第5話

 それからの数日ハーブ神父の姿をとんと見かけなくなった。掃除と祈りと読書以外に取り立ててすることもないのでどこか落ち着かない気持ちで過ごしていた。


 だがそんな静寂は唐突に終わりを迎える。


 僕が早朝の掃除と祈りの時間を終え、寝泊まりしている教会の屋根裏で午睡をしようとベッドにもぐりこんだ時のことだ。


「ウィステリオ!」


 血相を変えて部屋の中に雪崩れ込んできたのはハーブ神父だった。


「十分後にミサを始める、とっとと村のみんなを村の集会所に集めい」


「十分後!?な、何を…しかも集会所ってまた野外で…!?」


 ぐいと胸倉をつかまれ、僕はバランスを崩して神父に体重を預ける格好になった。


「…やかましいわ!大事な話があんねん!死ぬ気でやらんとぶっ殺すで!さっさとせんかいアホンダラ!」


 なんと勝手な男だろうと憤慨する間もなくその目の奥にある恐怖にも似た切実さに気圧された。


 僕は這う這うの体で教会から大声を上げて村の家から家へ走り回った。


 そしてようやく集会場に村の皆を集められてから、ハーブ神父は教会から神父服を身に纏いやってきた。


 ざわめく村の人々を前にハーブ神父はいつもの胡散臭い調子で言った。


「あーお集まり頂いた信徒の皆さん、今日のワイは大層機嫌が悪い。ミサは中止や。ほんでミサだけやない。皆さんには村の外へ出てってもらうで。そうやな…とりあえず方角は南や南。聖地もあるし丁度ええやろ。理由は聞かんといてや。神のみぞ知る、や」


 村人の間にざわめきが広がっていく。


 不審そうな表情の村長が口を開けかけたその時、轟音が響いた。


 皆が呆気に取られているなか驚いてハーブ神父を見るとその手に握られている銃からは白煙が上がっていた。


 唖然とした信徒たちにハーブ神父は冷たく言い放った。


「…メーメー五月蠅いわ…ワイのコルトに狩られる前にとっとと村から出てけや!」


 直後悲鳴を上げると同時に信徒たちは村の出口へと殺到した。


 僕はその流れの只中にありながら見ていた。銃を持ったまま教会へと引き返すハーブ神父の姿を。


 なんでこんなことをする?


 あなたは一体何をしようとしているんだ?


 僕は人の流れに逆らって神父のいる教会を目指した。教会の玄関口から入って書斎のドアを勢いよく開く。


「ハーブ神父!」


 振り返ったハーブ神父の目は僕を捉えた途端、激しく怒りが噴き出した。


「ウィステリオ…?!おまえふざけんなや!死にたくなけりゃさっさと行けやクソボケが!」


 ハーブ神父のその眼差しに一瞬だけ怯みが見えたことに僕は正直意地の悪い満足を覚えたと思う。


 それだけで僕が落ち着きを取り戻すには充分だった。


「いやです」


「餓鬼の出る幕やないって言っとんのがわからんか!?」


をいってくださいハーブ神父!」


「おまっ…クソが!手前みたいな中途半端に頭が回る餓鬼ほど質の悪いモンはないで!」


 それから諦めたように呟いた。


「異教徒狩りや…それも特大に喰えん奴らがやってくる…お前ら役立たずの信徒共を殺しにな…分かったらとっとと信徒共の後を追わんかい!」


 神父は言いながらクローゼットを開くとそこには異様なまでに整然と並べられたあらゆる種類の武器また武器。神父服にそれらを急ぎ早に突っ込むハーブ神父に僕は驚き目を見開いた。


「この狭い書斎にどれだけ物騒なものを持ち込んでるんですかあなたは!?」


「知るか!関係ないわ!ってかとっとと行かんかい!死にたいんかワレェ!?」


 神父が僕の胸倉をつかむとほぼ同時だった。ドン、と広間から扉を蹴倒す音が響く。


「クソったれが!奴らや!早々に来よった!」


 ハーブ神父はサブマシンガンを両手に構えると二階の書斎のドアからギャラリーに飛び出して一階の聖堂の大広間向けて掃射した。


「天使の喇叭や!ようさん喰らえ!」


 あっという間に聖堂に弾薬が雨あられと降り注ぐ。


「あああ!?教会が!?聖母像が!?十字架が!?」


「知るか!死んだらそこで終いや!神への愛を説きながらぶっ放せ!」


 む、無茶苦茶だぁ!!!!!!?


