デリヘル嬢がお仕事で元クラスメイトのキモデブと会った話
ラーさん
デリヘル嬢がお仕事で元クラスメイトのキモデブと会った話
打ち捨てられた老人と、諦念に身を委ねた中年と、未来を閉ざされた若者しかいない、再開発から取り残されて時代の浸食の中で朽ちるに任せた昭和のマンモス団地の残骸に、わたしは住んでいた。
だから今日、マネージャーから指定された客がこの団地の住人と知った時点で断らなかったことを、わたしはひどく後悔したのだった。
客の部屋に入ると、そこに見覚えのあるキモデブがいた。
「……え? 川崎……さん?」
「アケミでーす。よろしくお願いしまーす」
「アケ……? 川崎さんの下の名前って、確か奈美……」
「アケミですってば。やだなー、お客さーん。ふふ、お名前は田中さんでしたっけ? えーと、今回は六十分コースのご指定ですね。さっそくですが田中さん、今日はどういったサービスをお求めですか?」
「……は、はい」
営業スマイルで源氏名を押し通して黙殺したけれど、わたしはこの客の男を知っていた。高校のときのクラスメイトだ。確か名前は山本――マネージャーから聞いていた名前は田中だったが、デリヘルの客の名前なんてだいたい偽名だ。下の名前は忘れた。記憶にあるのは夏場に鬱陶しい汗だくのキモデブ姿だけだった。下手な小学生の身長よりありそうな腹回りに、常にじっとりと脂と汗で湿っていそうなテカりのある肌、顔の肉にちょこっとのっかるメガネが愛らしさよりも憎らしさを醸し出すキモデブ。三年は昔の記憶なのにあの頃と寸分違わぬ姿を維持した山本がそこにいた。
「と、とりあえず、へ、部屋へ……」
山本に案内されて彼の自室へと移動する。生活感のある散らかったリビング、ちらりと見えた洗い物の溜まったキッチン、うっすらホコリの積もった廊下、そしてマンガやゲームにDVDのケースなどが壁際の方へ乱雑にどかされた感じのある山本の部屋。同じ団地のわたしの家と変わらない間取りで、不快なことに使っているわたしの部屋の位置も同じで、さらに清潔感も大差ない感じなことに不快感は倍増しである。帰ったら掃除をしようと心に決める。
「こ、こちらをお願いします……」
部屋に入ると山本は用意していたらしいリクエストのメモをおずおずと差し出してきた。口に出すのは恥ずかしいらしい。
「わかりましたー。では、制服コスで設定は彼女との恋人プレイ、寄り添って手コキからの口で、ですねー。じゃあ着替えまーす」
代わりにわたしが営業トーンで読み上げてあげると、顔を赤くしてモジモジとウブな童貞臭を漂わせた。可愛げよりも可哀想な気分が湧く。
「あっ、こ、ここで?」
持ってきたコス服に着替えようと服を脱ぎ出すと、山本は慌てて背中をむけた。どうせプレイ中に脱がして揉んだりするんだろうに、なにを照れる必要があるのか。ガン見の客とはまた別種の気持ち悪さがある。
「はい。準備オーケーです。じゃあさっそく始めさせてもらいますねー」
ベッドに並んで座り、山本の腕に密着する形で身体を寄せる。
「ふふ。田中くん、二人きりだね……」
アマアマ恋人モードに切り替えて、甘い声で山本の耳元で囁く。汗臭い。恋人モードの演技を絶やさずに、我慢で山本のズボンのチャックに手を伸ばす。
「こんなに興奮してる……。わたしも興奮してきちゃった……」
チャックを下ろすと突き出た腹肉の下で、すでにイキリ立っているモノが姿を現す。手を筒状にして、ソレを優しく包んであげる。
三擦り半。
「あ」
フィニッシュ。
「…………」
「…………」
口までたどり着くことなく終わり、うなだれたソレを白く汚れた手で掴んだまま、わたしはいたたまれない空気に無言だった。山本もうなだれたソレをうなだれた背中で見つめて無言だった。イカ臭さに哀愁が漂った。
「自分、風俗初めてで……」
「あ、はい」
突然、山本が口を開いた。わたしは思わず素で返事をする。
「まさか昔のクラスメイトが来るなんて……」
