第6話
泣いてる母さん…
溜息を吐いて肩を落とす父さん…
父さん、単身赴任は終わったの?
お土産話を聞かせてよ。
ねぇ、僕はここにいるよ。
だからそんなに悲しい顔はしないで…
僕はこの世界の勇者なんだよ。
勇者を生んだって…誇っていいんだよ。
今日の夢は、父さんと母さんの声だけでなく、顔を見る事も出来た。どうして…どうしてあんな悲しそうなんだろう。僕は良い子に此処で勇者をやってるんだ。だから心配しないで、大丈夫だよ。
そう言いたいのに夢の中の僕の声は二人には届かないみたいだった。一体どうしてこんな夢を見るのか…
しばらく仕事は休みだ。でもあいつらは昼夜関係なく出現するようになっていた。だから僕は大抵門の近くに待機して、剣を持って考えていた。
最初は心配してくれてた町の人達も次第に僕の姿に慣れて来たのかもしれない。町の人達は僕の事なんか気にせずにいつも通りの生活を続けている。僕なんかいなくても、あいつらが出現しないだけで町はこんなにも平和なのか…
僕はこの町の英雄じゃなかったのか。
歓迎してくれて、仲間に入れてもらったんじゃなかったのか…
この町でも僕はもう必要ないんじゃないか…
そんな日が数日続いた時に、ふと彼女に聞いてみた。これが間違いの始まりだったのかもしれない。
「今日は町長様が君の心配してたよ。門の所で一人、あいつらと戦って…大丈夫かなって。」
「僕は大丈夫だけど…剣だけじゃ追い払うのがやっとだから、町に入らないかが心配かな…」
「町の事を本当に考えてくれてるんだね。ありがとう。私がお礼を言ってどうなるわけじゃないけど…」
「そんな事ないよ、やっぱり嬉しい。でも、心配って言えば…旅に出たお兄さんは大丈夫かな…」
「え?何処のお兄さんが旅に出たの?私、それ知らない。」
「え?」
「門で挨拶でもしたの?でもいなくなった人はいないはず…町長様にも報告は上がってないはずだよ。」
「違う違う。此処の家のお兄さん…」
「………?この家は兄なんていなかったじゃない。ずっと君と二人で暮らしてきたでしょ?」
「え………」
彼女の言葉に僕は絶句した。確かにこの家にはお兄さんがいて、僕の部屋はお兄さんが使っていたものだって説明を受けたはずなのに…
町で…彼女にだけかもしれないけど…何かが起こってるのか?僕がおかしくなっちゃったのか?夢を見るようになってから何だか町の雰囲気も変わった気がする。
僕はそれ以上何も言わずに、夕食を終わらせて食器を片付けた。自分で洗って、彼女の分もお茶を用意する。
「今日はビーガでいい?」
「ビーガって…何?」
「教えてくれたじゃない、お茶の種類…」
「私が?この町にはそんなお茶ないよ。」
「君の町ではこれをビーガって呼んでいるのかな?」
「いや………何でもない。」
彼女との会話が全く上手くいかない。どうして…何が起こってるのかさっぱりわからない。僕はやっぱり頭がおかしくなってしまったのか…
次の日、町長様を訪ねてみた。彼女は今日は教会に向かってるはずだから、会話を聞かれる事はない。町長様に聞けばわかる事だ。彼女のお兄さんの事について。
いつもの女性に町長様に繋いでもらえるように頼んで、右の部屋に入る。あれ…カーペットの色は赤じゃなかったか。今日は模様替えで青にしてるのかな。模様は同じで、色違いがあったって別におかしくはないし。
町長様が来て下さって、僕は彼女のお兄さんの事を尋ねた。何処に行ってしまったのか…
だけど、僕の予想は外れた。町長様も彼女に兄はいないと断言した。孤児だって話は聞いていたけど、確かに彼女にはお兄さんがいたはずで…彼女は話したがらなかったけど、お祭りの時に旅に出たって話してくれた。町長様の家を後にする時、ベルが吠えて遊びに誘ったけど…僕はそんな気になれずにそのまま歩いて行った。
