海が呼んでいる

しま

海が呼んでいる

「楽しみだね、海」


「だな」


(海か。何年ぶりだろうか。そもそも、海に行った記憶ってあんまり残ってないんだよな……)


その日ミスズとレオと一緒に海に遊びに行くことになっていた俺は、ざわざわとした胸騒ぎを感じながら、バスの端の席で二人の会話を聞き流していた。




◆ ◆ ◆ ◆




「おいカズヤ、どーしたんだよ! 早くこっちに来いよ」


「そーだよ、こっちおいでよ。冷たくて気持ちーよ!」


海を目の前にした俺は、足がすくんでそれ以上踏み込めずにいた。


「いや……、俺はいいや。泳ぐ気分にはとてもなれなくて」


なぜかはわからなかった。俺はその時この海に入っちゃいけないと心の何処かで強く感じていた。


――ざざーんざざーんと海が波打っているのが今でも明瞭に思い浮かぶ。




◆ ◆ ◆ ◆




俺は休憩場で本を読みながら、キンキンに冷えた飲み物を飲んでいた。たまに海で遊ぶレオやミスズをながめていた。


「海で溺れる」


ふと、本のそのフレーズが気になり、口に出した途端、急に頭にレオの顔と海の泡が思い浮かんだ。


気づけば俺の足は勝手にレオがいる方へと向かっていた。


海の上でバシャバシャと苦しそうにもがく人影が見えた。あれは、レオだ。


どうすればいいかわからず、俺は棒立ちでただ見つめていることしかできなかった。


(なぜレオが溺れているんだ? レオは金槌でもない。水泳は得意なほうなはずだ。そんなレオが溺れるはずが……)


「おい、誰か溺れているぞ!」


とたん、あたりがざわめき始め、レオが救助されるサマを俺は黙って見つめていた。




◆ ◆ ◆ ◆




日は暮れ、あたりは夕焼けで赤く染まっていた。気分の悪そうなレオをミスズが支えている。


本来ならば、男の俺がレオを支えるべきだろう。しかし、ミスズは非力な俺よりも力が強い。俺が両手で持てるか持てないかの重さを軽々と片手で持ち上げることができる。俺が力を貸す必要もなく、軽々とレオを宿まで連れていけるだろう。


「レオを宿まで連れてってくるね」


「おう、俺はもうちょっとここにいるよ」


俺は、海に興味があった。海の正体が知りたかった。


海に沿って散歩していると、先程までいなかった人影が波打ち際に見えた。女性だ。同年齢くらいだろうか。


近づくと女性と目が合ったので、お互い会釈をした。


女性は、海に浮かぶ夕日を見つめながら口を開いた。


「この海ってなんだか不思議だよね。誰かが溺れたりすることが多くて」


「そうなんですか」


「そうだよ。現に君の友達も溺れたじゃん」


「……」


「私もね、溺れたことがあるの。息ができなくて、苦しくて怖かったなあ」


「へえ……、そんなことが」


ざざーん、ざざーんとただ繰り返す波に目をやる。


「ね、そういえば君ずっと海に入ってないでしょ」


そう言い、女性は海の中に体を進め沈めていく。


「おいでよ。せっかく海に来たんだから泳がないと意味がないよ」


女性は振り返り、妖艶な笑みで俺に手を差し伸べた。吸い込まれそうである。思わず手をとりそうになった。しかし、海へ入るのはためらわれた。


「い、いや、遠慮しときます」


「なんで? 怖くないよ。ほら、楽しいよ。おいでよ。いっしょにはいろ?」


「いや……、俺もう戻ります」


俺は宿の方へ歩みを進める。


「くすくす、つまんないなあ。じゃあね」


小悪魔のような微笑みを浮かべる彼女を一瞥し、小走りでその場を去った。


波打ち際の彼女は、しばらくして振り返るときには消えていた。




◆ ◆ ◆ ◆




家に帰り、親に海水浴での話をすると、俺は子供のころ、海で溺れたことがあるそうだ。その時の俺は混乱状態で、このように述べていたらしい。


「溺れたとき、何本もの腕が、ぼくの足を、体を、手を引っ張ったんだ。みんな、ぼくのことを『ほしい』『ほしい』と言ってたんだ」


俺はそれを聞いてゾッとした。もしかして、あの女性は、俺を、わざと海の中へ入れようとしていたのではないか?


――そうだよ。現にじゃん。


なぜ俺の友達が溺れたことを知っていた? 俺をずっと見ていたのか? あの女性は、いったい何だったのだろうか。もし、俺の想像通りだったら……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

海が呼んでいる しま @simaenaga

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