冷やし中華をよこせ

四葉くらめ

冷やし中華をよこせ

『冷やし中華を出すラーメン屋は終わっている』

 そんな言葉をどこかで聞いたことがあるが、それに対してわたしは断固として否と言いたい。

 もちろん、そういう側面がゼロであると言い切ることはできない。ラーメン以外で客を引き留めるなんて邪道だという考えもあるだろう。

 しかし、わたしは知っているのだ。ラーメン屋の出す美味しい冷やし中華というものを。そこにラーメン屋のプライドは関係なく、ただただ客が夏に食べたくなる麺類を提供する――その店主の姿勢を表した末の一品を。

 しかし、その店にはもう簡単には行くことができない。というのもわたしは就職を機に実家を離れ、1人東京へと住まいを移したためだ。

 実家の近くにあるお気に入りのラーメン屋は夏になると『冷やし中華はじめました』という定番のセリフが書かれた看板とともに、冷やし中華の提供をはじめる。その看板はかなり古ぼけていて、冷やし中華のメニューがかなり前からその店にあることを窺わせたものだった。

 ラーメン好きのわたしも最初は「ラーメン屋が冷やし中華?」と眉をひそめたものだったが、しかしそこでわたしは大した期待も持たずに冷やし中華を注文した。別に冷やし中華が食べたかったからというわけではない。単純にその店のメニューを全制覇しておきたかったからという食欲よりも収集欲に駆られた結果だ。

 その行動は正解で、わたしはラーメン屋が作る本当に美味しい冷やし中華というものを知ったのだった。



 わたしが東京に来てから3ヶ月、6月も終わりに差し掛かる土曜日。そろそろ梅雨明けしてもよさそうなものなのに、今日もしとしとと雨が降る中、わたしは東京こつちで見つけたお気に入りのラーメン屋に来ていた。

「お、姫さん! らっしゃい! 雨降ってんのにありがとな! 今日はどうする?」

「そうだな……つけ麺で頼む」

「へい! つけ麺一丁!」

 短い会話をして空いている席に座る。この店はそんなに広くなく、あるのはカウンター席が6席のみ。ちょうどわたしがその6席目を埋める形になった。

 交差点の角に構える店は日差しがよく入り込み、白い木目調のテーブルも相まって店内は明るい雰囲気を醸し出している。

 休日にしか来たことがないから平日はどうなのか知らないが、お昼時はいつもこれぐらいの混みようだ。場合によっては外に設置してあるベンチで待つこともあり、こんな小さな店ではあるが、そこそこの人気はあるのだろう。

「姫さんはこんな日でも和服なんだな。もしかして夏もその格好? 暑くね?」

 わたしの隣に座っている男が話しかけてくる。キタムラという男で歳はわたしよりも少し上――20代後半と言ったところだろう。チャラいとまでは行かないまでも人と話したがりのようで、わたしの他にも隣に座った人に話しかけているのをよく見かける。

「梅雨が明けたら浴衣に変えるつもりだ。まあそれでも多少は暑いけど、慣れれば耐えられないほどじゃない。あとは保冷剤をタオルに包んだりして凌ぐよ」

 ちなみに、わたしが『姫』と呼ばれているのもこの和服姿のためだ。キタムラの「和服ってお姫様っぽいよな」というてきとうな発言から、気付けば店主や常連客からはこのように呼ばれてしまっている。