もやもやを抱えたまままた門の入り口に戻る。僕が此処にいるのはもう定番になった。誰も気にしない。前は挨拶をしてくれた商人の人達も、まるで僕がいないかのように無視して通り過ぎていく。
今日もあいつらが現れた。僕は町を守る為に剣を振るう。門の外の出来事には、町の人は興味がないように平和に時を刻んでいた。
何かがおかしい。
僕の頭を疑念ばかりが過るようになった。夢は次第に、父さんの声や母さんの泣き顔が鮮明に見えるようになっていた。でも何を悲しんでいるのかわからない僕にはどうしようもなく、ただ夢の中で叫んで二人に声が届くのを待つばかり。
そんな毎日に疲れ、隙が出来たのかもしれない。僕はあいつらに囲まれて、剣を振るって逃げようとしたけど…懐に入られてとうとう食べられてしまった。
町を守れなくなる。僕の存在は跡形もなく消える。僕は此処で死ぬんだ…
ああ…
僕は死ぬんだ…
何も見えないあいつらの腹のなかで僕は冷静に考えていた。別にいいじゃないか。町がどうなろうと…夢の中の町がどうなろうと。僕は僕の世界に帰るだけなんだ。
その瞬間に僕の頭の中に映像が飛び込んできた。僕は前にも…あいつらに喰われた事がある…その時僕はどうしただろう。
剣を振るって外に飛び出した。そこで何かを見て、僕はどっちの世世界で生活するのかを選ばなくちゃならなくなったんだ。何を見た…
思い出せない。だけど、僕はこっちの世界を選んだ。そしたら彼女が悲しい顔をして…悲しい瞳で僕を見て…この世界が崩壊した。
どういう事なんだ?何故前の僕が見れた情報が今の僕には見れないんだ?
ごめんね…父さんと母さんが悪かったんだね…
頼むからもう一度…
お願いよ…
父さん、母さん…何が言いたいの?僕は此処にいるんだよ。
父さんと母さんの周りをよく観察する。白い天井に白い壁…病院?僕は病院で寝ているの?
その瞬間に、思い出した。
僕は、僕が存在しない世界に嫌気がさして自殺を図った。塾にも学校にも友達がいない繰り返しが続く僕の生活を終わらせたかったんだ。放課後の屋上に昇って…
その身を投げたんだ…
気付いたらこの世界の住人になっていた。どういう事?此処は天国なの?
違う…何かが違う…
僕は病室にいて、父さんと母さんの声を聞いてるんだ。だからまだ死んでない。本当に僕の夢なのか?出来過ぎた夢なのか?僕は必死に考える。
こっちの世界じゃないと生きられない。
こっちの世界じゃないと存在も、生きてる実感も薄いじゃないか。
こっちの世界にいた方が平和に過ごせる。
それは、何も見えない暗闇から響いてくる声だった。僕をこの世界に留め置きたいという、まるで甘く囁くような声だった。
僕は確かにそうだと思った。あっちの世界にいても僕の居場所はない…それならいっそこっちの世界にいた方がいいんじゃないのか?
でも…父さんと母さんの嘆きはどうなるんだ?
そんなの知った事か。
今までお前を孤独にした根源だ。
悔い改めるべきなんだよ。
違う!
あの涙は本物だし、二人とも後悔してる!
僕は僕の世界に戻ってやり直さなくちゃいけないんだ!
今の僕なら…両親とも上手くやれる。
この世界で沢山学んだじゃないか、人との繋がりの大切さを…
まるで二人の僕が言い争っていた。暗闇に僕の姿が二つ浮かび上がる。その二人は、今の僕の心の叫びだった。葛藤が目の前で喧嘩している。僕はそれを見ているしか出来なかった。
どちらも僕の本音だ。どうする事も出来ない。どうやってどちらを選ぶ事が出来ようか…だってどちらも僕なんだ。僕の本音なんだから…
しばらく二人のやり取りを見ていたけど、平行線だ。当然だ。これは僕の心で、言ってみれば天使と悪魔が戦ってるようなものだ。いつまでも続くだろう。
よく思い出して。
この世界が如何に自分の思い通りになっていたかを!
ふと僕に話しかけてきた。こっちは僕の世界に戻ろうとしている心だ。どういう事だろう。
どうしてこんなに文明が進んでいない世界で、お風呂を薪で沸かす世界に水道があるんだ?
