。
「ねえ、ムィーシ。他には、何か無いのかな?」
「ほ、他?」
「そう、刺青以外に他に何か気付いた事」
コーシカがムィーシに問う。
クロートとヤシリツァが、一体何をとコーシカに視線を向ける。
「えっと、そう、だな……。確か、そうだ。首、頭が無くて、腹が空だった」
「あ? そりゃ、どういうこった?」
「え、ど、どういうって言われても……」
「クロート、ムィーシ睨んでも意味無いって。でも、どういう事?」
「お、俺にも分からないよ。でも、水路を流れてくチリパーハの体は、頭が無くて、腹が空だった」
コーシカが獣眼を細め、思案する。
今、コーシカが抱えている情報の中に、幾つかこれに関係のありそうなネタはある。その中でも、これだとコーシカの勘が叫ぶネタがあった。
ネタの内容的にも、考え過ぎだと言われそうなものだが、己の勘に従い、その話をしようとした。
その時だった。
「……あんたら、物騒な話なら他所でしてくれ」
「あ?」
何時の間にやら近付いていた店主が、ぶっきらぼうに突然その様に告げる。普段は何も言ってこない癖に、何故今日に限ってと、睨むクロートを宥めるヤシリツァの目の前に、メモ用紙代わりの木板が差し出される。
「……うげ」
「あー、これは退散した方が良さげだね」
木板に書かれた文字に、亜人であるコーシカとヤシリツァが顔をしかめる。
クロートも同様に、防毒面のゴーグルの奥に見える右目が、嫌悪の形に歪められている。ムィーシに至っては、顔色を蒼白にし脂汗に塗れていた。
「帰りはあっちだ。……さっさとしな」
「おっちゃん、あんがとね」
「別に、お前らは金払いがいいからな」
店主が裏口を指差す。ヤシリツァとムィーシが、エールと干し肉の代金に加えて情報代を支払い、クロートとコーシカを先頭に足早に酒場を後にした。
「んで、コーシカ。何を言おうとしていた」
「話は、トレヴァー先生のところでしようか。その方が多分、いい話を聞けるだろうね」
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「それで、僕の所に来たと」
「そうよ」
薬品と酒精の匂いに満ちた、狭い部屋の中で、コーシカの肯定に、トレヴァーは下唇を軽く噛んだ。
そして、溜め息を吐き出すと、眉間の皺を浅くして、また一度溜め息を吐く。
「……まあ、〝彼〟も酒場ならいざ知らず、流石にうちでは騒ぎを起こさないでしょうから」
凝り固まった首を鳴らし、肩を回しつつ、火鉢にかけていた薬缶を手に取り、器に注いだ白湯を全員に配る。
「ねえ、先生。それで話を聞いた所見を伺いたいのですが」
「ふむ」
トレヴァーには、コーシカとムィーシの話を聞いた上で、一つ気になる点があった。
「ムィーシ、幾つか確かめたい事があります」
「な、なんだい、先生」
頭の中で、ムィーシに対する質問を、もう一度整理する。
ムィーシ、彼は賢い男だ。言語に長け、トレヴァーの故郷の言葉すら、瞬く間に覚えてしまった。そして、文才に関しても、召喚勇者であるトレヴァーも舌を巻く。
だからこそ、僅かな可能性を摘まねばならない。
「君が見たのは、本当にチリパーハだったのかい?」
「ま、間違いないよ。首の刺青が、新しく入れたって、死ぬ前に見せてきたやつだった」
チリパーハは、新しく刺青を入れる度に、ムィーシに見せていた。だから、つい最近、新しく入れたものを見たというなら、見間違いの可能性は潰れる。
トレヴァーは、冷め始めた白湯を口に含んで、喉の渇きを潤し、出来れば外れてほしい項目を確認する。
「もう一つ、ムィーシ。貴方は、チリパーハの死体、その腹が空だったと言いましたよね」
「う、うん。空っぽになった、首の無いチリパーハの体だった」
「その傷は、こう、縦に真っ直ぐでしたか? あと、体に傷は他にも?」
トレヴァーが、自分の鳩尾から下腹辺りまでを、真っ直ぐに指でなぞり、ムィーシに問い掛ける。
トレヴァーが何を考えているのか、コーシカとヤシリツァには検討がつかないのか、二人で首を傾げている。クロートは、防毒面で表情が読めないが、まるっきり興味が無いという訳ではなさそうだ。
トレヴァーは、白湯を飲み干した器を机に置いて、ムィーシの返答を待つ。
トレヴァーとしては、傷が雑で無数についていてくれと、祈るしかなかった。
だが、そんな祈りは、この世界では路上の石ころ以下の価値しかないと、理解もしていた。
だから、ムィーシの返答が〝そう〟だと理解していた。
「き、傷は真っ直ぐだったよ。他に傷は、すぐ流れていったから、ちょっと分からない。でも、あまり見当たらなかった、と思う」
「分かりました。有り難う、ムィーシ」
「い、いや、いいんだよ先生。でも、これで何か解るのか?」
コーシカとヤシリツァも疑問だったのだろう。二人して、ムィーシの言葉に頷いている。クロートは、白湯の器を手にしたまま、動きを見せていない。
トレヴァーは一度、深く溜め息を吐き出し、四人に伝える内容について、もう一度考える。
これは、推測で物言うには、あまりに繊細な内容だ。第一、トレヴァーの考えが正しいという保証は無いのだ。
だが、言っておくべきだ。
トレヴァーは、痛みだした頭を支える様に肘をつき、言葉の始めに推測だと言ってから、考えを話始めた。
「まず、ムィーシが見たというチリパーハの死体の傷ですが、まだあまり浸透していない開腹手術によるものでしょう」
「カイフクシュジュツ? クロート、知ってる?」
「……先生の世界の医術だろ。腹切って開いて、悪くなった臓物を引き摺り出すっつうやつだ」
「うえぇ……、余計に悪くなりそう」
「かなり語弊がありますが、薬で治せない怪我や病気、主に内臓の病気の治療方法ですね」
厳密に言えば、まだ色々とあるが、今はそれを説明する時ではない。
トレヴァーはコーシカに向き直ると、彼女の話をもう一度確認する。
「コーシカ、行方不明者が増えているというのは本当ですね?」
「ええ、間違いない話ですよ。《トッシャー》《ダウザー》を中心に、他にも何人も腕利きが死ぬか行方不明に」
「うわぁ、本当なんだぁ……」
コーシカが、チリパーハの一件に関係がありそうだと、トレヴァー達に話した内容は、最近増加を見せ始めた行方不明者と、不自然な死者の数についてだった。
とはいっても、この迷宮水路で行方不明者や死者は、日常の風景の一つでしかない。
しかし、ここ最近では急に消息を絶ったり、チリパーハの様に、夜間に水路へ向かい、大溝鼠の縄張り近くで遺品が見付かる事が増えている。
「ただの偶然、最初はそう片付けていましたが、最近ではあからさまに、変死体と言えるものも増えてまして」
「変死体?」
「ええ、内臓が一部無かったり、手足が切り落とされていたり、挙げ句には背骨が丸々引き抜かれていたりと、共通点は誰もが亜人ではない人間、という事ですね」
奇怪な事件だ。と、ヤシリツァがクロートに振り向くが、当のクロートの表情は読めない。眠っている様に動きが無いが、左の義腕の鉤爪が僅かに動いているから、眠ってはいないだろう。
ヤシリツァがクロートに意見を聞こうと、声を掛けようとした時、トレヴァー宅の扉が乱暴に開け放たれた。
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