「別に普通の格好でいい気がするけどなー。ここそんな頑張るとこじゃねえぞ?」

「んなこと言うキタムラさんの麺は半分にしましょうか?」

 わたしとキタムラが話をしていると、それに割り込んで店主が顔を出してくる。おそらくキタムラの注文ができたのだろう。

「それはないぜ大将! 餃子の追加注文するからさ!」「へへ、まいどー」

 そう言いながら、カウンターを通してキタムラのラーメンを出してくる。もちろん、量は通常通りだ。

「まあ、わたしにとってはこれが一種の戦闘服というか、礼服というか、大好きなラーメン屋に来るときに気を引き締めるためのツールって感じなんだ」

 キタムラの言うようにここが気を引き締める場所なのかと言われると返答に困るのだが、なんとなく礼儀というか、きちんとしたい気分に駆られるというか。

「あー、デートでカッコよくしていくみたいな?」

「ああ、その感覚は近いかもしれない。生憎、デートはしたことがないが」

「おい、大将。この和服はデート感覚らしいぞ、脈ありかもよ?」

「んなこと言ったら姫さんに失礼でしょうが。それに僕は麺が恋人なんです」

「奇遇だな。わたしも麺が恋人だ」

「麺の野郎……男女見境ねえな……」

 その言い方にわたしと店主は思わず吹き出してしまう。

「そういや大将。今年の夏も『冷やし』やんのか?」

「ええ、もちろんやりますよー」

「『冷やし』?」

 まさか、それは『冷やし中華』のことか!? この店の冷やし中華だったら食べてみたい!

「ああ、そうか。姫さんはまだこっちきて初めての夏だもんな。この店はさ、7、8月は夏の定番麺をやってるんだよ」

「2週ごとに入れ替わりで4品やりますんで、ぜひいらっしゃってください」

 ふむ……、どんなメニューなのか気になるところだが、どうせ行けばわかることだし、楽しみは取っておくとしよう。

 それに『夏の定番麺』ということだ。もちろん、冷やし中華もあることだろう。楽しみだなぁ♪



『そうめん、はじめました』

「は……?」

 わたしは店の前に出ている看板を見て、そのまま数秒間、看板に書いてある文字を凝視してしまった。

 7月最初の土曜日に、いつも通り和服に着替えて件のラーメン屋へと赴き、見慣れぬ看板を見つけて期待して見てみたらこれである。

 つい数日前の梅雨明けからさっそく元気よく肌に当たる日差しのことも忘れて、わたしは素麺という食べ物がなんだったかをしばし思い出す。

 いや、別に思い出すまでもないよ。っていうかわたしもついこの間家で作ったよ。正直ラーメン屋で出すほどの料理じゃないよ。

 ま、まあ、あの店主がわざわざメニューとして追加するぐらいなのだし、味は保証されているのだろう。

 少し戸惑いながらも店に入ると、今日は少し早めに来たからか、まだ他の客は来ていなかった。

「お、姫さん。らっしゃい! 今日から『冷やし』第1弾、『素麺』をはじめたよ」

「あ、ああ。予想外のものが出てきてびっくりした。じゃあ素麺にしようかな」

「へいっ、素麺一丁! 少し時間かかるけど大丈夫かい?」

「素麺って時間かかるのか!?」

 茹で時間4分とかだよね!?

「ああ、そうか。姫さんはうちの素麺初めてだもんな。うちのは素麺、バッテラ、天ぷらのセットでな。天ぷらが結構時間がかかるのさ。

 それからバッテラは穴子にも変えられるよ。天ぷらも苦手なもんがあったら言ってくんな」

 なるほど。確かに家で素麺をするときも、スーパーで買った天ぷらや寿司をおかずにすることはよくある。っていうかこの場で揚げてくれるんだ……。ラーメン屋なのに。

「あ~、実はえび天が苦手で。いも天に変えられたりするだろうか?」

「お安い御用だ!」

 それから待つこと十分弱。バッテラ、天ぷらと順に皿が出てきて、最後に氷水に浸された素麺と、めんつゆが入れられたガラス容器をカウンター越しに渡される。

「……この容器、すごくきれいだな」

 容器にはピンポン玉を押し当てたような凹凸がいくつもあって、その小さなクレーターが照明の光を曲げることで、テーブルに複雑な模様が浮かび上がっていた。いくつかのクレーターは薄い緑やピンク色に色付けされており、それがアクセントになっていて美しい。

