ロスマリヌス
まゆし
ロスマリヌス
チケット一枚持って、私はひとりでバレエを鑑賞しに来た。演目は喜劇のようだけれど、喜劇とはそもそも何なのか。私には明確に文字化できないその喜劇というものを調べに行く。バレエは観たことがない。
そしてその演目は、喜劇とは何か答えよ……と、突然私を迷路につき落とした。
婚約者がいるにも関わらず、別のミステリアスな女性に心惹かれる男性。その結果、婚約者は怒り、彼の気持ちを拐っていった女性をどうにかしてやろうとするが、正体はただのゼンマイ仕掛けの自動人形だった。彼女は自動人形を壊し、彼にそれを教える。彼は恋い焦がれた女性が自動人形だと知らされた時、迷わず彼女の元に戻った。大切な自動人形を壊された博士は怒り嘆く。壊された自動人形は元には戻らない。そして彼は彼女と結婚する。村人たちに祝福された幸せなラスト。
喜劇とは何か、笑えばいいもの良いのか、人生の真実は何処にあったのか。全くもって理解不能だった。迷路から抜け出せない。
観なければ良かった。あの自動人形が私のように思えたからなのか、婚約者を失いかけた彼女が自分の幸せの為だけに自動人形を乱雑に扱った時点で最後まで観たくもないと思った。博士が大切に愛情を注ぎ作り上げた自動人形を、婚約者の愛を取り戻す為だけに壊す。博士の気持ちはお構い無しにだ。
じわりと胸が熱くなった。おそらく、今、怒りの感情が表に出ている。
努力に努力を重ねて、何度も試行錯誤して美しく作り上げた作品全てを呆気なく無惨に壊された博士。壊した張本人は、涼しい顔をしているだけでなく幸せそうに笑っているのだ。哀しい。悔しい。それらの感情は憎しみを経由して博士は怒るが同時に失望し、うなだれる。
ぎゅうと胸が締め付けられた。努力と労力が踏みにじられた、哀しみ。
この私が不感性になっていた感情を少しずつ取り戻すことが、人生の真実の一面か?いや、人生の真実などには辿り着ける時が来るのか。目標が大きすぎる。壮大すぎる。一歩一歩着実に知って行くことが得策だ。人生の目的なんて、何かを強く信仰しているわけでもない、二十三歳の私では未熟で経験不足すぎる。
腑に落ちないバレエ演目ひとつ観たところで、結果を決めつけるのは早すぎる。違う、人生の真実なんてものを知りたいんじゃない。私が求めているのは、私の感受性を取り戻すことだ。
私は幼少期から習い事をせずに、ひたすら毎日勉強していた。少しでも勉強の時間を作りたくて、中学高校どちらも部活には入らなかった。決して無理強いはされてはいないし、期待されていると勝手に思い込んでいた。両親の職業柄、私もそれなりの職に就かなければと。喜んで欲しかった。
私の両親は、弁護士だった。
東京にある有名大学の法学部を出て司法試験を受けて、私も両親のような弁護士になりたいと夢を見た。夢を目標にがむしゃらに机に向かった。でも、それは叶わなかった。いくら勉強をしても全てにおける後一歩が足りなくて、平均点を余裕で越えた高得点は取れても満点は取れない。中学高校、一度も学年一位にはなることはなかった。
そして高校最後の進路相談で、弁護士になる夢を放り投げようとしていた。両親も先生も「気にしなくても大丈夫だから、今は諦めずに法学部を目指してみなさい」と言っていたけれど、すでに自分の中で勝手に限界を決めてしまった私には、誰の声も届かない。
法学部に受かったと仮定してみるが、大学院に進んでも合格率は変わらないように思えた。私の能力では司法試験に受かる可能性は極めて低いだろう。だから、誰の言葉も私の心に響かない。
進路相談後、両親は優しく笑っていた。「やれるところまでやってみたら」と押し付けはせずに、私が立ち止まらないように手を引いてくれた。
いつ決めたのかを忘れてしまった夢を潔く手放す。所詮、夢は夢でしかなく、夢を見ることを楽しむ。夢とはそういうものなのだと考える。未来の自分が『毎日楽しそうに過ごしているといいな』という大雑把な願いを口にするのと同じこと。その大雑把な願望は、ただの願望。
努力をせずに、ただただ自分の未来を良い方に解釈して、その大半の人たちは『誰かが自分を変えてくれる』と思っている。自分からは何もしないで『変えてくれる人を待つ』。他力本願にも程がある。
