バニラ・アイスクリーム

深見萩緒

バニラ・アイスクリーム


カラスアゲハが飛んでゐる

アスファルトの溶ける黒つぽい匂ひが

くるぶしのへんを漂つてゐる

(ぼくのこめかみを石油が垂れる

 虹色のあぶらがてらてら光る)


日傘をさすきみの姿が

夏のフィルターにかすんでゆく

この八月の裏側に冬があるなど

どうしてきみは信じられるのか


きつと何もかも地球の夢なのだ

燃え盛る水素とヘリュームの周りを回転し

ケイ素の皮膚に薄つすらと汗をかきながら

四十六億年ずつと醒めない夢の中に

夏やら冬やら、しろくまやらオーロラやらを

万華鏡のやうにくるくる映し出してゐるのだよ

(舟は太平洋を起点に北極海をおおまはり

 あつちの黒雲に光が見えたので、きつと夕立が来るだらう)


さうだ、きつと夢だから

車道のほうはあんなにも揺らいで

ぼくの目はこんなにもかすんで

日傘の向かうに誰がゐるのか分からない


綿のスカートから突き出す細い二本の棒きれは

きみの脚なのか、さつき見た白鷺の脚なのか

(アイスクリームを食べませうよ)

(鷺は小銭を持たないだらう)

(ありますよ。十円玉がほンの二、三枚)

(仕方がないね、買つてやらうか

 味はバニラで良いのかい)

(バニラで良いわ。ミルクの味が一等素敵)


クーラーボックスには霜が降り

まるでそこだけ冬のやうだ

おや、冬とはなんだつけ

そうだ、すべて夢なのだつたね


幼児のやうに口のまはりをべたべたにして

きみは日傘を持つたまま気流に舞ひ上がり

白い入道雲に隠れていつた

(来年もきつと食べさせてね

 バニラの味のアイスクリームよ

 忘れないでね、約束よ)


遠雷が追ひかけてくる

八月が終わるなあ

少し日焼けをしたかなあ

秋はいつごろ来るだらう

生け垣の向かうに、カラスアゲハが転げていつた

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