 素麺の方はすだちを輪切りにしたものが添えられているのみだが、寿司に天ぷらと素麺の周囲がかなり充実していることもあって、これぐらい軽い方が逆に良い。

 ちなみに寿司と天ぷらについては先に来ていたので既に食べはじめているわけだが、こちらについても言うまでもなく美味しい。

 いや、でもよく考えてみればここラーメン屋なんだよな? なんで寿司や天ぷらが美味しいの? 良いことだけど。

「んん~、美味しい」

 いつもはラーメンをズズズとすすっているところを、今日はちゅるんと口に滑り込ませる。やっぱり夏の食べ物の定番だよね、素麺。

 このお店、ラーメンの麺は自家製らしいのだが、おそらくこの素麺も自家製なのだろう。普段食べるものとは食感が違う気がする。

 麺の他にも薬味を入れたり、いも天を素麺のつゆにつけて食べたりと楽しんでいたら、あっという間に食べ終わってしまった。

 はじめ、素麺と聞いてそんなものをわざわざラーメン屋に来て食べる価値はあるのかと疑ったものだが、これはある。確かに素麺単体で見ればそれほど違いがあるわけでもないが、素麺をメインにした一食という意味ではとてもクオリティの高いものになっていた。

「店主、とても美味しかった。近々また来させてもらうよ」

「姫さんにそう言って貰えると嬉しいや。ありがとな」



『冷麺、はじめました』

「は……?」

 わたしは店の前に出ている看板を見て、そのまま数秒間、看板に書いてある文字を凝視してしまった。

 軽い既視感。というか2週間前にも同じような体験をしたことをよく覚えている。

 変わったことといえば7月後半に入り、この看板を見つめている瞬間に突き刺さる日差しがこの間よりも鋭くなったところだろうか。

 うーん、素麺よりはお店のメニューっぽくなったけど、ラーメン屋としては……どうなんだろう?

 まあそれを言ったら冷やし中華だって同じことだし、美味しければなんだっていいか。

「やあ、店主。今週は冷麺らしいな」

「姫さん、らっしゃい! おうよ。冷麺にするかい?」

「ああ、頼む」

 そしてわたしが席についたタイミングで店主がメニュー表のようなものを差し出してくる。

 もう冷麺にすることは告げたのに、どういうことだろう。冷麺にも種類があるのだろうか。

 不思議に思いながらメニュー表を見てみるとそこにはカルビだのロースだのホルモンだのと10種類ほどの肉が名を連ねていた。どうやらこの中から最大3種類まで肉を選べるらしい。とりあえず無難にカルビとロースとハラミを選んだのだが……。

「て、店主。わたしはあまり冷麺というものを食べたことがないのだが、冷麺には焼き肉が入っているものなのか?」

 確かに焼き肉屋にあるイメージではあるが、肉が直接入っていただろうか……?

「いや、うちの冷麺は焼き肉とセットなんだ」

 そう言って店主がカウンター越しに七輪を出してきたのだった。

 ねぇ、本当にここラーメン屋!? 実は昨日から焼き肉屋に変わったとかじゃなく!?

 なんでラーメン屋で当たり前のように七輪が出てくるんだ!?

 よく見たら周りの客も七輪でおのおの肉を焼いてるし! なんで気がつかなかったわたし?

「ほい、あと肉とご飯な。冷麺は頃合いを見計らって出すから、まずは肉を食べてくんな」

 そう言って七輪の次には肉を出してくる。注文したカルビ、ロース、ハラミがそれぞれ数枚ずつ並べられている。大した量ではないが、ともかくラーメン屋で今から焼き肉をするという違和感がすごい。

 ご飯の方は……これは韓国海苔を刻んだものを振りかけてあるのか。それに焼き肉のタレとごま油を少々かけてあるようだ。そういえば、ある焼き肉チェーン店にあったカルビ用のご飯とかいうのもこんな感じだった気がする。

 このご飯も肉と同じでそこまでの量じゃない。お椀に対して5、6分目ぐらいしか盛られていないだろう。

 なぜ冷麺を頼んで焼き肉をすることになるのかわからないものの、ぼーっとしていても始まらない。わたしは着物の袖がタレに振れないように気をつけながら、肉を七輪の上に寝かせる。

 それから肉を引き上げ、ご飯と一緒に掻き込みと続けていたらあっという間に肉とご飯はなくなっていた。

 ラーメン屋が出す焼き肉としては思った以上に美味しかったし、なんならそこらの安い焼き肉より上だったと思う。

 ただ、焼き肉をするにはこの店は少し暑い。もちろんクーラーは点いているのだが、七輪を使う都合上換気はかなり強めに行っているようで、そこまで室温が下がらないのだろう。

