それいけ! ヒューマンマン

鈴元

ヒューマンマン


 20xx年、突如現れた『終末企画』を名乗る組織は改造人間を用い、各国への攻撃を開始した。

 しかし世界は壊滅しなかった。

 組織の戦闘員の一部が正義の心に目ざめ、その特異な力を人類のために使うと立ち上がったのだ。

 かくして、『終末企画』とそれに対抗する『同盟』という二つの組織の戦いが始まったのである。



 ある日の昼のことであった。

「きゃーッ!」

 女性の叫び声が閑散とした公園に響く。

 今の日本ではそう珍しいというわけでもない。

 いついかなる時に『終末企画』の改造人間が狙っているとも限らない。

 不意の事故や突然の事故に注意してもこうして襲われることにもなる。

「ふははははは、お前は今日から俺のカキタレとなるのだー!」

 改造人間が女性を組み伏せようとその肩を掴む……その時であった。

「待て!」

 女性と改造人間の視線が声の方へと向けられる。

 こちらに近付いてくる影がある。

「その女性を離せ!」

 助けを求めて呼べば現れる。

 それこそが『同盟』のヒーローのあるべき姿である。

 今日この日にもその法則は変わることがない。

 そう、ヒーローがやってきたのだ。

「え?」

 自転車で。

「離せい!」

 公園に砂ぼこりを起こしながら自転車が止まる。

 自転車のスタンドを下ろし、チェーンをかけ、中肉中背の青年が力強く大地に立った。

 その光景に女性も改造人間も呆気に囚われている。

 初めての経験である。

 バトルスーツもなく、仮面もなく、ただ普通の青年がそこにいた。

「離せ!」

「ちょ、ちょっと待て……!」

「離せ!」

「それしか言えないのかテメェはよう!」

 改造人間の狙いは女性からヒーローへ。

 張り詰めた筋肉を持つ腕が振りかぶられる。

「ふんっ」

 敵の動きが止まる。

 改造人間といえど体の構造は人間のものと同一であることが多い。

 もちろんそれでも一般的な人間以上の肉体を持ってはいるが、そうであっても耐えきれぬ一撃というのがあるのだ。

 改造人間の視線は前から下へ。

 そこには自分の腹へと伸びる足。

 強烈な前蹴りであった。

「自分から名乗ったらどうだ?」

「ぐ……お、俺は『終末企画』の新型改造人間!」

 相手の足を払いのけ、改造人間は声を上げる。

「生物と人間のミックスたるお前たちとは違い、我らの体は機械や道具の部分を持つ!」

 鍛え上げられた改造人間の背の一部が膨らみ、張り裂ける。

 そして背骨のある位置から何かが起き上がってくる。

 それは巨大な鍬であった。

「俺の名前は鍬マン! 鍬と人の改造人間よ!」

「ご丁寧にどうも」

 ヒーローの一礼。

 それに対する鍬マンの行動はその背から生まれた鍬による一撃である。

 お辞儀をするような動きだがヒーローのそれよりも幾分荒々しい。

 鍬の先がヒーローの眉間を狙っている。

「死ねい!」

 一歩、前へ。

 鍬と肉体を繋ぐ棒の部分へと手を伸ばす。

 両の手がそれを掴み、ヒーローの肩の上に乗せる。

 次の瞬間、鍬マンの体が宙を舞った。

 一本背負いである。

 すさまじい速度で地面と衝突する。

 棒はへし折れ、背面から圧迫され空気が押し出される。

 痛み、明滅、頭に血が上ったかのような感覚。

「な……なんの能力も使わずにここまでとは……!」

「使えないだけですが」

「は……?」

「申し遅れました、わたくし人間と人間の性質を併せ持つ」

 仰向けに倒れた人造人間の後頭部が蹴り飛ばされる。

「ヒューマンマンと申します」



「ありがとうございます!」

「いえ、当然のことをしたまでで」

 かくして、悪は去った。

 自転車にまたがろうとするヒーローを止めたのは助けられた少女であった。

「ヒューマンマンさん……でいいんですよね?」

「えぇ。それ以上でも以下でもなくヒューマンマンですが」

「なぜ自転車を……? 『同盟』からマシンが支給されたりとかは……」

