あとがき
物語に添えて
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
今回は、奈良時代を生きた二人の仲麻呂にスポットを当てて短編を書き上げました。
作中では阿倍仲麻呂を藤原仲麻呂の家庭教師と位置づけましたが、二人の交流は史料に残っておらず、定かではありません。
しかし『続日本紀』によると、阿倍仲麻呂の伯父である
また、阿倍仲麻呂と共に唐へ渡った
これらのことから、藤原仲麻呂と阿倍仲麻呂の交流を想像し、物語として書き起こしてみました。
この後、阿倍仲麻呂は無事に唐へ辿り着き、時の玄宗皇帝から寵愛を受けることとなります。明確な記述は残っておりませんが、恐らく最難関の国家試験である科挙に合格し、死後には従二品の位を貰うほどの高官となりました。
しかしながら、一度目の帰国の際は唐で重んじられたことなどが影響し、帰国を許されず······二度目の帰国の際も、出航は出来たものの嵐によってベトナムまで流され唐へ逆戻り······。その結果、ついに日本へ帰国出来ぬまま客死しました。
一方の藤原仲麻呂は、叔母の光明子が聖武天皇の皇后となったことなどを背景に、政治の表舞台へと進出していきます。皇族出身の
史書には描かれない日常の断片で、二人の仲麻呂は何を思い、何を願っていたのか。我々が知れることではありませんが、二人が海を挟んで懸命に生きていたことは確かでしょう。その中で、阿倍仲麻呂は皇帝から
新たな名前を賜った時、彼らはどんな決意を胸に抱いていたのでしょう。生まれ持った「仲麻呂」という名に、幼い頃の夢や思い出が少なからず刻み込まれていたのではないか······と想像し、この物語を閉じさせていただきます。
最後に、天平勝宝三年、阿倍仲麻呂が二度目の帰国を試みる機会ともなった遣唐使たちに向け、藤原仲麻呂が贈った送別の和歌。そして、阿倍仲麻呂が二度目の帰国に伴い、送別の宴で唐の友人たちへ披露したという望郷の和歌。
どこか呼応するかのような響きを持つ二つの大和歌を、この物語に合わせた独自の拙い意訳ながら、ここに記したいと思います。
ここまでのご愛読ありがとうございました。
──天雲の往き還りなむものゆゑに思ひそ我がする別れ悲しみ 藤原仲麻呂
──あまの原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 阿倍仲麻呂
「必ず往っては帰る天雲のように、きっとお前も帰って来るのだろう。それなのに、私は物思いに暮れてしまうのだ。遠く海の先へと向かった、お前との別れを悲しんで······」
「広い空を仰ぎ見れば、ぽっかりと白い月が浮かんでおります。ああ、きっとあの月は海の向こうの、遠く懐かしい故郷の、三笠山に昇っていた月と同じなのでしょうね······。今から帰りますよ。共に月を眺めた貴方の元へ······」
月影に藤 鹿月天 @np_1406
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