空と海の狭間で人は出会う。(ファンタジー・王子×魔女(薬師)+護衛士、無邪気快活×捻くれ、押しかけ)

※現代からSFベースに一度衰退した後ファンタジーで反映した特殊な世界でのお話ですが、特に知らなくても問題なく単語を流し見程度で大丈夫なふんわかファンタジーです※


「会いに来たよ僕の人魚姫!」

「感謝があるならお家にお帰り王子様」

 一瞥すら渡さずに言い放つ。厄介なものにひっかかったと言うべきか巻き込まれたと言うべきか。日に晒した干し草を整えるのを王子様とやらは律儀に待つが、本当に律儀なら私の言葉を聞くはずなのでなんの感謝も沸かない。むしろ存在が邪魔だ。

 烏羽に添えたツルバミの葉を籠に詰める。日照石と共に夜を越させる必要があるので少々手間はかかるものの、色の移り変わりが面白い故にこの作業を私は好いていた。日照石を六連星のように重ね置き、宵の籠を閉じる。背筋を伸ばしたところで、明るすぎる空色と目があってしまった。

「会いに来たよ、僕の人魚姫」

「お家にお帰りと言ったのが聞こえなかったのかい王子様」

「聞こえてはいたし貴方に感謝はあるけれど、話をしたくて来たからね。客人がいるのなら遠慮するけれど」

 私の作業場に踏み込まないあたりは賢くなったが、しかし彼の意思は相変わらずだ。人の話を聞いてはいるが、従うことはしない。いや、作業場については従っているのだから無視をする人間ではないが、しかし簡単に引きもしないのだから面倒だ。

「客人などいるわけがないのをわかっていて言うのだから意地が悪いね君は」

「あ、傷つけたかい!? 気にしていたのならすまない、僕は貴方に会えて嬉しいけれど君が他の人と親しくしたいと言うのなら一肌も二肌も脱ぐよ!」

「嫌みだよ、客人はどれもこれもいらない。もちろん君もね」

 慌てたように叫ぶ王子に、はっきりと言い捨てる。懲りない人間だ。私はそもそものんびりと日々を暮らせればいいだけなので他人などいらないのに、ころころと表情を変えていた王子は安心したように笑う。

「ああ、よかった。貴方を傷つけたいわけじゃないから、安心したよ。でも、もし寂しければ本当に一肌二肌脱ぐから教えてくれたまえ」

「軽率に脱皮を繰り返されたくはないね。君の皮など毒にも薬にもなりやしない」

 面倒だと言い捨てて小屋に戻ろうとすると、王子の護衛士に扉を開けられる。物を持った私への配慮なのだろうが、私の家だぞそこは。そして王子は当たり前に私の後ろを付いてくるし、王子が入れば護衛士も入る。閉めた扉の前に無言で立つのもいつものことで、この連中は、という面倒くささにこめかみを押さえた。

「それで、今日はなにを持ってきたんだい」

 宵籠を棚にしまい振り返ると、王子が目を大きく見開く。犬かなにかのような無邪気さは、美徳と言える部分だろう。しかし、そんな予想が出来たところで私の実感とは別だ。

「五つ葉を見つけたから、貴方に貰って欲しくて」

 折り畳んだハンカチを王子が机に乗せる。白い絹のハンカチは隅が少し茶色くなっており、王子の爪先には黒。両手で摘み一折り一折り開く様は几帳面と言えるだろう。蒲公英色の前髪が簾のようにかかる先で、空色は相変わらず鮮やかだ。

 ようやくすべてを開ききると、こちらを真っ直ぐ見る空に貫かれる。目が合うと言うよりも射抜くが見合っているんじゃないだろうかという真っ直ぐさは、やはり犬だ。

「貰ってくれる?」

 ハンカチが机の上をゆっくりと滑り、私に向かう。王子の手が離れたところで、ハンカチの汚れた隅を摘み、引き寄せる。

 布の中央には白詰草の五つ葉が三つ。一つは三つ葉に小さな葉が二つ申し訳程度についたもの、もう一つは三つ葉に小降りの葉が二つだがその位置が三つ葉を上にすると下二つとなった形の整ったもの、そして最後の一つは葉の大きさが均等であるもので、上等な五つ葉と言えるだろう。

 白詰草の五つ葉は緑の星と言われ、縁起物だ。使い道も多岐に渡るが元々少ない四つ葉に比べてさらに見つけにくいと言われている。多年草とはいえそろそろ枯れる時期でもあり、価値は十二分だ。