「それは、なんというか申し訳ないことしたかもと――」
「興奮してしまって……」
「キモッ」
照れながら言う山本に、身体が反射的に離れる。傷ついたような顔をむける山本に、客に使う言葉じゃなかったなと反省しつつ、けれど「生理的に無理な瞬間って誰にでもあるじゃん?」と脳内で自己弁護をしながら、汚れた手を自前のウエットティッシュで拭く。
「あ、ああ~、ごめんなさい。興奮していただけてよかったです――」
とりあえず営業スマイルで取り繕おうとしたところで、山本が肩を震わせていることに気づいた。
「は? え? 泣いて、え?」
「悲しくなって……」
確かに悲しい。三擦り半だ。しかも知り合い相手に。肋骨全損骨折レベルの心的外傷だ。同情する。
「……知っていると思いますけど自分、キモデブ陰キャじゃないですか」
泣きながらなにか語り出した。同情はしたが、そんなの聞いてあげるとは言ってない。三擦り半で訊いてもない自分語りとか始めたら、デリヘル嬢百人に訊いた気まずいピロートークベストテンとかで上位入賞しちゃうエピソードのヤツだろ。やめろ。心が痛い。
「親にもね、もう少しやせたらとか、もう少し明るくとか、ため息混じりに言われて、嫌で、だから高校出て就職したら、一人暮らしをしようと思って、でも手取り十二万くらいで家賃払うお金なくて、家から出られなくて」
しかし遮る理由もなく、時間も三擦り半じゃまだ四十分以上残っている。わたしは適当に相槌を打ちながら聞き役に徹するしかなかった。
「なんで自分なんて生きているんだろうって、なにが楽しくて生きているんだろうって、自分キモデブだし、モテないし、お金ないし、夢もないし、ずっと、ずっとこんなんで――」
そりゃモテない。デブやら金やら夢やらはともかくこの思考は間違いなくキモいし、自覚があるのにキモいままにして自分語り始めるんだから、これはどうしようもない。
「――だから、親のいない時間を見て、勇気を出してデリヘルに電話したんです。そしたら川崎さんが来て」
この「だから」の飛躍がキモい。要は学生時代にできなかった女の子とイチャコラする青春を取り戻そうと、親の目を盗んで無い金払ってデリヘル嬢に自室で制服コスをさせて恋人プレイをしようとしたと。悪かったな、わたしが来て。
「でも、川崎さんはなんでデリヘルを? もっと、こう……キラキラしていたイメージがあったから」
死んだ目で聞いていたわたしに急に話が振られた。キラキラ。確かに当時のわたしはどちらかといえば陽キャのリア充グループにいた。キモデブ陰キャの山本とはほとんど接点もなかったから、こいつの視点から見ればもっと人生うまく立ち回っていそうな人間が、デリヘルなんてやっているのを不思議に思うのもうなずけた。
でも、わたしもこの団地の住人なのだ。
「学費」
山本がぽかんとした顔をした。わたしはもう一度言ってやった。
「ないの。学費」
散々こいつのつまらないありふれたしょうもない自分語りを聞いてやったのだ。少しくらいわたしのつまらないありふれたしょうもない自分語りをしてやってもいいだろう。
「高校のときはリア充たって、結局親に金がないのよ」
今度は山本が聞き役になる番だった。わたしは自分の膝に頬杖をついて、山本の部屋の薄ら汚れた壁を見るともなしに見やりながら、ぽつぽつと話した。
「奨学金だけじゃ足りないし、卒業しても返済があるし。こつこつ払うと月二万を十五年だってよ? 完済する頃にはアラフォーよ。たまんないわ」
息が重い。胸に溜まっているよどんだ感情を、ひとつひとつ吐き出すように言葉を出す。
「それでも大学には行きたかった。『大学なんてどうせ金の無駄』と高卒の両親に言われたのが悔しかったから」
娘の気持ちより自分の常識を口にする親は、いつも都合を前に出す。
「それで学費稼ぎにバイト増やしたけど全然足りないし、疲れるし、大学通う時間もなくなるしだから、短時間高収入のお仕事始めたら、あんたのソレをしごくことになったってことよ」
