第5話
僕はまだ月の女神様が輝いている時間に目を覚ました。身体中、汗をかいていた。久し振りに見る夢は、とても不吉なもので…僕は再び眠る事が出来なかった。
それでも明け方には意識を飛ばしたのだろう。起床の鐘に気付かず、彼女に起こされた。こんなのは、最初の頃以来だ。
「大丈夫?顔色悪い…」
「大丈夫だよ。今日は…コッカの羽を染めるのを見学に行くんだ。」
「でも…」
「心配はいらないよ。」
顔色が悪いらしい僕を心配してくれる彼女は、額を僕のそれとくっつけて熱を計る。それで熱が上がるんじゃないかと思うほど僕の顔は熱くなった。
「熱はないみたいだけど…」
「だから大丈夫だって。」
「昨日…疲れちゃったのかな…」
「違うよ!絶対違う!」
「それならいいけど…」
「ごめんね。逆に気を使わせちゃったね。」
「そんな事ないんだけど…本当に大丈夫?」
「僕は大丈夫。だからほら、朝ご飯にしよう!」
わざとらしく元気な声を出して彼女を急かした。急いで着替えて下りると、いつも通りの朝が始まった。
夢は夢だ。何も心配する事ないんだ。
僕は今日はコッカの羽を染めるのを見て、明日は彼女の仕事の手伝いをして。
それでいいんだ。
そう思って焼き立てのメイヤに齧り付いた。スープとお茶で朝食を済ませるとすぐに始業の鐘が響いた。余程寝坊しちゃったんだな…
コッカの羽を染めるのは時間が掛かる。今日は沢山ある過程の中一つを見せてもらえる。市場の向こう側に作業する場所があるから、そこに向かって歩く。
雨が降りそうな重たい曇り空だった。作業は室内だから今日は降られても大丈夫。
傘もないこの世界は降られたら濡れるしかない。万が一雨の日にデウやプシルの散歩が仕事だったら、プールに入ったんじゃないかと思うくらい濡れてしまう時もある。
コッカの羽を染める作業場に着いた。挨拶をして、作業を教わりながら開始する。果実の皮や実を搾るのには力が必要だった。精一杯力を込めてもほんの少ししか汁は出てこなくて、がっかりしてたら皆に笑われた。
一日手が痺れる程搾って、作業場を出るとやっぱり雨が降っていた。屋根のある場所が少ない為走って帰らないといけない。僕は一つ呼吸して急いで家に向かって走り出した。
家に着くと彼女は既に戻っていて、お風呂の用意をしていた。濡れた頭を拭いてからお風呂が沸くまでは二人で夕食の支度をした。
譲り合いの末に僕が負けて、ゆっくり湯船に浸かる。冷えてはいないけど、濡れた身体をじんわりと温める。
お風呂を出ると彼女が交代で入った。その間に僕はテーブルを片付けて料理を盛りつけたりして待っていた。共同生活も今じゃ当たり前になっていて、譲り合いや仕事の分担も上手になっていた。
遠慮ばかりしていたあの頃とは違う。僕はふと思った。
この…今の僕の立場にはお兄さんがいたんだよな…
昨夜の夢のせいか、胸の辺りがもやもやしていてそんな事ばかり考えてしまう。そんな事考えても仕方ないのに…
彼女がお風呂から出てきた。心配掛けないようにパッと笑顔を作って夕食にした。
「コッカの羽、凄く時間が掛かるんだね。手間もかかるし…今日、染料の皮とか実とか搾ったんだけど…力いっぱい搾って少ししか採れないんだ。だから沢山材料も必要だし、まだ手が痺れてる気分だよ。」
「でもそれであんなに綺麗に染まるんだよね。」
「うん、僕も一人でその作業が出来ればいいんだけど…」
「やっぱりプロに任せないとね。君は吸収がいいから何でもすぐに出来るようになっちゃうんだもん、他の人の仕事を取ったら駄目だよ。」
「僕はそんなつもりはないもん。」
僕はいつも以上に話をしてたと思う。そうじゃないと、不安になってしまいそうだった。たかが夢で…
ねぇ…あの泣き声はあなたの声?
聞いてしまいそうな自分を必死に押し殺して話し続けた。そうしたらあっという間に寝る時間が来た。今夜も就寝の鐘でお互いの部屋へ戻る。
「おやすみ、また明日ね。明日…無理だったらお仕事お休みしていいからね。」
「大丈夫だよ。心配しないで。明日は教会のお手伝いでしょ?頑張ろうね、おやすみなさい。」
心配は嬉しいけど、仕事を休もうとは思わない。苦笑混じりに答えてドアを閉めた。
今夜はゆっくり眠れるといいな…
泣いてる声…
この声は聞いた事が…思い出せない…
泣かないで…
この声…僕は知ってる!
この声は………
ハッと目を覚ますと起床の鐘が鳴り響き、朝日が眩しく射し込んでいた。目を擦りながら起きると、今見た夢の内容を思い出していた。
あの声は何処で聞いた声だったろう…凄く身近に感じていたはずなのに思い出せない。夢の中じゃないと駄目なのかもしれない。
ベッドから降りて着替えて、部屋を出る。彼女はまだ支度をしているのかな…先に起きたから朝食の支度を始めよう。
今日は教会の仕事のお手伝いだ。考えながらメイヤを焼いて簡単なスープを作ってお茶を淹れる。朝食の定番に、今日はプシルの卵を焼いた。
その間に彼女は起きてきた。遅れた事を謝ってたけど、僕は笑って答えた。今日は心配を掛けちゃいけない。夢は…忘れよう。
そう思っても僕の心の不安は取り除けなかった。
お茶を飲んで、始業の鐘が鳴ると家を出た。始業の時間と共に門が開く。今朝は様子が違った。
朝からあいつらが外にいるというのだ。そういう時は僕の出番。門を越える為に空を飛ぼうとしたら、今までは考えなくても飛べたのに…どうやって飛んでいたかがわからなくなった。
空が飛べないとあいつらを倒しに行けない!
