第71話 そして朴人は長く深い眠りにつく

「やあ朴人君、君にしてはずいぶんと長い間起きてたみたいだね」


 その声が聞こえた時にはすでに、朴人の意識はあの一切記憶に残らない景色の中にいた。


 それだけではない。

 トレントに転生して以降、眠るたびに現れる謎の存在がすでに真正面に立っていたことに、朴人が気付いたのも今この瞬間だった。


 もっとも、その程度のことで精神が揺れる朴人ではなかったが。


「……そうですね。我ながら、少しだけ性に合わないことをしたとは思っています」


「性に合わない?それは違うんじゃないかな、朴人君。君は、自分の欲望のままに行動したに過ぎないよ」


「欲望のままに?私の望みは寝ることだけですが」


 人族の王国を潰すことじゃない、とソレに向けて言う朴人。


 だが、表情の見えないはずのソレが鼻で笑い飛ばすのを、朴人ははっきりと感じた。


「違うね朴人君、君はただ自分の心の奥底にある欲望を認めていないだけだよ。そうでなければ、君が眠り始めて一万年後に、こうして目覚めることもなかっただろうさ」


「いえ、単純にあなたの声がうるさかったせいなんですが」


「う、うん……君が目覚めてくれないと僕が困ることになっていたのは事実なんだけどね……」


 今度はソレが冷や汗を垂らしているのが、朴人にはなぜかわかった。

 どんな存在でも何度か会えば、それなりに相手のことが分かるものらしいと、朴人は学習した。


「だけどね朴人君、君が本気で目覚めたくないと無意識のうちでも願っていれば、僕の声なんかで目覚めることもなかったはずなんだよ。なにしろ、そういう風に君を転生させたのはこの僕なんだからね」


「ただのトレントとして転生したはずでは?」


「もちろんそうさ。だけど、朴人君が最初に眠る直前の、地中に潜って全身から根を伸ばして世界と君の魔力を循環させる行動を取ったことが、一万年後の運命を変えた。いや、改めて認めるよ。一万年もの長い間眠り続けることなんて、魔王にだってできやしない。たとえそれで強大な力を手に入れることができるとしてもね」


「はあ、……これって褒められてるんですか?」


「ハハハ、まあ、褒めていると取ってもらって構わないよ。なにしろ、偶然か君の直感かどうかはともかく、一万年の眠りは朴人君の欲望を叶えるためには必要な時間だったんだからね」


「それはどういう……」


「おっと、そろそろ時間だ。この続きは次の機会に話をするとしようか」


「時間、ですか?」


「君が言い出したことじゃないか、朴人君。君の眷属君と約束したんだろう?三日間だけ、って」


「三日……」



 ――ト様、ボクト様、起きてください。


 ボクト様!!






 目覚めた朴人が見たものは、知らない真っ白な天井と、心配そうに見つめるフランの端正な顔だった。


「ボクト様、お目覚めになりましたか?」


 身を起こした朴人は、自分がキングサイズのベッドに寝かされていたことを知った。

 滅多にないだろう大きさのベッドと高級そうな室内の調度品から、おそらくここはリートノルド子爵の屋敷で、中央広場で倒れ込むように寝た朴人をフランがここまで運んできただろうことは、すぐに推測がついた。


 そこまで考えを整理した朴人が、変わらずに見つめてくるフランに尋ねた。


「……フラン、なんでそんなに不安そうな顔なのですか?」


「だって、ボクト様が起きるかどうか心配で……」


「ちゃんと三日後に起こしに来てくれて、目覚めたのではないのですか?」


「はい、ちゃんときっちり三日後に起こしに来ましたし、ボクト様はお目覚めになられました。でも、今回は一番長く外に出てましたし、それにあれだけの力を使った後だったし……」


 フランにそう言われて、朴人は改めて自分の体調をセルフチェックしてみた。


 特に熱がありそうでもなく、痛いところもない。なにより、今回眠る直前に感じていたあの倦怠感もさっぱりと消えていた。

 朴人は大丈夫だと結論付けてフランに言った。


「別に、あの程度はなんてことはないですよ」


「そ、そうなんですか?トレントのヨルグラフルさんは『あれほどの力、まさに伝説に聞く魔神の再来じゃ』なんて言ってますけど……」


「私は魔神なんてそんな恐ろしいものではありませんよ」


「そうですか、そうですよね!変な噂を流したヨルグラフルさんは、あとできついお灸をすえておきます!」


 傍目で言えば、一般的な認識がおかしいのは間違いなく朴人とフランなのだが、あいにくこの永眠の森にはそれを指摘する勇気のある者はいなかったし、これからも出てくる予定はなかった。


「それでフラン、あれからどうなりましたか?と言っても、さすがに三日やそこらでは大した変化はないかもしれませんが」


「いえボクト様、確かに決着がついたとは言えない部分は多いですけれど、この三日で色々と目途は立ちました。まず、永眠の森の被害状況ですけれど、いくつかの箇所が人族の火球魔法で炎上しましたけれど、住人のみなさんの頑張りで全て延焼する前に消し止められました。それと、この市街地への被害はほぼ皆無です」


