足りぬ言葉が、結局全て。(ファンタジー・護衛士×店員、言葉足りず×控えめ、無自覚爆弾)
※現代からSFベースに一度衰退した後ファンタジーで反映した特殊な世界でのお話ですが、特に知らなくても問題なく単語を流し見程度で大丈夫なふんわかファンタジーです※
「いらっしゃいませ」
私の声に、お客様が小さく会釈をしてくださる。定期的にいらっしゃるこのお客様は護衛士の方で、休みの都度来てくださっているのではないだろうか。大柄な背丈に物静かな佇まいは落ち着いていらっしゃり、存在感があってもおかしくないのに非常に店に馴染む方だ。
王子様専属の護衛士ともなるともっと大きなお店を利用するのではと最初は思ったけれど、いつも必ず一つ、小さな草木細工を買ってくださる。一度もお言葉を交わしたことがないけれど、その事実が私に自信を運ぶ。
草木細工は消耗品だが、それ故に人をもてなすのに向いている。花よりも短いものもあれば、長くひとつき持つ物もあり、高級なものだとさらに長くみつき。護衛士の方が購入されるのはいつも一週持つ物で、それに加えて一ヶ月に一度、ひとつきの長さの物も購入されていく。しかもそれらはどれも私が手がけたものばかりだから、つい目で追ってしまいそうになるのを意識して耐える。
私が作る草木細工は淡い香りが特徴だ。華やかな彩りや豪奢な装飾とは縁が遠く、かといって精錬とした師匠のような重厚さや落ち着きとも近づかない。私に結べる物はどうしても小さな範囲で、必然店内では地味なものだ。
いや、地味なこと自体は悪いものではない。主人はあくまで客をもてなすだけで、客よりも豪奢なものがいいとはならないからだ。けれどもささやかすぎては客にもてなしが伝わらない。持ち帰ると家に馴染んでいいと言っていただけるのが私の草木細工のよいところだけれど、お店で手に取っていただくのには時間がかかるものでもあった。
ただ、一度購入いただければもう一度、と来店されるか方も少なくない。その中でも頻繁に来店されては私の作った物を買ってくださる護衛士の方は印象的で、けれどもそんな個人的な感情でお客様にご迷惑をかけるわけにもいかない為注意するのがいつもの癖だ。
「お待たせしました」
会計に歩くのを確認して合わせるように動いたものの、五歩分遅れた。首を横に振ってくださった護衛士の方は、いつも律儀でつい笑みがこぼれる。店内だからか物静か、どころか一声も聞いたことがないし表情も同じ表情しか見たことないのだけれど、商品を置く手も声のない受け答えも丁寧な方で、常連というだけでなくひっそりと癒される。
お客様は皆様良い方だけれど、お喋りをする方とは別の落ち着きをくださる方だ。今日の商品も私が作ったもので、木の枝に絡む小さな花と寄り添う鳥の置物はひそかなお気に入りだ。いってらっしゃい、という気持ちを込めて、そっと商品に平紐を結ぶ。この時間は特別な幸せだ。何度重ねても、表情が緩む。
「……可愛らしいですね」
低い声が落ちた。上からだとわかるのに一瞬どこから、誰が、という認識が出来ず、ただ体だけが音に従い顔を上げる。
静かな、夏の夜を運ぶような宵の口に似た色の瞳がそこにある。
「え」
表情はいつもと同じままだ。可愛らしい。突然落ちた言葉がまるで自分に向かうようなまっすぐな瞳に、はく、と唇が震える。
「あ、有り難うございます。嬉しいです。大事になさってくださいね」
こくり、と護衛士の方が頷く。顔が赤くなっていないといいのだけれど。はじめて商品を褒めてくださったのに、自分が言われたと思ってしまうなんて恥ずかしくて仕方ない。商品にも申し訳ない。
「有り難うございました。よいお時間が過ごせますように」
いつもお決まりの文句を言って、頭を下げる。心からの祈りでもあって、それを神妙に受けるように護衛士の方が頷くのもいつもと変わらない。
大きな後ろ姿を見送って、熱を冷ますように私は息を吐いた。
* * *
「調子は良いみたいだね」
私の手を見、薬師さんがおっしゃる。顔を覆う形状の眼鏡の奥で和らぐ瞳は優しい。普通の眼鏡と違い黒い色がかかった眼鏡でも穏やかさは隠せず、心がぽかぽかとする。
「お薬のおかげです。いつも有り難うございます」
「は、そりゃ商売だ。商品が機能しなければ困ったものさ」