「免許を持っていないので」

 淡々と言葉を返す。

「それに、同盟からのマシンは上位者のみですので」

「上位者……?」

「いわゆる『ヒーロー』の方ですよ」

 ヒューマンマンはそう呟いた。

 当たり前のことを彼は言っているが、それは彼の中での当たり前である。

「あ、あの! ヒューマンマンさんのお話聞かせてもらっていいですか?」

「なぜ?」

「私、阪奈円加っていいます! ヒーローが好きで……もっとヒーローのことが知りたいんです!」

「……いいですよ。私でよければ」

「はい! ありがとうございます!」

 ヒューマンマンが自転車から降りる。

 自転車に乗ったままでは話がしにくい。

「どこか腰を落ち着けられる場所に行きましょうか」

「いいんですか?」

「いいですよ。喫茶店にでも行きましょう」

 二人は歩き始めた。

 今日はいい天気だ。

 本来、彼女も散歩のついでに公園に寄ったのである。

 そこで襲われるとは思ってはいなかった。

 間違いなく自分のいる世界で起きていることだが、どこか遠くの事のようにも思えた。

 『同盟』が大きな混乱を招かないように世に出る情報の量を制限している弊害でもあった。

「そういえばヒューマンマンってマンとマンが重なってますよね?」

「……佐々木佐紀という人がいたとしてその人もサキとサキが重なってますね?」

「はい」

「それと変わりませんよ」

 それはちょっと違うのではないかと阪奈は思う。

 改造人間のコードネームというものは素材になったものに影響されるのは周知の事実だ。

 鍬の要素を持つ改造人間は鍬マンであり、ヒューマンならばヒューマンマンである。

 しかし、その命名法則に則ったままでいいのかとも考える気持ちもあった。

「そういえばさっき言ってた上位者ってなんですか」

「先ほども言いましたがヒーローの方ですよ」

「ヒューマンマンさんもヒーローでは?」

「末席のね」

 明かされていないだけでヒーローたちにもそういう概念は存在する。

 『終末企画』との闘いに備えるための設備を開発するのにも資金が必要だ。

 故に、選別される。

 新しく生まれた技術や道具は激しい前線に向かうものに送られる。

 ヒューマンマンはそういったものの外であるが、それを明かしはしない。

「わたくしにはこれで十分」

「?」

「アプリです」

 スマートフォンを取り出し、横に振る。

「アプリ?」

「えぇ、改造人間の攻撃に備えて防犯カメラの数が増えたでしょう?」

 だから襲われている・襲われそうという情報はすぐに伝達される。

「私たちはこのアプリに来る通知で危機を知ります」

「あぁ……呼んだら来るってそういう……」

「行けたら行くわって感じですね」

「……ま、まぁ、それでも来てくださっているだけでありがたいですが……」

 行けたら行くという言葉の裏にある行けないの感情を阪奈は知っていた。

 ……それから先を考えると怖くなった。

「しかし、申し訳ないですね。来たのがわたくしで」

「い、いえそんな……」

「何もできませんし、肉体の強化も普通程度ですし」

「そんなことないですよ! 能力はないって言ってましたけど……きっと何か……」

「そうですね……債務整理とかなら」

「弁護士の方ですか?」

「過払い金の請求とかも」

「弁護士の方ですよね?」

 ヒーローの中には表向きの顔というのを持っている者もいるからそう言う類だろうか。

 ヒューマンマンは顔が丸出しだが。

 そういうものを必要としないヒーローがいるのも少し以外だった。

 それこそ彼が口にする『一般的なヒーロー』というのは大抵つけているからだ。

 あるいはそういうものを必要と感じていないのかもしれないが。

「だから強さの秘訣とかもなくて……あぁいや」

「なにかあるんですか?」

「部屋に強い人のポスターを張ってますね。エメリヤーエンコ・ヒョードルとかアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとか」

