秋桜が沁みる頃(ファンタジー・年下×歳上、物静か×穏やか、敬語×敬語)

※現代からSFベースに一度衰退した後ファンタジーで反映した特殊な世界でのお話ですが、特に知らなくても問題なく単語を流し見程度で大丈夫なふんわかファンタジーです※


「竜の花、を」

 ともすると机の木目に吸い込まれてしまいそうな静けさに、瞬く。見上げた瞳は同じく静かで、それでいて真っ直ぐだ。口角を引き結んだような表情は、ともすると厳めしく見えるかもしれない。けれどもそうでないとわかるから、私は驚きを笑顔で緩めた。

 花織りに竜の花を依頼すると言うのは、特別なことだ。それを野暮な反応で汚してはいけない。大切なものに触れる名誉を、私は貰えたことになる。

「承知いたしました。出立は一月後でしたよね、それまでなら大丈夫だと思います。鏑木かぶらぎさんの為に頑張りますね」

 右手で握り拳を作って胸を張ると、鏑木さんはそっと目を伏せた。なにか間違っただろうか、と思ってその瞳を覗き見る。口数が少ない方ではあるけれど、なにもかも察しろというような無茶も言わない方だ。言葉を選んで届けてくださるから、取りこぼしが無いようにお顔を拝見する。

 鏑木さんは、本当に小さく、首を横に振った。

「自分、に」

 落ちた言葉を拾い上げるように頷く。睫が震えて、伏せた瞼の奥で瞳が動いているだろうことが分かった。尋ねた方が良いかもしれないが、尋ねない。その選択が出来る程度に、鏑木さんは常連だ。

「自分に、教えてくれませんか」

 持ち上がった睫の下で真っ直ぐこちらを見据える緑青の瞳は、彼の懸命さをなによりもはっきりと伝えていた。


 * * *


 竜の花はすぐ仕入れられるものではない。季節関係なく咲くのだが、咲く場所が少々厄介なのだ。星に愛された花、白蛇の伝説。旅芸人バードにも伝わると言われているウタでは、白蛇が空に登って白竜と呼ばれたなどとある。

 そんな曰く付きの花は、白竜胆。生来の青を夜空に運ぶと言われており、少々急な高所で星の光を浴び育つ。もしくは、星の泉に咲いて泉の星を潤す。前者は見つけることも得ることも困難だし、後者は悪戯に入ってはいけない場所だ。禁を破る採取者はそもそもその場所に行けないだろうし、破らないものは悪戯に採取しない。だから仕入れるときは特別で、頼む分時間が経ってしまう。

 それでも竜の花は、この土地で特別な意味を成すから遅すぎるわけではないけれど。遠く離れることになった恋人に花織りの布を渡し、その布が恋人を守ることとなったという言い伝えは鏑木さんの特別な想いを示す。その心に少しでもなにかよい形を渡したいからこそ、早い段階で練習をとなったのが今だ。

 教えるのならば代わりの花、この時期ならば秋桜が良いだろう。見繕い花籠に摘み入れる。暖かな日差しは、想いを撫でるようでもあった。

「お待たせしてすみません」

 扉を開けて声をかけると、鏑木さんは返事をするよりも先に立ち上がった。こちらに真っ直ぐ近づくと両手を差し出したので、少し笑ってしまう。

「有り難うございます。お願いしますね」

 店はさほど広くない。入り口にいる私に対して鏑木さんがあっさりと距離を埋めたように、机に運ぶにも苦痛にならない距離だ。そもそも花籠はそれほど重くないのだが、鏑木さんらしい優しさには素直に甘える。

「……頼んだのは、こちらです」

「頼まれまして、光栄です」

 静かな物言いは、鏑木さんに馴染んでいる。対して私の声は少し軽すぎるだろうか。けれども鏑木さんは、それを当たり前に首肯で受け止めてくれる人だ。

「そちらの黒い星布の上に置いてください。……はい、有り難うございます」

 花籠を机に置くのを確認しながら、水瓶に向かう。葉水を水入れに移し替えると、また鏑木さんがこちらに歩み寄ってきた。マメな方だと思いつつ、有り難うございます、とお礼と一緒に持っていただく。