軽薄な音で薬師さんはおっしゃるが、それでも私にとって薬師さんは優しく、救いだ。幼少時にかかった病の後遺症でかぶれがちだった皮膚は見違えるようになった。むくんだ体はどうにもならなかったけれども、今こうやって仕事ができるのも薬師さんのおかげと言える。
それに、薬師さんははじめてお会いしたときから丁寧で、そっけない言葉を使うけれどやさしい人だ。
「商品はもちろんですけれど、感謝は伝えたいので」
「相変わらず君は律儀だね。私にとって都合のいい店だし、良い目を持っている君が勤めを果たしてくれることで十二分と言えるんだが」
「有り難うございます」
薬師さんはいつもすてきな材料を持ち込んでくださるかわりに、私たちが草木細工で利用する材料を持って行く。私がこの店で勤め出したのをきっかけに交渉しだしたので必然私が対応しているのだが、私の選ぶものと薬師さんの欲するものは近いらしい。
物の善し悪し、というものは、単純な品質というだけではない。特に薬師さんの場合は晶の流れが合うようにまじないを重ねるらしく、その手順が減るとのことで私が丁度いいとのことだった。私にはあまりピンとこないけれども、薬師さんのお役に立てるのは単純に嬉しい。
「今日もいい物だ。こちらと交換で構わないかな」
薬師さんが商品を選んだので、店長に声をかける。私が対応するのはここまでで、商品価値の見極めは店長だからだ。頭を下げて、棚の整理に向かおうとしたところで――「そういえば」と薬師さんが珍しく、立ち去ろうとした私に声をかけてきた。
「なにか変化はあったかい? 体調は悪くないし、問題があるように見えないから答える義務はないけれど」
「え? 特には、ないと思いますけど……」
薬師さんは、私の『今』ではなく『過去』を見つけることがある。材料から読みとれるらしいけれど、私にはよくわからない。歴属の方だからだろう、と思っているし、薬師さんの優しさを好きだから不審に思うことはないけれど――最近なにかあったかな、と考える。このひとつきであったこと。最近は商品もご縁をもらえるようになったし、出来なくて泣いてしまうこともなくなったし、お薬のおかげで痒みで眠れないことはないし、このむくんだ体はいつものことだし。
思い浮かばなくて首を傾げると、ああ、と店長が思い出したように声を落とした
「最近イイヒトが出来たようで」
「へ!?」
「おや、それは野暮なことを聞いたね」
「え!? いえ、そんなことないですよなんでそうなるんです!?」
店長の言葉に薬師さんは納得するけれど、私はとても慌ててしまう。私なんかにそういうことはあり得ないのに、いつもからかったりしない店長が意外なことを言うから困ってしまう。困るというか半ば混乱状態だ。
「イイヒトだろう。……いつも来てくださる護衛士の方が、この子を気に入ったようです。私たちは話したことがないんですが、来る度『可愛らしい』と褒めてくださっているのを聞いていますよ」
「おや、それはそれは」
薬師さんが私のほうを見るので、顔に熱がのぼってしまう。店長が珍しく意地悪だ。そんな意味じゃないのをわかっているのに、なんでそういうことを言うんだろう。
「あれは商品ですよぉ……」
「まあ、護衛士の方にとってはそうだろうが、お前にとってはまんざらでもなさそうだと思ったが違ったか?」
店長の言葉にうう、と変な音で返すしかできない。商品だとわかっていても、つい気持ちが跳ねるのは確かだからだ。けれども、でも、私だ。あんな立派な身分の方になんて無理だ。身分で付き合いが変わる訳じゃないけれど、そもそも、同じような身分の人だとしても私みたいな人間はだめだと思う。美人じゃないし、特別なものもなにもないし、誰かの特別、は、考えられない。
むくんだ指先がやけに目に入る。だめ、だと思う。
「考えちゃいけないことなんてない、と思うんだがな」
店長の言葉は穏やかなため息と一緒に落とされて、優しさで出来ている。けれども私には難しいことだからどうしようもない。
「野暮なことをお言いじゃないよ店主。商品を褒められるのは作り手にとって喜ばしいことだ。その結果以上を邪推するのは余分だろう? 店主にしては珍しいじゃないか」
私がうつむくのと同じくらいに、薬師さんが微苦笑で言う。店長が、「すみません」と答えた。
「つい、と言うにも確かに野暮でこちらの身勝手でしたね。……悪かった」