「……エメリヤー?」

「あぁ……スタローンもありますよ、ドウェイン・ジョンソンとか」

「映画スターならいいって訳でもないですよ、分かりますけど」

 およそ強さに直結する要素でもない。

 彼自身の性格もあるのかもしれないが、阪奈の思い描いていたヒーローとはやはり大きく異なる。

 それが現実なのかもしれないが、どこかで彼が自分の思うようなヒーローと同じ要素を持つのではないかと考えていた。

 阪奈は自分のしていることが正しいのか間違っているのか分からない、それでも彼に質問を続けたし彼もそれに答えた。

「そういえばなんで人間と人間を合わせて……」

「……虎やらライオンやらは初めに選ばれますから」

「そういうものなんですかね……」

「はい。肉食獣がきて草食獣や虫が選ばれて鳥類や魚類へと。人間というのは『終末企画』もアイディアがなかったんでしょう。だから人間と器物まで合わせる」

 あれに遺伝子なんてないはずなのに、と笑う。

 その目はどこか寂しそうで、彼は彼なりに思うところがあるようで。

「さっきの鍬マンだってそうなんでしょう」

 重機や銃器、刃物の類でもなく農機具。

 それだって武器になりえるが、見劣りするのは間違いない。

「……ん」

「どうかされました?」

「通知が」

「あ、じゃあそちらに行ってあげてください!」

「……すいません」

「いえいえ! だってヒューマンマンさんはヒーローなんですから!」

 そういう阪奈に見送られてヒューマンマンは自転車のペダルをこぐ。

 その背に受ける視線はくすぐったかった。

(ヒーローと呼ばれるのも久しぶりですね)



