少年Cの冒険

河童伯爵

第1話

 少年Cの冒険 



 

 それは素晴らしい夢だった。いつまでも覚めないでいて欲しかった。しかし現実は帰ってくる。もう少しで…彼女を救えたかもしれないのに。


 小学五年生に上がったばかりで、大分くたびれたランドセルを背負った少年は溜息を吐いた。大人顔負けの深い溜息。

 ただ塾に行きたくないだけではなく、昨夜見た夢の影響もあったかもしれない。僕は勇者で魔法も使えた。空だって飛んだ。

 それでも彼女を救えなかった。


 普段なら塾に行く時間だ。でも今日は塾とは正反対の土手にいる。夏の眩しい夕陽が目を焼いた。そのまま目を閉じると今でも焼き付いている。彼女の悲しそうな瞳が…今にも零れそうな涙が…

 目を開くと黄金を背負った彼女がいた。年齢は十代半ばから後半。赤茶の長い髪が光を浴びて煌めいて、表情は逆光で見えない。


「見つけた。」


 彼女は一言告げると照れ臭そうに微笑んだ。

夢と同じ、赤茶の瞳を嬉しそうに細めて。まだ大人と言うには早く、子供というには成長した彼女…白いワンピースに身を包んで。僕の前に突如現れたのだ。

不思議に思っている僕をよそに手を差し出し、愛しい我が子にするように頬を撫でた。それはまるで、僕を現実から引き離す儀式のように感じた。だが彼女の手の感触が現実である事を認識させる。

「この前は助けてくれてありがとう。お礼を言う前にいなくなっちゃうから驚いたの。それで、君を探したんだ。」

 彼女は嬉しそうに言う。けれど僕の夢は彼女を悲しませたまま終わったはず。怪訝な顔をする僕の顔を彼女は覗き込む。不思議そうに目を丸くして。

「探したの…迷惑だったかな…」

 不安そうに困ったように眉を下げる。何も言えない僕は彼女の純白のスカートが翻るのを見ていた。

「僕はあなたを助けられなかった…」

 震える声で事実を述べる。彼女はきょとんと首を傾げてから微笑んだ。安心させるような笑みに僕は余計に混乱する。

「そんな事ないよ。だから私は此処にいて、君に会えた。」

 僕は夢を見ているのか…ならばそろそろ目覚まし時計が鳴って母さんがやって来る。そうしたら夢は覚めて学校の時間だ…そう、学校…

そんな事になるその前に聞きたい事が沢山あるのに…

「行こう。皆、君に会いたがってたよ。」

 再び手を差し出す。そのまま僕の手を握った。

 黄金の太陽はいつの間にか沈んで、辺りに闇が迫って来ていた。彼女は辺りの様子を窺うように左右を見回し、安全を確認したように頷いてから歩き出した。

「あいつらが来る前に君を連れていかなくちゃ。」

 彼女が言う『あいつら』とは僕が夢で戦った奴らだ。名前もなく、人の不安を具現した…ドロドロとしていて人を喰らう。彼女達の町に侵入してきた。それと戦えるのは僕だけだった。

 彼女は上流に向かって歩き出した。家とは反対方向で、行くのはほとんど初めてだ。躊躇する僕をまた、安心させるように笑って歩き続ける。

「君があいつらをやっつけてから、町には平穏が戻ったの。神官様が、あなたが残した剣を奉ってね。町にはあいつらは入れなくなった。」

 彼女はその後の話をしてくれる。でも僕は最後の夢を思い出していた。彼女の悲しい瞳…あれは何故だったか。思い出せない。

 太陽は沈んでも、まだ名残を残して明るい。昼から夜へのグラデーションを眺めていた。彼女は何処に行くのだろう。町には行けない。だって此処は現実なんだから。もしかしたら塾から母さんに連絡が行ってるかもしれない。


 僕はゆとり教育の時代に生まれたにも関わらず、子供の頃から勉強ばかりだった。周りの友達が遊んでいる時もお稽古や塾に通っていた。それに不満はなかったし、当たり前だと思っていた。

 気付けば友達と呼べる友達もいなかったし、クラスで盛り上がる話題にもついていけなかった。不満というより不安が広がる日々の始まりだった。学校に行っても挨拶以外に交わす言葉はない。教師の目には可もなく不可もなく。通信簿には決まって、真面目な子ですと書かれてきた。

 不安は毎日大きくなる。

 今話題のイジメに逢うとは思わないけど、その対象にすらならない存在なんじゃないだろうか…

 僕は学校に存在しているだろうか…

 僕は生きているだろうか…

 

 彼女は僕が知らない歌を歌いながら、綺麗な歌声を響かせながら前を歩く。繋いだ手をそのままに、周りの景色を見てみる。

 随分長く歩いたらしい景色は見た事がないものだった。街灯は減り、月明かりが眩しいほどに輝く。星が瞬くのはこんな所でも見られるらしい。

 彼女は何処へ向かうのだろう。

 不意に歌が止んだ。彼女を見上げる。彼女は微笑んで僕を見ている。

「どうしたの?」

「君と並んで歩けるのが嬉しくて。ほら、もうすぐ町だよ。」

「え?」

 彼女の言葉に絶句した。


 街がない…


 先程まであった街灯は、消えていた。森が眼前に迫っている。さっきまで輝いていた飛行機の光も、永遠に続くと思っていた土手のコンクリートもない。あるのは前方に見える外壁だけ。夢で見た紋章…