「いえ、有り難うございます」
店長の言葉が優しさだとはわかっている。でも、お礼以上は出来ないから頭を下げると、店長は苦笑した。薬師さんは気にした様子を見せずに、まあお節介はほどほどにね、と軽い語調で返す。
それで話はおしまい、という形なのだろう。二人のやりとりを邪魔しないように今度こそ棚の整理に向かうと、扉の開く音が響いた。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは護衛士の方で、変な音になりそうな声を精一杯律して挨拶をする。店長が護衛士の方を見て示しているのも見えてしまった。噂をすると、と言うけれど、あまりに偶然が合致しすぎて動揺を宥めるのに少し時間がかかる。
顔に熱が上るのをごまかすように棚と向き合う。護衛士の方は私に会釈をすると、いつも通り店内を歩いていった。
店内が静かだ。多分、護衛士の方がいらっしゃるからだろう。薬師さんは時々自分を魔女と揶揄する。薬師さんをひどく言う人はいないのだけれど、自分のようなものがあまり関わりすぎるのもよくないだろうと言ってお客様がいらっしゃるときは日を改めたりする。珍しく店を出ていかないけれど、商品のやりとりをあまり聞かせたくないようだから黙しているのかもしれない。
護衛士の方は、いつもと同じように私の商品を手にとってくださった。他の商品もみるのだけれどどちらかというと流し見だからさほど時間をかけない方でもある。今日は月初めじゃないから、余計だ。
薬師さんの応対をしているとはいえ、会話があるわけではない。だとすると店長にまかせたほうがいいだろうかと悩んで店長を見ると、首の動きで私が対応するように示されたからいつも通り応対に向かう。別になんてことはないんだけれど、さきほどのことがあってなんだか緊張してしまう。それでも商品と向き合えば、幸せに笑みはこぼれる。
「……可愛らしいですね」
また、だ。さきほどの会話があったから、顔に上る熱をうまく止められない。それでもお客様に言葉を返せないのは失礼で、がんばって熱を逃がそうと息を吐く。
「い、いつも有り難う、ございます。えっと、嬉しいです」
夏の夜、宵の口。そんな色が少しだけ明るくなって見えた。こちらをまっすぐ見る瞳は相変わらずで、耐えきれず商品に俯いてしまう。
「大事にしていただけると、さいわいです」
お顔を拝見できないまま、商品を差し出す。いけないことだ。それでも商品は護衛士の方の手に渡って、呼吸がひとつぶん、出来るようになる。
「大事にします」
静かなお声が降る。いつもは頷くだけなのだけれど、私が俯いているから言葉を増やしてくださったのだろうか。だとしたら、いや、だとしなくても俯いたままは失礼で、反射のように顔を上げる。――それが、まずかった。
小さく笑んだ宵を運ぶ色は、あまりにも優しくて。
「お可愛らしいです」
もう一度続いた言葉に、逃がしたはずの熱が一気に上った。
* * *
可愛らしい、と伝えることは誠意だと王子が言っていた。可愛いと伝え、想いを重ねる。言葉にしなければ届かないことは往々にあり、相手が不快に思わないのならば伝えることが大切なのだと。
可愛いという言葉は好意的にとられやすいが、嫌だという人もいる。伝えた上で見極めて、不快がなさそうなら繰り返して、でも押しつけないようにしたい。そう続けた王子に、頭を抱えていたのは王子の想い人だ。
あの女性にとって不快だったかと言うと、そうではないと思う。自分には合わないとか諸々言っていたが、王子が理由を伝えたときに頭を抱えるだけで反論しきれていなかったことが事実を保証する。少しトゲを含んだ言葉選びをするが、存外素直で、存外優しい。確かに王子が好意を寄せる相手ではある。なんだかんだ面倒見もいい。
先日店で見かけた後、王子と共に女性の家に行った時を思い出す。
『……あれだけでは、彼女に可愛らしい言ったところで伝わらないぞ。どこからどうみても商品と受け取られている』
こめかみを押さえながら言った王子の想い人は、呆れを全身で表現しているようだった。いろいろと足りていないと叫んだ想い人の言葉に、王子も反論できないと笑っていた。
彼女が薬師と知り合いだったとは思わなかったし、思ったよりも薬師は外部との繋がりを悪いものにしていなかった。よいことだ、と頷いていると、君はわかっているのかなどと言われたこともついでに思い出す。