でも、私には楽しいということが解らない。楽しいと感じる過程に何かがあるのは理解できても、その楽しむ為に必要な何かのことを私は理解できずに、歩く足を止めてしまう。
私の心は、知らないうちに冷たくなってしまった。恵まれた容姿から「人形のようだ」と言われるようになっていく。確かに心が無いように見えるのだからそう言われても仕方がないけれど、私は玩具じゃない。意思を持った人間。誰かが何かをしてくれるとも思っていないから、自分の足で立ち自分の足で歩き自分のことは自分で決められる。人形ではない。
必要最低限のルールを守って、授業をきちんと受けてノートを取って予習復習をして、友人と休み時間に話し、寄り道もせずに帰る。
模範的な生徒であることこの上なしと、私は思っていた。それが災いして品行方正な私は、中学も高校も生徒会に入ることになってしまっていたけれど。生徒会に入ったところで、何も変わりはしないし、改革を起こそうなんて気も無いから本当に何もしなかった。言われたことだけを機械的にこなしていく毎日。言葉にされた望まれる期待に応える為だけで、自分から新しいことをしようとは思わなかった。
今日も私は微笑む。誰かに話し掛けられれば、長い睫にぱっちりとした眼とエナメル光沢のような艶やかな瞳を少しだけ細めて、口角を上げる。薄い紅色の頬は、化粧などもちろんしていない。
完璧に作りあげた微笑。
それが作られたものだとは、私を取り巻く全員は気が付かない。気が付かないくせに、私のことは皆「人形のようだ」と言う。
心だけが、氷のように冷えて固まっていく。感情が氷に覆われた水面下から出てこない。
結局、大学はそれなりに名の知れた大学の法学部に進学することにした。強制はされていなくても、強制されるかのような流れに乗った。きっと司法試験を受けろと言われたら受けるのだろう。落ちるのは明らかなのに。講義に遅れを取らないようにするのが精一杯で、東京で一人暮らしをさせてもらっているがバイトなんかもできやしない。実家から十分すぎる程の仕送りをしてもらっていたから遠慮無く使った。誰かと付き合うなんてことも考えられなくて、恋愛らしい恋愛もしていない。単位を落とさないようにすることに必死だった。余裕が無くても法学部を選んだのは、流れに乗ることにしたのは、私が自分で決めたことだ。
部活やらサークルやらの勧誘は、大学の入学時から三年生になるまで声を掛けられ続けた。「在籍してくれるだけでいいから」と。その度に、勉強を理由に断る。別に関わる友人を選別しているわけでもないのに、知らない人が私とあの手この手で関係を作ろうとする。ことあるごとに見られる容姿のせいか。私と関わりたい、繋がりを持ちたいという人の魂胆や神経が解らない。化粧をするようになったが顔立ちがはっきりとしてしまい逆効果で、完璧な微笑がさらに拍車をかける。「人形のようだ」と。
そういえば。幼い私に小綺麗な服を母親の趣味で着せられていた時、いつも「まぁかわいい。お人形さんみたいね」と言われていた。言われる度に、私は微笑んでいた。私の人形化は、あの時から始まっていたことに気が付く。母親を責めるつもりは毛頭無い。「私は、人形なんかじゃありません」と言えば済むことだったのに、そうしなかったのは私だ。微笑み続けたのは私で、無意識のうちに意識していた結果の産物。人形のような微笑。
早い段階で、人形と呼ばれることを受け入れていた。今となっては、もう否定するつもりも無い。容姿に恵まれただけでも十分なのだろう。『天は二物を与えず』という言葉通りに、天は私の求めた学力を与えてはくれなかった。この容姿だけでどう生きて行けばいいのか、知っている人がいたら教えて欲しかった。弁護士を目指していた頃の自分は、まだ自分のことを全く解っていなかった。でも今も、解らない。
大学は大学院に進むこともなく卒業をした。私は、身の丈に合った会社に就職して指示通り的確に働いている。結局、司法試験は受けなかった。予備試験の段階でやはり無理だと思ったし、既に弁護士になる夢に執着心などは皆無だった。何も感じない。真面目に過ごしてきた人形としての時間は、無駄だったのかもしれない。高校の時から解っていたのに、自分では決断できず大人に流されてここまで流れ着いた。十代の青春を私は無駄にした。それなのに、何故か悲しいとか悔しいとかそういった感情にならない。後悔がない。
──後悔しない人生なんて、あるの?