 机に運んで貰い、水入れは空色の星布に乗せていただく。準備してあった平皿に葉水を移して、鏑木さんが座ってくださったところでようやく私も座った。

「それじゃあ、始める前に少しこちらを向いていただいてよろしいですか?」

 配置を簡単に確認してから、椅子ごとこちらに向き直っていただく。本来長机なのだから横並びで座るのが自然なのだが、まずはきちんと鏑木さんを知らねばならない。

 花織りはそもそも、特別な能力を用いない。店はここにひとつしかないけれど、所謂伝統工芸程度のものだ。家庭で編まれるものと違い売り物になるのは、手順と向き合い方があるからでしかない。

 血で巡るでも才能で巡るでもなく、私みたいな人間だって師匠に弟子入りすればそれで十分扱わせて貰えるもの。だから、私がするのは鏑木さんの手助けだ。

「鏑木さん、お裁縫はなさったことがありますか?」

 まずは第一段階。基礎の基礎をどこまで教えればいいかという意味で尋ねると、鏑木さんは頷いた。まあ、隊士をなさっているから当然だろう。武器や防具だけでなく、持ち物は自身で管理するのが隊士の常識らしい。

「では、花織りは」

「…………弟がのぼりれの時に、少し」

「ああ、それは素敵ですね」

 鏑木さんは弟さんと二つ違いだったはずだ。ならば七歳の時。それなりに知識も行動も残る年頃なら、悪いことではないだろう。花籠から花弁を摘み、自身の左手に乗せる。

「どの程度覚えていらっしゃいますか?」

 花弁を広げながら尋ねると、鏑木さんの眉間の皺が深まった。思い出すというよりは言葉に悩んでいるように見える。ひとつひとつ探すようにして答えるのは鏑木さんの癖で、つい目尻が下がるのを自覚する。小さい時から、鏑木さんはそういう所がある。

 体格はずいぶん大きくなって変わってしまったけれど、面影が残るその表情を私は好いているのだろう。かわいらしいなんて言うと失礼だろうが、しかし正直な気持ちだ。

「花を紡いだことと、織ったこと」

「そうですか。なら、さほど難しくないと思いますよ。安心してください」

 鏑木さんは、昔からよく店に来ていた。といっても、私が十五で来たときから興味を持ったらしいけれど。鏑木さんは言わないが、師の言葉は確かだ。七つの時の幟晴れはきっかけにならなかったようだけれど、なにか面白いきっかけがあったのかもしれない。

 そういえば、師は私がきっかけじゃないかとも言っていた。当時は十歳だし、外から来た人間が物珍しかったのかもしれない。私が十八になった頃から毎年買い物にくるので自分で作れないからなのかと思いこんでしまっていたから経験があるのは意外だったけれど、この土地で生きてきたのだから当然だ。今更過ぎることに苦笑する。

 私が鏑木さんについて知っていることはほとんどない。店に来る姿と、時折外で見かけるだけだ。知らなくて当然なことが多いのに、勝手に思いこんでしまっていた自分はほんの少し身勝手だったのだろう。

「お手を失礼しても?」

 鏑木さんが、手のひらを下にして差し出す。その指先をそっと摘むように持って、私の左手の上に乗せた。

 大きな手だ。私の手が見えなくなってしまうことには構わず、その手の甲を右手で包むように撫でる。

「静かに息を吐いて……吸って。呼吸を私に合わせてください。秋桜ですから、七度行います」

 覗き見ると、はく、と鏑木さんの唇が震えたところだった。堅く強ばった体が和らぐように、そっと握る。堅くならないで、と言っても逆効果だろう。大丈夫、と気持ちを込めて、花弁と鏑木さんに熱が移るように撫でる。震えた唇が引き結ばれ、二度頷いたのを見て視線を鏑木さんの手に移した。