可愛らしい、と伝えることに意味がある。好意的評価は、相手によい形をもたらす可能性があるからだ。商品ではなく本人であると伝え直す必要は確かにあるかもしれないが――浮かんだ表情が、それだけでもいいと言うようにも思えた。
商品と誤認しても、彼女は嬉しそうに笑ってくれる。商品を送り出すときの彼女の表情が可愛らしい、と思っていたが、先日そう伝えた後の表情もまた、可愛らしかった。思ったときに伝えている。それを、どうとったとしても、悪い形でなければ構わないと思う。
自分と彼女には、王子と想い人のような関係はない。王子が伝える可愛らしいはそのまま想い人を称すると受け取られるが、自分はそのような保証のない関係だ。そこに、無理に意味を増やす言葉は不要だろう。
口説くのならもう少し言葉を増やしたまえ、と言った王子の想い人の言葉が浮かび、故に言葉を増やす必要はないと思う。口説くつもりはないと伝えた時の王子の反応を思い返すと少し申し訳ないが、自分は護衛士だ。それを違えることはない。
「
声に振り向けば、
「恋人への土産でいいものないか、ちょっと見て回ってるんだよ。なんかおすすめとかあるか?」
謙二の言葉に浅く頷いて思案する。面倒見のよさのほうだったようで、勝手に言われた竜児の方は眉間にしわを寄せたものの文句を言う様子は見せない。まあ、上の人間に言うなどとはできないだろうが、どちらかというと申し訳ない、というところだろうか。じわりとにじむように赤くなる目尻などをみるに、あまりこの手の話題に慣れていないのだとも思う。
たしか、花衣を送る女性がいたとのことだ。その話をしたときも似たような反応だったので、謙二にとっては少々いじらしいかわいげのある後輩のような感覚なのかもしれない。
「草木細工」
「ああ、お前よく行っているもんな。マメだよなぁ俺には無理だ。でもまあ確かに、物持ち良ければ土産にもなるか? 土産って発想はなかったけど、彼女店で働いているなら、うまくいけば店にも飾って貰えるかもだし」
行ってみるか? という謙二の言葉に竜児が「有り難うございます」ときれいすぎるお辞儀を見せる。真面目な人間だ。謙二が楽しそうなのも納得がいって、頷き返す。
「譲はどうする? 一緒に行くか?」
今週分は行ったあとだ。用事はないと言えるが、彼女の顔が見られるならそれは嬉しく思う。理由無く店に行くことはできない。だから、理由ができるのなら頷いてしまいたい。
しかし、竜児はそれでいいのだろうか。案じる気持ちで竜児を見ると、眉間にしわを寄せたまま謙二を伺い見ていた。
「ああ、そうだな。竜児が悪くないならってのが前提条件だ。ちなみにどっちもで譲は気にしないぞ。護衛士相手とかその辺は気にすんな……っていってもさすがに厳しいか? 真面目にどっちでもいいんだけど。雑談みたいなもんだしな」
謙二の言葉に頷く。どちらを選んでも竜児の選択に問題はない。自分はどちらでも構いません、と竜児がようやく呟いたので、もう一度頷いて謙二のそばに近づく。
「一緒に来るってさ。しょっちゅう行っているんだし見る目もあるから、なんかあったら聞くに丁度いいだろ。なぁ」
聞くに丁度いいかはわからないが、必要有れば答えることはするつもりだ。そう示すように頷くと、有り難うございます、とまた頭を下げられる。気にしないでいいのだが、そうもいかないのもわからなくもない。
「……恋人が選ぶだけで十分とは思うが」
せめて肩の力を抜くように、と思って言えば、竜児の目尻がまた赤くなる。好きなんだな、と素直に言葉を重ねるとさらに赤くなった。そのせいか、謙二に頭を殴られる。謙二は言葉より先に手がでる奴だ。
「お前言葉少ないくせに余計な一言が多いんだよな」
呆れたように謙二がため息と一緒に言葉を吐き出す。余計なつもりはないんだが。
とはいえ竜児が申し訳なさそうにすみませんと言い出したので、こちらも頭を下げる。君は無駄なところだけ言葉が多いな、と王子の想い人が言っていたので、つもりはないがなんらかの不備がこちらにあるのは確かだろう。しかし思ったことを言っているだけなのだが。
