終わらない冬

瀬古 礼

終わらない冬

 電車に揺られるとある一月の朝、高校二年生の私、本庄千秋は改めて実感した。


  『やはり、冬は嫌いだ』と。


 日本の冬のあの絡みつくようなねちねちとした寒さが、私の肌にはどうも馴染まないからである。この季節が訪れる度、クリスマスや新年の祝い事などよりも、何よりもただ春の訪れを心待ちにしている。


 それほど冬を毛嫌いしているというのに、何故だろうか。


 今年だけは「冬が過ぎればやがて、春が訪れる」という、そんな普遍的な真理さえも恨めしく感じられるのだ。


 それは一体何故なのか。申し訳なくなるほどに単純な理由であることを、今ここで白状しておこう。


 私はただ怖いのだ。


 春があの人を、日向先輩を、どこか想像さえも追いつけないような遠くへと連れ去っていくのが、どうしようもなく怖いのである。


 おそらく先輩は『その気になれば、またいつでも会えるよ』と、柔らかく微笑むのだろう。その笑みにはきっと、含みなんて一つもないのだ。

 しかし、その『その気』を強要できるほど私と先輩の関係が深くはないということもまた、避けようのない真実なのである。


 先輩とは、青春という一瞬の中でたった一つの座標を、たまたま、偶然、奇跡的に共有しただけの関係に過ぎない。


 残酷なまでに、ただそれだけの二人なのだ。


 しかし私は、その関係性をひどく愛してしまった。日向先輩に恋をしているのかと問われると、正直疑問が残る。私が先輩に抱いているそれは、色恋のそれとはまるで性質の異なるもののように思うからである。けれども、私のこれまでの十七年間に、先輩ほど存在感のあった人は誰もいない。ただの一人でさえいなかったのだ。


  先輩との関係性を愛している。

  しかし先輩のことを、あの人自身のことを私は一体どう思っているのか。


  …さっぱり分からない。


 自分が勝手に抱き始めた感情だというのに、それなのに、その正体がさっぱり分からないのだ。自分がなんだかとても間抜けな生き物のような気がして、頬が勝手に熱を帯びてきた。


 もうどうにもこうにもたまらない気持ちになった私は、日向先輩の最寄り駅で思わず電車から降りてしまった。


『会える確証なんて一つもないし、そもそも会ったところで何を話すの?今ならまだ引き返せる。電車に戻った方がいいに決まってる。でも…』


 そう迷っている私に容赦なく、無慈悲にも走り去っていった環状線のあの後姿が本当に恨めしい。


 次の電車は、あと十数分来ないらしい。学校まではまだ六駅ほどある。


『あぁ…、何やってんだろう、私。』


 思わず、空を仰いだ。すると、思いの外強かった日差しが刺すように降り注いできた。目を細めた私は、この無駄に鋭い光が降り積もった雪を解かすみたいに、この複雑なこころも溶かしてくれないだろうか。なんて、そんな叙情的なことを考えていた。そしたら…


「本庄?」


 …聞き覚えのあるあの優しい声が、空いたホームに静かに響き渡った。


「うん、やっぱり本庄だ。どうしたの?駅ここじゃないよね?」


 心臓が大きく脈打つのを感じた、日向先輩だ。しかも、私がここにいることを明らかに怪しんでいる。


 それはそうだろう、いつもはいない人間が突然いるのだから。でも、まさか本当のことを言うわけにもいかない、急いで取り繕うべきだ。うん、そうしよう。急いで口を開いた。


「あっ、日向先輩!ぐうぜn…」


 偶然?本当にそうだろうか。


 確かに、私がこうやって先輩と巡り合えて、仲のいい関係になれたということはまごうことなき偶然だ。それは分かっている。


 でも、今日だけは、この瞬間だけは決して偶然じゃない。そう思った。


 逢いたいと思った、その意志で掴み取った『必然』なんだ。

 先輩への想いの正体はまだよく分からないけれど、これだけは本物。


その気付きが何だかとても嬉しくて、口角が自然と上がった。


「…うん?本庄?」


「いえ。今日は何だか逢いたかったんです、先輩、あなたに。」


 終わってほしくない瞬間だけは、何故かすぐに通りすぎていく。だから、この冬が永遠に続いてほしいなんて、そんな贅沢すぎるお願いはしない。いつかは必ず春がやってくることを、私は理解しているのだ。ただせめてそれまでには、この胸の高鳴りの正体が分かっていればいいなと、そう思うことにした。


 今はただ、あなたが隣にいる寒さが心地よい冬の朝が、少しでも長く続くことを願うばかりである。

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