 見られる方が緊張してしまうのだろう。数度撫でると、呼吸がゆっくりと繰り返される。秋桜の色が移るように少し指先に赤みが見えたので、相性はいいようだ。

「平皿の方に移しましょう」

 私の両手で包みながら、鏑木さんの手を平皿の上に引く。そうしてはらりと手をほどくと、秋桜は七度回って水に浮かんだ。

「大丈夫ですね。では、」

 笑みを浮かべ鏑木さんを見上げる。そうして続けようとした言葉を失った。鏑木さんの顔が険しいのは別に問題ない。ただ、その肌が色づいていたのが問題だった。

 指は秋桜の色で問題ないが、さすがに顔にまで色は移らない。けれど、指摘するのも失礼なので視線を花籠に戻す。

「では、同じように今度はおひとりでしてみてください。晶の流れを意識して、七度、ですね」

 失敗した、と思ってしまう気持ちをなんとか切り替える。でなければうまく晶が流れないからだ。紡ぐ花を枯らしてしまってはならない。

 でも、浮かんでしまう鏑木さんのお顔を消そうとするのは違う。それよりも、想いを重ねてしまう方が良いだろう。

 花織りの竜布を渡そうとするのだからそういう関係の女性がいるのだろうが、かといって鏑木さんが慣れているかどうかはまた別だ。私のような昔から良く知る人間でも、手が触れれば恥じらうこともあるだろう。そういう不器用さは、意外と言うよりも納得がある。恋人の存在を知らなかったのに今更だが、そういう鏑木さんらしさは、じわり、と手のひらに熱を運ぶ。

 悪いものではない。こんなに暖かく巡る花紡ぎは、よい糸を作る。よい糸に、することが出来る。

 花紡ぎは、花に自分の心を乗せるものだ。ゆっくりとした対話。晶をぐるりと巡らせて、根気強く繰り返す。だから隣に並んだ鏑木さんと私の会話はなされない。自分の内側にある大切な人に、言葉を重ねる為のもの。つい花ではなく隣に流れてしまいそうになる晶を、くるり、くるりと花びらに乗せる。

「ああ、良いですね。こちら、白籠にさらして置きます。ちゃんと巡っていますし、これなら竜の花衣も難しくないですよ」

「有り難うございます」

 神妙に、鏑木さんが頷く。それだけ真剣な想いなのだから、よい形になるだろう。小さな村なので、お相手を想像しそうになる自分をそこで抑える。

 その時がくれば、わかるはずだ。式があるか、それより前に噂で聞くか、出立の時に知るのか。ほんの少しの寂しさは、しかしその日に輝く花を思えばぬくもりにもなった。

 私が修行に来た日から、ゆっくりと時を重ねた少年が当たり前に大人になっている。彼の出立を飾り、想いを残す布を作る手伝いが出来るのは幸いだろう。

 日照石の上に置いた白籠は、ほんのり温もりをもつ。熱ではない、温かさ。晶が巡りて平衣。晶が巡りて白日の。浮かんだ歌を口ずさみそうになって、誤魔化すように笑う。鏑木さんの問うような視線は静かで、しかし私がなにも言わないので言葉にはならない。

 鏑木さんは知らないだろうが、私は鏑木さんの沈黙に甘えているところがある。相変わらずだな、という実感は、単純な好意を伴っていた。

「巡らせも順当ですし、大丈夫だと思います。白竜胆は十三度を三回と数が多いので少々大変ですが……晶の流れは、秋桜よりも穏やかですし。重ねる想いがあれば、十二分ですよ」