思いついたことを言い、必要な言葉を選び、ふさわしくない言葉はそぎ落とす。――護衛士、として生きるのだからそれは必要なことだ。個人の時間を尊重し、職務に埋もれないようにと気を使われていることはわかっている。それは護衛士を使う人間の矜持だとも言う。過去にそういった護衛士がいたからだ。
けれども、こちらの立場とすれば個でありながら個人とはなりえない。休みだろうが護衛士だと判断されるのだから、いくらかの立場は常にありつづける。隊士と違い、国だけではなく個を背負うからこその問題。そしてその個が国力に近いものであるのなら、余計立場はある。
だからそう、可愛らしい、だけでいい。
「ここだよな、譲」
店の前で訪ねられ、頷く。扉を開けようとすると、あわてたように竜児が先に開けた。いらっしゃいませ、と店内から響く声。竜児を見て明るい笑顔を見せた彼女が、それからこちらをみて少し驚いたように目を瞬かせる。ぱち、ぱち、ぱち。三度繰り返された瞬きは、けれどもすぐに迎え入れる笑顔になった。いつもと違い驚きから細められた表情はまた可愛らしい。
いつもの周期ではないし、意外だったのだろう。だからいつも見ない表情は新鮮で、二人のお陰で見ることができた偶然に少し胸が躍る。
食事をしたいとかないの、と王子に言われた。食事に限らず、店以外で彼女と共にあれれば、いつもと違うものと出会う可能性は高いだろう。だから是として頷いたが、できるかどうかは別である。
そもそも護衛士というだけで意味を持つのに、客から店員に声をかけるなどしてはいけないだろう。礼に反するのは当然のこと、場合によっては圧になる。彼女自身が個ではない場所で、客というのはひとつの優位を持ってしまう。かといって、店以外で会う理由もない。こちらが謀ればそれもまた、彼女にとって重さとなる。
だからこれで十分なのだ。こちらに気を使い離れた彼女から、棚に視線を戻す。
いつもは彼女の作る草木細工を見にいくばかりが、竜児に合わせて店内を見て回るので、久方ぶりに他の棚を見ることになる。自分は彼女が作る草木細工を好んでいるが、香りがあるものは花衣を作る店には難しいだろうか。竜児が思う恋人の様子や、飾る場所で違いはあるだろう。だからこそ、自分に聞かずとも恋人が選ぶだけで十分とは思うが、探す姿を見るのは少しおもしろいとも思う。自分が探すだけではない視線と、そこにいない人物が見えるようで悪くない。
謙二はというと、遠すぎない距離でふらふらと見て回っているようだった。近すぎると気を使わせるだろうか。だとすればこちらも動くべきだが――考えていると、竜児がこちらを見上げてきた。
「選ぶコツ、とか、ありますか」
ぽつぽつと落とすような言葉に、竜児から棚をみる。選ぶコツ、と言われても、善し悪しが分かると言うよりは好みと飾る場所だ。自分の場合、個人で楽しむものを週のものに、王子の為に飾るものを月のものにしている。彼女の作品は香りがあるので、選ぶ基準にはそちらも含まれる。
とりあえず目安となる期限を示せば、短すぎないものを選ぶようにします、と答えられたのでここは問題ない。だとすると、もう少し答えるべきか。
「そちらが選ぶので十分だと思うが」
前提条件を重ねた上で、棚を移動する。聞かれたときは自分に当てはめて答えるのもいいよ、とよく王子が言っていた。もし自分が彼女に選ぶなら、と考える。ついでに一時離れた恋人で、この土産はいつものように何度も買い直すことができないとした上でとなると前提条件が自分から離れすぎてもいるが、それでももしも、だ。
「枯れた後も、残る物がある。恋人に選ぶならそういうものもいいんじゃないか」
香りが思い出になる彼女の作品も勧めたいが、彼女の作品は残らない。まあ、自分が送る場合は彼女が作った物を送るなんて余計できないが、そのあたりは置いたとしても土産として竜児にとって、を考えると店主のものが重厚でよいのではないだろうか。重すぎる場合には、そっと寄り添うような落ち着いた作品もある。頷いて眺めだした竜児の表情は真剣だ。戻るときに合わせて作って貰うこともできる、と言えば、有り難うございますとあの丁寧な礼で返される。
「譲は恋人にいいのか?」
質問はもうないだろうと踏んで離れると、謙二に肩を抱かれた。恋人などいた試しはない。謙二が誤解することもないが、なにかあったのだろうか。いるわけないだろうと言いたいところだが、そう尋ねる理由が謙二にあるのだったらこちらの道理が通じるものでもなく、その言葉は勝手になる。