さすがに、私はおかしいのではないかと思い始めた。あまりにも感情が無さすぎるのではないか。
思い返せば、勉強ばかりだった。友人と遊びに行くことも少なく、そもそも遊びたいと思うことよりも、早く帰って勉強しなければと思っていた。なのに、自分よりテストの点数が良い生徒を見ても悔しいとは思わなかった。羨ましくも無かった。
初めて自分自身を疑った。二十三歳になって、初めて。二十三歳になるまで疑いもしなかった。
──私は、何者なんだろうか。
愚問も愚問。何者かと問われれば人間だ。爪や髪の毛だって伸びるし食欲も睡眠欲もある。ただ、心だけが感受性が人より鈍くて不感性なんだろう。解っていたことなのに、夢は儚く消えて目標も失った。人形のように整った容姿は何の役にも立たない。ただ見世物のように、ことあるごとに見られるだけだ。
だから私は、感受性を豊かにする方法を探してみようと決めてみた。夢も目標も無くして何も目指すものが無い。これは自分を探すという目標のようなもの。
両親はいつも優しかったし、何も強制や強要をしなかった。弁護士になると幼い私が言った時も「そうか」とか「ガンバレ」と嬉しそうに笑うだけで、忙しかったからか両親よりも一緒に住んでいた少々口下手な祖父と園芸好きな祖母と過ごすことの方が多かった。あの頃の私は、本当に勉強しかしていなかった?どんな子供だった?誰と遊んでいた?笑っていた?
どうしても机に向かう私の姿しか、思い出せない。手元に写真はない。実家に帰っても、忙しい両親と三人で撮った写真は数える程しかない気がする。カメラを向けられた私の表情は、笑っていたのだろうか。近々、久しぶりに帰ってみようか。
何をすれば、感受性を豊かにすることができるのか。その分析から始めようと、私は人の観察をすることにした。会社の規模が大きいので、まずは社員から観察することにしてみる。
業務中におしゃべりする人、自慢話が止まらない人、つまらなそうにキーボードを叩いている人、厳しく叱る上司に叱られて悔しそうな部下。楽しそうにクライアントと電話で話す人もいる。
改めて見ると、色々な人が集まっているので情報収集にはうってつけかもしれないけれど、きっとこの会社だけでは私の感受性に気付きを与えてくれるには足りないだろう。数日、仕事をしながら眺めていても俯瞰することしかできず、何も感じなかったからだ。
まだまだ調べる必要があると思った私は、音楽を聴き映画や舞台鑑賞をしてみる。五月蝿いなと感じるものもあれば心地好いと感じる音もあったし、映画で一喜一憂とまではいかなくとも退屈はしない。演劇の舞台はピンキリであまり合わない気がした。やはり足りない。何層にも氷漬けされて冷えきった心は、そう簡単には柔らかな温かさを与えない。
十一月の連休に実家に帰ることにした。何も考えず、飛行機に乗り込む。指定した窓際の席に座り、借りたブランケットを膝にかけてスマホを機内モードにする。周囲のざわめきと添乗員のアナウンスの後に、飛行機はゆっくり動き出し滑走路へ向かう。その様子を小さな窓から見ていた時。
──怖い!
私の感情が突然前触れもなく、異常な程に動く。何が起きたのかは解らない。怖い!怖い!と心が悲鳴をあげるように悲痛に叫んでガランガランと大きな氷の欠片を落としながら激しく震える。
身体も心に合わせてガタガタと震えだして両手を胸の前で交差させ、自分自身を腕に爪が食い込む程に抱き締める。それでも震えは収まらない。隣は空席で、離陸してシートベルトのロックが解除可能になる時間までは添乗員も来ない。誰にも気付かれない。
──怖い!怖い!死にたくない!