 あとタレはもう少し薄くてもよかっのではないかと思った。普通の焼き肉屋のタレに比べると味が濃いめで、もう少しさっぱり――

 そこで、わたしは今日のメインディッシュがまだ来ていないことを思い出した。

「へい、冷麺、お待ち」

 満を持しての登場と言うべきか。まるで思考を読んだかのようなタイミングでアルミの器に入れられた冷麺を店主が出してくる。

 具材はシンプルだ。キムチ、キュウリの浅漬け、スイカ。その3種類だけ。

「うむ、頂きます」

 まずは麺。冷麺の麺はラーメンや素麺などとは違いかなりもっちりしていて、ともすれば噛み切りにくいほどだ。しかし、その歯触りはみずみずしく肉の脂や濃いめのタレに染まった口内を洗い流しているようだった。

 その上3種の具材もどれもが水分を多く含んでいて、辛味、塩味、甘味その3方向から涼しさを運んでくる。

 そうか……この清涼感を強調するために、敢えてタレの味を濃いめに作ってあるのか。

 客が肉を食べたあとに冷麺を注文するかどうかわからない焼き肉屋では、決してできない方法である。

「う、うまい」

 それは冷麺に対してか、それともこの提供方法に対してか。

 もちろん、どちらもである。



『冷製パスタ、はじめました』

「どうしてわたしは今、ラーメン屋でフォークを使っているんだ……」

「姫さんが順調にマインドブレイクされてるな。懐かしいぜ。俺も初めて『冷やし』を体験したときは頭ぶっ壊れるかと思ったからな」

 隣でキタムラがなにか言っているが、その言葉はわたしの耳を右から左に通り抜けていった。

 8月の上旬。そろそろ冷やし中華が来るかなとドキドキしながら店に行き、看板を見たわたしは茫然自失となり、気付けば椅子に座って目の前の冷製パスタにフォークを突き立てようとしていた。