「いない」
「いないのは知ってる。仕事に骨埋めそうだから心配してるんだよ譲君。イイヒトいないの」
知っているのならなぜ恋人と尋ねたのか謎だが、謙二はそういう、わかっていることを敢えて聞くことで話のきっかけにするところがあるので指摘はしない。イイヒトがいないの、には、イイヒトをどうとればいいか不明だが好いた女性という意味ではいるので否定はせず、しかしイイヒトという言葉にそのまま答えていいのかも不明なので置いておく。
こちらが黙したのを確認するように、謙二は笑ったままじっと見てくる。そうしてから、ぱちり、と瞬いた。
「否定しないってことはいるのか。え、マジで。誰。骨埋める場合じゃないだろ」
ぐいぐいと近づきすぎる謙二を引き剥がした流れで、彼女と目が合った。突然こちらが動いたせいだろうか、驚いた顔をした彼女が慌てて視線を外す。店の迷惑になるわけにはいかない。彼女にとって邪魔な客になるつもりはないのだ。
「迷惑だろう」
「いやそれは試さないとわからないぞ。お前惚れたはれたどころか可愛いとかそういうのすらなんも言わないから始まらないんだよ。まず始めとけ」
「店に、だ」
「え、なに店員相手なの?」
謙二の行動力は隊士としては頼もしいものであるし、こうやって竜児に気を使うあたりよい先輩や上官と言えるものだろう。けれども言葉にしてから思考するようなところはさすがにどうだろうか。頭の中で完結した物を突然出すお前も大概だとか言われるが、自分と謙二どちらが良い悪いではなく今は厄介だと思う。
確かに店員が相手なので否定はできないが、ここで肯定したら客という立場を利用して迫ることになる。常連で、しかも護衛士だ。圧があるにもほどがある。
「店に関係ない話題で盛り上がる客は、迷惑だ。立場を考えろ」
「はーん、正論だな。いやでもお前本当この手の話題ないじゃん。ちょっとくらい良いだろ」
そのちょっとを決めるのは当事者ではなく周りだ。首を横に振ると、けちぃなどと言われる。竜児がさきほどからこちらをちらちらと見ている。店への迷惑だけでなく、地方から学びにきている人間の見本にならなくてどうするんだ。
ふ、と、小さな笑い声が零れた。
「……失礼。お客様は今みなさんだけですし、気にしなくて大丈夫ですよ」
笑い声の主は店主だ。やけにこちらを見ている、と思う。ほらぁ、と言う謙二は相変わらずで、面倒になったので竜児のそばにいく。こちらを見ているということはもう決まったのかもしれない。
「すみません、お時間を」
気にしないと示すために首を横に振る。お喋り楽しいしな、と謙二が言うのは放っておくのがちょうど良い。
「決まったか」
「方向性は。あとは戻るときに合わせてお願いしようと思います。有り難うございます」
それはよかった、と思い頷くと、竜児がまたこちらを伺い見た。聞くかどうか悩んでいる様子だったので聞く意味でもう一度頷くと、決めたんですが、と言葉を続けられる。
「普段いらっしゃってる、とのことですが、いつもこういったものを買われているんですか?」
頷くことで肯定を示す。主人の場を整えることは護衛士の仕事ではないが、王子はあまり頓着が無く、自分はこういったものを好むので趣味と実益のようなものだ。彼女という理由もあるが。
「護衛士の中でも珍しいタイプだよな。別にこの辺は覚えなくていいと思うぞぉ」
竜児が黙しているのをどうとったのか、謙二が軽い語調で言う。こくりと竜児も頷いて、それから棚を見上げた。
竜児が眺めている棚は、しかし普段自分が選んでいる物ではない。
「自分は、あちらの作品だ」
軽く示すと、興味深そうに竜児が彼女の作品が並ぶ棚にいく。落ち着いた、店になじんだ色。側に行けばわずかに香る匂いは、封を切らねば混ざるほどの強さにはならない。近くに持ってようやく気づくものだ。
「だいぶなんつーか、控えめっつーか、譲が買うには多少納得する外見だよな。香り有るんじゃなかったっけ」
「店だと混ざりすぎないようになっている。近づけて確認する」
「へー」
謙二が作品を手に取る。そうして顔に近づけて、ほんとだ、などと言いながらものを見比べているようだった。竜児も、言葉にはしないが興味深そうに見ているので、少し満足げな心地になる。
