呼びかける声

 澄み渡る青空のもと、やわらかな日差しを浴びながら春先の温かな風が草原をなでる。


 緑の葉が膝をくすぐる感覚に目を閉じて、心地よい風を全身に受ける彼女の髪は、天から祝福を受けたように日の光を浴びて淡く煌めき立ち、ゆるやかなウェーブを描きながら赤き水流のこどくなびいた。


 目が覚めるような深紅のワンピースからすらりと伸びた白雪のような四肢に、閉じれば音が鳴りそうなほどに長いまつ毛。磨き上げられた黒玉こくぎょくのごとく透き通った瞳に濡れたように艷めく赤い唇。


 その風貌は天から降りし女神か天女かという程、人間離れした美しさだった。


玲奈れいな


 そんな彼女を眩しそうに目を細め、温かな眼差しで見守る男がいる。


 彼女と同じ黒玉こくぎょくの瞳を持ち、目元を隠すように伸びた闇色の髪は風に舞って時折、端正な顔立ちを露わにした。加えて少し憂いを帯びた彼の表情はどこか色気さえもかもし出し、多くの女性の心をつかんで離さない。


 そんな二人が肩を並べれば、誰もが己の身を置き換えた夢を見る。その結果、あまりにも役不足だと打ちひしがれることになるのだが。


「ミナト」


 風になびく髪の毛をそっと手で押さえながら、彼女が振り返る。その声色は蜂蜜のように滑らかで甘い。一介の男ならば、名前を呼ばれただけで心を奪われそうになるだろう。


「そろそろ戻ろう」


「もう? こんな光景、東京じゃ見なかったもの。もう少しいたいわ」


「またいつでも来れるよ。今度はちゃんとお弁当を用意してこよう。お腹が空いただろう?」


 ミナトがそっと彼女の頬に触れて目を細めると、玲奈は手を重ね合わせ、そのぬくもりを感じるようにうっとりと目を閉じた。


「あなたが作る手料理、とても好きだわ。温かい味がするもの。でもそれより……」


 長い睫毛をゆっくりと開けて玲奈はミナトの瞳を見つめると、首にそっと腕を回して髪の毛に指先をもぐりこませ、引き寄せた。


 ミナトもまた視線をそらさず彼女の瞳の中に自分の姿を映しながら、吸い寄せられるように彼女の細い腰を抱きしめる。


 彼女の豊満な胸が押し潰れるほど隙間なく体を抱きしめ合い、自然と近づく瞳の中で互いの吐息を感じながら二人の唇は重なり合った。


 目を閉じて咥内で繋がる熱を感じれば、温かくて幸せな蜜の味がする。


 それが彼女——吉野よしの玲奈れいなの生命の源、「生気」。


 それはどれほど美味な食事よりも、魅惑的で官能的で彼女をたかぶらせる。


「ん……」


 深く深く、もっと深く。


 互いの身体をしならせるほど抱きしめ合い、まるでこのまま一つになりたいのだと、そう言わんばかりに二人は熱い口づけを交わし続ける。


「魔王様」


 だが。そんな二人の熱に冷ややかな口調が差し込む。玲奈は熱にうだされた瞳をすいっと横に流した。


「……もう魔王ではないわ。その呼び方はやめなさいと言ったでしょう」


「たとえお力が失われたとしても、我々にとって魔王様であることに変わりはありません」


 熱い口づけを交わす二人から距離を取り、横並びにひざまずく三人の男たちの姿がある。


 うちの一人、腰ほどまである月明かりのような銀髪に海よりも青い瞳をした男——サシャールは顔を伏せたままそう告げた。


 この男もまた、人間離れした美しさを持つ。それもそのはず、この場にいるミナトを除いた玲奈を含む四人はそもそも人間ではない。


 69代目魔王として転生を果たした吉野玲奈と、生誕の時より腹心として仕えていたサシャール、ガイア、ロンザの三人は魔族である。


 だが魔王と勇者による聖戦の末、玲奈は敗れ魔王としての力を失った。


 だがそれでもなお、その二人の傍には常にこの三人の姿がある。


 玲奈は名残惜しそうにミナトから体を離すと、小さく嘆息をついた。


「魔王としての力がないのだから、あなた達がわたしに仕える必要などもうないわ」


「いいえ。あなた様が魔王として生誕されたあの時、我々は誓ったはずです。あなた様のためにこの身を尽くすと。魔王様に立てたその誓い、何があろうとくつがえることはございません」


「もう自由だというのに、困ったひとたちね」


 小さく眉根を寄せつつも、そう言う玲奈の表情は柔らかい。


「それで、ここまで迎えに来たということは何かあったのかしら」


「はい。魔界に動きがありました」


 抑揚をつけず言葉を発したサシャールに、玲奈とミナトの表情が同時に動く。


 先ほどまでの甘い雰囲気を瞬時に打ち消し、サシャールに向けた二人の目つきは険しい。


「どういうことなの」


「魔界に魔素が溢れ活性化しております。人間界に紛れていた魔族たちも魔界へと戻り始めている様子」


「つまり?」


「新たな魔王生誕の可能性が高いということです」


「……わたしの代は終わったのだから、新たな魔王が誕生してもおかしくないわね」


「いや」


 難しい顔をして否定の声をあげたのはミナトだった。


「『生誕の間』は聖剣の力で封印されていたはずだ。バンガイム帝国の大司教たちが、さらに何重にも掛け合わせた魔法陣で扉に封印を施した。歴代の魔王は生誕の間から生まれるはずだろう。それなのに、新たな魔王が生まれるなどあり得ない」


「ミナトの言う通り生誕の間が封印された以上、新たな魔王が生まれるはずがありません。しかし……」


 サシャールが難しい顔をしてさらに言葉を紡ごうとしたその時、それは起きた。




 ――――集え、我が眷属どもよ――――




「!?」


 深淵から魂に呼びかける声。


 それは玲奈、そしてサシャールを含む三人の腹心のあたまに魂に響き渡る。


「「魔王様!」」


 青ざめたサシャールが驚きに目を丸くした玲奈に飛びつく。それは他の腹心たちも同じだ。一瞬で間合いを詰め、玲奈に向かって飛びついた。


「なんだ!」


 唯一その声が聞こえなかったミナトだけが、腹心たちの行動に驚きの声をあげる。


「ミナト! おまえはバンガイムに戻れ! なにがあったか確かめるんだ!」


 サシャールが必死の形相で叫ぶ。それと同時に玲奈の体のまわりに黒煙が立ちこめ、一瞬で彼女の体を包み込んだ。


「玲奈!」


「ミナトッ!」


 ミナトへと差し伸ばした玲奈の腕をミナトがつかみ止める前に、立ちこめる黒煙は玲奈と彼女を守ろうと飛びついた三人の腹心ともども包み込み、風に舞って霧散した。






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サキュバス魔女王があいつを殺しにいってきます~魔女王の下克上~ 一色姫凛 @daimann08080628

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