山本の股間にうなだれているモノを指差して言うと、恥ずかしくなったのか、慌ててティッシュで掃除をしてパンツにしまい始める。
「収入が増えたら増えたで、親はわたしの収入を当てにし始めるし、最悪」
それを横目に見ながら、親への愚痴をこぼすわたし。本当、最悪だ。
「娘の様子でどんな仕事始めたか、想像くらいつくだろうに――」
わたしの親は、いつも都合を前に出す。未来なんて見ていない、いつも目の前の現実に追われることに慣れ切った両親。
「就職しても、手コキ足コキ働かなきゃ、たぶんあんたと同じで家も出られない」
その現実に、追いつかれそうになっているわたし。
「高給取りの旦那でも捕まえなきゃだけど、こんなとこであんたのソレをしごいてるような両親高卒のデリヘル嬢なんかとの人生を選んでくれる、高給取りなんて見つかると思う?」
そこでわたしは笑った。錆びたナイフで自分の身体をめった刺しにして作った血だまりの中で、青い空を仰ぎながら手を伸ばすような――とびきりの自嘲で。
「……あー、死にたくなってきた」
わたしはそう漏らしながら、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。
結局、陰キャも陽キャも関係ない。山本もわたしも、金がないのだ。未来を望む金が。それを親が持っていなかっただけ。わたしたちの人生は始まったと同時に終わっていたのだ。
「……こんな捨てられた団地に暮らすしかない親の子供に生まれた、わたしたちみたいなのにはさ、最初からハッピーエンドなんてないんだろうね」
声に出した言葉は思った以上に重たくて、わたしは膝を抱えて丸くなった。おばけに怯える子供が怖い夜を必死に耐えるように、わたしは膝に顔を埋めて丸くなった。
「あー、死にたい……」
「ありますよ」
そこで山本が口を開いた。顔を上げると、山本がベッドの上に立ち上がってわたしを見ていた。
「ありますよ、ハッピーエンド。自分が見せてあげます」
「はあ?」
そう言いながらなぜか服を脱ぎ出す山本。わたしは慌てて身体を起こすと、両手を振って拒絶のポーズを示す。
「ちょっ、いらないわよ、そういうの! 『オレが一生幸せにしてあげる』的なこと言って本番狙うクソ客なんて、今まで何人相手にしてきたか――」
けれどわたしの全力の拒絶なんて無視して、山本はパンツ一丁の姿になると、
「ハッピー!」
両手を広げて叫び、
「エンド!」
身体をひねって、
「ターン!」
キモデブが回った。
飛び散る汗。
揺れ踊る肉。
回るキモデブ。
ターンの最後に足がぐらつき、ベッドがバキッと嫌な音を立てた。
「…………」
「…………」
SNSのネタリプなんかによく見るスペースキャットのような、よくわからない余韻が部屋の中を漂い、わたしと山本はしばらく無言で見つめ合った。
なにがしたかったのか? どういう反応を期待していたのか? そのすべてが理解不能で、わからないから――おもしろかった。
「――ぷっ」
そう思ったら、笑いがお腹から込み上げてきた。
「――あははははっ! ひーひっひっひ!」
腹筋が痛かった。笑い過ぎで息が苦しい。こんなに笑うのはいつぶりか。なんだ。なんなんだ。なんでデブがターンしたんだ。謎過ぎる。ダメだ。完全にツボった。
「あー! だめ! お腹、お腹よじれる……」
そういえば、子供の頃に見たテレビにそんなネタをしていたお笑い芸人がいた気がする。それを思い出したら笑いの第二波が来た。なんでそんな古いネタを。やばい。笑い死ぬ。
「……はぁはぁ、あんた、おもしろ過ぎ。腹筋割れるわ! だいたいエンドじゃなくてアンドだし、ハッピーがターンしたらバッドじゃん! なんなのよ、なにがハッピーエンドありますよっ!」
「あ」
わたしのツッコミに、山本が「しまった」という顔をする。なんだよガチボケかよ! 第三波来ちゃうだろ、このバカ!