「はい」

 神妙に鏑木さんが頷く。少し肩肘が張っているようだけれども、その懸命さも鏑木さんのものだ。悪いものにはならないだろう。

「この花びらが使えるようになるには半日ほど日照石に置いた後、星に三度さらす必要があります。三日後になりますが、練習するなら今からがいいでしょう。在庫をもってきますので、少々お待ちください」

 白竜胆が手に入るのは、秋桜が使えるようになる三日後。白竜胆を星にさらしている間に秋桜で練習するのもいいが、余裕はあったほうがいいだろう。予想よりも順当にできた分、明日でなく今日からはじめてしまっていい。

「……在庫」

 席を外そうとした私に、ぽつり、と鏑木さんが呟いた。鏑木さんは年上には敬語で話されるので、私に言うよりも鏑木さんの内側から零れたように聞こえてしまう。

 それでもその言葉は私の発言から落ちたので、私は振り返って頷いた。

「はい。丁度ありまして」

「それは……貴方の、では」

 眉間の皺を深めて、鏑木さんがぽそぽそと言葉を落とす。言葉はもっともで、私はどう答えればいいか少し悩んでしまった。と言っても、私のものである事実は誤魔化せないので、結局笑うに留めるしかないのだけれど。

「私のものですけれど、まあ、修行の一巻ですね。送らないと決まっているものです」

 鏑木さんはまだ難しい顔をなさっている。送らない、と復唱しても、それ以上の言葉はない。言葉はないが、しかし思うところはいくらか伝わってくる。

 花衣は、元々他者に渡すことを目的としている。家庭のような場所ならまた別だが、商品として扱う場合は必ず送る相手を知らねばならない。

 晶を巡らせる際に、想いを込める。想いの形が違ってしまってはいけない。送り主の想いを丁寧に代わることができるのが、私たちの特質だ。代筆屋、のようなものと言えるかもしれない。内容を知らねば出来ないことという意味で、立場は似ている。

 だから、在庫があり得ないのは正しい。そして私が持っているということは、私が花衣を作ろうとしたことに他ならない。

 想いの行き先を思えば、鏑木さんの憂慮は正しいだろう。真面目な人であるし、当然だ。気にしないでくださいね、といっても気にしてしまうのもわかる。けれどもこれは鏑木さんへの気遣いではなく、実際問題届ける必要がなくなったものだ。

「鏑木さんが使ってくださると嬉しいのですが、駄目でしょうか」

 鏑木さんが拳を堅く握る。眉間の皺がこれ以上ないくらい深まって、それから細い呼吸音が零れた。

「貴方がそう言うのなら」

 大切に使わせていただきます。続いた言葉が優しくて、私は笑った。よかった。素直な安堵と共に、一度部屋を出る。

 実の所、丁度良いとも言えるのだ。元々鏑木さんの出立に合わせて作ろうとした花衣は、もう不要になった。いや、歳が離れた友人として送る分には問題ないと思うのだけれど、それでも。

「鏑木さんのお相手への想いに、お邪魔しちゃ、ね」

 木箱を取り出して、苦笑する。友の出立を祝う為に紡いだが、おそらく不純物も混ざってしまっているだろう。元々そういう意味で縁を紡ごうと思ったことはないが、それでもやはり、この花びらに混ぜるものは違う。

 つい、私に依頼をしないのは見透かされているからなのだろうか、と思ってしまったことがぶり返す。お相手のためにも、不純な想いが混ざる可能性を減らしたいのかと。そんなこと、この職に誇りを持っているからご依頼を受けたら絶対しないのだけれど。でも、つい浮かんだ妄にかぶりを降った。

 鏑木さんは、そんな風に私を見ることはない。もう十五年もここで働いている私を信頼している、と言っていいのかはわからない。けれど今鏑木さんが教えてほしいと言っていることが理由なだけではなく、それが鏑木さんだ、と、ろくに知りもしないのに確信してしまう。思い込みかもしれないけれど、私にとって鏑木さんはそういう人だ。