「皆、君を待ってる。早く行こう。」

「どうやって此処に来たの?」

「変な事聞くんだね。歩いて来たじゃない、たった今。」

 彼女が魔法を使った訳じゃないなら、やはり夢の続きなのか…あまりにもリアルな風の感触、緑の匂いに目眩すら覚えた。

 外壁を唯一守る門が開いた。僕は知ってる。沢山の人が此処で暮らしている事を…

 門から人が溢れて来て僕たちを囲む。彼女を労う言葉や僕に掛けられる感謝の言葉。皆が同時に話すから、全てを聞き取る事が出来ない。

 僕達が門を潜ると、大きな門は再び固く閉じた。人波に押されるように中心にある広場に連れて行かれると、町を仕切る町長様と神官様がいた。僕達を取り巻いていた人波は離れ、四人が中央にある紋章が彫られた像の前に立っていた。

 町長様は禿げた頭に四角い帽子をかぶって、長い髭を垂らしている。皺くちゃの顔に笑顔を浮かべて、僕を歓迎してくれた。

神官様は白いローブに赤と金色の刺繍が入ったマントを付けている。歳はそんなに若くないけど、町長様みたいに髭を蓄えてるわけじゃなくて…ちょっと年齢不詳だ。

 彼女が二人と話しているのを僕はただ呆然と眺める。二人が僕に握手を求めて、やはり感謝の言葉が掛けられる。僕は何故感謝されているのかわからないまま、握手に応じる。


 僕は町を…彼女を救えなかった。

 それなのに…


 僕が町に滞在する間、彼女の家にお世話になる事になった。彼女が町長様に進言したらしい。彼女は狭いけど、と断って自宅に僕を招く。

「疲れたでしょ?」

「うん、少し…」

「お腹空いてない?」

「あ…」

 言われてから気付いた。僕は給食以来何も食べていない。お腹が急激に空腹を訴えた。彼女は笑ってキッチンと思われる場所に向かう。水で手を洗ってから調理する音が聞こえてきた。

 僕はダイニングの様な部屋に座らされて、待つ事となった。辺りを見回してみると、木と石で造られた温かい感じの家だ。階段がある。家具は少なく、広くもない。テーブルと食器棚以外には続き間でキッチン、その奥に何かあるみたいだけど…此処からでは見えない。前に父さんが連れて行ってくれたログハウスに似ていると思った。

 数分で彼女の料理は並んだ。スープと肉の燻製の様なもの、それからパン…みたいなもの。どれも美味しそうで、木で出来たテーブルに並んだ。まるで丸太をそのまま切ったようなテーブルだ。椅子もまた然り…文明があまり発達してないのかもしれない。

 見た事がない料理を前にどうしていいかわからない僕を見て彼女は不安そうに僕を見た。

「簡単なものばかりで申し訳ないけど…」

「そんな事ない!美味しそうだよ。これは何?」

「野菜のスープとデウの肉を香草で燻したもの。メイヤをスープに浸したり、肉をメイヤに挟んだり…好きに食べてね。」

「メイヤって?」

「これ。私達の主食なんだけど…」

「パンみたいだ。」

「あなたの町にもあるの?」

「似たようなのが。」

 彼女の説明を聞いて食べ始める。温かいスープには見た事ない野菜ばかり入っていた。人参に似たものやじゃが芋に似ているものもある。不思議な味がした。今度原形を見せて貰おうと思う。

 デウって何だろう…牛肉に似てる感じがするけど…これも今度見せてもらえるかな。

「本当は教会か宿に君を泊める予定だったんだけど…」

 ふと彼女が口を開く。申し訳なさそうな表情だった。僕は口に肉が入っていて、返事が出来ない代わりに頷いた。

「私が町長様に我儘を言ったの。そしたら聞いて下さった。君が初めて町に来た時に仲良くしてたからって…ごめんね。」

 僕は口の中のものを飲み込んでから口を開く。

「どうして謝るの?」

「宿屋さんならもっと豪勢なご飯で、ふかふかのベッドだったんだけど。教会なら神官様達が良くしてくださったと思うし…」

「僕、知らない人苦手だから…良かったよ。」

 そう言うと彼女は安心したように笑った。この町に初めて来た時は本当の本当に夢の中に置いてきたらしい。思い出したくても思い出せず、やはり彼女の悲しい顔しか思い出せない。何なんだろう…

「さて、明日はお祭りなの。君が町を助けてくれたお祝い。主役は君だよ。」

「そんな事言われても、僕には町は救った記憶がないんだ…」

 彼女の悲しい顔の事は何故だか言えなかった。僕の言葉に彼女は驚いたように目を開く。

「覚えてないの?」

 僕は頷いた。申し訳ない気分がどうしても拭えない。

「どうしてだろ…じゃあ教えてあげるね。そしたら思い出すかもしれないし、ね。」

 僕は再び頷いた。神妙な面持ちで座り直す。彼女は立ち上がり、沸いたお湯からお茶を淹れてくれた。ハーブみたいな、不思議な香りが広くない部屋に広がる。彼女は座っていた僕にお茶を振る舞い、そして話し始めた。

「何処から話そうかな…初めからでいい?」

「うん、初めから…僕が何をしたのか、知りたいんだ。」

「わかった。少し長くなるかもしれないけど…」


  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る