「……欲しい物はなにがある? 金で買うことも出来なくはないが、君に希望があれば、物に変えることも出来る」

「貴方に貰って欲しくて持ってきたから、なにもいらない。貰ってよ」

 にっこり、と王子が笑う。これまでも同じような言葉を受けたが、これ以上は貰うには対価が足りない。

「わざわざ慣れない土いじりをしてまで探した、その労力に見合う物を返させろと言っているんだよ私は。物の価値をいたずらに無くすことを私は好んでいない」

 眉をしかめて言い捨てると、王子はぱちくりと瞬いた。空を硝子玉に閉じこめたような瞳は、そのくせ硝子よりも深く、故にやはり空としか言い得ないような色をしている。そうして空を何度かきらめかせると、王子は両の手を自身の前で組み合わせた。

「貴方への感謝の証、では通らないってことだね?」

「ああ。意外と賢いじゃないか、その通りだ」

 素直な言葉に頷く。棚にあるのは見せ瓶だが、なにか他に面白い物はあっただろうか。王子の好む物など知るわけもないが、適当に出せばなんとかなるだろう。

 思考を巡らせていると、空色が夏空のように色濃くなった。浮かべていた笑みが、深くそれを支える。

「好きな女性へ花を送ることなら、通るだろうか」

「……これはどうみても草だと思うけれど?」

「じゃあ、花と一緒なら貰ってくれる?」

 小首を傾げるのに合わせて、蒲公英色の金糸が揺れる。外の日差しを柔らかにまとう髪と空色は、相も変わらず鮮やかだ。

「贈り物になにを言っても野暮だとは思うよ。しかし、だとしたら私が受け取ることは余計出来ないだろう。私は人魚でない」

「貴方は僕の人魚だよ」

 何度も繰り返した問答は、王子の言い切りでどうしようもなくなる。本当に面倒な男だ。恩義を感じる分にはまだいい。が、その物言いも執着も面倒くさい。

「確かに、私は君を助けたになるだろう。海に流れ落ちていた君に処置をしたのは私だ。だが、海から救ったわけではない。君は君の幸運でもって海から生還した。私は人魚どころか泳ぐことすらままならんよ。見てわかるだろう、魔女が海に入るなんて馬鹿馬鹿しい」

「そうだねぇ」

 頷くのに、王子は相変わらず笑っている。どうにもこの王子はのらりくらりとした節があり、なにを考えているのかわかりづらい。

 いや、そもそも私は他人の考えを理解する気自体ないのだが。

「それでも貴方は、僕の人魚姫だ。僕は貴方に感謝をしているし、貴方との会話を楽しんでいるし、あわよくば貴方に僕の手を取ってほしいと思っている。貴方がこの白詰草に価値を見いだすのなら、僕はそれだけの価値を貴方に見ているんだ」

 ゆっくりと、言い聞かせるように王子が言う。私はやや大げさに頭を掻いて、髪を揺らした。そしてたっぷりとため息を吐いて、王子を見る。

「私はそれに返す物を持たないのに?」

「貴方とこうして話す時間で十分だからね」

 はっきりと王子は言い切る。青空はあまりに明るいから、本当にひたすら面倒だ。王子の年頃がいくつなのか私は知らないが、発想はずいぶんと若い。青い。そのくせ空の色は、深い。

「もう少し君は考えた方がいいと思うよ」

 五つ葉を手前に引き寄せると、空色が嬉しそうに細められた。それこそ蒲公英の花びらのような睫が空に被さると、出来た陰の奥で空がやや深く色づく。純朴な好意はどことなく少年じみており、しかし少年ではない年であることはさすがにわかるので問題なのだ。

 王子、というものは国を背負うものだ。なのにこんなところに来て阿呆だと思う。いくら継承権がおそまつだったとしても、もう少しまともな場所があるだろう。

「そもそも人魚だったのなら、君の好意に応えることはない。生きる場所が違う」

「貴方には足がある」

「足があるなら、逆に言えば間違えられた人間って思ってくれてもいいんじゃないか? たいていそういう場合、悲劇を生むよ」

 異獣婚の話は少なくない。そういう中で、人魚の物語は悲劇の王道だ。住む場所の違い、言葉の差、伝わらなかったもの。特に頭のイカれた王子が人魚と勘違いして民間人を娶り、その後人魚ではなかったと責めた故にその女性が死んだ話なんて有名だ。