 鏑木さんが私に依頼をしないのは、鏑木さんにとって紡ぐ場所から触れたかったからだ。彼の誠実さらしく、そういうところが好きだから、しっくりくる。

 手作りだから想いの質が変わるなんてことはない。元も子もなく言ってしまえば、私たち職人が作った方が丁寧に晶を整えることが可能な場合も多い。それでも彼は、ひとつずつ作りたいと思った。思って、実行している。その手伝いの一つに、自分の想いが使われるのは随分な幸福と言える。

「お待たせしました」

 先ほどと同じように、鏑木さんが立ち上がる。ただひとつ違ったのは、そこから動かないということだ。少し躊躇うように視線を下に向けたのを見て、私は目を細めた。

 私の想いを運んでいいのか、使うと言ったのに躊躇う鏑木さんは本当にお優しい。

「丁度秋桜があったので、こちらで紡いでください。竜の花と違い柔らかいので、多少糸がほつれても気にしなくて大丈夫ですよ」

 こくり、と鏑木さんが頷く。そのまま動かない様子に少し苦笑してしまった。気にしないでください、と言っても無意味だろう。白布を鏑木さんの前に置き、私の席にも置いた。先に私がとって示すと、じ、と鏑木さんの視線がこちらに向く。

「私の花ですから、少し使いづらいかもしれませんけれど」

「そんな、……ことは」

 否定しようとした鏑木さんが、しかし末尾は小さな音で飲み込んでしまった。難しい顔のままの鏑木さんに、どうすればいいのかな、と考える。

 晶は人それぞれ、流れが異なる。この仕事をするに当たって大切だと言われたのは、想いに合わせて変質させることだ。普段の商品なら、依頼者とすり合わせるが――これは私のものだから、鏑木さんの否定になり損なった言葉は正しい。

 そんなことはない、と、他人が言い切れるものではないのだ。実際使わないとわからない。だから、手にとった花びらをそっと撫でる。

「大丈夫です。鏑木さんに使っていただけたら、この花弁も報われましょう」

 貴方の出立とこれからの幸福を祝う、かけらにでもなるのだから。自然と手のひらが暖かくなり、その分少し薄くなった空気を取り込む。

「……報われるんですか」

 固い声で、鏑木さんが尋ねる。あまりに神妙な声で、見上げると息苦しそうなお顔とかちあった。ともすると怒っているように見えてしまう険しいお顔は、鏑木さんの優しさだろう。

 だから、私は笑う。

「はい。報われます」

 元々、鏑木さんへのものだ。少しずるい形かもしれない、とすら思う。彼の無防備な優しさに甘えたもの。だから、そんなに痛がらなくていいのに。身勝手な気持ちは、彼の誠意に足りないようにも思えて少し罪悪感が沸いてしまう。

 鏑木さんは堅く両拳を握って、背筋を伸ばした。

「なら、俺にください」

 神妙な言葉に、ぱちり、と瞬く。使うように出したので、わざわざ頼まれるものでもない。

「はい、練習に全部使って大丈夫です」

 鏑木さんが眉間の皺を深めるのと一緒に目をぎゅっと瞑った。呼吸の音が響く。

 話を進めてしまっても良いが、おそらくまだなにか言葉があるのだろう。私も背筋を伸ばし直し、鏑木さんと向き合った。

「貴方の花衣を、自分にください。片時も離しません。大切にします」

 ――言葉に、胸が震えた。そんな比喩が本当に起きるなんて、という動揺はどこか他人事のようでもあった。変に勘違いしすぎないようにする、自衛のようなものなのかもしれない。

 胸の震えは、足りなくないはずの息苦しさをもたらすようでもあった。はく、と震えが昇った唇を、なんとか微笑みに整え直す。

 糸を織る音を内側で繰り返す。いち、に、さん。想いをその音に混ぜ、織り、宥める。

 友愛の情を、違えてはならない。

「それは、」

 なんとか言葉にしようとして、けれど途中で止まってしまった。いつもと変わらない声になったはずだけれど半端に途切れて、鏑木さんから目を逸らしてしまう。

(それは嬉しいです。実は鏑木さんの出立祝いだったんですよ)