町の皆に不安が広がっていく中、僕は勇気を出して門を開けてもらった。僕だけ外に出ると、剣を取り出してあいつらを斬っていく。倒しても倒しても中々減らない。
ようやく最後の一体を倒した時には汗だくになっていた。魔法がまた使えなくなっている…
町の人に声を掛けて安全な事を伝えると門が開いた。彼女は心配そうに手を組んで祈るように僕を待っていた。
「心配掛けてごめんね。」
「大丈夫?怪我とかない?」
「大丈夫。ちょっと手こずっちゃったけど…」
「どうして魔法が使えなかったんだろう…」
「僕にもわからないんだ…」
「今日は教会だし、神官様に相談してみよう?」
「うん…」
彼女は元気づけるように言ってから、普段通りに動きだした町を見て安心したように息を吐きだした。これで商人の人も出入りが出来るから、町が滞る事はないはずだ。
「やっぱり君がいないと駄目だね。」
「そんな事ないよ…」
「どうして?」
「魔法が使えたり使えなくなったり…僕はどうしちゃったのかな。神の戦士じゃなくなっちゃったのかな。」
「でも剣は使えるんだから。大丈夫、神官様に相談すれば何とかなるよ。」
「うん…」
教会に着いたら既に神官様の耳には今朝の出来事が耳に入っていた。まずはお礼を言われて、神官様の方から何故魔法が使えないのかを問われた。僕にもわからないのに、聞かれると思っていなかった僕は、黙ってしまった。
神官様が言うには、僕が太陽の神様に疑念を抱いているから繋がる事が出来ないのではないかと言われた。
そんな事ない!
僕は慌てて否定したけど、神官様はそれしか考えられないと言った。しばらく様子を見ようと。
考えてみれば、あいつらが来た時しか魔法は使えなかった。あいつらと太陽の神様と僕には、何か繋がりがあるのかもしれない。
少し考えてみよう。
そう思って普段の作業に戻った。教会の芝生の草むしりや、祭壇のお掃除。太陽の神様と月の女神様の像を丁寧に拭いて。
僕は、心の中で太陽の神様に問い掛けた。
どうして魔法を使わせてくれないんですか?
答えなんか、帰って来るはずなかった。
あいつらは何者なんですか?僕はあいつらと戦う為に選ばれた…あなたが選んでくれた戦士のはずなのに…
泣かないで…
泣かないで、母さん。
僕、もっといい子になるから。
塾もサボらないし、真面目に勉強するよ。
だから…泣かないで…
ガバッと僕は身体を起こした。
泣いていたのは…夢の女の人の正体は母さんなのか?どうして泣いているんだ…
次第にはっきりしていく夢の内容に僕の不安はどんどん大きくなる。どうして泣いているのか、あっちの世界で何かあったのか。わからない事ばかりだ。
だけど僕は、この世界の神の戦士なんだから…帰るわけにはいかない。僕がこの町の平和を守るって決めたんだから。逃げる事は許されない。
まだ月の女神様が煌々と輝く時間、僕は眠れずにずっと女神様を見上げていた。どうしたらいいですか、女神様…僕は、この世界の住人じゃないんですか?
何かしていないと不安に潰されそうで、仕事には一層力を入れた。手慣れた動物の世話に専念して、一日を労働で満たす。そうでもしないと、夢の事を考えてしまうから。
彼女との会話も比較的明るいもので、心配を掛けないように頑張った。普段通りの生活を心がけるのがこんなに大変だと思わなかった。今までの平和が、どんなに有難かったか…
どうか夢を見る前の僕に戻してください…
そう願わない日はなかった。毎晩見る夢に不安は増していき、それに呼応するようにあいつらは襲撃してくる。しかもあからさまに僕を狙って来るようになった。
やっぱりあいつらは僕が狙いなのか…僕が原因で出現してるのか…
そんな毎日に疲れ切ったある日。
考えるべき事が多すぎて、最近は仕事に専念できない。そんな僕を見て彼女は疲れてると思ったんだろう。しばらく仕事を休むように言ってきた。
「最近顔色悪いし、しばらくお仕事休憩しよう?あいつらだって最近結構出て来てて、君はそれとも戦ってるんだよ。疲れて当然だよ。」
「大丈夫だと思うんだけど…」
「あいつらが襲撃して来た時に君が疲れたりして倒れてたら、誰が倒してくれるの?君は私達を守ってくれる、勇者なんだから。働かせるなんて、最初からおかしかったんだよ。」
「……………うん…」
「ね?町長様には私から言っておくから。少しゆっくりしよう?」
「…わかった。」
「魔法はまだ…」
「使えないままなんだ…」
「そっか…どうしてだろうね。」
「僕にもわからないんだ。」
「私も、君が魔法を使えるようになるように毎日お祈りするね。」
「ごめん…」
「どうして謝るの?変なの。」
彼女はくすくす笑っていたけど、僕はどうしても笑う事が出来なかった。甘いはずのサシェも、僕の心まで温めてくれる事はなかった。もう就寝の鐘が鳴る。僕はまた…夢を見るのか…
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