 次いで破裂音が数度響いたのちゴロ、と何かが床を転がってくる音がして反射的に肝が冷えた。


 見るとそこには手榴弾が何食わぬ顔で転がっていた。


 恐怖と驚きで手も足も動かない僕に対して、ハーブ神父の対応は手慣れたものだった。


 拾っている暇などないと判断したのか舌打ちを加えつつ手榴弾を一階の大広間向けて蹴り飛ばす。


 閃光と共に轟音が再度轟く。広間は既に銃と爆発がもたらした煙で何も見えはしない。銃声と跳弾の絶え間ない喧騒の最中ハーブ神父はそれでも無慈悲なほどに掃射をやめようとはしなかった。


「おい!窓から飛び降りるぞ!3秒や!心の準備せいウィステリオ!」


 言うが早いがハーブ神父は僕の首根っこを摑まえると窓枠の中にシュートした。


 パリンと威勢のいい音がしてから性急な落下感が身を包む。


「ギャーーーーーーーー!?」


 ガサという音と鈍い衝撃が走った。木の枝と葉に身体は何度もぶち当たっては掠り、最後に地面と身体が仲良く衝突した。


 次いで顔のすぐ真横辺りにズシャと神父が着地した音がする。


「生きとったか死にぞこない」


「くそ神父!?絶ッ対今の3秒経ってませんでしたよね!?」


「じゃかあしいわボケ!生きとるだけもうけもんじゃカス!さっさとこっちこいやハゲ!」


 頭の辺りを掠める銃声が響き、ひぃー!と叫びつつ神父に小突かれながら村の中を這う這うの体で走り回った。数えきれない量の弾丸が放たれ神父からも放たれた。


 それでもその銃声の嵐は徐々に敵勢が減ると共にその音もいくつかに絞られていった。


「ハーブ神父…!血が!」


 村の家屋の陰に隠れていた時、ハーブ神父の二の腕に大きな血の染みがあるのを見つけた僕が反射的にハーブ神父の傷口に聖印を切るとハーブ神父はそれを激しく見咎めた。


「じゃかあしいわ!神なんぞクソ喰らえや!次やったらお前の神もワイの神も皆一人残らずケツから指ィ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたるさかい覚悟せえやクソが!」


「うわぁ…なんてひどいスラング…西部の品性を丸ごと疑いますよ…」


「黙らんかい!?ワイはなあウィステリオ!なんもせんと祈ってれば幸せになれるとか呑気に信じ込んどる脳タリンがクソほど嫌いなんや!」


 言いながら器用にも二発、頭ごしに正確なヘッドショットを決めると敵が膝から崩れ落ちたのが見えた。


「…ワイはパパンを殺したんや」


 突然の告解に訳も分からず目を白黒していると神父は戦場にいることも忘れるほど静かに独り言を続けた。


「ワイはママンを殴るパパンが大嫌いやったし…何よりママンに愛されたかったんや…せやのに…なんでママンはワイに銃を向けたんやろうな…?」


 そういって虚空を見つめる神父の目は朦朧としていてぞっとした。血が、もう大分足りていないのかも知れなかった。


「…忘れもせんわ…ママンのあの冷たい目…ワイに銃口を向けた時のママンの目…」


 神父は首にかけた十字架を外すと、それを使って神父服の一部を切り裂きそれで血の滲むところをぐっと縛った。痛みに歯を食いしばりながら神父は言う。


「せやけど…ワイかて道端でコロッと死んでいい虫けらなんかやない…ゴミクズのワイかて生きたいんや…しゃあないやろクソが!ワイかて生きていていいはずなんや…ワイは…それを”神”ゆう穀潰しにどこまでも証明せなアカンねんクソッタレ…!」


「どうやって…証明するんですか?」


「…ウィステリオ、ワイが”こいつ”を信仰する理由はたった一つや。たった一つだけのシンプルな理由や」


 神父は振り返りざまに障害物の酒樽ごしに発砲する。ドサと人が倒れる音がした。


「ワイみたいなクズを一人でも増やさんためや…!」


 気が付くと近くの銃声は止んでいた。それは嵐の前の静けさとでもいうのだろうか。不気味な静寂が辺りを支配していた。


「せやからウィステリオ…お前は逃げえ…」


 神父が指し示した先を見ると眼前には村の出口があった。


 逃げるには絶好の機会。


 僕は突如訪れた生き延びれるかもしれないチャンスに半ば茫然として、神父とその傷を見た。


 偶然かもしれない。でももしも神父がここまで足手まといの僕を導いたのだとしたら?