彼女の作品は良いものだ。それが伝わるのは、少し誇らしい。平時ひとりだと感じることの無かったもので、その点は謙二に感謝すべきだろうか。――いや、竜児のみでいい気もするが。
「まあ、お前華美なもんとか可愛いものとか持ってないしな。これくらい控えめな方が部屋に馴染むか。香りで少し主張するってやつ……でもお前の主人にこれは控えめすぎないか?」
「豪奢で招くより自分で動き回りたい人だ」
「ああー」
納得した、という声と共に謙二が苦笑う。だいたい王子は継承権が低く、わざと自分を飾らないところもある。さらに、もし想い人招くことがあったとして、あの女性は華美な物を好みはしないだろう。まあ、今のところ王子が人魚に会いに行っているから杞憂だが。
竜児は一点触ってからそれ以上は控えているようで、とりあえず謙二の納得を待つ。ふんふんと頷いてからこちらをみた謙二の顔はややからかいを帯びていた。
「イイヒトには贈ってるの?」
「王子に贈っている」
「そうじゃないのわかってるだろー? まあ贈るにしても日常使いすぎるか。品が良すぎるって言うか……どれもいいんだけど、傾向が棚であるの面白いよな」
からかいは放っておいて、傾向については頷く。作者ごと、作者の中でもまた用途ごと違うし時期でも材料で多く違う。
彼女の作品の、ぬくもりが好きだ。彼女を可愛らしいと思うようになったからか、それとも感じていることが正しいのかはわからないが、彼女らしい、と感じられるあたたかさは心地よさである。香りは、部屋に馴染む草木細工をひとつの飾りにする。見香ることで楽しむ作品は、控えめだとしても単純な作りではなく、層を作るようでもあるので好ましい。
「今日は竜児買わないんだろ? 俺買ってこうかな。選んでくれよ譲」
「……自分で選べ」
贈られるわけじゃないのなら、自分で選ぶほうがよいのではないだろうか。そもそも謙二と自分は好む物が違う。つれないこというなよ、と謙二は笑うが、こちらの主張は間違いじゃないだろう。
「別に誰か招く訳じゃないからさ。独り身サミシイからお出迎えがほしいってやつ。出迎えられるなら自分の趣味より他人の趣味の方がいいじゃん」
語調は軽いしふざけているだけに聞こえるが、謙二の言葉を否定する要素はない。感情というのは当人の物だし、招待客をもてなす意味では他人が、というのもわかる。
とはいえ謙二の趣味で選ぶとなると、またここの棚ではないだろう。謙二をもてなすなら、と移動しようとすると、腕を引かれた。
「まあもてなすなら俺の好みそうな、ってのわかるけど、言っただろ。他人の趣味の方が俺の部屋に馴染み過ぎなくていいんだって。前買ったのでおすすめとかねーの?」
安いのでいいからさぁ、と言うので、一週間持てばよいとのことだろう。最近選んだもので、落ち着いた色味の黒木を軸にした草木細工を選ぶ。暗い木の色に藍色の花が並ぶ姿は品が良く、香りも精錬としていた。
「お、綺麗」
「ああ。どこにでも馴染むが、目を引くものだ。お前には合うだろう。香りもいい」
ふんふんと頷いて手に取った謙二が、こちらをみる。いたずらっぽい笑みには得意げな色もあった。
「色男に良いって?」
色男じゃなくても合うが、違いないので頷くと謙二が笑みを吹き出した。じゃあこれにするかぁとご機嫌に言うので満足したのだろう。お付き合いいただいたお礼に、と竜児が言うのを謙二が軽く流して、会計に向かう。
会計に応じるのは彼女で、笑顔は相変わらず可愛らしい。少し落ち着かない様子にも思えたが、やはり煩かっただろうか。店主の言葉に甘えすぎたと言えるだろう。よろしくないことは、反省しなければならない。
ふと、店主と目があったので会釈をする。謝罪には足りないが、大丈夫だと言ったのは店主だ。改めての謝罪も無礼になるだろう。店主は目を細め、会計をする彼女を横目にこちらに近づいた。
「楽しまれましたか」
問いは、恐らく竜児へのものだろう。竜児が丁寧に頭を下げる。
「有り難うございます。故郷に帰る少し前に、また来店して相談してもよろしいでしょうか」
「ええ。もし特別入り用でしたらひとつきほどお時間をいただければ。具体的に物がわかっていればもっと前でもよいですが、季節の雰囲気を見てからの方がよいならそのほうが丁度良いでしょう」