 言えばいい。事実で、間違いじゃない。鏑木さんの優しさと誠意に報いるのに、きっとちょうどいい言葉だ。なのに鏑木さんの気持ちと違う自分の部分が、胸の奥で引っかかっている。あばらの内側、肺の外側。圧迫感が、身動きを止める。

 はやく答えないと、鏑木さんが提案を引いてしまう。そういう焦りは、けれども静かに私を見据える目で、行き場を失った。

 鏑木さんは言葉を変えない。私をじっと、待っている。

「嬉しい、です、けど」

「……自分では、駄目ですか」

 静かな言葉は重い。誠意には誠意で。この仕事は想いに寄り添い、想いを紡ぎ、想いを拾い上げ、届けるものだ。なにもかも、ないがしろにしてはならない。

 捨てる時はなんとなくではいけない。きちんと向き合って捨てなさい。師匠の言葉が浮かぶ。ちらりと覗き見れば、鏑木さんの苦しそうなお顔は相変わらずそこにあって。私は。

「商品じゃなくて、私が私の為に準備したもの、で」

「はい」

 私がまだ俯いているからか。鏑木さんは首肯ではなく声で相づちを返してくださった。この誠意を、困惑させたくない。そう思いながらも、黙するにはあまりにお顔が苦しげで。

「私、は」

 ぎゅ、と息苦しいものが、喉の下、肺の上。半端な位置で身動きができない想いと一緒に呼吸を狭める。それを押しつぶすようにしているのに、喉は元々狭いから息が出来ないような心地。

 それでも私は、答えなければならない。私の花衣おもいを大切にすると言った、優しい鏑木さんに。その誠意なる友愛をつぶすのではなく、捨てるのでもなく、それらが確かに私にあることを伝え、その上で違うことを示さなければならない。

 はじめて会ったときの、鏑木さんが浮かぶ。お可愛らしい、賢明な少年の姿に私は励まされていた。確かに得ていた友愛の情を、別の物で誤解されたくない。だから伝える言葉を、必死に探す。

「この花衣は」

 だと言うのに、言葉はどうにもならない。

 探して、探して、探して。それでも結局、見つからないのだ。だって、渡せない理由は一つだ。

 私は、鏑木さんを、お慕いしている。

(どうすれば、)

 答えが見つからないまま、それでも探す。花織りを生業とすると決めた時から、私はひとりで生きることを決めてきた。想いを繋ぐのが花織りの仕事。物語のお二人が微笑む姿を手伝うのだから、この気持ちを伝えることなんて考えにすらなかった。なのに、今、こんな。

 あまりにも息苦しくて、胸を押さえる。もう一度、糸を織る音を内側で繰り返す。いち、に、さん。震える手でその糸に触れる妄。

叶枝かなえさん」

 声に、顔を上げる。あまりにも苦しげなお顔は、答えられない私を責めない。鏑木さんは、じっと私を見ている。苦しげな固い表情で、名前を呼んだのに固く唇を引き結んで。

 ああ、駄目だ。そう思ってしまった。

「ごめん、なさい」

 瞳が、熱を持つ。熱で水を求めるように、奥からじわりとそれがのぼるような気がして空気を飲む。駄目。泣いてはいけない。一つ一つ糸を解き、友愛を解き、恋慕を詫びなければならないのだから。確かに重ねたものと、勝手に募らせたものを私は、鏑木さんのご迷惑にならないように、だって、だって、そう、花衣を作らなければいけないのだから。だから。