僕は弾かれたように、顔を上げた。言われてみれば…当然のように使っていたけど、どういう事だろう。ガスコンロに似たものもあった。畑がないのに果物や野菜が豊富だった。全然不思議に思わなかった、この世界の辻褄。
いつも僕の隣にいて、ゲームの進行役をしてくれた彼女だって…あまりにも先回りし過ぎていた。僕のやる事をまるで導くように…神官様や町長様の橋渡しになって、僕を常に導いていた。
こんなの上手く行きすぎだって…僕が勇者になって町を救って…でもそうしたら彼女の存在も夢だって言うのか…
私は、あなたの希望なの。
突然彼女の声が響いた。振り返ると、彼女がいた。あいつらの腹の中に…どうやって来たんだ?これも幻なのか?
あいつらは君の不安の具現。
私は君の、希望の具現。
生きたいと言う、希望。
太陽の神様はこの世界と君の世界を繋ぐ橋。魔法が使えなくなったのは、君が迷っていたからなんだよ。
前に君が、前にこの世界に残る事を決断した時…
彼女は泣いたんだ…僕は、僕は生きていたいと少しでも願っていたのか。だからこの世界は一度崩壊したのか…
僕はこの世界には平和でいて欲しい。でもそこには僕は存在しない。それじゃ意味がないじゃないか。もう一度、この世界に残る事を望めば初めから生活できるんじゃないのか?
そんな妥協案が僕の心を過る。そうすれば、忘れてしまうかもしれないけど…また最初からやれる。
そんなに上手く行くだろうか、何度も何度もこの世界に来れるなんて都合のいい事が起こるだろうか。僕は次の夢でも此処に戻って来れるのか?
戻れるさ。前にも戻って来たんだから。
僕が半ば決断した時に、彼女の悲しそうな顔、涙が頭に浮かんだ。僕はまた僕の希望を裏切るのか?彼女は僕の希望。既に一度裏切って悲しませてるのに…
僕はまた悩んでしまう。悩めば悩むほど、二人の僕の口論も激しくなる。頭がおかしくなりそうだ。
君は生きたいんだよ。
だから私が存在してるの。
それに気付いてあげて…
それだけ言い残して彼女の幻は消えた。僕の希望が薄れたから?言いたい事はもう全部言ったから消えたのか?後は僕一人で考えろって事なのか?
僕は必死で考える。僕はどうしたいのか。どうすればいいのか。
生きたい!
僕は、父さんと母さんと…彼女をもうこれ以上悲しませたくない!
だから…
だから………!!
僕は、この世界に残りたいと主張していた僕を手に持ったままの剣で斬った。するともう一人の僕が、笑って消えた気がした。
世界が足元から白くなる。光で満ちていく…これが僕が出した答えだ。正解なのか不正解なのかわからないけど、悔いはない。
もう誰も僕の事で悲しい思いをして欲しくない。
「頑張ったね。」
振り返ると彼女がいた。土手に迎えに来てくれた姿だ。白いワンピース。ただ一つ違うのは…
「君がくれた羽。大切にするから。」
そう、コッカの羽を持っていたのだ。大切そうに抱えて。
まるで宙に浮いているような、此処こそが天国なんじゃないかと思える場所。真っ白でそこには風なんてないのに、彼女のワンピースの裾は翻る。
彼女は歩くようにして僕に近付いてきた。
「君と過ごした時間は本当に楽しかったよ。」
「僕も…あなたに会えて良かった。」
「もう、お別れだけど…」
「少し、これでいいのかなって不安もあるけどね。」
「もう。これで良いんだよ。君は君の世界で…まだまだ出来る事が沢山あるんだよ。」
「そうだといいけど。」
「相変わらずだなぁ。」
クスクス笑う彼女の周りに、気付けば町長様や神官様を始め、町の皆がいた。口々に祝福してくれていて、まるで初めて町を訪れた時みたいだと思った。
「それじゃ…僕はもう行くよ。」
「君の物語は、まだまだ始まったばかりなんだから。」
「…………うん。」
「さよならなんて言わないよ。私は君の希望だから…いつも君の中から応援してる。」
「ありがとう。僕もあなたを忘れない。忘れられないよ。」
皆の姿が、彼女の姿が薄くなっていく。
彼女が近付いてきて、挨拶するみたいに腰を屈めた。
頬に彼女の唇の感触が伝わった気がした。
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