 言ってしまえば、王子の言葉はそれとずいぶん近い。

「それとも魔女を殺すために、敢えて物語をなぞろうと言うのかい? ならば愚かな賢さだが――」

「違う。僕は貴方がいいんだ」

 静かだがよく通る声が否定を差し込む。空色の瞳は澄んでいて、しかしだからといって違うという言葉を信じる道理があるだろうか? 王子はわざとらしいくらい、過去の王子と重なる言葉を選ぶ。

「私がそれを真とするにも、君はどれもこれも人魚の為にある。恩着せがましくするつもりなどない、ただの医療行為に下手に執着されても無駄だよ。君だからしたわけではない。私にはすべて等しく他人だ。そもそも君のことなど、王子である、こと以外に知りようがないのに、悲劇の人間になるつもりも、面倒な世界に足をつっこむつもりもないよ。私の住処はここだ」

 王子の睫が少しだけ伏せられる。金というにはあまやかな黄色は、それでも日のあたり具合によっては煌めき、空色を曇らせる。

 こつり、とテーブルを爪で叩くと、王子は顔を上げた。

「五つ葉は頂戴するよ、ありがとう。しかしこれを君に返すことは簡単で、望まぬのならお家にお帰り王子様」

 三度目の言葉は、最後の通告だ。物語の愚王と違い、この王子は賢い。頷いて立ち上がり、空色がこちらを捉える。

「次はきちんと、貴方を迎えに来るから」

「私のお家はここだよ王子様」

 懲りない言葉に口の端を歪めて笑っても、王子はなにも言わなかった。


 * * *


「……ここに王子様はいないんだけれど」

 扉を開けたところにあった巨体に、唸るように声をかける。軽く会釈をしたのは王子の護衛士だ。そして答えず、扉の横でまっすぐ立っている。

 なにかあったのか。しかし案じるにも護衛士の立ち姿は平時と変わらない。警戒している様子もなく、意味が分からない。

「護衛士ってのはいつもそばにいるから護衛士なんだろう? 私の勘違いで、君は隊士でしかなかったってわけかい?」

 私の言葉に、男は左肩近くに手をやった。布を止めている金具に彫られているのは国の紋章。その周りにある細工はずいぶんと凝った意匠をしている。

「……いや、見せられても私は隊士の印自体知らないんだけれど。凝っているからそれは護衛士を示す物ってことでいいんだね?」

 こくり、と男が頷く。こちらの言葉を理解はしている。けれども、会話することは出来ないという奴だろうか。だとしたらこちらが軽率に指摘していいものではない。意志疎通は出来ているので問題ないと踏んで、改めて男を見る。

 王子よりも頭一つ分は越えた長身に、鎧の上から見てもわかるがっちりとした筋肉。王子とて華奢というわけではなくそれなりに物を振るうにふさわしい体をしているが、さすが王子の護衛士というべきか、体のつくりが随分と違う。元々骨格の作りが違うのだろうと思える体躯を見上げれば、私が言うのも何だがどうにも感情の読めない瞳とかち合う。あまり大きくない瞳は王子の煌めく瞳と違い静かで、思考を見るには難しい。

 王子の空色が夏のような青空なら、護衛士の男は夏の宵の口か。星空が煌めくには足りず、しかし夜は確かに運ばれる色。対照的な男だ。

「それで、君はなんでここにいるんだい。護衛士であるなら王子様を捜しにきたと踏めばよいのか? けれどさっき言ったように、王子様はいないよ。焦った様子が見えないのは君の特性かな」

 会話ができないにしても、理解しているなら先ほどのようになんらかの所作で反応があるはずである。王子のことは王子の勝手だが、しかし問題があればいろいろと厄介も多いだろう。そうして言葉を重ねるが、目の前の男は無言のまま反応を示さない。

 文字でならよいのか、そもそも踏み込んでいいのか。逡巡を腕組みに閉じこめると、男がやや上背を曲げた。

「どうした……ああ、物珍しいか」

 空に晒した布を見ていることに気づき、手に取る。こちらを見る視線の意味はわからないが、もうとっていいのかとかそういうものだろうと勝手に解釈をして布を小さく畳んだ。

「地方のものだけれどね、花衣があったから空を染み込ませていたのさ。この間の五つ葉の礼だ。君の主人は返礼を望まなかったが、まあ、お守りと言えばさすがに受け取るだろう。魔女の守りだ、光栄に思って欲しいくらいだね」