 人造人間の始まりは動物と人間をかけ合わせたところから始まる。

 人間の頭脳と動物の器官、炎を吐きだしたり物を凍らせたりは出来ないが、動物の特性に加えて改造の過程で得た人間を超越した基礎能力を持つ。

 ヒューマンマン、『終末企画』における呼称では人間型人間と呼ばれる彼はそういった強みを持たない。

 基礎的な肉体強化はあれどおおむね人間である。

 人間に人間をかける、一と一をかけるのと何ら変わらない。

 『終末企画』側も動物と人間というコンセプトに限界を感じていたのだろう。

 この世全ての動物たちが人間とかけ合わされた、というわけでもないのだが煮詰まっていたのは事実である。

 100メートル走9秒30、素手でタイヤを引きちぎる、垂直跳び2メートル。

 チーターの改造人間に負ける、ゴリラの改造人間に負ける、鳥の改造人間に負ける。

 人間を超えても人外ではない。

 ただ、それだけの男だった。

「いたいけな子供とご母堂を離せ!」

 強く強く自転車のハンドルを握って叫ぶ。

 今まで何度もそうしてきた。

「離せい!」

 何度もそう発してきた。

 他に何も思い浮かばないし、そう言うしかない。

 いつまでも緊張する。

 口が渇く。

 だから単純な言葉でいい。

 洒落た口上なんていうのは皆のヒーローたちがすればいい。

 彼らには彼らの苦労があるだろうが、ヒューマンマンにはヒューマンマンの苦労や苦悩がある。

「またお前か!」

 そんな言葉が返ってくる。

 誰かと思えば鍬マンであった。

 奇遇にもほどがある。

 一日に二度も悪事を働くものがあるか。

「問題を起こさないでください」

「問題を起こすのが俺の仕事だ!」

「奇遇ですね」

 相手の動きがヒューマンマンには見える。

 なんということはない、彼には経験がある。

 動物と人間の改造人間、後発の改造人間とは生きている時間が違う。

 そのほんの少しの差が鍬マンとヒューマンマンの間の溝である。

 鍬マンもヒューマンマン同様、煮詰まった存在なのだろう。

 もしも彼が銃の類を素材にしていればヒューマンマンは容易く負けていたのかもしれない。

 だが、あれぐらいの戦闘能力ならば勝てる。

 斜め上にまっすぐに伸びる拳。

 鍬マンの顎に叩き込まれる。

 衝突事故、宙を舞った鍬マンは顔面から地面へと落ちていった。

「これがわたくしの仕事です」

 鍬マンは起き上がらない。

 勝負あり、ということでいいのだろうか。

「大丈夫でしたか?」

「え、えぇ……ありがとうございます」

「いえ、当然のことを」

「ねー、チーターマンは?」

 母子ともに怪我はない。

 これでいい。

「チーターマンに会いたかったー」

「こら! す、すいません……」

 鍬マンは先ほどの戦闘でかなり弱っていた様子だった。

 こうやって子供がヒーローのリクエストが出来るほどには余裕を持てたということだ。

 だから、これでいい。

「……もし次があればきっとチーターマンさんが来てくれますよ」

 気にしないでいい。

 そう心で唱えてハンドルを握る。

 ペダルをこぐ。

 これでいい、これでいい、いつもと変わらない。

 自分が彼らのようなみんなに愛されたヒーローでなかったことを申し訳なく思いつつも、組織内で特権階級的な立場を持つ彼らではここには来れなかったとも想う。

「無事でよかった」

 間に合ったのならそれでいい、自分の命は二の次だがあの親子の命が保たれたのなら。

 認められていなくても、褒められなくても、愛されなくても。

 この身一つが財産だ。

 後から乗せられていくものなど一つだってなくていい。

 他人が認められていることや自分が承認されていないことは未熟を知らせるだけで己を殺しはしない。

 何も支給されなくても、侮られても、いまここで生きているだけでいい。

 他人がどうしようとヒューマンマンは己の道を進んでいく。

 そうするしかない。



《速報です。『終末企画』と『同盟』の大規模な交戦が確認されたとの情報が入ってきました》

 それは突然やってきた。

 『終末企画』による日本国家への宣戦布告である。

 『同盟』も即座に抗戦を宣言し、混沌が訪れた。

 『同盟』に参加するものなら誰でも知っている。

 国内を武力によって制圧し、支配をしく計画。

 その計画こそが離反者が現れた理由であり『同盟』結成の経緯である。

 『同盟』の中心である主力たるヒーローたちは装備を整え、そうでないものは避難誘導や救護の任務を負う。

 だが、あの男は違う。

 ヒューマンマンの仕事は待機である。

 元より運転免許を持たぬ存在だ。

 救護のための足を動かすことも出来ず、多くの人を運ぶことも、危険な場所に潜り込んで状況を伝えることも出来ない。

 彼の他にもそんなヤツらが数人いる。

 補欠の補欠。

 およそ戦力と認められない者達だ。

「どうなるかな」

「どうもこうも……俺達には関係ないよ」

「勝っても負けてもいいとこはアイツらが持ってくんだ」

 待機場所は薄暗い倉庫。

 そこしか空いていない。

 文字通りお荷物たちの部屋というわけである。

 ため息と戸の向こうから聞こえる足音に支配された空間。

 突然、聞きなれた音が鳴り響く。

「……通知が来ました、行ってきます」

「お前まだそのアプリ入れてんのかよ」

「やめとけやめとけ、行くだけ無駄だぞ」

「助けを求める人がいる限り無駄じゃありません」

 立ち上がり、まっすぐに歩き始める。