「か…」


「蚊…?」


「カッコつけてんじゃねえー!」


「痛った!?何すんねんこのハゲ!?」 


「貸してください!」


 僕は神父の腰にささった拳銃を一つ無造作に抜き取った。


「阿呆!お前みたいなウスラに使いこなせる代物やない…!」


「僕は…アンタのその何もかも分かってるみたいな眼が大嫌いだ!それでも薄汚れたアンタがそうやって生きていくんなら…その背中を押してやるって言ってんですよ!」


「お、おい…や、やめえ…!お前がこんな汚れ仕事するのなんか10年早いわボケ!?はよう逃げい!」


 僕は見よう見まねで手に取った拳銃の撃鉄を起こす。思ったよりも重たい感触のそれは、ガチリと確かな金属音と共に振動が手に伝わった。


「僕にも両親はいないんです…唯一の身寄りは教会しかない…」


「はあ!?何急にここで語り出しとんねん自分!?キッモ!?」 


「は、はああ!?その発言超絶ブーメランじゃないですか!?要は自分の居場所くらい自分に守らせてくださいってことですよ!あと自分ばっか不幸だと思ってんじゃねえですよ!このクソ神父!」


 近づいてくる足音の反対側へ物影から飛び出した。殺気の籠った視線が自分の身体に注がれるのを感じながら向こうの納屋の物影目掛けてひたすらに走った。


 跳弾音がすぐ背中まで迫るが、そこで僕は致命的にも足を引っかけてその場に転がった。 


 すぐに起き上がらなければ!


 目の前にいたのは驚いた顔をした敵。ゆっくりとした動きで銃を構え始める。腕を負傷している?馬鹿!そんなのどうだっていい!


 


 そう思った瞬間に目の前の人間の眉間に風穴が開いた。


「来よった…待ちくたびれたでホンマ…」


 突然の出来事に何が起こったのか分からなかった。


 恐る恐る振り返るとそこにいたのは…


「サニーフィールド神父!?」


 血で汚れた戦場に不釣り合いなほど流麗なその姿は一ミリの汚れもなく健在だった。だが一つだけ無視できない違和感があるとすれば、その手に収まる凶暴な鉄の塊。それは白い硝煙を吐き出し続けていた。


「…ハーブ神父、もう少し上手くやれと言ったはずですよ?神父が信徒を怖がらせてどうするんです?『機嫌が悪いから行け』?下策にも程があるでしょう程が」


「うっさいわ!暗黒微笑神父!」


 ほう?と口の端を歪ませ、サニーフィールド神父はどこか凄みのある笑顔のままライフルのボルトを勢いよく引くとエジェクションポートから排莢された。 


「あのですね…信徒を戦闘に関わらせたくないと距離を置くのもいいですがそのやり方がいっつもいっつもいっっっつも不器用通り越してドがつくほど下手くそ過ぎるんですよ…!あなたの悪評の後始末に私がどれだけ腐心しているか分かっているのですか?…分かってないですよね?分かってたら毎度こんなことしませんよね?!主の岬ケイプ・オヴ・ロードの資力だって各地の貴族の寄付がなければとても立ち行かないのですよ?一つの悪評がどれほどの致命傷に成り得るか…あなたは目の前のことばかりで中長期的な視点というものがいつもいつもいつも…」


「ッダアー!?るっさいわこの朴念仁!こっちは死にかけとんねん!はよ介抱せんかい!」


「ま、まさか…サニーフィールド神父…」


「…まさかもなにもこの腹黒神父こそワイの直属の上司やで」


 唖然としてサニーフィールド神父を見やるとサニーフィールド神父はいつもの笑顔で会釈した。いつもの笑顔なのだがライフルをその手に持ったままなので過分な圧力が溢れ出していた。


「それはそうとウィステリオ。主の岬ケイプ・オヴ・ロードの大事な秘密を知ってしまった君にオススメの配属先があるのですが…知りたいですか?」


「アア…!知らない!僕は何も見なかった…!何も知りたくなんかなかったんです…!」


 クリード村に僕の叫びが空しくこだまする。


 そして後日、血反吐を吐く様な訓練とかクソ神父による鬼しごきとかそれこそ信仰を手放しそうになるほどの地獄が待っている訳だけれどその話はまた別の機会にしよう…。


 ~完~

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ガン・オン・グレイス 藤原埼玉 @saitamafujiwara

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