「はぁ……はぁ……ひぃ……ぷぷっ」
笑いを抑えようと呼吸を整えるわたしを、山本はパンイチ正座で待っていた。その姿もまたわたしの笑いのツボを刺激するので、完全に笑いを抑えるまで、だいぶ時間がかかってしまった。
「……で、結局なんなの、これ?」
ようやく落ち着きを取り戻したわたしは、やっとの思いでこの訳のわからない一発ギャグの真意を訊ねる。すると山本は、
「えーとですね、エンド――つまり終わりだと思っても、まだターン――つまり変えていけるというメッセージを、この肉体を活かした表現をして笑いに昇華させてみようと――」
ネタ解説を始めた。いや、訊いたのはこっちだけど、なにかこうウェットに富んだワンフレーズとかを期待していたので、こんなガチな解説をされるのは違うというか――、
「あ……はい……」
率直に言ってドン引きした。キモい。圧倒的にキモい。
けれど山本はこちらの反応に気がつかないのか、早口で立て板に水の解説を続ける。
「――ですから、川崎さんの『最初からハッピーエンドなんてない』という言葉を否定したく、同時にギャグを混ぜることで川崎さんを元気づけようという狙いで、このような行動に至ったのです、はい」
無駄に理路整然とした山本の解説を一通り聞き終える。これが彼なりの優しさによる、わたしに対しての励ましだったということは理解できた。
しかし、こいつの人生も泣きながら『なんで生きているんだろう』とか語り出すレベルで詰んでいるのに、随分と前向きなことを言い出したものだ。
「人生、なにが起こるかわからないものじゃないですか。初めてのデリヘルにクラスメイトが来て、お互いの身の上話をし合うなんて、奇跡みたいなもんじゃないですか。だから自分、ターンを決めてみたんです」
山本がキラキラとした瞳でこっちを見ている。奇跡といえば奇跡だが、感動よりもネタ話に分類されるような奇跡である気がする。もしかしてこいつは、デリヘルに電話したことを自分の人生のターンと認識しているのだろうか? ヤバいフラグが立った気がする。
「うん、まあ、そうね……ターンね。つまり、あれだ。バッドエンドでもターンができると。そうあんたは言いたい訳だ」
山本がターンを決めた瞬間に、わたしの人生はハッピーにターンした――なんて妄想にも似た与太話を信じられるほど、わたしの人生は安くなかったし、夢はいつでもショーケースのむこうに並ぶ宝石だった。だいたいなにも解決していない。金はないし親はクソだし仕事はデリヘルだ。わたしはこの団地を抜け出せていないし、ターンを決めた山本からしたってそれは変わらない。
けれど確かにこの日、こいつはターンを決めたのだ。
「ありがと。ちょっと元気出た」
そう笑うと、山本の顔がパッと明るくなり、今日初めての笑顔を見せた。その笑顔は変わらず脂と汗にじっとりとテカっていたけれど、目元の晴れやかさに少しだけさわやかな風を感じさせる笑顔だった。
「よかったです」
山本は嬉しそうにそう言い、そして急にもじもじと大きい身体を小さく丸めると、最初にリクエストのメモを渡してきたときのようなおずおずとした挙動で、なにかもごもごと言い出した。
「……それで、その……よかったら、その、連絡先を――」
「あ、時間だ」
そこでサービスの終了時刻に設定していたスマホのアラームが鳴った。
「本日はご利用ありがとございましたー」
さっさと着替えると、営業スマイルでサービス終了のあいさつを玄関に見送りに立った山本のしょぼくれた顔に告げる。あまりのしょぼくれ具合に少し笑えた。
「山本」
なので、ちょっとだけ延長サービスをあげることにする。
わたしは玄関から数歩離れたところで振り返り、
「諦めるのはやめるわ」
不意をつかれた山本のきょとんとした顔に、
「ハッピーエンド」
青く晴れた空を掴むように高く伸びるヒマワリみたいなイメージの、わたしのとびきりの笑顔をあげた。
山本のテカテカなキモい顔が、可愛げのある赤い色に染まるのを見届けて、わたしは玄関先の階段を駆け下りた。
外に出る。汚れにくすんだ灰色の団地の上に、青く晴れた空が広がっていた。
わたしは走りながら手を空に伸ばして、そこにあるなにかを掴むようにグッと拳を握り締めた――。
*****
――と、ここで終われば二人にとって心に残る、あの三擦り半のくだりすらさわやかな風に包まれたハッピーエンドであったのに、残念なことに後日、山本から指名が入った。
当然のようにマネージャーに断るよう頼んだ。キモかったからだ。
代わりにわたしはSNSのサブ垢を書いたメモを、山本の家のポストに入れた。
これがわたしの人生のハッピーエンドとバッドエンドのどっちにターンするか、全然わからなくて少し楽しみである。
わたしは軽いステップでターンを決めた。
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