 ここで行かねば死んでいることとおなじだ。

 いつものように本部を出て、いつものように自転車にまたがる。

 誰かにとって特別な日を世界が認知しないように、彼も今日という日を特別な一日だと認知しない。

 助ける日、ただ一つだ。


「よく会いますね」

 通知の場所にたどり着き、いつものように自転車を停める。

 混沌と破壊に満ちた街角。

 立つ男はヒューマンマン。

 それに対峙するのは鍬マンである。

 三度の邂逅、しかし敵の雰囲気は前までとは違っていた。

 左の腕が鍬に変わり、金具からは血の滴が落ちている。

 そばには倒れた人。

 一般人ではない、だがヒーローでもない。

 助けを求めた人が見当たらない、何とか逃げられたのだろうか。

「同士討ちですか」

「同士? いや、こいつも俺もそんなこと思ってないだろ」

 冷めた目がこちらを見ている。

 墨を固めたように黒く、コールタールのように粘っこく。

 倒れた人物の右腕の辺りに鍬が振り下ろされ、硬質な音とともに何かがこぼれる。

 陽の光を跳ね返す金属……それは日本刀のような形をしていた。

「まぁ、誰も死体なんて見ない。尊い犠牲だ」

「……そんなふうに思われますか?」

「どうでもいい」

 右手で刀を拾い上げる。

 鍬になっていた左手が元々の形に戻る。

 右から左、刀が渡り、そして突き刺される。

 右手の甲から手のひらへ貫通。

 そして、抜けないように筋肉を締めて無理やりに掴む。

 身体強化によって可能な利用法。

「お前も分かるだろ。期待もされずに待機命令食らう側の気持ちってのが」

 『終末企画』も『同盟』もお荷物の扱いというのは変わらないらしい。

 元々『終末企画』から別れた組織だからそれもまた不思議ではないのかもしれないが、正義も悪もあったものではない。

「どうせ誰も見てやいないさ。だから好き勝手やらせてもらうよ」

 ゆらゆらとこちらに歩み寄ってくる。

 今日この日までに一体何があったのか、預かり知らぬことではあるが尋常なことではあるまい。

 前を向いているはずなのに虚空を見つめるかのような視線。

 以前とはものが違う。

 ただそれでも彼に後退はない。

 人を守るものは決して膝を折らず、精神的に下がらない。

「心中お察しします」

 相手の全身をよく見ておく。

 戦闘技術は一朝一夕で向上しない。

 改造人間の強さはかけ合わせられた対象の力を行使することと純粋な身体能力。

 裏返せば人間レベルのことは意識せずともできる。

 動物の器官、動物的直感、無生物との改造人間であれば、その肉体の強さによって武器の強みを押し付ける。

 それだけでも驚異となりうる。

 だからこそ、ヒューマンマンは無手の技術を磨いた。

(肩……)

 先日見たのは背骨の辺りから鍬がせり上がってくる攻撃。

 そして先程見た左腕そのものを鍬に帰る力。

 右手に刺さった日本刀。

 一番射程が長いのは一つ目、上空から攻められた際にも対処可能。

 一番恐ろしいのは日本刀。

 鍬は接近して持ち手側に体を入れればそう怖くないが、刀はそうもいかない。

 それに、ほとんど手と一体化しているようなものだから扱いやすさは随一だろう。

(肩)

 右肩が動いた。

(なら右)

 続いて右腕が上がっていく。

(唐竹割り……)

 振り下ろすタイミング、射程圏内は……

 足を進めながら観察し、感じ、思考する。

 弱き者は弱き者の強さを身につける。

(今ッ)

 選択したのは前蹴りであった。

 振り下ろされるより先に打ち込む。

 相手の行動の出鼻をくじく。

「……ッ!」

 事実、敵の動きは止まっている。

 まずは一手。

 こちらは武器を持たない、更に近づきたい。

 より、深く。

「っ、だらァ!」

 左手が掴みかからんと伸びた。

 ありがたい。

 相手から射程に入った、体に染み込んだ動きが半自動的に展開される。

 手首、捕獲。

 左肘、捕獲。

 引く、誘導。

 固め、完成。

 引き倒しながらの脇固め。

 このまま地面と衝突させられれば問題なく肩を破壊できる。

(これなら……)

 相手の体と自分の体が倒れていく。

 その時だった。

「……!」

 鋭い痛みが襲う。

 体が地面に到達し、相手の肩は完全に破壊された。

 だが、こちらも無傷ではない。

 痛みの正体。

 敵の体を通り、自身の腹部に突き刺さった刀を黒い瞳が見ていた。

「馬鹿が」

「……思い切りのいい」

 自分の体ごと切り裂かんとする動きを感じ飛び退いた。

 筋肉を締めて出血を防ぐ。

 が、深いところまで達した傷はそう簡単には癒えない。

 腹部内側、確かな痛み。

 状況はあちらに傾き始めた。

 一方的とは言わないものの、苦戦を強いられているのは確かだ。

 敵の動きは捉えきれない程ではない。

 対処出来てしまうのもまた厳しいところがある。

 長引けば長引くほどに痛みや疲労が蓄積される。

 それらは判断鈍らせ、確認は出来ないが臓器まで達していれば死すらも近づく。

「所詮そんなもんだろ」

 相手の攻撃をかわす、痛む。

 相手の攻撃を受ける、痛む。

 それでも歯を食いしばった。

 こちらも打つが踏み込みが甘い。

 刺された事で無意識のうちに恐怖が魂に張り付いているらしい。

 振り切るように頭を振っても振り切れはしない。

「線引きをしてやる。俺はお前をぶっ殺して出来る側に回る……!」

 腹部の刺傷を狙う左拳、バックステップで回避を……

(しま……っ)