「有り難うございます、そうさせていただきます」
重ねての礼に店主が穏やかに頷く。竜児との会話を終えてこちらを見上げた店主が、そろそろ終わる会計を一瞥した。
「……綺麗だからおすすめしてくださったんですか?」
店主の言葉に頷く。彼女の作品の中で、謙二の好みに近いものだ。それでいて謙二が買うには選ばないだろうから、謙二の言っていた条件には合う。
「そうですか。綺麗だと思っていただけて嬉しいです」
やけにはっきりと店主が言ったが、嬉しいという感情が表出したからだろうか。もう一度頷くのと同時に、やけに大きな音がしてそちらを見る。
「うお、大丈夫?」
「大丈夫ですすみません……」
「結構凄い音したよ、痛いでしょ? 怪我してない?」
「はい、大丈夫です」
見ると彼女が俯いていた。なにをしたんだ謙二は。抗議を込めて見れば、俺じゃねーよ、と答えられる。
「商品は貰ったし、無事。ちょっとうっかりしちゃった? っぽい」
こちらに寄った謙二が、耳元で「あんま見るなよ、気にしちゃうだろうし」と忠告を寄越す。確かに、自身の不注意でぶつかっただとかそういった場合は下手に注目される方が苦手に思うだろう。怪我は心配だが、かといって治療するようなものもない。店主はなぜか笑ったままなので、そこまで大きな問題でもないだろうと判断する。
「じゃ、素敵な商品ありがと。また来るから……っと、なんかある?」
痛みで顔を赤くしている彼女を、謙二が伺い見る。ちらりと彼女がこちらを見、いえ、と小さく零した。眉を下げて揺れる瞳が気になるが、しか言える言葉もない。見るなと言った謙二がそんなに気にしていいのかとも思うが、当事者、に近いのは謙二だろう。
「譲がどーした? いつも同じ顔だけど悪い奴じゃないよ」
面倒見がいいというか、やや子供に接するような物言いで謙二が柔らかく声をかける。知ってます、と小さく彼女が言ったのが少し嬉しい。彼女がこちらをどう思っているか知らなかったが、常連として悪いものに思われていなかったのならなによりだ。
「……あの」
顔をあげた彼女が細い声を漏らす。こちらを見たのでなんだろうかと彼女を見返すと、赤い顔のまま視線がまた伏せられた。今にも泣きそうなので、相当痛いのではないだろうか。退出した方が治療できるのかもしれない。だが、出て行けというような声には思えず彼女を見下ろすしかない。謙二も不思議そうにこちらを見て首を捻った。
しばしの間。彼女の拳が震えたようにも見えた。どうすればいいかわからず待つと、空気が震える。
「いつも、有り難うございます……」
たっぷりの間のあと、細い声が響いた。常連だから連れてきた、と思われたのだろうか。目的に合っていたからであり、わざわざ礼を言われることもないと思う。けれども、礼は礼だ。否定することでもない。
「好きで、来ているので」
こちらの勝手と、好ましい店であるということを伝える。彼女の顔がおずおずと上がった。ああ、と思う。
「お可愛らしいですね」
丸くうるんだ瞳、はくりと薄く開いた唇。ついこぼせば、さらに彼女の顔が朱に染まる。そうしてようやく気づいた。
「……すみません」
痛みに苦しんだ人に言う言葉ではなかっただろう。謝罪をすると、いえ、と細い声で返される。もう立ち去るべきだろうと足を動かすと、謙二と竜児がこちらをみていた。
謙二がなぜか間抜けに口を開け、竜児はやけに感心したようにも見える。いや、竜児については表情がそこまで変わらないようだから、想像でしかないが。いくぞ、と声をかけると、謙二がはっとしたように体を揺らした。そして。
「行くぞじゃねえぞおっまえマジかよ!?」
「うるさいぞ」
やけに威勢良く叫んだ理由がわからない。店への迷惑だ、と告げてむりやり引きずるのに、店主の笑い声が重なった。
彼女の見送りがないので、やはり間違えたと言えるだろう。次に来たときは謝らなければならない。
謙二がやけに煩いが、まあいつもとさほど変わらないので気にしないことにした。
次会う時、いつもと同じように彼女が笑ってくれていればそれでいい。店員と客の関係など、そんなものだろう。
(2021/01/15)
片思いが報われたり報われる気配がする短編集。 空代 @aksr
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