永遠の旅路

 死月王オルカの森は長い眠りから覚めた、と旅先で聞いた。森に出入りしていた吸血鬼ヴァンパイヤたちがほとんど姿を消したという。

 その最奥にある泉からは聖水が湧き、泉から発する川の水を飲むと呪いから身を守れると評判らしい。

 もっとも、森の奥に進むとどうしても道に迷ってしまい、泉そのものには誰も辿り着けないという話だった。





 まだ薄暗い夜明け前、宿屋の離れに戻った夜族狩りダムピールの男は帽子と上着をとり、短剣スティレットを取り出して残り血を布で拭いた。

 手と顔を洗い、首に掛けた月水晶を触りながら暖炉を見ていると、寝台から静かに起き上がる人影がある。


「お帰りなさい」


 少しかすれた声。いつまでも日焼けしない肌、淡青の瞳と、あの日短剣スティレットで斬り払った腰までの銀髪。

 身体中の咬み痕はまだ消えないが、けていた頬は柔らかさを取り戻しつつある。数百年を泉に浸かって氷のように冷たかった足先も、今ではその首筋と同じくらいに温かいのを男は知っている。

 寝台に腰掛けると、音もなく身を寄せてくる。細い身体を抱いて背中を流れる銀の髪をすくうと、今もまだあの森の匂いがした。

 実体でも、エリューカからはまるで血の匂いがしない。

 先代の王に殺されてすぐ玉座につけられ、そのまま一人の人間も襲うことなく、誰の血も飲まずにいたためだ。

 だから、と男は、あの泉で言った。


――お前は吸血鬼ヴァンパイヤではなく、生贄いけにえびとだ。おれが殺す相手ではない。


 詭弁です、とエリューカは力なく抗議したが、呪いの鎖たる銀の髪をことごとく切り離されて全身が自由になり、男に担がれて泉の中から羊歯しだの茂みに放り出されると、仰向けになって泣き出した。

 星が見える、と。

 この数百年、泉の水面に映る光でしか見られなかった星が。

 泣いているエリューカに男は言った。


――おれなら、たいがいの吸血鬼ヴァンパイヤは倒せる。

――この泉と森の代わりにお前を守ってやることができる。



――だから、エリューカ。世界を終わらせるのはまたにして、おれとこの森を出よう。





 そうして、共に旅をしている。


 寿命の差から言えば、男はエリューカを置いて死ぬだろう。だからいつか一度だけ、と男は乞うた。

 おれの力が衰えないうちに一度だけ血を吸って、お前の吸血鬼ヴァンパイヤにしてくれ、と。


 エリューカは男のものになり、男はエリューカのものになった。

 この世界の中でお互いだけが、お互いの保護者となる。


 薄暗がりの中、男の身体を受け入れたエリューカが、熱を帯びた吐息を漏らしている。その唇を奪い、肌をむさぼり、ひとつになる。何度も。何度も。食べてしまいたい、と男は思う。安宿の狭い寝台でこうして夜明けまでとろけ合ったら、日の高い時間には移動して、夕暮れのあとは吸血鬼を狩るのだ。

 この世からお互い以外の吸血鬼がいなくなる日まで、そうして二人、逃げおおせよう。



 秘密の約束を預け合って、死月王オルカ夜族狩りダムピールは永遠の旅をする。






〈了〉

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死月王の泉 鍋島小骨 @alphecca_

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