 誤算、読み違い、判断力の欠如。

 決して早いとも言えない拳。

 その形が変化する。

 何度もなく見た農具、鍬の形に。

「あ、アアア……ぁ……!」

 傷口を金具がえぐる。

 流れる血液、倒れる体。

 その体に振り下ろされる鍬。

 ヒューマンマンの体が耕されていく。

「死ねッ、死ねばいいッ! お前も! 俺を見下したヤツらも! 皆だッ!」

 皮膚が避ける、肉が切られる、血が流れる。

 痛み。

 死の実感。

 だが、不思議とそれ自体にへの恐怖は薄れていく。

「ふふ……」

 一周二周して冷静になった頭が見つめる現実。

 死ぬのが自分と『終末企画』の改造人間だけで良かった。

 優しき人々が助かったのならばそれでいい。

 それだけがこんなにも喜ばしい。

「何がおかしい」

「いえ……死ぬのが……一般の方でなく……わたしで……よか……った、と……」

「お前……舐めるな……!」

 傷口を閉じるのに必死で防御をする暇もない。

 また振り下ろされる。

「お前も! 俺も! クソ扱いで! 生きてても! 死んでても! 変わらなくて!」

 それは彼の本心なのだろう。

 理解出来る、だが共感は出来ない。

「それでも……救う人がいる限りは……」

「そんなのがどこに!」

「ここにいます!」

 誰かが叫んだ。

 散らばる瓦礫の影から現れた人。

 阪奈、あの少女がそこにいる。

(あの通知は……あの子の……)

 ドラマチックなことなど何も無く、ただあの時の人間が三人集まっていた。

「あ、あなたが負けたら私はもう駄目です!」

 だが、守る人がいるならば。

「助けて! ヒューマンマン!」

「もちろん……!」

 振り下ろされた鍬を掴み、ゆっくりと立ち上がる。

「お前は……お前はなんなんだ……!」

「私は人間です。鋭い爪も牙も硬い皮膚も剛力もない、ただの人間です」

 鍬の金具が握りつぶされていく。

「もしかしたらと夢を見て、現実の壁にぶつかって、そんなただの人間です」

 もしも自分が人間と人間のかけ合わせでなければと思う日もある。

 それでも、それでも、ヒューマンマンは折れないしめげない。

「強くなくても弱くなくても、誰もヒーローと認めなくても」

 ヒューマンマンの首を狙って突き出される日本刀の切っ先。

 もしも彼が自身の能力である鍬を使っていてれば結果は変わっていただろう。

 ヒーローは手を出し、わざと刀を貫通させる。

 筋肉を締めることによる保持、こちらも刀を掴んだ。

 手に神経を集中したためか全身から血があふれだす。

 早急に終わらせよう。

「人間として人を見捨てられなくて、見過ごせないだけです!」

 刀を軸に無理やり持ち上げ、地面に叩きつける。

 筋肉が緩んだらしく、敵の手から獲物がこぼれる。

「何も無くても、私が私を背負い、私を代表して闘う!」

 首を掴み、再び持ち上げて投げる。

 手を腕を足を掴んで何度も叩きつけた。

「富も名声もただ一言の感謝には叶わないのだから!」

 何度だって掴む、何度だって手を伸ばす、その先の未来を手にするために。



「なんであんな所に?」

 鍬マンは再起不能になった。

 血濡れになったヒューマンマンは自転車の後ろに阪奈を乗せて本部に戻っている。

「ヒーローが見たくて?」

「それもありますけど……その、ヒューマンマンさんが来たので……」

「?」

 その言葉の意味が分からず小首を傾げる。

「逃げようと思ったんですけど、なんだか離れたくなくなって」

「……危ないですよ」

「えぇ本当に……でも、自分が好きなヒーローのことを応援したいと思うのはおかしいですか?」

「……おかしくは、ないのかも」

「あの時のこと、忘れてません。今回もきっと勝つって信じてました」

 あなたの強いから、と告げられて思わず笑みがこぼれた。

「ありがとうございました。ヒューマンマンさん」

「いえ……当然のことを……したまでで……」

 本部まであと少し。

 今日もヒーローであれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それいけ! ヒューマンマン 鈴元 @suzumoto_13

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