 揶揄するような言葉で言ってのけても、男の表情の違いはわからない。花衣は元々染色するようなものではないので邪道だが、魔女と呼ばれる人間には丁度いいだろう。別段私は魔女ではないのだが、呼び名とはその人物を定めるまじないだ。

「それで君はいつまでここに突っ立っているんだい。私はお人好しじゃないから、君がなんらかの動きをしない限り家に招く理由もないんだけれど」

 こくり、と男が頷く。が、頷くだけではさすがに私も察することは出来ない。なんというか面倒なことになっている、と思う。

「それは家に招かなくていいということかい?」

 こくり。もう一度男が頷いた。やれやれ、と、大仰なため息が出てしまう。

「そうか、なら放っておくけれど。出来たらそこに立つのは止めてもらえないかね。滅多にない客人がもし来たら、入ってこれなくなるだろう」

 男の視線が、周囲を巡る。滅多にないから今はいないよ、と言うと、男はまた頷いた。

「……すみません」

 低い音が落ちる。いやしゃべれるのか君。うっかりだいぶ驚いてしまった私を、男は背筋を伸ばしたまま見下ろす。

「ここにいます」

 静かな声はそこで途切れる。また沈黙か。そしてそれは、客人が入ってこれなくなったらすまないって意味で移動しないと言う宣言か。わかりづらい。いつもはうっとうしいと感じる底抜けに明るい声が聞きたくなってきてしまったから相当だ。私があからさまにこめかみを押さえても、男は身動きしない。

 王子も王子なら、護衛士も護衛士か。聞いてはいるが従う気はないこの図太さは中々に凄い。もちろん迷惑な意味で。

「まあ、君の巨体を無理矢理移動させるすべを私は持たないから、勝手にしたまえ。たとえ君に怯んだとしても、必要がある人間なら出直すだろう」

 ここに男がいるということは、おそらく王子がやってくるということだ。共にいない理由は男が語らないだろうから考えるだけ無駄で、ならばこの花衣を縫ってしまう方が早い。そう思って扉を開け――閉めるに足りず、と言うべきか、閉めるには多いと言うべきかの状況に男を見上げた。

 そのままならば閉めることが出来たはずの扉を止めたのは、男の足だ。

「なにか用なら語らねばわからないよ。魔女と呼ばれていても、所詮私はただの薬士くすしだ。人魚でも星霊でもない」

「……聞いても?」

「ならば部屋に入りたまえ。いつも入っているだろう」

 男の言葉に促すよう中を手で示すと、男は首を横に振った。私が立ち話を好まないとかそういう都合を考えないのだろうか。面倒な男め、という言葉は敢えてそのまま吐き出す。

「君の主人待ちにこちらが付き合う義理はないよ」

「いないのに、入るわけには参りません」

「そんなことあの王子様が気にするわけないと思うけどね」

 本当に言葉が足りない男だ。ようやっとの言葉で理解して、やれやれとため息を吐く。私の家に入るのは王子がいる時のみ、という律儀さに私が付き合う必要などないのだが。

 しかし護衛士を置いて王子はどこに行ったのか。他に隊士を引き連れているのを見た覚えはない。私があの王子について知っていることは、次の王になるには随分と難しいだろうこと、人魚に執着していること、土いじりをさほど躊躇わないこと程度だ。

「王子に足りない物はなんでしょうか」

 つい男の迎えを目で捜してしまっていたらしい。落ちた低い音で我に返り、しかし答えるよりも前に眉間に皺が寄るのを自覚した。なに言っているんだこの男は。いっさい喋らないのかと思ったら、ようやくの言葉がそんな訳わからないことっていうのは中々に突飛な人間だと思い知らされる。あの王子ありてこの護衛士あり。短い間に同じような言葉が頭を巡り、再度こめかみを押さえる。

「そもそも私は人魚じゃないって言っているだろう」

「足りない物、です」

「理解が足りない理解が。君も十分足りていないがな、人魚を娶るなんていい結果があったことはない。それだというのに人魚に固執するとか阿呆か、ただでさえ低い継承権をぶんなげるつもりか君の主人は」

「娶られる考えはあると」

「言葉少ないせいで突飛かと思ったが、そもそも君の思考回路がすっ飛んでいるな!?」

 しれっと差し込まれた言葉に思わず叫ぶ。表情をいっさい崩さない男はあくまで静かで、こちらが阿呆になったようにすら思える。いやしかしおかしいのは男の言葉だ。そして現在男と会話しているのは私なので、この突飛さを指摘するのは私しかいない。