「好きです」

 静かな音が、ぽつり、と落とされた。はくり、と、空気が熱を押し出す。鏑木さんは固い表情のまま、私を見ている。

「自分では、駄目ですか」

 もう一度。先ほど鏑木さんがおっしゃった言葉が、繰り返される。酸素が私の口を塞いでいるみたいに、音が出ない。

「貴方の花衣がどこにもいかないのなら、自分にください。届けることを諦めるのなら、自分が欲しい。……貴方の想いが、自分へのものでなくても、それでも、それは、貴方のものだから、こそ」

 静かに、ぽつぽつと言葉が落とされる。じわじわと肺の奥、震えるものを押さえるように胸の前で両手を握る。鏑木さんの瞳は、ただ、まっすぐで。

「貴方の想いを枯らさなくて良い。ただ、傍に在らせてください」

 はっきりとした願いの言葉と共に続いたのは、座ったままでも丁寧な一礼。ようやく、短く酸素が外に出た。

 それと共に、涙が溢れる。

「……自分では、駄目ですか。隊士として勤め、出立することになっても、まだ、自分は貴方にとって、子どものまま、ですか」

 三度目の言葉に続いた固い声に、首を横に振る。はたはたと涙が落ち、それではいけないと指先で押さえる。鏑木さんのお顔が見えなくなってしまうけれど、でも、涙では駄目なのだ。

 私の足りない誠意に、鏑木さんは真摯で、だから。

「好き、です」

 うまく言えなかった言葉をそのまま押し出す。鏑木さんがくださった想いに、私のいたらなさに、足りなさに、溢れる涙を押しとどめ、代わりに言葉を押し広げる。

「私、鏑木さんのこと、が、好き、です。でも、私、は、花織りで、見る側、紡ぐ側だから、考えて、なく、て。これは鏑木さんの、出立祝いに、常連さんに、通ってくれた鏑木さん、に、友達として、で。でも、鏑木さん、竜の花を、花衣を作られるから、これ、だめ、で。友として織りましたが、でも、私、私」

 もう三十の歳なのに、押さえても押さえても涙がこぼれる。だめだ、と思う。けれども溢れるものは勝手で、昇るものも勝手だ。

 小さな呼吸の音。それから、ゆっくりと、今度は長く息を吸う音。視界の端で、鏑木さんの手が動くのが見えた。

「……すみません」

 静かな謝罪に、首をもう一度横に振る。そっと差し出されたのは、鏑木さんが以前この店で購入した花衣。友に渡す想いを織ったもので、鏑木さんが誰かに渡すために買ったものだと思っていて。その意味に、熱がまた溢れる。

「お借り、します」

 そっと手に取り、指の代わりに目尻に当てる。やや身じろぐ音がして、ようやっと見上げた鏑木さんのお顔はひどく固く、赤く。

「貴方、に、想いを告げたくて、貴方の傍に在りたくて、ややこしいことをしました。……自分に、竜の花を織らせてください。出立までの時間を、少しでいいので、自分にください」

 丁寧な一礼。いつも言葉の多くない鏑木さんの紡ぐ声に、ああ、と息が漏れた。贅沢だ、と思う。贅沢で、私は少し、我が儘だ。

「出来たら、で、いいので」

 涙の隙間からあえぐ熱を冷ますように息を吐き、声を出す。鏑木さんが私を見、背筋を伸ばす様が鏑木さんで、そのことが胸に昇ってしまう。なんとかもう一度熱を冷まして、鏑木さんを見つめる。

「私にも。鏑木さんとお話しする時間を、少しでいいので頂ければと思います」

 ご無理でなければ。そう続けると、鏑木さんは静かに目を見開いた。

 花を織る時間と、それとは別にお話しする時間を、ほんの少しでいい。ご家族やご友人との時間があるとわかっている。それでも、ようやく言葉に出来た想いを重ねたく、祈りを形にする。はくり、と鏑木さんが少し口を開け、閉じて。

「嬉しい、です」

 静かな言葉は優しくて、秋桜に移したはずの熱がじんわりと頬をゆるめた。


(2020/09/17)

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