恐怖。とてつもない恐怖が私の全てを支配する。震えは収まらないどころか、冷や汗が出て私は浅い呼吸を繰り返す。ブランケットを背中から羽織り、前でぎゅっと持つ。寒い……
私の両親は飛行機事故で何年も前に他界した。それは、高校最後の進路相談の直後だった。貴重な休みをたまには二人きりで過ごそうと、旅行に行った時のことだった。何故こんな重要なことを忘れていたのか。その答えはあっさりと出た。
「大変な時期なのに、ごめんね」と私に言ったけれど、普段から祖父母と同居していたから問題は何もない。たかが二泊三日の旅行は私に何の影響も与えなかったし、休日らしい休日も取らずに働く両親を見ていたら、止める理由は無かった。
「何かあったらすぐに電話をするんだぞ?」
「お土産、買ってくるからね!行ってきます!」
「何も気にしなくていいよ。行ってらっしゃい」
それが両親と交わした最後の言葉だ。
忘れたかっただけだった。弁護士になれないと気が付いても地元の大学を選ばなかった。あの家にいたら心が壊れてしまいそうだった。何より、祖父母が小さな背中をさらに小さくさせて肩を震わせ涙する姿に耐えられなかった。
私は、自分勝手に自分のことだけを考えて、地元から飛び出した。そして理由をつけて何年も帰らなかった。自分だけが辛いと思い、祖父母のことなど気にかけずに……
あのバレエ演目の自動人形を壊した彼女と同じようなものだ。自分だけが救われればいいと。あの時、腑に落ちなかったのは自動人形を無残に壊した彼女への嫌悪のようなものだった。
でも、地元から離れて現実逃避したところで、嫌なことだけを忘れてしまおうとする私には、幸せを感じることも楽しさを感じることも、権利がないと思った。だから、バラバラに壊されても何もなかったかのように微笑んでいた自動人形のように毎日を過ごした。
シートベルトを外しても良い合図の音とアナウンスが流れた。真っ青になって浅く荒い呼吸をしながら震える私は、「どうかなさいましたか?」と添乗員にやっと声を掛けられた。顔を向けるのが精一杯で、震える唇から言葉は何も出なかった。ただ、涙だけがつぅっと頬を伝った。
「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんでしょうか?」
どこかで添乗員の声が、聞こえる。
到着後、空港の救護室でしばらく休ませてもらう。地元を離れる時、私は新幹線に乗っていた事を思い出した。あの時はまだ飛行機に拒否反応があったのに、それすらも忘れてしまっていた。どこかで学んだ解離性健忘だった可能性も否めない。
タクシーで実家に向かう。祖父母は温かく笑顔で迎え入れてくれた。何年も実家に帰らず、自分のことしか考えていなかったのに。そんなことを気にせずに、あの頃よりももっと小さくなってしまった身体で私を抱き締めた。
「元気そうで良かった」
「無事で良かった」
「ごめんね、ずっと帰らなくてごめんね」
祖父母に対して、私はなかなか出てくれない声を無理に出して謝った。
「いいのよ、元気でいてくれたら」
──生きていてくれさえすれば。
祖母は私の手を握り、それから背中を優しくさすりながら、そう言ってくれた。しわしわの手は柔らかくて温かくて、私はしばらく祖母に抱きついたまま動けなかった。そのまま庭を見ると、いつ植えたのかローズマリーが花を開かせていた。
私は、大切に大切に育てられていたことを祖母の体温から感じた。祖父は私たちの傍で、何も言わずに庭を見ている。
博士が自動人形に注いだ愛情と同じように、祖父母から両親から私は愛情をちゃんと受け取っていて。受け取った愛情は、心の奥底に宝物のように仕舞い込んで、誰にも傷つけられまいと氷で守っていた。軽々しく触れて欲しくない、傷付けられたくない、宝物を取られたくないと不安と恐怖を理由にした。
ただその為だけに、人形のような微笑しか浮かべなくなったのだ。自分で宝物を心の奥底に仕舞ったことも忘れて……何とも愚かで滑稽で笑えてくる。まるで喜劇のようだ。見失った自分を見つけた幸せなラスト。
庭のローズマリーを祖父母は縁側からいつも見ていたに違いない。大切な『思い出』を二人で優しく振り返っていたに違いない。時には涙も流しただろう。その長い長い時間、私は何をしていた?何年も帰らず墓参りさえしなかったことを、初めて後悔した。
両親が忙しい日々の中で時間を作って近くの遊園地に連れて行ってくれた時の写真が、本棚に飾ってあるのを見つけた。
『あなたは私を蘇らせる』
写真の中の私は、人形のような可愛い服を着て、父と母と手を繋いでいた。
優しく笑う両親の真ん中で、無邪気な満面の笑みを浮かべている。
ロスマリヌス まゆし @mayu75
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