 呼吸を整え、男を見据える。宵の口の色は夜へ変化する色とも言えるのに、静かすぎて動く気配をいっさい見せない色に見えてしまう。瞳の色はさほど変化がないと言っても、人が思うよりも揺れ動くはずなのに。

 鮮やかな青空が浮かんで、それに重ねないように男の目を睨む。

「娶るってのは言葉選びが容易いからだ。王子様に娶るつもりがあるかどうかはどうでもいい。王子様が付き合うって言えば、将来的にそういう結論になるだろうと見る人間がいることが問題なんだ。人魚と付き合うだとか言えば、あの王子様がイカレた愚人として扱われるだろう」

 こくり、と男が頷く。そこの理解は共有できているらしい。共有できているのにあの発言かと思うとまた別の頭痛がしそうになるが、まあなにもかも共有できないよりはマシだ。……多分。

「私は物語の住人ではない。正直人魚なんて呼び名、魔女と呼ばれるのとさほど変わらない。人の話を聞かない王子様に付き合う義理もないわけだ。おわかりかい護衛士君」

 じ、と見下ろす瞳から目を逸らす。やれやれ、と大仰な所作で肩をすくめると、開きなおした扉に背を預けた。話が仕舞いとならなければ、この扉はまた男の足で拒まれる。判断を促すつもりで横目で見上げ直すと、まだあの宵の口の色がそこにあった。

 青空とは別の厄介さだ。いや、寧ろ似ている故なのか。魔女様はもう少し大事に扱われてもいいと思うんだけれどね、という内心は花布と一緒に畳む。大事にするよ、ときらきらとした声が浮かんでしまったので、それも一緒に畳み握る。

「貴方の名を、王子が呼ぶことを許してくださると」

 また落ちた低音に、ぐ、と変なうめき声が喉から漏れてしまう。男を見ると相変わらず静かな瞳で、そこに写り込む自分がみっとうもなく見える。乾いた口の中、意識して舌を動かす。

「呼ぶ以前に知らないだろう。名乗らない人間に名乗ってやるつもりはない。人魚、と定義して私を見るつもりのない男に名乗る機会なんざないよ」

「……ヤキモチですね」

「ほんっと君は突飛な男だな!?」

 しれっと言い切った男に叫ぶ。なんだそれ、なんだそれ、なんだそれは! どういう脳味噌をしていたらそういう発想になるんだ! 頭をかっさばいてやろうかという暗い衝動に男を睨むが、相変わらずの能面だ。首を横に振っているのは突飛に対する否定だろうが、いやもう突飛以外の何者でもないだろう。

 頭をかきむしりそうになるのを寸前で耐える。動じる方が馬鹿だ。それくらいは理性が語る。

「花衣のお守りは、想い人の為と聞きました」

「結構遠い地方なのによく知っているな。だがそれは白竜の花だ、同じ白でもこちらは白詰草だし、竜の衣は染色をしないのが普通だ。しかも花衣を作ったのは私ではない。随分前の物だから王子様の為の衣じゃないんだよ。勘違いお疲れさまですねぇ護衛士殿」

「想いの渡す先に王子がなれたようでなによりです」

 眉間の皺が思いっきり寄る。下手に軽率に言葉を重ねるとこの男は勝手な解釈で語る。無口かと思ったが無口ではないな、こいつ。黙っていることが多いだけで超解釈の突飛な思考がそのまま飛んでくる。確実に。

「……君は王子様と私をどうにかしたいようだが、護衛士ならば考えたまえ。こんな偏屈な人間と、あんな馬鹿みたいにまっすぐな王子だぞ。しかも王子は人魚だとかのたまっている。幻想は叩き折ってやるのが年上の務めだと思わないか」

「同い年ですので」

「はァ!? あ、いや、すまない。今の反応は失礼だったな」

 王子が予想よりも年上なのか男が予想より年下なのかわからないが、外見について触れるのは野暮だろう。慌てて謝罪をし口元を覆うと、あれだけ表情の変わらなかった男の瞳が和らいだ。