「にしても今回はいきなり麺が出てきたな。珍しい」

 今までは寿司だの肉だのが先だったのに。

「そう思うよな。ラーメン屋で注文して最初に麺が出てくるのって普通のことだけどな」

「麺と言ってもこれはパスタだろう!?」

 なんとかキタムラの言葉にも返せるようになったが、それでもラーメン屋でパスタが出てきている事実は変わらない。

 見た目はペペロンチーノだ。麺はオリーブ油でコーティングされており、ところどころに唐辛子やニンニクの欠片がちりばめられている。

 変わり種と言えばベーコンの代わりなのか、短冊状に割かれたチャーシューだろう。おそらく、つけ麺用のたっぷり煮込んだチャーシューを少し大きめに割いたものだ。

 しかし、そのペペロンチーノから漂っている香りに焦点を当ててみればこれがただの冷製ペペロンチーノではないことはすぐにわかる。

「この香りは明らかにこの店のスープのもの……しかし、皿にスープがあるわけでもなし」

 そう、鼻を少し近づけてみればこの店の強烈なラーメンのスープと同じ匂いを感じ取れるのである。

 恐々としながらもフォークに麺を巻き付け口に運ぶ。すると麺の中からまるでスープが滲み出てくるような感覚に度肝を抜かれる。

 もちろん、麺からスープが出てきたわけではない。麺自体がラーメンスープの味を取り込んでいるのだ。

 オリーブオイルでコーティングされた麺は最初、さっぱりした感覚を出し、その直後に強烈なこってり感が飛び出してくる。

「これは凄まじいギャップだな……。調和じゃない。敢えて互いに反する2つを閉じ込めることによる爆発だ……」

 驚きはそれだけではなかった。

「ん? 店主、このチャーシュー、豚じゃないのか?」

 食べてみるまで気付かなかったのだが、いつものチャーシューは豚肉なのに、これは鶏肉が使われていた。

「うちで使っている豚肉はかなり脂を含んでるから、冷やしちまうと脂が固まっちまって食感がよくねえんだ」

「なるほど、それで鶏か」

 確かに、これは脂が少なめで冷えた脂の気持ち悪さはみじんも感じられない。

 流石に豚肉のときと同じような舌の上で溶けるような柔らかさはないが、味自体はしっかりと染みこんでいる。

「こいつはカロリーも少なめだから、もしまた来たくなったら友達とかも誘ってくれよな」

「たまに思うのだが、店主はここがラーメン屋であることを忘れているのではないか?」

「がははっ、なんにでも遊び心は必要ってもんよ!」



『鍋焼きうどん、はじめました』

「ちょっと待て店主っ!」

「お、姫さん。らっしゃい! 鍋焼きうどんでいいかい?」

「『いいかい?』じゃないだろう!? 鍋焼きうどんってなんだ鍋焼きうどんって!? もはや『冷やし』ではないではないか! 食べるけども!」

「へい! 鍋焼きうどん一丁!」

 8月下旬を迎えた土曜日。今週こそ冷やし中華をやるに違いないと、突き刺すような日差しも気にせずいつものラーメン屋に向かったわたしが見たものは『冷やし』のテーマに真っ向から喧嘩を売るようなメニューの開始を宣言する看板だった。

「よっ、姫さん。今日のはびっくりしたろ」

 案の定、また隣の席はキタムラだった。そのキタムラは大量の汗をかきながら土鍋のうどんを消費している。土鍋の中はぐつぐつと煮え滾っており、まるで地獄の釜のようだ。

 これがこのあと自分のところにも来ると思うと若干辟易としてしまうが、たぶん美味しいんだろうなぁ。店主が作ったやつなんだし。



「……水」

「はいはい、注いでやるよ」

 超熱々の鍋焼きうどんを汗だくになりながらなんとか食べ終え、テーブルに突っ伏したわたしは、わずかにそう口にするのがやっとだった。

 水はセルフサービスで席の近くに置いてあるピッチャーから自分で注がなくてはいけないのだが、それをする体力が残っていなかったのである。

 親切なことにキタムラがわたしのコップに水を注いでくれた。

 キタムラから水を受け取り、一気に飲み干す。

「い、生き返った……」

 いや、美味しかった。なんかもういろいろと語る点は多いのだが、そのすべてを吹っ飛ばして『熱い』という感情が前に出てしまい、今は他になにかを言う余裕がない。

 うう……。浴衣が汗でびしょびしょ……。

 にしても結局、冷やし中華食べられなかったなぁ。店主の作る冷やし中華、食べてみたかったのに……。

 これだけいろいろな『冷やし』を作れる店主なのだ。きっと冷やし中華もそれはもう美味しいだろうに。

 そして、またテーブルに項垂れる。そのとき、思わずメニュー立てを倒してしまった。

「む、すまない」

 頭を起こしてメニュー立てを直す。そのときに偶然、裏に1つだけ、メニューが書いてあることに気付いた。

 ん? ここって他にもメニューがあったのか?

 それを見た瞬間、わたしはガバッと跳ね起きた。店主やキタムラだけでなく、店にいた全員がわたしに注目するがそんなのはどうだっていい。

 『これ』は注文しなくてはならないものだ。

 鍋焼きうどんを食べたばかり? 知るかそんなこと!

「店主!」

「へ、へい!」

 そして、わたしはメニューの裏側に書かれていた1行を指さして言ったのだった。



「冷やし中華をよこせ!」



 後日談というほどではない後日談がある。

「そういや姫さんが冷やし中華を頼んでから、頼む客が増えましてね」

「はあ」

 わたしが冷やし中華をすすりながら生返事をする。

「今までは人気がなくて、やっぱラーメン屋の冷やし中華なんて皆食べたがらないのかなぁって自信をなくしてたんです」

「そうっすか」

 キタムラが冷やし中華をすすりながら生返事をする。

「他の冷やし麺を作ることで冷やし中華にも興味を持ってもらおうって思ってたんですが、これで自信を持って冷やし中華を作ることができます!」

 ごっくん、と冷やし中華を食べ終わったわたしとキタムラは特に示し合わせたわけでもないのに、同じ言葉を口にしていた。


「「それはみんな存在に気付いてなかっただけだ!」」


 さて、この店に来たらぜひ、冷やし中華を食べてみてほしい。本当に美味しいから。

 え? 夏以外はどうすればいいのかって?

 それに関しては安心してほしい。


 この店は冷やし中華を通年でやっているから。


   〈了〉

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冷やし中華をよこせ 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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