「そうですか、それはよかった。帰ってきた直後は、周りのことを気にする余裕がありませんでしたから。無事に私の寝床が守れて何よりです」


「はい!私も大満足の結果です!」


 無表情ながらもどこかほっとしたような朴人と、満面の笑みで返事をするフラン。

 そこに突っ込みを入れられる者は誰もいなかった。


 ――いや、何とも言えない顔で二人の様子を見ている人族の青年と、ドワーフの男がいた。


「……あのー、フランチェスカ様?もし邪魔だったら出直しますけど?」


「……どうもタイミングが悪かったようだのう」


「ああ、クルスさんにガラントさん。いえいえ、私の方から呼び出したんですから、邪魔なんてことはないですよ。さあさあ、ボクト様の前に来て報告してください」


 フランにそう言われても困り顔のままだったクルスとガラントだったが、それでも勧められるままに朴人の前に進み出た。


「それでクルスさん、人族の王国のほうから知らせが来たんですよね?」


「あ、ああ……コホン。ボクト様も知ってるグランドマスターから……」


「そう言えば、永眠の森はまだ木の根っこに持ち上げられたままのはずですけど、クルスさんはどうやってここに?」


 説明を始めようとしたところで、朴人に唐突に疑問をぶつけられて一瞬固まったクルスだったが、そこは『銀閃』のリーダー、すぐに意識をリセットして答え始めた。


 ただし、苦い顔つきになりながらだが。


「うちの回復術師のマーティンの得意技で、聖術障壁ってのがあるんですが、これが敵の攻撃から身を守るだけじゃなくてかなり便利使いできるんです。たとえば、足場の全くない高層の建物の壁に沿って小型の障壁を次々に張って即席の階段にしたり、とか」


「へえ、それは確かに便利ですね。それなら自由に今の永眠の森を行き来できますし、いっそこのままの高さで木の根を維持しておきましょうか?」


「……それは勘弁してやってください、マーティンのためを思うなら。今回初めて分かったんですが、あいつ、高いところがダメらしいんです。今はランディとミーシャの三人で下に降りて色々動いてもらってるんですけど、次にここまで登らせたらショック死しちまいそうなんで……」


「そうですか。なら、あとでちゃんと地表に下ろしておきましょうか。それで、その後のサーヴェンデルト王国のほうはどうですか?」


「は、はい。まず、永眠の森に攻めてきた騎士派と魔導派の軍は完全に撤退しました。と言っても、両派閥の首魁は永眠の森の下にできた大穴に落ちたり、崩れた土砂に埋まったりで残らず死亡したらしいんですけど。両派の軍勢の生き残りがそれぞれの領地に帰っていった、って言った方が正しいですね」


「それではクルスさん、その生き残りの人達が、再び永眠の森に攻めてくる可能性が残ったってことじゃないんですか?」


「いやフランチェスカ様、それは無いと断言できますよ。騎士派魔導派の首魁六家は一連のことで当主と跡継ぎを立て続けに失った。自領の兵を大量に失ったことも大きいが、貴族にとっちゃこっちの方が問題だ。今頃は、次の当主を誰にするか、その後見役に誰がつくか、みたいなお家騒動が始まってる頃じゃないですかね?」


「加えて、実権を取り戻したという王宮派が、騎士派と魔導派の処分を本格的に始めるだろうからな。騎士派と魔導派は弱体化の一途を辿るであろうな。部外者のワシから見ても、とても永眠の森への再侵攻など考えられん」


 クルスに付け足すようにそう言ったガラント。

 その表情はガーノラッハ王国のことを思い出したのか、若干苦いものへと変わっていた。


「次に、その王宮派のことですね。永眠の森として警戒するなら本命はむしろこっちなんですけど、どうやらボクト様の望んだ通りの流れになりそうです」


「騎士派と魔導派だけじゃなくてサーヴェンデルト王国としても、永眠の森に手を出してくることはもうないということですか?」


「少なくとも今の国王が元気なうちは、ですけどね。それに、いくら王宮派が復権したと言っても、サーヴェンデルト王国全体で見れば国力が大幅に弱体化したのは事実ですし、少なくとも国内を纏め切るまでは手を出したくても出せない、ってグランドマスターが手紙に書いて来ました」


