エピローグ 過去の治癒(16と同時投稿)

 六年ぶりの場所に、私は立っていた。

 ルードと暮らしていた家の、居間だ。私の私物もそのままだし、綺麗に掃除され使われている。

 それは、ルードが私を疑ってなどいなかった証でもあった。


「座って、アディリル」

 ルードに促されて、私はためらいながらもテーブルにつく。

 テーブルの上には、彼の得意料理であるウサギ肉のシチューが湯気を立てていた。


 今日はとにかく、二人で食事をしよう、してみよう、ということになっている。


 ルードはこう言って、私を誘った。

「いきなり元通りにしてくれなんて、言わない。思えば、そもそも僕はいきなり求婚してしまったし……。でも、その、食事とか、どこかへ出かけるとか、君を誘わせてもらえれば」


 それは、私たち夫婦を癒そうとする治療だった。

 肌を焼いた、焼かれた相手と、また手を取り合っていけるのか。恐怖は薄れるのか。ルードは私の心の状態を、とても気にしている。

 

 スプーンを持って、私はシチューを口に運んだ。

 口の中に、優しい甘さと脂のコクが広がる。

「……美味しい」

「よかった」

 向かいに座っているルードは、ほっと息をついた。

 私も、ほっとする。ちゃんと美味しいと思えたこと、懐かしいと思えたことに。


 彼は、自分の顎のあたりに軽く触った。

「……」

「何?」

「あ、いや……。僕、君と食事してる時、どんな顔をしていたかなと思って」

 言ってから、ルードも食べ始める。

 再会した時、頬が削げたと思ったけれど、五年――私が戻ってからも入れると六年の月日は、彼から柔らかい表情を奪ってしまっていた。


「……あの」

 ルードは何やら聞きにくそうにしながら、ぼそばそと言う。

「アディリルは、異界で……料理を覚えたのか?」

「え? まあ、少しは。……そういえば」

 私は彼を睨む。

「砦で、私の料理を勝手につまみ食いしたよね」

「う、うん」

 ぎくっ、と彼は固まった。私は続ける。

「あれ、すごく嫌だったんだけど。ありえなくない?」

「ご、ごめん。本当にごめん」

 盛大に目を泳がせている彼を、私は追及した。

「何であんなことしたのよ」

「僕はその、君がいない五年間、また君に僕の料理を食べてもらうことを夢想していて……なのにあの日、君の部屋からいい匂いがして、愕然として……誰が作ってやってるんだ、って確かめたくなって」

「……」

 黙って聞いていると、額に汗をかいた彼は、さらにしどろもどろになる。

「それでつい、部屋に入ったら、君が自分で料理を……あんなに料理が苦手だったのに……誰かに作ってやるためか、一緒に暮らしていた人がいたのか、ペンダントをくれた奴か、って頭の中がカーッと……なんだかこう、憎らしく……変だよな、君に対してそんな気持ちを抱くなんて」


 私はニューバルの言葉を思い出す。

『愛憎が絡むと、冷静でいられないこともある』

 だからルードは我を失って、私に烙印を押し復讐した……という話の流れだったんだけど。

 実際にルードが我を失ってやったことといえば、つまみ食いだった、と。


 私はぽろっと呟いた。

「小っさ」

「えっ?」

「何でもない。もういいよ、あのことは。……ルードの疑問に答えるよ。料理は異界で教わった」

 私は淡々と言う。

「一緒に暮らしてた人がいたの。その人が教えてくれた。ペンダントも、その人にもらった」

 ルードは顔を歪める。

「そいつを、愛してたのか?」

「うん。とても。あの人がいたから、私は生きて戻って来られたの」

 私はうなずく。


 料理がド下手だった私だけれど、イトさんは根気よく教えてくれた。イトさんの笑顔を思い出すと、自然と頬がゆるむ。


 私の表情を見て眉根を寄せたルードが、視線を落とした。

「……その男のところに、戻りたい?」

 私はそっぽを向く。

「女の人だよ。もう亡くなったけど」

「……へ?」

 ルードの声が、裏返る。

「男じゃない……何だ、そうか。僕はてっきり……」

 少し、彼の肩から力が抜ける。

「ずっと、色々想像して嫉妬して……君を慰めた男がいるのか、その髪に触れた奴がいるのかって」

 短い沈黙が落ちる。

 そして、ルードは静かに言った。

「君の命の恩人なら、僕にとっても恩人だ。世界は違っても、安らかにと祈るよ」

「……うん」

 それは、素直に嬉しい。


 少しして、ぽつりと、ルードがささやいた。

「手を、握ってもいいかな」

 私は一瞬ためらったけれど、うなずく。

 ルードの手が、おそるおそる伸びた。テーブルの上の私の手を、優しく包む。

 私たちはしばらく、そうしていた。


 食事が終わり、私が立ち上がると、ルードは尋ねてきた。

「次の約束をしたい。いつ、会える?」

「……そうね」

 私は、彼の顔をじっと見つめる。


 次に会う時は、久しぶりに空の散歩をしよう。

 そう誘ったら、少しは、この固い表情も和らぐだろうか?

 私を追放する時、元のような日々を必ず取り戻すと、彼は誓った。

 その誓いの通りの未来は、この先に待っているのだろうか?


 私は、口を開いた。



【竜に愛された罪人が聖女になるまで 完】

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竜に愛された罪人が聖女になるまで 遊森謡子 @yumori

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