「年の差が心配なようでしたら、ご安心ただけますと」

「君は都合のいい解釈しかしないようだな」

 ここまで極まってくると感服する、と言えればいいがただただ呆れが大きい。半眼でそっけなく言い捨てると、男はまた瞳を無感動に戻した。

「自分の解釈は、素直だと思います。見ていればわかりますので。ご自覚ないのですか」

 そこで言葉を返せなかったことは失敗だっただろう。勘違いだ、と言おうとして、しかし男の瞳があまりに無感動だからこそ言葉が出損なった。

 空色がもたらすものを、私はどうしようも出来ない。

「……悪い人間ではないとは思うからな。嫌う理由もない」

 こくり、と男が頷く。そこで言葉を黙するのか。わけのわからない男だ。

「ただ、人魚は私ではない。あの処置は薬士であり私という存在の物だ。そもそも人魚というものを私は好んでいなくてね、王子様の友人にすらなれないだろう。魔女も同じく、だ」

 今度は頷きもせず、男は私を見ている。馬鹿馬鹿しい、という内心で手の中の花衣を見下ろすと、私はため息を大仰に吐いた。

「人魚に固執する王子様とはいっさい相容れない。これは私の信念だ。それに、王子様の居場所はお城だよ、それくらい君もわかるだろう」

「王子の人魚、を知れば良いかと」

 ぽつり、と無機質に落ちた言葉に首を横に振る。そんなもの、王子がさんざん語ってきたではないか。だからこそ私は絶対に、王子の言葉にも目の前の男の言葉にも首肯しない。

「自身を救いしものを言っていることくらいはわかる。まあ、今の段階ではたとえ私がなにを想っても王子には届かないし、それこそ人魚になりたくはないから――」

「話をしよう、僕の人魚姫!」

「うっわどこから来たんだっていうか唐突すぎないか君!?」

 大声で叫んだ私を、きらきらとした空が貫く。蒲公英色の髪に葉がついているのが愛嬌になるのは王子のずるさだろう。目の前の男がやればおそらくこうはならない。いやまあ体格的に訓練かなにかに見えてしまうだろう男が特殊かもしれないが。

 思わず思考をおかしなところに飛ばしていると男は私のそばから三歩ほど離れ、代わりに王子が近づく。

「君の気持ちを知りたくて隠れた僕を責めるのはいつでも聞こう。しかしまず、僕にとっての人魚を語らせて欲しい」

 そうか隠れていたのか。であれば男のあれそれに意味が出来、つい睨みつける。涼しい顔、というか相変わらず感情を見せない顔色はそのままなので無意味にも思うが不満は不満として表出すべきだ。

「僕にとって人魚はもうひとつの生き方だ。物語では悲恋を作るものとされやすいが、同じ人の姿をした魚、という点が僕には重要だ。人間は陸で生きるが、実は海でも生きることが出来るのではないか――それは果ての森にいるという獣属と同じように、星が海にあることの可能性の話だ。体の一部が獣であるという彼らが存在するのに、何故海を否定するのか。僕にとって浪漫の形であり、人の可能性で、僕がそう語っているのを周囲は皆知っている」

 饒舌な王子に圧倒されるが、答えにはずれているようにも思う。返す言葉を持たずに見返していると、王子は目を細めた。

「海に落ちた僕を拾った、そういう意味で人魚と言葉を選んだことは事実だけれど。僕の周囲にとって、僕が人魚と呼ぶと言うことは、そちらに行きたいという宣言でもある」

 言い聞かせるような語調で王子が言葉を並べる。なに言っているんだ君は。何度も言ってきたそういう言葉が、空色に飲まれる。

 なんという身勝手で傲慢で一方的な宣言なのか。だというのに、王子はこちらに手すら伸ばさない。

「……あとはまあ、名が大事なことを知っているから。僕が君の名前を聞いたら、君は僕と向き合わなきゃならなくなる。大丈夫だとは思うけれど、拒否できなくなるのは悪いなあと思って」

「そういう割に、家には押し掛けるんだな」

「君が許してくれるからね」

 にっこり、と王子が笑う。いけしゃあしゃあとしている人間だ。思わず頭を押さえるものの、言葉がうまくでてこない。

「それでも君が気にするのなら、僕は名乗ることを許してもらえるかな。君の名を聞いて、僕の人魚を招いてもいいだろうか」

「……人魚じゃないよ、薬士だ」

「僕の可愛い人を、呼んでも許してもらえるかな」

 なぜそこで薬士と呼ばない。そう思ってもさっきから言葉が半端な位置で止まる。本当こいつらは、従者が従者なら主人も主人だ。どちらもあまりにすっ飛んでいて。

「――名前ごときで拒否できなくなるほど繊細な人間じゃないつもりだよ」

 うめくように答えると、一等嬉しそうに蒲公英が咲いた。


 納得したように頷いているんじゃないっつーの護衛士!!


(2020/06/10)

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