「……クルス、それはグランドマスターとやらが漏らしてほしくない話だったのではないか?」


「いいんだよガラントのダンナ。ボクト様やフランチェスカ様に隠し事しないことの方が、俺たちに取っちゃ何より大事だと思わないか?」


「ふむ……それもそうか。言われてみれば確かにそうだな」


 最初は顔をしかめていたガラントだったが、クルスの言葉に納得してあっさりと自分の考えを引っ込めた。


「で、ボクト様、そのグランドマスターから一つ提案があるって、その手紙に書かれていたんですよ。ていうか、今日参上したのはそれが本題でして……な、ガラントのダンナ」


「うむ。偶然なのか示し合わせてのことなのか、ほぼ時を同じくして、ワシの方にも国元のフギンから似たような提案をボクト様に図ってほしいと知らせてきたのだ」


「ふーん。……フランはもう聞いているのですか?」


「あらましだけは。はっきり言って、私もどう捉えていいのか迷ってるところがあります……」


「単刀直入に言います。サーヴェンデルト王国は永眠の魔王ボクト様と、不可侵条約を結びたいそうです」


「ガーノラッハ王国も同じくだ。ついでに、これまでボクト様に遠慮して中断していたサーヴェンデルト王国との交易も再開したいと言ってきておる」


「これはすごいことですよボクト様!サーヴェンデルト王国とガーノラッハ王国が、この永眠の森を対等な相手と認めていると言っているのと同じです!いえ、もう二国が永眠の森の軍門に下ったと言っても過言ではありません!六芒同盟の一角のサーヴェンデルト王国と、人族と魔族の中立勢力だったガーノラッハ王国が動いた「ふぁあ~あ」んです、これは世界そのものが大きな変革の時代に突入したと言っても過言じゃないですよ!そしてその中心にいるのが永眠の森を支配するボクト様!これはもう、これはもうすごくすごいことですよ!!」


 美少女台無しの握りこぶしのポーズで、かつてないほど熱く熱く語りまくるフラン。


 その結果、主と崇める朴人の退屈そうなあくびに全く気付かぬまま、その決定的な言葉を聞いてしまった。


「そうですか。ではフラン、後のことは全て任せます」


「そうです!あとのことは全てボクト様に任されたこのフランが………………はい?」


「そういう面倒なことは全てフランに任せます。サーヴェンデルト王国やガーノラッハ王国を滅ぼすも、世界を支配するも、好きにやってください。私の眠りを邪魔しない範囲で。では、おやすみなさい」


「ちょ、ボクト様!?いやちょっと待ってください!」


「あーあ、やっぱりこうなったよ」


「ワシらでもわかったというに、なぜフランチェスカ様は気づかなんだのかのう?」


「待って、待ってくださいボクト様!そうだ、この間安眠グッズを試作したんですよ?ちょっと試してみませんか?きっと今まで以上に熟睡できるようになると思うんですよ?その効果なんと前作の四倍!さあ、聞こえたなら今すぐ起きてくださいていうか起きろコラーーーーーーーーーーーー!!」


 そこで朴人の意識は途絶えた。






 そして朴人は、さっきの何の印象にも残らない空間へと帰ってきていた。


「ええっと、なんの話だったっけ?」


「とぼけないでください。私が一万年後に目覚めるのが必然だった、という話ですよ」


「ああ、あれね。あいにく今の僕は暇を持て余してはいないからね。これでも結構忙しいこともあるんだよ?さて、朴人君の一万年の眠りの理由の話だね」


 同じ場所に立っているように見えて、実は朴人がここを離れている間に何かしていたらしいソレがそう言った。


「まあ、言ってみれば単純な話さ。トレントとなった直後の朴人君が、この世界で己の欲望を真に叶えるためには一万年の年月をかけて力を蓄える必要があったと、本能的に判断したんだよ」


「……色々疑問が沸いてはきましたけど、面倒なのでこれだけ質問します。私の睡眠を邪魔する、そんな存在がいるんですか?」


「さあ?」


「さあ、って……」


「それは僕に聞くべきことじゃないね。だって、それは朴人君がこれから知っていくべきことなんだから。一万年の時を生きた朴人君に匹敵する存在がいるかもしれないし、いないかもしれない。もしくは、一万年の眠りを必要だと本能で感じた朴人君の直感が、ただの思い過ごしだったかもしれないし、的中しているかもしれない」


「……」


「おおっと、そんな恨みがましい目で見られるいわれはないと思うよ。なにしろ、この世界は今の朴人君の世界であり、待ち受けているかもしれない敵をなんとかしていくべきなのも今の朴人君自身だ。まさか、第二の人生が寝てばかりいられると本気で思っていたわけじゃないだろう?」


「いえ、本気で思ってましたけど」


「そ、そう?……えへんえへん、まあ、だとしてもだ。人族だろうがトレントだろうが、人生寝てばかりじゃ生きているとは言えない。より良い睡眠のためには、それに値する行いが必要だってことだよ」


「善行を積め、ってことですか?」


「まさか!善悪の彼岸なんて、僕にとっては何の意味もないさ。要は、朴人君自身が熟睡するために必要な行いを、朴人君が自分でするべきだ、って言ってるだけさ」


「私の眠りを邪魔した、人族の国を叩いたり、ということですか」


「その結果、朴人君は少々長めの睡眠をとることができる。それもまた、この世界に対する一つの答えだよ」


「そう思うのならそろそろ眠らせてくれませんか?これでも結構、睡眠欲が溜まっているんですよ」


「そうだね。そろそろお暇しようか。じゃあね朴人君、次に会うのは一月後か一年後か、はたまた一万年後か。その時が来るのを楽しみにしているよ」


 そう言って、ソレと空間は闇の中に消えた。


 そして、眠りにつくまでの一瞬の間だが、朴人の意識はようやく眠りにつけるこの上ない喜びに満ち満ちて、拡散する意識と共に融けていった。



 トレントになったので一万年ほど寝ていたい 完

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トレントになったので一万年ほど寝ていたい 佐藤アスタ @asuta310

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